彼女の世界
老人はなだらかな丘陵地をゆっくりと歩いていた。
丘の上にあるのは高い塔とそれを取り巻く同じ形をした家々。
丘は柔らかな緑で覆われ、空は気が遠くなりそうなほど澄んだ青が広がっていた。その空を白い雲がながれ、鳩が小さな陰となって飛び去る。
街に近づき、道ばたに人々が見え始めた。
老人をみて小さく頭を下げる人々はみな同じ顔。老人と、この世界の『神様』と、老人が『女王』と呼ぶ彼女の姿が組み合わさった、どことなくぼんやりとした印象を持つ顔だ。
程なくして塔の真下に辿り着いた。天高くそびえる塔の内部の螺旋階段を上っていく。たっぷり時間をかけて、頂上の部屋に到達した。
頂上の部屋の中では、大量の紙に埋もれるようにしながら一人の少女が一心不乱に何かを書いていた。
老人は腰を曲げておどけていった。
「『宿題』の進み具合はどうかな、女王様?」
彼女はつ、と顔を上げた。緩やかにほほえむ。
「まだ仕上がってないわ。・・・・・・でも、もう少し。あと少し」
「そうか」
老人は窓際にある揺り椅子に腰を下ろした。
彼女は何事もなかったかのように、また紙に目を落とそうとした。しかし、ペンを止めて再び顔を上げた。
「ねえ。また話して。あなたの話を」
老人もにこやかにほほえんだ。
「いいだろう、君にも私にも時間はたっぷりある。・・・・・・この前は、どこまで話したっけ?」
「癇癪持ちの女の子の話よ、オルズ」
「そうか。・・・・・・じゃあ、今日は三人目、秩序を求めた少年の話だ」
老人は語り始めた。
癇癪持ちの少女に呆れた傲慢な少年がどうして『神様』になったのか。どんな世界を作ったのか。
「なかなか面白い世界だったよ。・・・・・・しかし、私としては少しばかり都合が悪くてね。あのままだったらそれ以降の世界は生まれなかっただろう」
「オルズは、どうしたの?」
老人は少し肩すくめて見せた。
「私は何もしなかったさ。ただ、その少年にとっても退屈な世界だったんだろう、いくら整った世界が好きだといっても、何も変わらない世界が延々と続くのではね。彼は自分自身で自分の『秩序』を壊したのさ。小石を一つ投げ入れただけで、あっというまに壊れたよ」
「ふうん・・・・・・」
彼女は少しばかし窓の外を見つめ、再び紙に何かを書き始めた。
老人はしばらくその姿を眺め、席を立った。
「また来るよ。ゆっくり仕上げてくれたまえ」
反応をしめさない彼女をおいて、老人は螺旋階段を下りていった。
それからいくつもいくつも年月は流れた。
同じ顔をした人々は老いていき、それと同時に新しく同じ顔をした人々が育っていった。
老人は再び塔を目指し丘を登っていた。草原は変わらない。空も。道を行き交う人々が、同じようでどこか違っているだけだ。
螺旋階段の最上部では、彼女が相変わらず紙に埋まっていた。
同じ顔の人々は代が変わるほどの年月を経たというのに、彼女は何一つ変わってはいなかった。
老人はいつもと同じようにお辞儀をした。
「『宿題』の進み具合はどうかね、女王様?」
彼女はいつもと同じようにゆるりと微笑んだ。しかし、彼女の答えはいつもとは違っていた。
「終わったわ、オルズ。仕上がった」
彼女の腕には巨大な本が抱えられていた。
老人はにこりと笑って体を起こした。
「では、もう行くかね?」
ええ、と彼女はうなずいた。
「行きましょう」
彼女が老人の手を取った瞬間、窓から大量の鳩が舞い込んだ。
彼女は目を閉じなかった。金色の歯車と銀色の歯車でできた無限の世界に、彼女は静かに立っていた。
「ここで、想像したらいいのね」
まあ、そう焦らずに、と老人は笑った。
「君で私のノルマは達成されるんだ。その記念に、君の名前でも聞いておこうかな」
彼女は自らの名を告げたが、老人は苦笑した。
「駄目だ。君の言葉は何とか理解できるんだけどね、君の名前は発音できないようだよ」
そう、と彼女はほほえみを崩さずに少し首をかしげた。
ちらりと老人は彼女の持つ本に目を向けた。
「私もまだその本を見てはいけないのかね?」
ええ、と彼女はうなずいた。
「これは誰にも見せない。それにあなたも私の物語の登場人物だもの」
「それはそれは、光栄なことだ 」
彼女はゆっくりと目を閉じた。
「幕が開くわ」
次々と想像した。
そこは長い歴史を持った世界。その年月は永遠にも等しいと思われるほど。
第一幕は夕暮れ時の公園。一人の少年がぶらりと立ち寄る。
そして少年は__________。
「これは・・・・・・!」
めまぐるしく進む世界をみて、老人は呆然と呟いた。
「どうして、『彼』のことだけは話していないはずなのに・・・・・・!」
彼女の創造は続く。
少年が消えても世界は何事もなかったかのように進み続ける。
そしていくつもいくつも年月が過ぎて、一人の赤ん坊が生まれた。
赤ん坊はすくすくと育ち、眼鏡をかけるようになり、髭が生えて、その髭も髪も白くなっていき__________。
「・・・・・・!」
赤ん坊が老人と全く同じ姿になったところで、世界の時の流れはゆっくりになった。
「ありえない、そんな・・・・・ありえない、」
「どうしたの?」
彼女は目を開いて老人を振り返った。
「どうして、私が君の世界に・・・・?」
「想像したの。あなたの居たであろう世界を」
こともなげに彼女は答えた。
「なら、それなら、『彼』は、最初に出てきた少年はどうして、」
「あなたは『案内人』なのでしょう?あなたが案内してきたという六人の子供については聞いたわ。でも、それじゃあ最初の子は、幻想を求めたあの女の子は、いったい誰が作ったのだろうかと思ったの。そして私は想像した」
彼女は再び目をつむって歌うように続けた。
「あなたの世界のことは知らない。私はあなたの世界を作ったのではない」
老人は動くことができ無かった。
彼女が違うといっても、あまりにも老人の世界との共通項が多すぎた。何もかも何もかも何もかも、老人の記憶と違わない。いや、記憶より鮮明なのだ。
「でもあなたは登場人物」
「・・・・・・どういうことだね?この世界に君は想像でしか介入できないといったはずだ」
「想像したらいい。あなたをこの世界に送り込む様さえ想像したらいいの。あなたには特別に、最終章を教えてあげる」
彼女は本のページを繰った。
彼女が永遠の時間を費やして描いた壮大な物語の最終章を、彼女は淡々と語った。
聞きたくないと願うのに、その声は否応なしに耳に入り込んできて脳に刻み込まれていく。
「・・・・・・何故世界は終わらなければいけないんだい?」
「終わらない世界なんて、つまらないだけ。物語には終わりが無くてはいけないでしょう?」
彼女は穏やかにほほえんだままそう告げた。
「・・・・・・それなら、いつ終わるのかは、教えてくれないのかい?」
「そんなことまでわかってしまったらつまらないでしょう?」
もういい?と少女は老人に尋ねた。
老人は目をつむって小さくうなずいた。
老人は一人になって、鳩たちも世界に吸い込まれていく。
創造は終わった。
はじめてシリーズものを完成させることができました。
最後まで呼んでいただき、ありがとうございます。
これからもこんな感じの短編を中心に書いていきたいと思っているので、どうかよろしくお願いします。




