第4話【通り雨】
俺は今、人生で一番頭を使っている。
昨日までただの幼馴染だと思っていた鈴音が、あんなことを言ってきたからだ。
”いつか言ってもらうからね、可愛いって”
(可愛いってなんだ……いや、意味は分かるけど……俺が鈴音に可愛いって言うのか?)
言えって言われたら、恥ずかしいけど言うことは出来る。客観的な事実として可愛いとは思ってるし。
けど、鈴音が求めているのがそういうものじゃないことは分かっている。
そもそもなんで鈴音が俺なんかを……何かの気の迷いとか、錯覚とかだったりしないか……?
「……あー! 分かんねー!」
「どうしたの啓太、今日はいつもより荒れてるね」
お気に入りのパンを片手に首を傾げる怜央に、本当のことを言うべきか迷った。
けど、俺が鈴音の立場だったら実の兄に相談されるのは嫌だ。
鈴音がそうかは分からないけど、確信が持てない以上は安易に言うべきじゃないだろう。
「心配かけて悪い。難問にぶち当たって悩んでるだけだから、気にしないでくれ」
「そっか。……あ、昨日のことだけどさ」
唐突にそう言われ、ドキリとする。
もしかして昨日のこと、怜央は知ってるのか……?
「高岡先輩のこと」
「あ、ああ、そっちか……、そういえば怜央はなんであの時、俺の後ろにいたんだ? てっきり先に帰ったと思ってたんだが」
「トイレに行ってたんだよ。それで啓太のクラスに行ったらもう帰っちゃってたから、後を追いかけようと思って」
「なんでわざわざ?」
「やっぱり僕の奢りでいいからカラオケに行きたくてさ」
そういえば怜央はあの一連の流れを見ていたわけで、つまり鈴音と高岡先輩の衝突も把握してるわけだよな。
「あの後、先輩どんな感じだった? 鈴音に対して怒ったりとかは……」
「多分大丈夫じゃないかな。僕がよく言っておいたから」
果たして何を言ったのか、恐かったので聞くのはやめておいた。
そこまで話して、今更な疑問が一つ浮かんでくる。
「そういや、なんで鈴音は高校に来てたんだ?」
「僕が呼んだんだよ、一緒にカラオケ行こうと思って。美咲ちゃんは用があるって断られたけど」
「なるほど……」
ああなってしまったのは、ただの偶然じゃなかったわけだ。
多分だけど、怜央は私欲でカラオケに行きたかったというより、やっぱり俺を慰めようという目的があったんだと思う。わざわざ美咲や鈴音も呼んでるくらいだから。
「でもその結果、鈴音には聞かせたくないことを聞かせちゃったね……申し訳ないよ」
「全部俺の責任だから、お前が気にすることじゃないさ」
「……啓太、次はちゃんと相手を見極めようね」
「……はい……」
もしかして怜央は、先輩のああいう一面をちゃんと分かっていたんだろうか。……分かってたんだろうな、この口振りだと。
先輩と過ごした時間は若干俺の方が長いはずなのに、俺は一体彼女の何を見ていたんだろうか、情けない。
◆ ◆
「一緒に帰ろうぜ」
「ごめん、今日はちょっと女の子に呼び出されてるんだ」
怜央のモテっぷりに、ただでさえ凹んでいた心をさらに打ちのめされつつ、一人寂しく校舎を出た。
とりあえず今日は家に帰ってゲームでもしてパーッと気持ちをリセットしよう。
悩むのはそれからでも遅くないはずだ……多分。
そんなことを考えて歩いていたら、周囲の生徒の囁き声が耳に届いた。
「あの子めっちゃ可愛いじゃん。声かけに行こうぜ」
「やめとけって。誰か待ってるみたいだし、迷惑だろ」
”可愛い”か……今はあまり思い出したくない単語だ。
でも、昨日のこともちゃんとしないといけないよな。
どういう形であれ、鈴音とはこれからも接していくことになるんだから。そうでなくても女の子相手に中途半端な対応は許されない。
「はあ……頭が痛くなってきた」
「ちょっと」
「わっ!?」
校門を出たところで後ろから声をかけられ、驚いて飛び跳ねてしまった。
胸を押さえながら振り向くと、そこには中学の制服に身を包んだ鈴音の姿。リュックを背負っているから、学校帰りなんだろう。
さっき可愛いって言われてたのは鈴音だったのか……なんてタイムリーな展開なんだ。
「よ、よお……」
ぎしりと体が硬直してしまった俺を見て、鈴音は溜め息をついた。
「もう……いつまでそんな固い反応なの」
「お、俺も何とかしたいとは思ってる……」
「……あのさ」
一歩近付いて来られたので、反射的に一歩後ろに下がってしまった。
それを見て怒ったような顔をした鈴音が早足で近付いて来て、避ける間もなく俺のリュックの肩ベルトを掴んだ。
距離が近くなったことで、気まずくて視線を逸らす。
「……そういう反応って、むしろこっちの期待値が上がっていくからやめてほしいんだけど」
「何で上がるんだよ……」
「だって、意識してくれてるんでしょ」
「意識……」
俺が鈴音を意識してる……?
言葉の意味が分からなくてしばらくボケッとしてしまったが、理解した途端、顔が赤くなるのが分かった。
「いや、意識とかそういうことではなく……!」
「ならなんでそんな顔赤いの?」
「それは……」
問いに返せずにいると、ベルトを掴んでいた手を離した鈴音が数歩後ろに下がった。
「……昨日のは、正直勢いだったけど、私の本心には変わりないから」
そこで初めて鈴音の顔を見て、言葉が止まる。
白い頬が赤く染まっていて、目は微かに潤んでいた。
いつも飄々としている鈴音のその表情に、俺は思考まで停止してしまいそうだった。
「そういうことで……よろしく」
「……あ、ああ」
情けないことにそれしか返せず、慌てて視線を逸らした。
一瞬でも鈴音の気持ちを、気の迷いとか錯覚なんじゃないかと疑った自分が恥ずかしい。
あんな顔見たら、俺も逃げたり誤魔化したりなんて出来ない。ちゃんとしないと。
「……えっと」
こほんと、仕切り直すように咳ばらいをする鈴音。
それから俺の方を見てきた時には、頬の赤さは大分引いていた。
「一緒に帰ってもいい?」
「いいけど……もしかしてそのためにわざわざ高校まで?」
「悪い?」
申し訳ないとは思うけど、悪いなんて思うわけがない。
全力で首を振って否定した俺を見て、鈴音は微かに微笑んだ。
「じゃ、帰ろうか」
並んで帰り道を歩く。
鈴音と二人きりの下校なんて、小学生の頃以来じゃないだろうか。
あの頃は今よりもっと子供で、面白い先生の話とか好きな漫画の話とか、何も考えなくたって話題がポンポン出てきたっけ。
「……そういや鈴音って、最近なにが好きなんだ?」
「え?」
「いや、よく考えたら最近そういう話してなかったから……子供の頃の印象しかなくて」
別に不仲ってわけじゃないけど、中学生になると何となく異性とは距離が出来るものだ……と、俺は思っている。
それは幼馴染であっても例外ではなく、何となく鈴音とも距離が開いていた時期があった。
「最近は小説とか映画とかかな……映画館にはお金的にたくさんは行けないから、ほぼサブスク頼みだけど。啓太は?」
「俺は……ゲームとか、漫画とか?」
「小さい頃から全然変わってないじゃん」
笑われてしまった。
「男ってのはな、いくつになっても趣味が大きく変わらないもんなんだよ……多分」
「ふーん。じゃ、食べ物とかも? 昔は肉肉肉って感じだったけど」
「それこそ変わらねえって。今でも唐揚げとハンバーグ大好きだから」
「子供舌」
「唐揚げとハンバーグは大人にも通用するんだよ……そういう鈴音こそ甘いもの好きなの変わってないんだろ?」
「確かにそうだけど」
そこまで話したところで、突然頭の上に何かが落ちてきた。
濡れたような感覚……もしかしてと顔を上げた途端、バケツがひっくり返ったような大量の雨が降り注いできた。
さっきまで晴れ渡っていた空が、いつの間にか真っ黒な雲で埋め尽くされている。
「うわ、降って来やがった!」
「すごい雨……このまま走っても、家についた頃にはびしょ濡れになってそう」
「仕方ない……公園で雨宿りしていこう」
早口で会話した後、二人そろって公園へと走り出す。
痛いくらいの雨が頭や腕に叩きつけられる中、何とか屋根のある東屋まで駆け込んだ。
「はあ……怪しいと思ったけど、まさかこんな急に降って来るとはな……」
「ほんと……折り畳み傘持って来ればよかった。でもなんか、こんなに雨に打たれるなんて久しぶりで、ちょっと笑える」
言いながら、本当に笑っている鈴音。
そんなに面白いだろうか……と思っていると、彼女の制服のシャツが張り付き、その下のものが透けて見えかけているのを認識して、俺はぐりんっと勢いよく首を横に向けた。
「どうしたの急に。首痛めるよ」
「い、いや、急にこっち側の景色が見たくなってな……良い緑だぜ」
「どこ見たって緑だらけだと思うけど……、くしゅっ」
俺のとは全然違う、控えめなくしゃみの音が響いた。
最近温かくなってきたとはいえ、まだ五月。このままだと風邪を引いてしまうかもしれない。
慌てて体操服入れの中からジャージを取り出そうとしたが、少し躊躇う。
「……鈴音、俺の体臭をどう思う?」
「え、なに……考えたこともないんだけど……」
ちょっと引かれてる気もするけど、臭いとも思われてないってことだろう。
念のため変なにおいがしないか確認してから、ジャージを彼女に差し出した。
「嫌かもしれないけど、羽織っててくれ。風邪でも引いたら大変だ」
「……ありがと」
「あ、汗臭かったら言ってくれ! その時はこの制服を脱いで渡す!」
「いや、そこまでしてくれなくていいから……」
俺のジャージは、鈴音には少し大きかった。袖の長さがやたら余り、だぼっとした感じになっている。
その中に小さな手をすっぽり隠し――鈴音は何を思ったか、そのまま自分の顔辺りに寄せた。
「……啓太の匂いがするね」
「やっぱり臭いか!?」
「ううん。私は落ち着くから好き」
「え……そ、そうか……」
「うん」
あまり妙なことを言わないでほしい……なんて言ったらいいか分からなくなってしまう。
「……そういえばさ、美咲って金曜日だけ部活やってるんだ」
「え、そうなのか。初耳だ」
あいつ、本当に何も俺に教えてくれないからな……いつまで反抗期なんだか。
「だから金曜日はいつも一人で帰ってるの。……それで、これは嫌だったら普通に断ってくれていいんだけど」
こてりと、首を傾げてこちらを見る鈴音。
その瞳が若干輝いているように見えて、俺はソワソワした気持ちになった。
「これから金曜日は啓太と一緒に帰ってもいい?」
「……、……別にいいけど」
「やった」
嬉しそうに笑う鈴音は、いつもの大人びた雰囲気が消え去り、年相応の子供らしく見えた。
週一とはいえ鈴音と二人きりか……いや、怜央を呼んでもいいのか? ……いいわけないか。
話題、続くだろうか。それに、昨日の返事もちゃんとしなくちゃいけないのに。
チラリと鈴音を窺うと、ジャージの袖の部分をフラフラさせて遊んでいて、なんか妙に楽しそうだった。
続く




