最終話・私には、絶対に無理
――随分と長く、眠っていた気がする。のろのろと目を開けると、病院の白い天井が目に入った。起き上がろうと身体を動かすと、全身に信じられない位の痛みが走る。
「うぅっ……痛い……」
それでも必死に身体を動かし、何とか身体を起こす。痛いのは両腕と背中。他は大丈夫。時計を見ると、朝の5時半。起きるにはちょっと早い。でも身体が痛すぎて眠って居られない。
まだ寝返りが打てれば良かったんだろうけど、身体が動かない様にガッチリと固定されていた為に筋肉が固まり、痛みを分散させる事が出来なかったのだと思う。
「痛い……痛いぃ……」
何とかベッドから降り、小さく呻き声を上げながら腰を曲げてまるで幽霊の様に両手を前にぶら下げて歩く。
ふらふらと病室内を徘徊している内に、強張った筋肉が解れてほんの少しだけ楽になった気がした。
痛みから意識が離れると、急にトイレに行きたくなって来た。
この病室は個室になっているから、当然トイレも中にある。私は欠伸をしながら、トイレに入り扉を閉めた。
便座に腰掛け、下着を引き下ろす。そして用を足そうとして――再びそっと下着を元に戻した。
「……はぁ」
思わず、溜息が出て来る。もう、何やってんだろ。私はトイレのドアノブに手をかけ、一呼吸置いてから思い切り扉を開けた。
「うわっ!?」
「うわっ!じゃないわよ!何やってるの!?」
「えー、何ってそんなの、カノンのする音が聞きたかっただけで……」
「止めろこのド変態!」
――扉を思い切り引いた事によって、外側に居た人物がトイレ内に転がり込んで来た。顔中を覆った包帯からはみ出たさらさらの黒い髪。細身の長身。血色の良くなった紅色の唇。包帯だらけでも、シンプルな入院着がまるで高級ホテルのバスローブの様に見える美貌。
「デュー!トイレのドアにへばりつかないでっていつも言ってるでしょ!?」
「だって!カノンがドア閉めちゃうんだもん!」
「”もん”言うな!当たり前でしょ!?」
私は両手を腰に当て、トイレの床の上でしょぼん……と項垂れる「旦那様」を見下ろした。
********
私はじっと見ていた。魔法陣の光が、どんどん弱まりそして最後には完全に消えて行く所を。それを見届けた後で口にした。心からの「ごめんなさい」を。元の世界の、私の家族に。私を愛してくれた人達に。
そして飛び込んだ。私を心から愛してくれる、彼の腕の中に。
「カノンッ!」
「デュー、ごめんね?」
「謝らないで!謝らないで良いからもう絶対に僕から離れないで!」
「私、デューの側に居ても良いの……?」
「それ以上言うと怒るよ!?ずっとずっとずっと僕の側に居て!わかった!?」
「うん……」
やっぱり、その三回繰り返す癖が怖い。そんな風に思いながらも、ぎゅうぎゅうと抱き締めて来るデューの腕の中に大人しく納まっていた。その温もりを感じている内に、段々と胸の痛みが増して来る。私は、家族を捨てた。だけど、その痛みに向き合いながらも私はデューと生きる覚悟を決めて――
「痛ーい!痛いデュー!やだ離して、そんなに力入れないで!」
「嫌だ!嫌だ嫌だ!僕から離れないって約束したでしょ!?」
「そうじゃなくて!もう”抱き締められてる”ってレベルじゃないから!痛いホントに!骨折しちゃうから離して――!」
「嫌だぁぁ――!」
その後は、錯乱して私を抱き締め……もとい締め上げていたデューを、仰天した弥生さんが呼び寄せた神殿の守護神兵が取り押さえてくれた。私は骨折どころか窒息寸前で、危うくこっちでも死ぬところだった。そして騒ぎを聞きつけた弥生さんの旦那さんである神官長さんが現れ、事情を聞くとデューを端に連れて行き、何事かを滾々と説得してくれていた。そこでやっと気を落ち着かせたらしいデューが、私の元へやって来る。
「カノンごめんね?僕、興奮し過ぎちゃって。もう大丈夫だからこっちに来て」
「う、うん……行っても良いけど、力加減気をつけてね?」
恐る恐るデューに近寄ると、予想に反してまるで壊れ物の様に抱き寄せられた。そしてこめかみ、額、頬に何度も唇を押し当てて来る。
「ん……デュー、もう病院に帰ろう?私も泊まってあげるから」
「わかった。絶対に帰らないでね?僕の側に居てね?」
「うん、居る。もうずーっと一緒に居るから。退院したら、正式な結婚の手続きをしに来ようね?」
「うん!」
私の大好きな、ふんわりとした笑顔。顔が無残に傷ついていても、その柔らかさは変わらなかった。
********
私は病院に戻る前、由羅さんに挨拶をしに行った。部屋に入って来た私を見て由羅さんは目を丸くしていたけれど、状況を理解した途端、大きな目に涙を浮かべて私に抱き着いて来た。その時部屋の中に居た、私を射殺しそうな目で見ていた銀髪の怜悧なイケメンがどうやら王太子様らしかった。
ちょっと怖かったけど、「これが面白くないクセに無理に面白い事言おうとするヤツか」と思うと、不思議と怖さが半減する気がした。
その後、神殿が所持する飛竜に乗りデューと一緒に病院へ戻った。ミアリーさんやウィンスラップさん、名前を思い出したBLの攻めキャラっぽいギルスさんはお仕事の為に職場に戻っていたけれど、シグルズ局長さんと成美さんはまだ病室で待ってくれていた。
「香音!」
「成美さんごめんなさい。私……」
「良いよ、何も言わなくて。俺こそごめんな、ぶったりして」
「ううん、良いの。ありがとう、成美さん」
成美さんの胸に飛び込むと、成美さんは照れ臭そうに私の頭を撫でてくれた。デューが不愉快そうな顔をしていたけれど、そこはちょっと我慢して欲しい。
そして、私は今回の騒動の全てをシグルズ局長さんにはお話をした。勿論召喚の細かい話は伝えていない。それはデューにすら伝えていない事だからだ。
ただ、私の下らない劣等感と嫉妬が、デューを追い詰める羽目になってしまった事を説明した。
局長さんは黙って聞いていたけれど、聞き終わると大きく溜息を吐いていた。
「成程ね。わかった。アイツらには上手く説明しとくよ」
「あの、上手くって……」
自分で言うのもなんだけど、結構面倒くさい事態にしちゃったからどう説明するのか凄く気になる。
「そうだねぇ、夫婦喧嘩したら嫁が家を出て行った、悲しくなったルルスはナイフで顔を切ってみた。これで良いんじゃないかい?」
「雑!説明が雑過ぎる!」
大丈夫だってー。そう豪快に笑いながら、シグルズ局長さんは呆れた顔の成美さんと一緒に帰って行った。
◇
私は病院に一緒に泊まる事を申告し、その手続きを済ませた。それからは宣言通り、ずっとデューの側に居た。デューは嬉しそうにしていたけれど、私がちょっと動く度にビクビクと怯えているのがわかった。
私がまた居なくなるのではないかと、気にしているらしい。私はそれに気付いた事を気付かせない為に、敢えてどうでも良い話題をふった。
「ねぇ、ギルスとルルスって似た名字ね。佐藤と加藤みたいなものなのかな」
「カノン、訳分からない事言ってないで僕の着替え手伝って。それと僕、お風呂まだ入れないから身体拭いてくれる?部屋にシャワーついてるからカノンはそれ使ってね。シャワー行く時には僕に言って?見に行くから」
「……何で?」
「見たいからだよ?」
その台詞は聞かなかった事にして、私は用意したお湯にタオルを浸した。固く絞ってから、デューの身体をゆっくりと拭いていく。デューは気持ちよさそうに目を閉じていた。身体を拭き終わった後、血の滲んだ包帯を替えてあげた。顔中を走る、惨たらしい傷。でもデューは「僕の傷気になる?」とか一言も聞いて来なかった。私に気を使っていたと言うよりは、本当にどうでも良いみたいだった。
(あーあ。何やっとったんじゃろ、私……)
デューにとっては、外見は全く意味が無いものなのだ。勿論、過去の経験から自分の容姿が一般的に見て優れている事は理解しているだろう。だけど「それだけ」だ。自分が相手にどう思われようが、デューは一切気にしない。傷のある自分も無い自分も、彼にとっては同じ自分でしかない。
私の敵は私だった。私は結局、自分自身とずっと戦っていたのかもしれない。
――ぼんやりと考えていると、いきなり首筋に濡れた感触が走った。
「ひゃあっ!?何!?」
首を押さえ、振り返ると直ぐ目の前に可愛らしくペロ、と舌を出したデューがいた。
「何よいきなり……!」
「舐めただけだよ?もう、色々舐めても良いんだよね?」
「い、色々って……」
「退院したら先ずはベッドに行って夫婦っぽい事しようね?それから一緒にお風呂入りたいなー。で、お風呂あがりにはゼリーを口移しで食べさせ合いっこするんだー」
いや、するんだー、言われても。
嬉しそうにほわほわと微笑みながら身の毛もよだつ様な提案を嬉々としてして来るデューを見ながら、私は全身の力が抜けていくのを感じていた。
(このまま一生入院してて欲しい……週末には面会に来るから……)
「ねぇカノン」
「わっ!な、なぁに?まだ何かあるの?」
「愛してるよ」
嬉しそうな、満ち足りた顔のデュー。その顔を見ながらしみじみと思う。
――私は縁談の為に異世界に召喚された。お相手は美人過ぎる程美人の拷問官で、ちょっと電波が入った系の変態だった。けどとっても心が綺麗で優しくて、純粋で真面目で素直な人。
そんな人を嫌って断り逃げ出すなんて、私には絶対に無理な話だったのだ。
「ねぇデュー」
「ん?どうしたのカノン?」
「愛してる」
まん丸に開かれた、デューの紅い瞳。その瞳に、段々と水の膜が張って来る。
その顔を見た後、私は彼にそっと抱き着いてみた。一拍の後、私の身体に力強い腕が回される。全身に、ゆっくりと彼の体温が伝わって行くのが分かる。
それは、この異世界に来て初めて感じた、とても幸せな瞬間だった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。




