第92話 借金ゼロ記念でパチンコ行ったら普通に負けた
翌日の午後、俺は現代日本側のパチンコ屋で、一万円札が千円札より軽く見える特殊な精神状態に入っていた。
昨日、神界債務がわずか四十五万円だが(わずかというのもおかしいけど)再発したのだ。普通なら落ち込むところだが、四億近くまで育てた借金をゼロへ落とした直後の俺にとって、四十五万円は単なる誤差である。誤差なら取り返せる。取り返せるなら勝てる。勝てるなら座る。俺としては完璧な論理だった。
少なくとも、台へ座るまでは――。
「......おかしい。借金ゼロを経験した男には、もっと流れみたいなもんが来てもいいはずだろ?」
筐体液晶の派手な演出が外れ、俺の残高だけが現実的に減った。隣の爺さんは何もしていないような顔で連続して当てている。世の中は理不尽だ。
「黒田さぁん。投資効率、現在マイナス百パーセントに近づいてますけどぉ♡ ざっこぉ♡」
「うるせえぞ。今いいところなんだよ。あとお前、なんでパチ屋まで付いてきてんの?」
右隣の空席に、レグリアが堂々と座っていた。
今日は神界制服の上へ薄手のベージュ色コートを羽織り、小型制帽の代わりに黒いキャップを被っている。小柄なせいで遠目には大学生くらいにも見えるが、顔立ちは明確に成人女性で、青紫の目だけが店内照明よりきらきらしていた。巨大な承認印はさすがに持ち込めなかったらしく、膝の上に小型スタンプと監査端末を置いている。
「ただの監査ですぅ♡ 神界債務ゼロになった翌日に、現金まで減らしてる人がいるって聞いたのでぇ♡」
「誰から聞いた?」
「ゼニス先輩の契約者位置情報見ましたぁ」
「個人情報保護どこいった!?」
「契約条項第十九項に監査目的の位置照会が――」
「長い。聞いたら負ける気がするからやめてくれ」
「もう負けてますけどぉ♡ 現金二万円以上消失、回収見込みほぼなし。資産管理能力まで順調に沈んでますねぇ♡」
俺は返事をせず、ハンドルを握ったまま液晶を見る。
「……黒田さん?」
「聞いてる」
「だったら何か言ってくださいよ」
「俺が負けてるって話だろ。知ってる。いま目の前で起きてる」
「もっとこう、悔しがるとかあるでしょう!?」
「監査官が煽った相手へリアクション要求すんな。芸人かお前」
「誰が芸人ですかぁ!」
俺のこめかみがぴくぴくした。
「おいチビ監査。お前、パチンコ分かんのか?」
「......」
「止まった。おいチビ、効いてる?」
「私は小柄なだけですぅ。神格と身長に相関はありません――」
「説明が急に真面目になったな」
女神は肩をぷるぷる震わせていた。相当利いているようだ。
だが、台の演出がまた外れた。
「ほら、オメーが話しかけるから外れただろうが!」
「責任転嫁までして、おっさんよわよわぁ♡」
「黙れ! これは演出の流れが――」
「負けてる人ほど“流れ”って言いますよねぇ♡」
「神界にギャンブル依存対策研修でもあんのかよ!」
左から金色の光が漏れた。
「私だってそこまではしませんよ!?」
ゼニスだった。
今日は紺色のカーディガンに白シャツ、黒い細身パンツという妙に現代へ馴染んだ格好で、肩から小さなショルダーバッグまで下げている。神々しい光輪だけが、完全にパチンコ屋の空気から浮いていた。
「お前まで来るな! 俺の両隣を女神で固めるな! 運気が逃げるだろが!」
「あなたの運気は私たちが来る前から逃げています!」
「ゼニス先輩、見てください♡ 神界債務九十枚なのに、現金はもう二万六千円減ってますぅ♡」
「黒田さぁん!?」
「声でかい! まだ負け確じゃねえ。最後に捲れば勝ちだ!!」
「その理屈を昨日も聞きました!」
「昨日は競馬だ。今日はパチンコ。競技が違う」
「あんた、負け方の種目を増やしてるだけでしょうがぁぁぁぁぁっ!」
周囲の客がこっちを見るので、俺は二人の女神を小声で叱った。
「こらっ。店内で神力出すな。目立つだろ!パチ屋の照明よりまぶしいんだよお前ら」
「原因あなたですけど!?」
「オッサン監査対象が騒ぐので仕方ありません♡」
「騒がせてんのはお前らだ!」
結局、その後も流れは来なかった。
店を出た時には、財布の中身が目に見えて薄くなっていた。夏の終わりとはいえ夕方の空気はまだ熱く、駐車場のアスファルトからもわっとした熱が上がってくる。俺は自販機の前で立ち止まり、缶コーヒーの値段を見て数秒悩んだ。
レグリアが横から覗き込む。
「さっき二万円以上使った人が、百数十円で悩んでる♡ ぷぷっ♡」
「ギャンブル費と生活費は会計科目が違うんだよ」
「同じ財布から出てますぅ♡」
「細かい女だな。結婚したら嫌われるぞ」
「黒田さんにだけは人生設計を説かれたくありません!」
ゼニスにまで怒られた。
帰り道、腹が減ったのでコンビニへ寄った。肉まん二つ、缶コーヒー、ついでにホットスナック棚を眺める。アレクシスがこれを見たら、また目を輝かせるだろう。そう思ったところで、俺は自分が異世界の勇者の食生活まで考え始めていることに気づいた。
(いや、違う。これは単に俺が食いたいだけだ。あいつらへ持っていく義務なんてない。買った物は俺の物だ)
肉まんを一つ頬張る。熱い肉汁が舌へ広がると、さっきまでの負けが少しだけ遠くなった。人間、単純なものである。
「黒田さん。もう一つは?」
「夜食」
「異世界へ持っていく気ですね?」
「聞くな。俺の中でまだ私物だ」
レグリアが小型スタンプを構えた。
「世界間搬送するなら要申告♡」
「肉まん一個に監査つけてんじゃねえ!」
その時、ゼニスのショルダーバッグの中で、神具が鋭く鳴った。
さっきまで怒鳴っていたゼニスの顔から、ふざけた色が消える。
「黒田さん。異世界側から緊急接続です」
「嫌なタイミングだなあ。肉まん食ってからでいい?」
「集落近くです。昨日の査定不能反応の一つが、実体化しました」
レグリアも端末を覗いた。
「対象、既存魔物分類に該当なし。経験値値......空欄。討伐価値......空欄。因果状態......未精算」
最後の二文字だけ、妙に嫌な響きがした。
「なあ、それ倒したら金出んのか?」
「現時点では査定不能です」
「じゃあ他の人に任せようぜ。俺、今日もう三万円近く戦ったから」
「パチンコを戦闘実績に入れないでください!」
金色の転送光が足元へ広がる。
「待て! 肉まん!」
「持って行けばいいでしょう!」
「搬送費は!」
「今そこですかぁ♡」
俺は片手に肉まん、片手に缶コーヒーを握ったまま、異世界へ引きずり戻された。
【神界・追加ご請求】
・現代側監査接続費 金貨40枚
・緊急異世界再接続費 金貨80枚
・私物少量搬送因果処理費 金貨40枚
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今回加算 金貨160枚
今回加算・日本円換算 800,000円相当
前回繰越残高 金貨90枚
合計残高 金貨250枚
合計残高・日本円換算 1,250,000円相当
※パチンコ・パチスロ遊技損失は神界補償対象外。
※肉まん及び缶コーヒーは黒田陸私物として処理。
「待て。私物少量搬送だけで金貨四十枚……二十万円? 俺、肉まんを異世界へ運ぶために二十万円払ったの?」
「正確には缶コーヒーその他も含みます♡」
「そこ訂正したら安く聞こえると思ったか!? コンビニ配送の料金じゃねえぞ!」
「その前にパチンコで負けた分は自腹ですからね」
「分かってるよ! 三万円負けた直後に八十万円請求される奴の気持ちも少しは考えろ!」
「まず三万円を負けなければよかったのでは?」
「正論で傷口を消毒すんなぁぁぁぁぁ!!」




