第一話、小さな村の大きな発見
そもそもの発端は、元講師と元生徒の不意で剣呑な遭遇から数週間前に遡る。
都市部から少し離れた地域の小さな村で、ちょっとした騒動がおきた。数日前のひどい大雨がきっかけだったのか、それとも他の理由によるものか。
とにかく、ある日近くにある山からすさまじい音がした。崖崩れが生じたのだ。これにより普段から村人が使っていた道を変えなくてはいけなくなった。
さらに数日後、使用者が増えたせいで桟道の補修が必要になり人手が集まった結果、以前はなっていたはずの場所に不気味な洞穴があることが発見された。
ウサギや狐が冬を越すために用いる小さな潜窟ではない。入口の高さは、人間が立ったまま出入りできるほどの大きさだ。
山に詳しい狩猟番に話を聞いたところ、そんなものは一度も見たことがなかったという。
たしかに、こんな洞穴が村の近くにあれば、熊などの大型獣が住み着く危険もあって警戒しないわけもない。
いつから存在していたのかは分からない。遺跡めいた迷宮の多くは大破壊前に作られたか発生したものであるから、長年そこにあったにも関わらず、たまたま死角になっていて偶然見つかっていなかっただけなのかもしれない。
あるいはすぐそばにあった崖が崩れた影響で、入り口を塞いでいた、もしくは隠す役割を与えられた土壁が消え去ったせいかもしれない。
なんにせよ、唐突に正体不明の洞窟が見つかったのだ。それがひどく遠い場所であれば、見なかったことにする選択もあっただろう。
しかし山は村から小一時間ほどの距離にある。放置していいものではなかった。
村人たちは不安と困惑を覚えつつも、わずかばかりの期待を胸に抱いた。
ひとりの村人が桟道から縄梯子を降ろして、どうにか洞穴へとたどり着いた。用意しておいた松明を掲げると、暗闇の中を軽く照らしてみせる。
力自慢の彼が、すぐ逃げられるよう警戒しながら覗き込んだ先には深い闇があった。
松明を揺らすと、自然に生まれたとは思えない道と壁、高い天井があった。奥へと向かうための暗い道があった。
そこはあまりにも迷宮めいていた。
知識のない村人にも、これが偶然に出来た洞穴とは到底思えなかった。もちろん見た目は洞窟そのものだ。
人工物らしい気配はない。にもかかわらず、まるで作り物のように感じられたのは、人間が徒党を組んで進むのに丁度よい幅があったからだ。
いわゆる坑道めいた掘削感と言い換えても良かった。道を通そうとするでも、鉱石を掘るためでもなく、人間を奥深くへと導くためにあつらえられた迷路の印象があったのだ。
一部の例外こそあるが、ダンジョンはほとんどの場合、危険な場所である。迷宮都市には、ダンジョンを管理する冒険者ギルドがあり、連絡すれば調査員が送られてくる。
そのまま踏破や攻略するかどうかはさておき、近隣の村々に危険が及ぶかどうかを先遣隊が確かめてくれるのだ。
ここで大事なのは、ダンジョン発見の報告は推奨されるが、義務ではないということ。
ダンジョン周辺の市町村に対し、冒険者ギルドはいろいろ便宜を図ってくれる。
冒険者の紹介やダンジョン関連の知識、彼ら相手の商売のやり方や商品の融通、探索許可証にあたる冒険者免許の見分け方を教えてくれるし、大規模ダンジョンであればギルド職員が常駐したりもする。
互いに利益があるからと、ウィンウィンな関係を結ぼうと手を尽くしてくれるのだ。
それでも新たな迷宮の発見は、すぐに報告されないことが多い。
迷宮を発見した人間がまっさきに考えることはいつも同じからだ。
この大発見、どうにか独り占めできないだろうか。
それが迷宮に慣れ親しんだ冒険者、探索者なら入り口を隠蔽して、自分だけ、あるいは自分と近しい人間だけで攻略してしまおうとする。
それが悪いわけでもない。一攫千金を求める、あるいは誰かに先を越されたくないという人間心理からすれば自然なことだ。
冒険者ギルドも未発見ダンジョンを報告してくれた相手には、それなりの謝礼を支払ってはくれるが、やはり手つかずの迷宮を探索できる権利と比べたら割に合わない。
これがたとえば地方の寒村での出来事で、たちの悪い探索者と人のいい村人が二人っきりのとき偶然見つけた場合、帰り道の不幸な事故でひとり死んでいてもおかしくない。いや、欲深い村人二人であっても、そうした状況は発生しうるだろう。
大勢が一度に知ったこともあって、隠蔽や口封じといった事態にもならずにすんだ。
村の近くに洞窟型のダンジョンがあることがわかった。危険なモンスターが溢れ出てくる気配も今のところない。
村民たちは頭を悩ませた。さて、どうするか。
ダンジョンの中には危険なモンスターが跋扈している。同時に様々な財宝が存在することは子供でも知っていることだ。
冒険者ギルドに連絡すれば、財宝を求めた冒険者達が迷宮を探索することになる。迷宮都市からは距離があるこの村は、周囲の村町とも微妙に離れた場所に位置する。拠点として村に長期滞在するものも出るだろうが、多くの場合、近隣住民が得られる利益は間接的なもの。
飲食だとか宿泊だとか物品の販売、大勢の冒険者が来ることで商売は活発になるが、そのどれもがこれまでの生活の延長線上にあるものに過ぎない。そもそも単なる農村に過ぎないため、そこまで大人数を受け入れられるキャパシティもない。準備や覚悟も食料まで必要になる。
面倒なことになるのは目に見えていた。
居住区画近くに迷宮を見つけてしまった村にありがちなケースだ。この場合、往々にして一つの結論に達することになる。
いっそ自分たちで攻略してしまえばいいのでは、と。
上手くやれれば、すべての面倒事を一瞬で解決できる。
一攫千金の夢、その具現化たる遺物が手に入るかもしれない。
別におかしなことではない。事実、それが村民の能力のみで実行可能なのであれば最善にして最良の選択だろう。可能なのであれば、だが。
次に、冒険者ギルドに知らせる前にまず自分たちだけで潜ってみよう、と話が進む。
実際にそうした村もある。結果は様々だ。たいていは気の強い一人か二人が伐採用の斧だの慣れない剣を手にモンスターと戦って、大怪我をしたり死んだりして、物言わぬ骸として帰って――いや、帰還すら叶わず迷宮の半ばで横たわることになる。
恐ろしいモンスターと遭遇して逃げて、太刀打ちできないと悟って、村に帰り着くやいなや隣街のギルドに走って救助を求めた例もある。
一番どうしようもない結果は、普通はダンジョンから外に出られないはずの下層深層の凶悪なモンスターが、転移かアラーム系トラップの効果か、あるいは万に一つの偶然によってか、ひたすら逃げる村人を追ってダンジョンの外に飛び出したとされるもの。
当然ながら、対抗する術を持たない村人たちは皆殺しの憂き目にあい、一夜にして村は滅びたと記録されている。
これは新発見のダンジョンにはそうした思いもよらないリスクがあると教えるため、冒険者学園の座学において全員が聞かされる話である。
一方で、逸話として残るほど類まれな幸運に恵まれた村人もなかにはいる。
彼は人生で一度も喧嘩したことがない非力な男だった。小さな村の雑貨屋の店番に過ぎなかったが、店の主人が趣味で揃えた迷宮の冒険譚が好きで暇なときよく読んでいた。
そんな彼がある日偶然、隣町から帰る道すがら、草むらに露出していた扉を見つけた。
かつて誰かが見つけ、隠し、そのまま忘れられた迷宮だったのだ。
彼には見た目に似合わぬ野心があった。度胸があった。何より機知に富んでいた。誰にも迷宮のことを伝えず扉を隠し直すと、何食わぬ顔で雑貨屋で働きながら、こっそり道具や知識の準備をして、それから二年後、たったひとりで迷宮に潜った。
上手いことモンスターとの交戦を避け、トラップにも引っかからず、一週間をかけ最深部にたどり着くと、ついには遺物を手に入れた。
彼は無事に帰還を果たした。大きな街の冒険者ギルドに向かうと、即座に遺物を売り払った。
たった一人で潜ったことも幸運に働いた。
ボスを打倒しなければ遺物が手に入らないダンジョンでなかったことも運が良かった。
さらに手に入れた遺物は複数あった。
分前で揉めることも、誰かに足を引っ張られることもなく、自分の才覚だけで一攫千金の夢を成し遂げたのだ。
彼は手にした大金を元手にダンジョン関連の商売を始めた。
村長になり、町長になり、最後には伝説の市長として讃えられ、後世に立身出世の代表例として名を残したのだった――そうした稀有な成功例も巷間には流布している。
極端な例だが、これらが迷宮発見における悲喜こもごもの記録である。
ひるがえって現在、アーシャが元教え子に声をかけられたこのダンジョン。
最初に入り口付近の様子だけ確かめられ、その後は立ち入りを禁じられていたはずなのだが、やるなと言われると余計にやりたくなってしまう連中はどこにでもいるものだ。
気の大きい男衆、特に今の生活に不満をいだいている者たち十数人がこそこそと立ち回り、結論を先送りにした集会のあと、夜も更けた頃、そろそろと集まって洞穴に向かった。
それぞれ家から持ち出した斧や鍬、先祖の残した古びた槍や、物置に転がっていた手入れされていない剣など、思い思いの得物を手にして、いざダンジョンへ。
集会で話がまとまらなかったことが、彼らの行動を後押しした理由にもなった。
村長は冒険者ギルドに報告することを提案し、女衆は口を揃えて賛成したが、興奮していた男衆は反対した。
喧嘩っ早い連中はせっかくの稼げる機会を都会の青瓢箪に献上するのかと叫び、それより冷静な数名はよそ者が村に来るのは困ると語り、とにかく議論は紛糾した。
論争に終止符が打たれたのは、この村の娘に惚れてわざわざ田舎に婿に来た、迷宮都市生まれの青年の一声が決め手だった。
青年が主張したのは、まず迷宮に関する情報を集め、同時に信頼できる冒険者を探し攻略してもらって、その冒険者と村とで利益を折半するのはどうか。こんな提案だった。
大金が手に入るかもしれないのに、なんでよそ者に頼まなきゃいけないんだ。
男衆は腹を立てたが、青年は淡々と返した。
単に冒険者ギルドに報告して報奨金をもらうよりは儲かる見込みが高いし、何より自分たちで危険を冒さなくて良い。ダンジョンは危険な場所だから、と。
素人が足を踏み入れたら悲惨なことになる。みなさんに死んでほしくないんです。
妙に説得力を持った彼の言葉に、男衆の女房たちはすっかり怖気づいてしまった。大金のチャンスを語る男たちと、リスクを語る女たち。昼から始まった話し合いは夕方になるまで続き、議論は真っ二つに別れ、村長が加熱しすぎた議論を預かることで決着した。
つまり様子見である。洞穴の迷宮に誰も立ち入ってはならぬ。冒険者ギルドにも知らせない。後日、頭が冷えた頃にまた話し合うために集会を開く。そんなところだ。
男衆が腹を立てているのは誰の目にも明らかだった。彼らも一度は飲み込んだ。村長の顔を立ててのことだ。
しかし腕っぷしに自信がある村生まれの男たちは、我慢ならなかったのだ。余所者に迷宮の存在を知られてしまったら、何もかも水の泡になる。そんな危惧もあったのだろう。
あるいは都会から来た青年の露骨なまでの安堵が、最後のきっかけだったのかもしれない。舐められているように感じたのだ。こいつにとって俺達は守られるべき弱い存在なのだと。
そして。
高揚のままダンジョンに踏み込んだ十人以上の男たちは、入り口からずっと固まってうろうろしていたせいもあり、絶え間なく集まってきた大量のモンスターに次から次へと襲撃されて、奮戦するまでもなく、ものの数十分もしないうちに這々の体で逃げ出す羽目に陥ったのである。
村の皆で決めた結論に逆らって、勝手に迷宮に踏み入れた挙げ句、誰も彼もが傷だらけになって帰ってきた男たちの目は、いっそ哀れになるほどに虚ろだった。
村にたどり着いたとき、すでに勝手な行動をしたことは発覚していた。彼らの母親や嫁が半分は心配そうな顔、もう半分は激怒した様子で出迎えてくれた。
村に残った男、あるいは話を持ちかけられなかった男は少数だった。
男衆の悪巧みから省かれた年老いた村長と医者、老人と子どもたち、そして迷宮都市から来た――村から出たことすらない者が大半のなか、唯一の都会出身の青年である。
旦那や息子の愚行を知った女衆と同じか、それ以上に激高していた村長が口を開く前に、村で一番迷宮について知識のある青年は開口一番こう言った。
「みなさんが生きてて、本当に良かったです……」
「へっ。なんでえ、さんざん止めたのにダンジョンに入った馬鹿がどうなろうと……お前さんには関係ねえだろうがっ! 笑えよ、世間知らずの田舎者ってよ。お前さんの言うことに素直に従ってりゃみんな怪我せずに済んだってんだ。クソが!」
集会で自分たちでの攻略を提案し、一番威勢がよかった髭面の男は顔を真っ赤にしていた。その場で投げやりに斧を投げ捨てた。
青年は疲れた顔でいった。
「笑いませんよ。もし死んでたらと思ったら……無事で、本当に良かった」
「これが無事だって? どこ見てんだ。みんな怪我してるじゃねえか」
男が振り返れば、誰も彼も大小の傷を負っていて、なかには骨折した者もいた。
「迷宮は、人が死ぬ場所です」
「……あん?」
「入り口近くにいるゴブリンの一匹二匹なら、みなさんの手でたやすく倒せるでしょう。そうして気が大きくなって奥に踏み込むと、もう逃げることすらままなりません。迷宮は、本当に危険なんです。もう少し奥に行っていたら、それこそ誰一人として生きて帰れなかったかもしれません」
「そんな、わけ」
「モンスターの大群に襲われたでしょう?」
「いや、それは。……お前、なんで知って! 俺たちが襲われるの、近くで見てたのか!?」
「違いますよ。迷宮の中では一緒に動けるのは六人まで。それ以上の人数で行動すると、その階層にいるあらゆるモンスターが集まってくるんです」
男は黙り込んだ。青年は静かに語った。
「こんなの、迷宮都市で暮らしてたことがある人間なら誰でも……それこそ五歳の子どもだって知ってる初歩的な知識ですよ。迷宮で七人目を見かけたら、決して近づいてはいけない。それはひとの姿を模した魔物、さもなくば仲間を見つけた亡霊だから」
だから、ひとが増えると救助も難しくなる。
「有名な警句です。でも、あなたは知らなかったでしょう? 危険を避けるためには知識がいるんです。戦うための、生きるための、死なないための知識が山程あります。それでも生きて帰ってこられたんですから、あなたたちは運が良かった」
黙り込んだ髭面に代わって、後ろにいた体格のいい男が怒鳴った。
「てっ、てめえっ、それを話し合いのとき教えてくれてりゃ……みんな怪我なんぞせずに!」
「もっと奥に気軽に踏み込んで、帰ってこられなかったでしょうね」
責めるわけでもなく、ただ淡々とした口調で返した。それだけに二の句が継げない。
「たとえば、そう、後ろのポヌーさん。腕を骨折してますね。……腕ではなく足が折れてたら、皆さん、見捨てて逃げられましたか?」
「ああんっ!? 見捨てるワケがねえだろうがっ! ポヌーは子供の頃から一緒に育った、俺の弟分だぞ!」
「足手まといを抱えたまま、大量のモンスターに襲われた場合、ちゃんと戦えましたか?」
「……う」
「アニキ、いいんだ。そいつの言ってることは正しいぜ。腕が折れても足手まといだったんだ。足が折れてたら、たぶん逃げられなかった」
「けどよう。こいつの言い方、ちょっとムカつくだろ」
「ずっと忠告してくれてたピーちゃんになんか文句あるわけ?」
青年の傍らでずっと黙っていた村娘が、冷たい目で大男を見つめた。
「ネーラちゃん、いいから」
「でも」
「みなさんが仲がいいのは知ってます。ここにいる誰一人として見捨てられないでしょう? だったら、最初から迷宮なんて危険な場所に大事なひとを連れて行っちゃダメなんですよ。自分の身を守れない人間は他人を巻き込んで死にかねない。ダンジョンは、そういう場所です」
「……ああ、そうだな」
男衆の一番後ろで控えていた、寡黙そうな男が嘆息した。
村ではただひとりの狩猟番、ダンゲだ。普段なら彼はこうした軽挙を止める側だった。しかし男衆に同行していたのは、ピースラントには意外だった。
ダンゲは村でもっとも裏山に足を踏み入れる機会があり、また猛獣対策の責任者でもある。つい最近まで洞窟の存在に気が付かなかったことを気に病んでいたのか。あるいはモンスターの危険度を調査する良い機会と考え、逸ってしまったのか。
「ダンゲさん、でも」
「ピースラントは俺たちを心配してくれてたんだ。こうして、嫌われ役になってまでな」
ダンゲが頭を下げると、青年ピースラントは、ようやく安堵した表情を見せた。
なるほど。他の男たちが血気盛んに奥深くまで進もうとしたら、それを掣肘する役割を自分に課していた。そんなところだろう。ピースラントの見たところ、モンスターと戦闘になった場合まともに動けるのは彼くらいなものだ。
見たところダンゲに怪我の様子はない。村の男たちが開きかけた口を閉じたのも、追いかけてくるモンスター相手に殿を務めたのが彼だったからかもしれない。
「みなさんが死んだら、ネーラちゃんが悲しむと思ったので。それだけです」
「はいはい、お熱いこって」
嬉しそうに飛び跳ねたネーラがピースラントに抱きついて、しょげている男衆を見回した。大きな胸を押し付けられても、ピースラントは顔色ひとつ変えなかった。
そういうところも気に食わないのだろう。村の男たちは苦々しい顔を隠さなかった。
「ピーちゃんの優しさに感謝しなさいよ! あと奥さんに夜通し叱られてこいバカども!」
無言の男たちの視線を遮るように、一歩前に出たダンゲが小声でこぼした。
「……やれやれ、独り身にはつらいな」
「ダンゲさん、もうっ。心配させて……」
そんなダンゲの胸に女性が飛び込んでいった。親子ほどに年の離れた若い娘だ。
「む。ノンナさん……いや、その、すまない。一応、俺は怪我していないんだがな……」
「駄目ですよう。ほら、ちゃんとカラダを見せてください」
抱きついたノンナがダンゲ自身の手で引きはがされて、名残惜しそうにしつつも素直に離れたのだけれど、潤んだ瞳でがっしりとした肉体を撫で回し、怪我がないかを熱心に確かめている。
「いや、ノンナさん……大丈夫。大丈夫だから、無理やり脱がせようとしないでくれないか」
「全然だいじょうぶじゃないです。全身くまなく確認しないと、安心できないですから……」
「ノンナさん? なんというか、目がちょっと怖いんだが……」
さっきは張り詰めいていた空気が、いつの間にか弛緩していた。ダンゲもノンナもそれを狙ったわけではないだろうが、ピースラントとネーラへに向けられた視線は散り散りになった。
怪我した男たちを手当てする医者と助手、取り残された村長がつぶやく。
「あの、ここは、わしが威厳ある言葉をかけるべき場面では……?」
「やれやれ。若い連中だけで話がまとまったみたいだし、輪に入れなかった村長はこっちで引き取るよ。みんな眠らず待ってたし、わたしら年寄りはそろそろ休んだほうがいいねえ」
こうして村近くで見つかった迷宮を巡る騒ぎはひとまず終わった。
村中に怪我人こそ大勢出てしまったが、死者が出なかったのは単なる幸運でしかなかった。
処置を終えた男とその家族がひとり、またひとりと家に帰っていく。その姿を見届けると、ピースラントもまたネーラに引きずられるように家路に着いた。
彼はネーラに握られた手とは逆の手を、さりげなくポケットの中に入れて、そこにあった感触を強く握りしめる。
冒険者学園を卒業した証、自らの名が刻まれた徽章だ。
村娘ネーラに惚れて婿入りした、迷宮都市出身の青年ことピースラント。
彼もまた、ルビー先生ことアーシャの元教え子のひとりだった。
しかしながら、彼が冒険者免許を持っていることは、村ではネーラと村長しか知らないことであったのだ。
ここに登場する村娘をネーラという名前でそこそこ書いてから、第三部に無関係な同名キャラがいたことにあとになって気づいたので、第三部の彼女はミルリーラという名前に変更となりました。
ご容赦ください。
二話以降については、でっかいミスや破綻が見つからないかぎり、
ここから月曜日と金曜日に一話ずつ投稿していく予定です。
予約投稿で、基本的には20:10設定にしてると思います。お楽しみに。




