第90話 全員に違う戦争売ってんじゃねえか
お菓子大作戦により魔王軍との一時停戦が成立し、アルヴェリア王国、ヴァルディス魔導帝国、魔王軍の三勢力がようやく同じ机につくことができた。
別段、三者が仲良くなったわけではない。互いの軍はまだ国境から完全には引いておらず、「相手が嘘をついていたらどうする」という疑いも残っている。だからこそ、今日は何を信じて兵を動かしたのか、全員で一度並べる必要があった。
俺はなぜか会議机の中央に座らされていた。
「何で俺がど真ん中なの。俺、国家代表でも外交官でもないんだけど?」
「アルヴェリア王国、ヴァルディス魔導帝国、魔王軍、神界、全部に関わってるからです。むしろこの状況で『私は関係ありません』って顔できる神経の方がすごいですよ」
「くそったれ。嫌な実績ばっか増えたな。履歴書に書いても採用担当困るだろ。『魔王と殴り合いました、停戦はどら焼きでまとめました』って」
「そもそも就職する気ないでしょうあなた」
「よく分かってんじゃん!俺の事」
「別に褒めてません!」
王国側にはユリウスとオズワルド。ヴァルディス魔導帝国側は軍務官と契約担当官。魔王軍側は魔王アルヴィナ、ローディス、エルネ。
昨日まで互いに砲口を向けていた連中が同じ机へ座っているだけでも十分に異様だ。
こちらの補助には、アレクシス、ロイド、エルミナ、ノエル、リリアまでいる。今日は人数合わせではない。それぞれが違う角度から情報を持ってきている。
最初に王国側の文書が出た。
「ヴァルディス魔導帝国が国境への先制侵攻を準備している」
次に帝国側。
「アルヴェリア王国が魔王軍と連携し、東部国境へ攻撃を仕掛ける」
最後に魔王軍側。
「アルヴェリア王国とヴァルディス魔導帝国が一時的に休戦し、共同で魔王軍討伐を実施する」
三枚を並べる。
「……全部、自分以外が先に殴る話だな。これ作った奴、三軒回って『隣の家が包丁研いでましたよ』って吹き込んでんのと一緒じゃねえか?」
アルヴィナがこっそり金平糖の袋へ手を伸ばした。
俺はその手を軽くペシっと叩いた。
「会議中だぞ」
「一個だけぇ!」
「だーめ」
「一個くらい食べても頭は動くよ? むしろ糖分は頭に必要なんでしょ? 昨日黒田が言ってたじゃんか」
「俺そんなこと言った?」
「言ってないけど、たぶんそうだよ! ねっ」
「国家元首が都合のいい記憶ねつ造すんなよ」
「わたし魔王だもん」
「なんの反論にもなってねえ」
ローディスが無言で袋を遠ざけた。
「うう、ローディスまで……」
「会議終了後に」
「じゃあ早く終わらせよ! みんな長くしゃべらないで要点だけ! ねっ」
「お前が一番会議を急かす理由しょうもねえな!」
ロイドが苦笑しながら商人経路の情報を広げた。
「じゃあ要点からいくぞ。出所はバラバラに見える。商会の噂、軍へ入った書簡、匿名の密告、捕虜が聞いた話。ただし流れ始めた時期が妙に近い。ほぼ同じ十日間に集中してる。誰か一人が同じ紙を配ったわけじゃない。でも、別の人間が同じ方向へ話を運ぶよう仕組んだ可能性は高い」
「金で雇われた?」
「全員が直接金をもらったとは限らない。『あっちが攻めてくるらしい』って話は、一度広がれば勝手に人が運ぶ。商人は仕入れを変える。兵士は家族へ手紙を書く。役人は備蓄を増やす。そうやって噂そのものが証拠っぽくなっていく」
「嘘を百人に言わせる必要はない。最初の十人くらいに種まいて、あとは勝手に怖がらせりゃいいってことか」
「そんなところだ」
ノエルが遠見記録を広げる。
「部隊配置も同じです。三勢力とも、単純な攻勢配置ではありません。前進している一方で、防御設備、補給集積、避難経路まで整えている。『攻めるための軍』というより、『近いうちに攻められると信じている軍』の動きです。ヴァルディス魔導帝国が北東へ割いた補給も、魔王軍への侵攻準備だけでなく、侵攻を受ける前提の備蓄がかなり含まれていました」
ヴァルディス側の軍務官が渋い顔で頷く。
「我々は、魔王軍が国境を越えると報告を受けていた。同時にアルヴェリア王国も東部へ圧力を掛ける、と。二方向への備えを進めた結果、そちらから見れば総力戦の準備に見えたのだろう」
オズワルドが返した。
「こちらは、その増強そのものを『帝国の侵攻準備』と判断した」
「うわ、最悪の答え合わせだな」
俺は椅子へ深く座った。
「相手が怖くて兵を増やす。増えた兵を見て向こうも怖くなって増やす。それ見てさらに増やす。誰も最初に殴る気なかったのに、最後だけ本当に戦争になるやつ」
リリアがいつもより声を落として口を開いた。
「死んだ人から拾った記憶も同じだったよ。王国兵は『帝国が来るから守らなきゃ』って思ってた。帝国兵は『王国が先に来る』って思ってた。魔王軍の死者は『人間が討伐しに来る』って信じてた。怖がってた内容は違うけど、みんな自分が最初の侵略者だとは思ってなかった」
アルヴィナの表情から、菓子を我慢していた子供っぽさが少し引いた。
「……じゃあ、うちの兵も怖かったんだ」
「うん」
「わたし、ちゃんと確認しないで『人間が来るなら備えなきゃ』って軍を動かした」
「それは王国も帝国も同じだ」
「慰めてくれてるの?」
「事実言ってるだけ。お前だけ馬鹿だったなら楽なんだけどな。今回は全員ちゃんと怖がった結果、全員馬鹿みたいな位置まで来てる」
「なにその言い方!ひどぉい!」
「でも否定できないでしょう」
エルネが淡々と追撃し、魔王アルヴィナが肩を落とした。
次に、エルミナが黒い契約文書の写しを机へ置いた。
「そして、この不安が続くほど戦費契約の価値だけは上がる。帝国が軍備を増やせば王国が増やす。王国が増やせば魔王軍も下げられない。戦わなくても、準備だけで契約額が膨らむ仕組みになっている。戦争が起こればさらに利率が変わる条項もあります」
エルネが数字を見て口元を歪めた。
「随分と回りくどい兵站を組むものだ。兵を運ぶのではなく、恐怖そのものを補給している」
「金貸しの神様だからな」
「リボルヴを神界全体の代表みたいに言わないでください。神界にもまともな会計担当はいます」
「銭神みたいな?」
「あの方は厳しいだけで、少なくとも契約を煽って戦争を増やしたりしません!」
「お前らの業界、風評気にするんだな?意外だわ」
「気にします! 神だって評判くらいあります!」
アルヴィナがまた金平糖の袋へ視線を送る。
「つまり、王国には『帝国が来る』、帝国には『王国と魔王軍が来る』、わたしたちには『人間二国が来る』って、それぞれ別の話を流した誰かがいる。その誰かが、怖がった側へ『じゃあお金貸してあげます』って言ってたってこと?」
「そういうことだ」
「……性格わるぅぃ!きらい!そんな人」
「魔王にまで言われてんぞ、リボルヴ」
その名前を出した瞬間、机の上の黒い契約書がかすかに震えた。
『フフフ......私は選択肢を提示しただけです。帝国が不安を抱えていたのも、王国が軍備を増したのも、魔王軍が人間を警戒したのも事実でしょう。私は事実を変えてはいない』
誰もすぐには返さなかった。
腹が立つのは、全部が嘘ではないところだった。
俺は背もたれへ寄りかかる。
「そうだな。お前、嘘しか使ってないわけじゃない。本当に不作だった。本当に魔物被害があった。本当に国境で兵が増えた。そこへ『向こうが先に来ます』『今なら金貸します』『準備しておいた方が安全です』って、同じ方向へ押す材料だけ足した」
『合理的な選択を促しただけです』
「それは違うな。選択肢が五個あるように見せて、一個だけ餌まいて太らせたんだよ。しかも戦争始まったら、次は俺が即レベ使って借金増やす。ゼニスが維持できなくなる。そこでお前が『うちは無料ですよ』って買い取りに来る。最初から最後まで、俺を契約へ入れるための営業じゃねえか」
黒い契約書の震えが止まった。
『それでも、あなたは力を必要とする』
「必要な時は使う。でも、お前の所有物になるのは別だ」
『四億近い債務を抱えても?』
「そこ今言うな。普通に効くから」
「効くんですか。さっきまで格好よかったのに」
「オマエな、四億だぞ。格好つけて消える額じゃねえ。俺の人生で一番でかい数字だぞ」
「借金で人生最高記録更新しないでください!」
アルヴィナがローディスの目を盗み、金平糖を一粒だけ口へ放り込んだ。
「黒田」
「何」
「戦争しなかったら、その契約屋は困るの?」
「困るだろうな。少なくとも儲けは減る」
「じゃあ、せんそー、しない!」
子供みたいな言い方だった。
けれど、続く言葉は国家元首としての貫禄あるものだった。
「ローディス。国境軍は現位置から二十里後退。セラフィナの砲列も下げる。人間側が同じだけ下がるなら、こっちから撃たない。エルネ、補給を平時配分へ戻して。余分な兵糧を前へ送るのも止める。腐らせたらもったいないもん」
「承知いたしました」
「あと、会議終わったら残りの金平糖返してね」
「それは別件です、ちと先日よりお菓子を食べすぎです」
「えええっ、いいじゃん!なんでぇぇぇぇ!!」
ユリウスもヴァルディス魔導帝国側の軍務官も、すぐに全面同意したわけではない。距離、期限、連絡窓口、誤射時の対応、撤収確認。戦争を始めるより、止める方が書類は多かった。
俺は途中で三回寝そうになった。
「黒田殿、署名を」
「俺、国家代表じゃないんだけど」
「立会人だ」
「立ってない。座ってるけど?」
「うるさい。屁理屈を言わず署名しろ」
「オズワルド、お前ほんとゼニスに似てきたな。書類持って怒るところとかそっくり」
「不名誉だ」
「今なんて?」
「待ってください。私と似るのが不名誉ってどういう意味です?」
「仕事中のお前、怖いからな」
「あなたが毎回経費を増やすからでしょうがぁぁぁぁ!!」
張り詰めていた会議室に、ようやく笑いが混じった。
リボルヴの黒い契約書は最後まで机に残っていたが、三勢力の部隊後退が正式に記録されたところで、紙面を走っていた金色の文字が消え、封蝋だけが灰になった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
三者会議から数日後。
俺は王宮の小会議室へ呼ばれた。
また仕事かと思ったら、机には銭神、ゼニス、オズワルド。嫌な顔ぶれだ。だが、書類の一番上に書かれた数字を見た瞬間、眠気が飛んだ。
「黒田さん」
銭神が大きな“銭”と書かれた湯飲みを置く。
「戦費契約の監査が終わったよ。リボルヴ側の不正な契約担保、王国が本来負担すべき神術費、停戦功労報酬、ヴァルディス魔導帝国側からの精算。全部まとめて、あんたの神界債務へ充てられるよ」
「……いくら減る?」
「全部じゃ」
「ぜ、全部って、どのくらいの全部?」
「全部は全部じゃよ、それ以外あるまい」
「いや、俺の知ってる神界って『全部です。ただし事務手数料が――』って言うから信用できねえんだよ」
「おぬしも疑り深いのう」
「お前らが猜疑心を育てたんじゃねえか!!」
俺はゼニスを見る。
「ねえ、ゼロ?」
「ゼロです」
「利息は?」
「ありません」
「未確定分は?」
「ありません」
「隠れ請求とか......」
「ありません」
「二枚目の請求は?」
「ありませんって!」
「裏面」
「しつっこい!だからありませんって言ってるでしょうがぁぁぁぁぁ!!」
俺は立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れる。
「俺……自由だ」
口に出すと、思っていたより静かな声になった。
二億。
三億。
四億近く。
請求書を見るたび笑うしかなかった数字が、消える。
明日から真面目に働こうとは思わない。人格が急に良くなったわけでもない。それでも、ずっと背中へ括りつけられていた重い荷物を、ようやく地面へ下ろしたような感覚はあった。
ゼニスもその時だけは笑わなかった。
「はい。神界債務については、ですけど」
「待て」
「何です?」
「今、『については』って言ったよな」
「ミャオさんの生活債務は別口ですよ、もちろん」
「やっぱ完全自由じゃねえぇぇぇぇぇ!!」
銭神が湯飲みをずずっとすすった。
「宿代と飯代くらい自分で払いな。神界債務が消えたからって、人ん家のツケまで蒸発するわけじゃないよ」
「やっぱ大家と同類だわ、この因業ババアが!」
「誰がババアじゃ。次言ったら返済証明書一枚増やすよ」
「紙増やすだけなの地味に嫌ぁぁぁぁ!!」
【神界・最終精算】
・三勢力停戦契約最終照合費 金貨50枚
・敵対契約資産監査処理費 金貨50枚
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今回加算 金貨100枚
前回繰越残高 金貨79,449枚
精算前合計 金貨79,549枚
精算前合計・日本円換算 397,745,000円相当
【債務充当・精算】
・リボルヴ不正契約担保清算還付 -金貨32,000枚
・アルヴェリア戦争回避功労報酬 -金貨18,000枚
・ヴァルディス魔導帝国軍需契約損害精算分
-金貨14,000枚
・魔王軍停戦外交功労・王国支給分 -金貨5,000枚
・神界監査再分類/国家負担振替 -金貨10,549枚
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最終神界債務残高 金貨0枚
最終神界債務残高・日本円換算 0円相当
「ゼロ……」
「ゼロです」
「ほんとに?」
「何回聞くんですか」
「今までのお前なら最後に『ただし』って言うだろ」
「今日は言いません」
「じゃあ録音しとくか」
「何に使う気です?」
「明日請求来たら証拠にするから」
「信用なさすぎでしょう!」
その夜、四畳半へ戻った俺は、冷蔵庫から一本だけ酒を出した。
布団へ転がり、片肘で頭を支える。煙草に火を点ける。いつもの部屋、いつもの涅槃図。違うのは、神界の借金だけだった。
「四億近く消えた日に飲む酒、うめえな」
ゼニスが横へ現れた。
「飲みすぎないでくださいよ。借金が消えた日くらい、せめて翌朝覚えていられる程度にしてください」
「今日は説教禁止。俺、無借金だから」
「無借金を免罪符みたいに使わないでください。借金がない人間は、屁をこいていいとか、酒を浴びていいとか、そういう法律ありませんからね」
「俺の中では今制定された」
「一人国会やめてください!」
俺は片手を握った。
ゼニスが一歩下がる。
「……その手、何です?」
「借金なくなったんだ。握手だよ」
「......本当に?」
「疑い深いな」
「以前、その流れでにぎりっぺ食らったんです。私の警戒心はあなたが一から育てたんですよ」
「今日は本当だって。借金ゼロ記念」
「……絶対ですね?」
「絶対!」
ゼニスは二秒ほど俺の拳を睨んでから、ようやく手を出した。
今日は本当に握手だった。
「お疲れさまでした、黒田さん」
「……お前もな。まあ大体お前の請求で増えた借金だけど」
「最後まで一言多い!」
俺は手を離し、そのまま布団へ沈んだ。
「じゃ、酒飲んで屁ぇこいて〇〇して寝るから」
「最後までそれなんですね――あなたという人は......」
ぷっ――。小さく屁をこいた。
「……最低っ!」
「無借金の屁だぞ。四億円分の重みが取れて軽やかだろ」
「屁に資産価値つけるなぁぁぁぁぁぁ!!」
ゼニスが叫んだ直後、端末の端に赤い一行が点いた。
【神界監査院照会:原初魔王事案・未精算】
俺とゼニスは、同時に黙った。
「……何それ」
「……黒田さん」
「言うな、頼む」
「でも――」
「今は言うな。今日はゼロなんだ。今日だけはゼロで寝かせてくれ」
ゼニスも赤い表示を見て、数秒考えた。
「……今夜だけは、私も賛成です」
「珍しく意見合うな。消せ」
「消せません」
「じゃあ布でもかけとけ」
「端末に布かけても案件は消えません!」
「明日の俺が何とかする」
「その思想で四億まで行ったんでしょうがぁぁぁぁぁ!!」
俺は毛布を頭までかぶった。
今夜くらいは、明日の俺に全部押しつけてもいいだろう。




