プロローグ 或いは、俺と徴収女神と借金と
轟音が、異世界の採石場を引き裂いた。
ドォォォォォンッ――!!
腹の底まで叩く衝撃。土煙の向こうで、二十メートルを超える巨獣の岩殻が弾け飛ぶ。
俺の横には、どう見てもこの世界に存在していい代物じゃない鉄の塊が鎮座していた。
155mmりゅう弾砲FH-70。
「黒田さん! 残り一発です! しかも返却期限まで三分切りました!」
背後で女神ゼニスが叫ぶ。
「戦闘中に返却期限で急かすな! 集中できねえだろ!」
「無断で異世界へ火砲を持ち込んだ人が言います!?」
「無断じゃねえ! お前に金払ってる!」
「まだ払ってません! 全部借金でしょうがぁぁぁぁぁぁっ!」
正論だったので無視した。巨獣が土煙を割って動く。
距離。
地形。
味方の位置。
次の一歩。
さっきまで悪態を吐いていた口が、自然と閉じた。
「……そこだ」
「黒田さん?」
俺は着弾する場所だけを見る。
「――弾着、今。」
世界が爆ぜた。
ズガァァァァァァンッ――!!
数秒後。
ゼニスが金縁のバインダーを開いた。
「なお、現時点での概算利用料は約七千三百万円です」
「……はああああっ?」
このクソ女神との付き合いは、だいたいいつもこうなる。
そして全部の始まりは――俺が四畳半で、金も仕事もやる気もなく、シケモクを吸っていた時だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺、黒田陸、三十二歳。階級だけは元・陸上自衛隊野戦特科二等陸曹。
現在の身分は「無職」。もっと正確に言うなら、「求職活動という概念そのものを放棄した無職」だ。
自室の四畳半は、今日も黒田の生活能力の欠如を全力で主張していた。
部屋に染みついているのは、古い煙草と昨夜の酒、それに換気を諦めた人間特有の生活臭だった。畳の脇にはビールと缶チューハイの空き缶が転がり、その下から外れ馬券が何枚か覗いている。
枕代わりに積んであるのは、なぜかパチンコとパチスロの攻略雑誌。赤ペンでびっしり書き込まれた競馬新聞まであるが、その分析力が収支に反映された形跡はどこにもない。
ちなみに煙草は昨日切れた。
買う金がないので、俺は灰皿からまだ長さの残っている吸い殻を一本選び、爪楊枝の先へ器用に突き刺した。
「......よし。まだ三口はいける」
火を点けて一服する。苦い。まずい。だが新品を買うより圧倒的に安い。
世間ではこれを惨めと呼ぶらしいが、俺に言わせれば資源の有効活用である。煙草を買う金がない原因が、昨日パチスロで負けたせいだという点については、今は考えないことにした。
壁際にはカップ麺の空き容器が塔を作り、脱ぎっぱなしの靴下は畳の上で地層になっている。その隙間を、一匹のゴキブリが我が物顔で横切った。
「――ひっ! 黒田さん、今の何ですか!? というか、この部屋そのものが何なんですか!?」
背後で女神ゼニスが一歩飛び退いた。
艶のある黒髪、琥珀色の瞳、濃紺のスーツ。細縁眼鏡に金縁のバインダー、背中には神々しい光輪。見た目だけなら仕事のできる美人キャリアウーマンだ。
「こまけぇこと気にすんな。あいつも住人だよ。長い付き合いだし、慣れれば意外とかわいいぞ」
「ゴキブリとの共生を語る前に掃除してください! あと、ジャージ上げてください!」
言われて初めて、自分の尻が半分出ていることに気づいた。
だが上げるのも面倒なので、そのままぼりぼり掻く。腹もすっかりたるんでいるが、皮の下にうっすら筋肉の名残だけは残っていた。
「黒田さん、聞いてます?」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
俺は右肘を畳につき、手のひらに頭を乗せて、ごろんと横向きになった。
完全に涅槃図のブッダである。
「その態度で神の話を聞く人、初めて見ましたよ」
「そりゃ貴重な経験できてよかったな」
「誰のおかげでこうなってると思って――」
ぶっ!
俺の尻から、気の抜けた音が出た。
ゼニスが固まった。
「......いま、私の説明中に放屁しました?」
「生理現象に神も人もねえだろ」
「無礼千万にも程があるでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
四畳半が神の気で震えた。
俺は鼻をほじった後耳までほじりながら、空中に浮かんだ表示を見る。
【神界債務残高 金貨18,400枚】
「なあ女神さんよ、これ毎回見せる意味ある? 見ても減らねえし、気分だけ悪くなるんだけど」
「蘇生関連費、異世界召喚費、過去の契約利用料、そのほか未精算分を合算した正式な残高です。見なかったことにしても消えません」
「じゃあ見ない。はい解決、よかったな」
「何も解決してません!」
ゼニスはこめかみを押さえ、深く息を吐いた。
「では本題です。黒田さん、前回こちらへ戻してから、まともに鍛錬しました?」
「してない」
「あなたの【即応】は必要な時に急激に成長できますが、普段から何もしなければ基礎状態へ戻っていきます。何度説明したら――」
「だからさ、必要な時に上げられるなら普段から維持する意味なくない? 車だって停めてる間ずっとアクセル踏まねえだろ。俺は今、人生の駐車場にいるんだよ」
「ものすごく聞こえのいい言葉で無職を正当化しないでください!」
「じゃあ神の力で最初から上げといてよ。面倒くせえし。できないの? 神なのに?」
ゼニスの頬が、ぴきり、と震えた。
「――いいですよ」
にっこり。
口元だけが笑っている。
「そんな黒田さんにうってつけの【即日レベルアップシステム・通称“即レベ”】をご案内します。対象行動中の成長効率を大幅に引き上げます。もちろん利用料は自動加算、未払い分には利息も――」
「待て。急に金の話しかしてなくない?」
「有料サービスですから」
「神が奇跡で金取んなよ」
「タダで奇跡が起こせると思ってるんですか!? 世界を跨いだ召喚も急速成長も、因果の帳尻合わせが必要なんです!」
「神がそういうコスト払えよ、バカじゃねえのお前」
「契約者が払うんです!!」
その時、スマホがポコンと鳴った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
――望月ひなた:陸さん、ちゃんとご飯食べてますか? 即応予備自の訓練もほとんど来てないので、心配しています。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
名前を見て、指が一瞬止まる。
自衛隊現役時代の後輩だ。真面目で、放っておけばいいことまで気にする。別に嫌いじゃない。
むしろ――そこから先を考えるのが面倒で、俺は画面を伏せた。
「あれ、返信しないんですか?」
「あとで返す。今返すと会話が続くだろ。今日はもう女神一人で対人会話の上限まで使った」
「人を一日の会話枠みたいに扱わないでください!」
「で、契約すりゃいいんだろ?」
「まず規約を読んでください」
「長いのか?」
「それなりに」
「じゃあ同意するわ」
「まず読めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
絶叫と同時に、空中へ表示が浮かぶ。
【即日レベルアップシステム 登録完了】
「よし。今日の仕事終わり。寝るから帰ってくんない?」
「始まってすらいません!」
「未来の俺に引き継ぐ。申し送り事項、借金いっぱい、やる気なし。以上」
ゼニスが笑った。今度は目も笑っていない。
「異世界へ行ってらっしゃい」
「おい待て、その顔は――」
視界が真っ白に染まった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
次に目を開けた時、俺は王都近郊の小さな集落に立っていた。
「もう陸、また呼ばれたのかにゃあ」
猫耳と尻尾を持つ獣人の娘、ミャオが帳面を抱えて待っている。
「神様への借金は知らないけど、こっちのツケは確認してるかにゃ? 宿代、食費、洗濯、それに私が立て替えた分。あと――」
ミャオが腰袋を探り、ぴたりと止まった。
「なんで私の財布から金貨が減ってるにゃあ?」
「あー、それ。この前ちょっと借りた」
「聞いてないにゃ!?」
「今言っただろ」
「借りる前に言うものだにゃあ!」
「返す気はある。景気が良くなったら」
「陸の景気が良くなる未来が見えないにゃあ!」
頬を膨らませながらも、ミャオは結局俺の防具の紐を締め直してくれる。甘い。だから俺も遠慮なく甘える。
「で、今日は何? できれば短時間、高報酬、危険なしの仕事がいい」
「そんな依頼があったら、みんなそれをやってるにゃ……。北の森から“アレ”が動き出したって斥候から報告があったにゃ」
遠く、王都の外壁の向こうから低い咆哮が響いた。空気が震え、森の梢がざわめく。
「討伐等級・規格外。前に向かった騎士団も、誰も戻ってきてないにゃ」
俺はしばらく北を眺めたあと、大きく欠伸をした。
「ゼニスの奴、絶対これ知ってて飛ばしやがったな。借金返せ、鍛錬しろ、化け物倒せって、一人の無職に要求する仕事量じゃねえだろ」
「倒せそうかにゃ?」
「知らん。見てから考える。無理なら逃げる。いけそうなら、なるべく楽な方法を探す」
もう一度、咆哮が響く。
俺は面倒くさそうに立ち上がり、防具を直した。
「あー、マジめんどくせ。さっさと終わらせて帰ろうぜ。酒飲んで屁ぇこいて、●●(ピー)して寝てぇわ」
こうして俺は今日も、働きたくないという極めてささやかな願いを無視され、異世界の面倒事へ放り込まれることになった。
【今月のご請求】
即レベ初回登録料 金貨0枚
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今回加算 金貨0枚
神界債務残高 金貨18,400枚
日本円換算 92,000,000円相当
※宿代・食費・立替金等の生活債務は別途。




