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恐怖日和  作者: 黒駒臣
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しつけ


「りょうちゃん、ちゃんと子供たち見ててよ」

 胸元の開いた派手な赤いワンピースを着たゆりがレースのショールを肩に引っかける。

「ったく、いつも見てるだろうが。うぜえな」

 亮介はスマホから目も上げない。

「何言ってんの。あんたがちゃんと働いてくれてたら、うちは仕事に行かなくていいのよ」

「うるせっ」

 目をつり上げて亮介はビールの空き缶をゆりの足元に投げた。

「ちょっとやめてよ。

 とにかく、ちゃんと見てて。悪いことしたらお仕置きしてもいいからね」

 そう言ってゆりは出て行った。

「お仕置きしてもいいんだとよ」

 亮介はスマホから目を上げて部屋の隅に座る二人の男の子を見た。

「ぼくたちわるいことしないもん」

 兄の健太が口を尖らせた。

「ちないもん」

 弟の浩史が真似をする。

「うるせっ、生意気言うんじゃねっ」

 亮介はまだ半分ほど残っているビールの缶を健太に向かって振り上げたが、もったいなくてやめた。

「おじちゃん、おなかすいた」

「ちゅいた」

「ったくよぉ、毎日毎日、ガキに飯くらい食わせてから行けってーの。お前もさ、もう五歳なんだろ。いちいち言わなくても自分で飯くらい作って食えよ。冷凍室になんかあんだろ? チンして食え。弟にもちゃんと食わせろよ」

 亮介はスマホゲームに戻り、もう子供たちに見向きもしなかった。

 健太はそっと立ち上がって冷蔵庫に向かった。浩史も同じようについて来る。

 冷凍室の引き出しをそっと開けて一つだけ残っていた冷凍チャーハンの袋を取り出した。

 浩史は指をくわえて黙って見ている。でも表情は嬉しそうだ。

 二人は朝から何も食べていなかった。

 仕事から帰って来たゆりは毎日夕方まで眠ったままだ。自分が働いているのだから子供の面倒は亮介が見てくれればいいと思っている。

 亮介は亮介で、家賃滞納で追い出されたところをたまたま行ったスナックで同情されたゆりに拾ってもらっただけで、赤の他人の子供の面倒など見る気はさらさらない。

 健太たちの朝ごはんはゆりが仕事帰りにコンビニで買ってきた菓子パンだが、今朝は珍しく早く起きた亮介に全部食べられてしまった。昼ごはんは基本食べられず、たまにカップ麺があれば、自分でコンロにやかんをかけて湯を沸かし――健太にはそれができた――浩史と二人分け合って食べるが、きょうはそれもなかった。

 冷凍室の食材は許可がなければ食べられなかったが、いま許可が出たので健太たちは亮介の気が変わらないうちに急いで食べなければいけなかった。

 椅子に立って食器棚の一番上から大皿を取り出す。

 テーブルの上で開封したチャーハンをそこに盛るとレンジの前まで椅子を引っ張った。フローリングに擦れた椅子の脚が音を立てる。

「うるせえっ」

 亮介の声が飛んできて健太たちは首を引っ込めた。

 浩史が兄のいつもの仕草を真似て小さな人差し指を口の前に立てる。健太は微笑んでうなずいた。

 椅子に乘ってレンジのドアを開けると健太はチャーハンの皿を取るためいったん降りようとした。だが、待ちきれない浩史が手を伸ばす。

「だめだよ」

 注意したが遅かった。案の定、床にチャーハンをぶちまけ皿の割れる激しい音が響いた。

「うるせえってんだろっ。

 あっ? おめえらっなにやってんだよっ」

 亮介がスマホを置いてキッチンに来た。こういう時だけスマホから目と手を離す。

「ご、ごめんなさい」

「なちゃい」

 健太と浩史が怯えた。

 亮介は些細なことでも怒りのスイッチが入る。床にぶちまけたチャーハンを見たら、なおさらひどく怒るに違いない。

「おいおいおい、おめえらよぉ、何やってくれてんだ? もったいないことしやがって」

 そう言うなり、浩史の背を蹴り飛ばした。

 まだ三歳の小さな身体が飛び、テーブルの縁に顔をぶつけた後、反動で後ろに倒れ込んだ。

 浩史は突然のことに声を出せないでいたが、数秒後、鼻血の噴出とともに大きく泣き叫び始めた。

「ひろしっ」

 健太が駆け寄り浩史を抱き起こす。

 亮介は健太の後ろ襟をつかんで浩史から引き離すと浩史の髪をつかんで床に散らばる凍ったチャーハンに顔をすりつけた。

「おらっ、もったいないだろうがっ、食えよっ、おらっ食えっ」

 泣き叫ぶ口の中にチャーハンと欠けた皿の破片が入る。

 ぎゃああと浩史の泣き声がひときわ大きくなった。

「ひろしをはなせ」

 健太も涙を流しながらしゃがむ亮介の背中を蹴った。

 だが、体格のいい亮介の身体は微動だにしない。

「ああ? しつけだよ。しつけ。お母ちゃんが言ってたろ? 悪いことしたらお仕置きしてもいいってさ」

 振り向いた亮介の顔に浮かんでいるのは気持ち良さそうににやけた笑みだった。

「お前もだめだろ? 俺の背中蹴ったらさ。いわば俺は父ちゃん代わりだ」

 亮介がゆっくり立ち上がり、健太に手を伸ばす。

 健太はテーブルを回り込んで素早く反対側に移動し、うつむいて泣き叫ぶ浩史のもとに駆け寄った。

 舌打ちしながら亮介が一歩二歩と近づいてくる。

 浩史を置いて逃げられない健太はじわじわと迫る大男を見上げた。

 その時、亮介がチャーハンの塊と浩史の口から出血した血溜まりを踏んで足を滑らせた。

 仰向けで派手にすっ転ぶと後頭部を思い切り床に打ちつけ、そのまま意識を失った。


 沸騰したやかんのピーというけたたましい音で亮介の目が覚めた。

 俺はいったいどうしたんだっけ? 

 あのクソガキたちがチャーハンぶちまけて――そうだ。チビの血で足を滑らせたんだ。

 亮介が今見えているのはしみったれた天井の木目ばかりだ。横を見ようにも頭を動かすことができない。それどころか身体の自由も利かなかった。

 おいおい、どうしたんだ。頭打って身体のどっかが利かなくなったんか? クソったれっ、あいつらのせいだ。どこ行った?

 呼びつけたくても口も開かない。その時になってようやく亮介は何かで自分の口がふさがれ、頭や身体が床に固定されていることに気付いた。

 亮介を覗き込む健太の顔が視界に入る。

 おいってめえ、ざけんなっ。これをはずせっ。

 そう言いたいが喉で唸るだけで言葉にならない。どうにかして起き上がろうと全力で手足や頭を動かしてみたが無駄だった。

 健太が銀色のガムテープを亮介に見せた。

 それは千切れかけた洗濯機のホースをつなぎ直すためにゆりがホームセンターで買ってきたものだ。

「これすごく強力だってママ言ってた」

「いってた」

 顔の腫れた浩史も亮介を覗き込む。出血は止まっていたが垂れている鼻水には血が混じり、口の周りには赤い血がこびりついていた。

 びっとガムテープの音がしてテープを持った健太の手が視界に入る。それを亮介の額に貼り付け、頭の固定をより強固なものにした。次に首、肘、手首、腰、膝、足首、そしてまた頭からと順番に貼っていく。

 どれだけ繰り返されているのか。大きい巻きがあと少ししか残っていない。だが、ゆりはもう一本予備に買っていたはずだ。それも使い切っていたら――

 もう一度力を入れてみたが腕も脚も動かせなかった。

 ピーというやかんの音がずっとうるさい。

「悪いことしたらおしおきしなきゃね」

「ね」

 テープを最後まで使い切ると健太が亮介から離れた。

 音が止み、健太が慣れた手つきでやかんを持ってきた。

「しつけだよ。しつけ」

「ちつけ」

 健太はやかんを傾け、湯が自分たちに飛び跳ねないようゆっくりと亮介の顔に熱湯を注いだ。


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