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Fourth Stage -Round 2-

 咲弥、レッド、禅時らが足を踏み入れたのは、ガチャロードの中頃にある『ポニカ』という名のゲーセンだった。

 一階建てだが店内は広く、ありとあらゆる種類の格ゲー筐体が整然と並んでいる。訪れる人の年齢層はバラバラで、古き良きセルⅡ(ツー)を楽しむ中年男性たちや、最近アーケードに参入した新作で盛り上がる学生たちなど、実に様々だ。

「ここは、格ゲー専門のゲーセンなのよ。他店じゃもう扱ってないゲームまで置いてあるから、見てるだけで充分楽しめるわね」

「へぇ」「へぇ~」

 格ゲー筐体で作られた碁盤目状の通路を歩きながら、時折、体を横にして人を避けつつ、レッドを先頭に奥へと進んでいく。

「ただ、古いゲームの筐体も新作ゲームの筐体も一つずつしか出さないし、1クレジットの料金が安いわけでもないから、流行のゲームをやり込みたいユーザーはあまり来ない場所なの。故に――」

 そして三人は、店の反対側の入り口近くに置いてある、セルⅣの黒い筐体へと近づいた。

 その席は、1P側も2P側も空だ。

「ここを訪れるセルⅣプレイヤーは、初心者・中級者が大半ってわけ。あなたの腕試しにぴったりね」

「なるほど」

「さて、じゃあさっそく始めましょうか。準備はいい?」

「便所に行ってくる」

 咲弥の間の抜けた発言に、ズルリとこけそうになるレッド。禅時はあははと笑っている。

 だが、咲弥の顔は至って真面目だ。

「バカおまえ、ゲームやる前に用を足しておくのは大事だぞ? ちょっとトイレ行きたいかもなーとか思いながらジャンレボ始めようもんなら……あとでめちゃくちゃ後悔するんだ」

「あー、それはあるわね。格ゲーで連勝数が二桁以上いってる時に催して、なんで始める前にトイレ行っとかなかったんだろう……みたいな」

 咲弥はレッドとうんうん頷き合い、大いに共感してから男子トイレへと向かった。

 禅時はそんな咲弥の背中を、見えなくなるまでじーっと見つめていた。

「なんだかんだで、まだ少し緊張してるのかもね~」

「ええ。ま、私はまったく心配してないけど。この場所がホームのプレイヤーに後れを取るような育て方はしてない」

「ふ~ん。じゃ、オレ励ましてこよ~っと」

「あなたもトイレ?」

「うん。トイレの中にまでくっついて行けるのは、同性同士の特権だね~」

 言いながら、禅時は笑顔で咲弥を追いかけていった。

「やれやれ……」

 レッドは苦笑しながらそれを見送る。

 先ほどは謎の対抗心に突き動かされて、つい禅時と張り合ってしまった彼女だが、さすがにトイレの中にまでついて行こうとは思わない。

(ていうかさっきの私、かなり恥ずかしいことしてなかった?)

 ようやくその事実に気付いたレッドは、かぁーっと頬を染め、キャップを目深に被って顔を隠そうとし――庇を握ろうとした指が空を切ったところで、自分が普段の格好ではないことを思い出した。

「……こほん」

 恥ずかしさを散らすように、あえてわざとらしい咳をする。

 そのままセルⅣ2P側のすぐ背後の壁にもたれかかり、腕組みをして男二人を待つ。

(咲弥と私は、仲間同士。師弟の関係。あんまり変なことしないようにしよう……)

 と――

「ねぇねぇ、そこのお嬢さん」

「ん?」

 レッドが左を見ると、そこには三人の男がいた。

「ゲーム好きなの? 一人?」

「もし良かったら、今日はミーたちと――」

「一緒に遊ばんけ?」



 数分後、咲弥と禅時は並んで男子トイレから出てきた。

「咲弥と一緒に尿を出すのも久しぶりだよね~」

「おい、なんだその話の振り方は。どう突っ込めばいい」

 などと益体のない会話をしながら、二人は元来た通路を辿り、すぐ異変に気付く。

「……誰だ?」

 壁に寄り掛かったレッドが、見知らぬ男たち三人に囲まれ、話しかけられていた。

 三人とも背が高く、そこそこ見られる顔立ちである。

 なぜか全員、頭や腕に包帯を巻いたり、肘に絆創膏を貼ったりしている。まるで、誰かに地面を蹴り転がされたかのようだ。

「知り合い……とは違うみたいだね~。なんかレッドちゃんの表情が硬いや。たぶんだけどナンパじゃない~?」

「あー、かもな。普通にかわいいし」

「ナチュラルに褒めてる~……」

「事実だろうが。その拗ねた顔はやめろ」

「ぶ~、男心がわかってない~」

「はいはいすまんすまん。行くぞ」

 咲弥は禅時をテキトーにあしらい、レッドらへ近づいていった。ぶーぶー言いながらも、禅時はそれに従う。

 二人が戻ってきたことに、レッドはすぐ気付いた。

 彼女は咲弥に笑みを向けて迎える――が。

(ん?)

 なぜかその笑みがとても不敵――というか、まるで何かを企んでいるかのような……。

(これは何かある)

 と、弟子としての勘が告げた、その直後。

「連れが帰ってきたわ」

 レッドが咲弥を顎で差し、男たち三人が振り返る。

 そして――

「いやー、きみがカレシくん? ま、ここは一つ正々堂々頼むよ」

「……は?」

「ユーには悪いけど、ミーたち本気でいかせてもらうゼ?」

「おらのザンギュが火を噴くけ!」

 男たち三人は言うだけ言って、セルⅣ筐体の1P側についた。

「さあ、勝負を始めよう!」

「キュートガール、ミーたちの勇士を見ててくれよナ?」

「がんばるけ」

 男のうち一人が1P席に腰掛け、「きみも早く座りたまえ」という熱い視線を咲弥に向けてくる。

「……どうなってんだこれ?」

 咲弥は2P側に回りながら、待っていたレッドに聞いた。

「偉大なる師匠様が、かわいい弟子のために対戦相手を作ってあげたのよ」

 レッドは「ふふん」と鼻を鳴らし、得意げに説明する。

「あの三人組、私とお茶したいんだって」

「それで?」

「だから、言ってあげたのよ。もうすぐ私のカレシが帰ってくるから、彼にセルⅣで勝ったらお茶を奢られてあげる、って」

「なるほどね~。あの三人は、セルⅣのプレイヤーなの~?」

「ええ。ここにはちょくちょく足を運んでいるそうよ」

「……で、俺に倒せと?」

「その通り。いい修行になるわ」

「おまえなぁ」

「安心しなさい、2P側のレバーよく回るから。ボタンの利きも、あの音ならたぶん大丈夫」

「そうじゃなくてだなぁ」

「なに? ひょっとして自信無いの? 『カノジョ』の一人も守れないわけ?」

「……」

 そこまで言われて――

「……ったく、あとでおまえが俺に奢れよな」

 引き下がるような男ではない。

 乙波咲弥というゲーマーは、断じて。

(ま、今日は元々対戦に来たわけだし、断る理由はない。ちょっといきなり過ぎだが)

「上着と杖、預かっとくよ~」

「頼む」

「ふふっ、がんばりなさい『カレシ』」

「へいへい」

 咲弥はTシャツ姿になり、筐体の2P側席へ腰掛けた。

 懐から百円玉を取り出して――

「すぅー……はぁー……」

 一度大きく深呼吸をしてから、投入。スタートボタンを押す。

《A new warrior has entered the ring!!》

「来たな! カレシくん!」

 筐体の向こうから、相手のテンションが伝わってくる。

 どうやら本気でレッドを誘いたいようだ。

(もし俺が負けたら、今日は禅と二人でデート……。師匠を取られちまうってのは、弟子としてどうにも不愉快だな。《黄金色の時》で集中――いや、いい)

 咲弥はキャラセレクトでカトラを選びながら、ギロリと画面越しに対面を睨み付けた。

(たまにはこういう風に燃えてみるのも、悪くない)

 咲弥は久しぶりに――本当に久しぶりに、この類のギラついた感情を思い出したのだった。

「おお~、咲弥がレッドちゃんを取られまいとやる気出してる」

 禅時とレッドは後ろの壁際に立って、そんな咲弥を観察する。

「でも、咲弥が負けたらレッドちゃんはいなくなって、オレと二人きり……。それってもうデートだよね~、うは~。……練習しとこうかな……。おおっと手が滑ったぁ~……うん、こんな感じで咲弥に接触して――」

「邪魔したら外国のゲイバーに売り飛ばすわ」

「あはは~、怖いな~、外国のって部分が特に。……うん、冗談だよ」

 禅時は目を細め、眩しいものでも見つめるかのような視線を咲弥に向けながら、言った。

「好きな人が一生懸命になってる瞬間を、邪魔できるわけないじゃん」

「……そう」

 禅時の表情を見て、ようやくレッドは悟った。

「あなた、本気で咲弥が好きなのね。今の今まで、半分はジョークかと思ってたわ」

「あはは~、オレはいつだって本気さ~」

 やがて――


 Katora【滅・豪龍拳】 vs Katora【滅・波號拳】


「聞いたよ! 始めてまだ一ヶ月も経ってないんだって? でも、手加減はしないからな!」

 咲弥VSナンパ師Aの対戦が始まる。

 ステージは、ベトナムの河川を流れる木造船の上。キャラが動くたび船も揺れる。

(初めての野試合。相手は経験者のカトラか。さて、どう動いてくる? いや、考えるだけ無駄……とも言えないか。まずは様子を見て……しかし、それで相手が調子に乗っちまったら……)

「咲弥」

「ん?」

「下手の考え休むに似たり」

 レッドの言葉で、咲弥はハッとした表情になった。

「一つだけアドバイスしてあげるわ。今日戦う相手、全員、私だと思ってやってみなさい」

「全員、レッド……。わかった」

 咲弥が頷いた直後、画面上に構えを取った二人のカトラが並ぶ。

 咲弥は2P側(開始時左向き)の黒カトラで、ナンパ師Aは1P側(開始時右向き)のノーマルカラーカトラだ。

(相手はレッドだと思っていつも通りやる……うん、これはいい。余計なことごちゃごちゃ考えなくて済む。――来いレッド!)

 そして、戦いのゴングは鳴った。

《ラウンド1……ファイッ!》

 と――

「いくぞカレシくんっ!」

 開始直後から、ナンパ師Aが跳び込んできた。

 跳び蹴りからジャブ、ジャブ、ストレートの連係を浴びせられるが、咲弥はこれを難なく防御する。

「どうしたどうしたぁ!」

「……」

 中距離になり、互いに牽制技を振り合う。

『波號拳! どりゃぁ! 波號拳! どりゃぁ!』

 ナンパ師Aは判定の強いフックパンチと牽制潰しの波號拳を交互に振り、自信満々の攻めを見せていく。

 咲弥は下手に手出しはせず、小刻みに間合いを調整しながら、ひたすらガードに徹した。

「はっはっは! 手も足も出ないかい?」

「……」

 やがて、咲弥カトラはあっけなく画面端に追い詰められた。

 開始から、わずか十数秒後の出来事である。

「ねぇレッドちゃん、なんだかまずくない~? 咲弥、防戦一方だよ~?」

 禅時は落ち着かない様子で、隣のレッドに視線を送る。

 だが、レッドはまったくもっていつも通り――どころか、あくびまでしている始末だった。

「ちょっとちょっと~」

「……もし」

「え?」

「もし、咲弥が私のアドバイス通り、相手を私だと思って戦っているなら……」

「いるなら~?」

「きっと今の彼は、こう思っていることでしょうね」


(レッド超弱ぇ―――――――――――――――――っっっ!)


『どりゃ――』

『豪龍拳!』

『ぐ――ぐはぁっ!?』

《Counter hit!!》

「な……!?」

「オウッ!?」「け!?」

 吹き飛んだのは――ナンパ師のカトラ。

 咲弥カトラは敵を迎撃し、悠然と着地して再び構えを取った。

(なんっなんだどうしたレッド!? 愛鈴にコスプレでもさせられてるのか!? それともこれはあからさまな手加減か!? 動きにキレがなさ過ぎて、俺がキレそうだ!)

 咲弥は混乱してしまう。

 相手が弱すぎて、変なテンションゲージが溜まっていく。

「ま、まぐれさ!」

 ナンパ師は気を取り直し、再び跳び込みからの蹴りを放って――

『豪龍拳!』

『ぐ――ぐはぁっ!?』

「うそっ!?」

 繰り返した。

 先ほどと同じ、跳びを迎撃されるという過ちを。

(だからなんもないのに跳ぶなっての! どうしたんだよおい!? 俺が波號撃った時だけ跳んでるおまえはどこに消えた!?)

「だ、だったら地上戦でケリをつけるまでだ!」

『波號拳! どりゃぁ! 波號拳! どりゃぁ! 波號――』

『竜巻旋空脚!』

『ぐはぁっ!?』

「あるぇっ!?」

 またしても、咲弥の黒カトラがナンパ師の白カトラを吹き飛ばした。

(ワンパ過ぎんだよ! ていうか牽制も波號も、相手のことさっぱり見てないからまったく機能してねぇ! あれじゃサンドバッグや巻藁と変わらんぞ!)

「い、いったいどうしたんだ、急に――」

「ははっ……はははははははは……」

「さ、咲弥が黒い笑い~? 何あれ? あんなの初めて見るよ~」

「おかしくってしょうがないんでしょ」

 目を丸くする禅時と、小さく笑うレッド。

 咲弥は画面から目を離し、俯いてニヤリと口元を歪め――

「弱すぎるぞレッドぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」

「うわーっ!?」

 今度は逆に、ナンパ師のカトラを攻め立てていった。

「……なんか、まったく問題ないっぽいね~」

 咲弥が楽しそうに暴走している様を見て、禅時はにこりと笑う。

「そうね。でも、あの気合いの入れ方はどうなのよ。確かに私だと思えとは言ったけど……」

 レッドはどこか微妙な表情だ。

「はぁーっはっはっはっは! どうしたレッド!? ガードはどこに忘れてきた!? 跳びが通れば竜巻も通る! 今日は大盤振る舞いだなおい!」

「ひぃぃぃっ!? レッドってどゆこと!?」

「だぁーかぁーらぁー跳ぶなレッド! おまえはもう跳ぶな! パタパタしてると豪龍で撃ち落とすぞ!」

「つ、強い! いったいどうすれば……ええいこうなりゃ破れかぶれ――あ」

「なっはっはっはっはっは! それはギャグ!? ギャグなのかレッド!? 大豪龍スカとかおまえ……世界第三位がおまえ……プロゲーマーがおまえ……ぶふぅーっ!」

「も、もうやめて! オレのライフは残り――」

「いや許さん! 日頃の恨み、ここで晴らさずしていつ晴らす! いつもいつもいつも……うますぎなんだよおまえぇぇっっ!」

「ぎゃーすっ!?」

 咲弥はもうノリノリで、ナンパ師をボコボコにしていった。

 おそらく、何か危ない脳内物質でも出ているのだろう。目がちょっとアレだ。

「あはは~、咲弥楽しそ~」

「私はあんまり楽しくない……」

「ありゃ~? 弟子の成長を喜んだりとかしないの~?」

「今、次に咲弥と対戦した時、どんな風に罵りながら倒すのが一番おもしろいか考えてる。ふふふふふふ……」

「咲弥~、調子に乗ると後が怖いみたいだよ~? せめて口は閉じなよ~?」

「これは素晴らしい! レッドが弱い! 劣化レッド最高! セルⅣがおもしろくなってきたぜぇ!」

 聞こえていないようだった。

 結局――

 咲弥はナンパ師Aからあっという間にラウンド二本を奪い、あっけなく勝利した。

「次はミーの番だゼ!」「その次はおいらけ!」

 立て続けにナンパ師B、ナンパ師Cとの戦いになったものの――

《KOォォォゥッッ!》

「ノォォッ!?」「おいらのザンギュがぁぁっ!?」

 まったく問題なく、勝利。

 ナンパ師たちは咲弥を攻略できず、レッドを諦めて、すごすごと並んで去っていった。

「咲弥すごいよ~! 三連勝だよ~!」

「ま、あれぐらいはできて当然よね」

「……ああ」

「ん~? どうしたの~?」

「いや……」

 対戦終了後、ようやく元通りのテンションになった咲弥は、画面の右上――

《Win 3》

 という勝利カウントをぼんやり見つめている。

(あっという間でさっぱり実感が湧かない……。今のはほんとに、俺がやったことなのか? いや、そりゃそうなんだが、しかしこの感覚……。初勝利で初連勝なのに、心がちっとも動かない)

 初めての白星と、その結果への戸惑い。

 咲弥の心情に気付いたレッドは、くすりと笑いながら言った。

「あなたの成果よ」

「俺の、成果……」

「私とばかり対戦してて、一度は思ったでしょう? 自分は本当に強くなれてるのかって」

「ああ」

「ま、少なくとも、どこぞのヤカン女に負けちゃってた頃よりはましじゃない? ……あなたの成長速度、なかなか速いと思う。さすがは元聖地祭チャンピオンってとこね」

「……」

「ちょっとは自信持ちなさいよ。格ゲーに関して」

(自信……。俺が、格ゲーに、自信……?)

 などと話していると――

「あ~!? 咲弥見て!」

《A new warrior has entered the ring!!》

 誰かの乱入を告げる、力強いアナウンス。

 ナンパ師たちは去っていったので、彼らとは違う未知のゲーマーが相手だ。

「ほら、お待ちかねよ。あなたのプレイを見て、刺激されたんじゃないかしら?」

「俺のプレイに……。……っ!!」

 急に――

 ぞくそくっと――

 何かが――

 咲弥の中を、駆け上がってきた。

 それは忘れていた――

 今まで封印していた――

(体が震えてる……。武者震いなのか、緊張がほぐれたせいなのか……いや、違う)

 どうしようもない興奮。

 どうしようもない歓喜。

 楽しくって、楽しくって、楽しくってしょうがない。

 嬉しくって、嬉しくって、嬉しくってしょうがない。

(ゲームは――)

 おもしろい。

(格ゲーは――)

 素晴らしい。

(やばい……時間差で来やがった……。やばいやばいやばいやばい――)

 自然と頬が緩む。

 輪郭が笑顔を形成するのを止められない。

 勝利の喜びと、これから訪れるであろう未知の楽しさが、自分をどれほどまで湧かせるのか気になって――鳥肌が立った。

 ぞくぞくする。自分を抱き締めてしまうほどに。

 わくわくする。前が見えなくなってしまうほどに。

「咲弥~?」

「……」

 レッドだけは、無言となった咲弥が今、どんなことを感じているのか理解していた。

 かつて彼女も触れた、その感覚。

 言葉では到底言い表せない、世界観の再構築。

「これはきっと、感じられる人、感じられない人に別れる。私も咲弥も、『その感覚』の虜になってしまった人間」

「ん~? 何か言った~?」

「いいえ」

 さあ、刮目せよ、乙波咲弥。

 それはかつて、おまえが手に入れたものだ。そして、一度は手放したものだ。

 もう二度と、忘れるんじゃない。

 何があろうとも、目を逸らすんじゃない。

 それはおまえにとっての世界で、世界はおまえにとって――

(なんか、今、降りてきた)

 それを感じるための、器でしかない。

《ラウンド1……ファイッ!》



 箱ヶ辻に到着したビネガ+美音牙十字軍のメンバーは、それぞれ別行動を取った。

 もしここにレッドがいるならば、バラバラに動いていたほうが発見しやすい――というのは建前である。

 男たちは各々寄りたい場所(行きつけのメイド喫茶やゲームショップなど)があり、雷華はというと――

(ビネガ様と二人きりだぜ……)

 これが目的だった。

 というか、ビネガとデートっぽいことをするために、前もって男たちには「散れ」と命令しておいたのだ。

「らいか、つぎはあそこのみせだ」

「ええ、行きやしょう」

 活気ある箱の表通りを、雷華とビネガは手を繋いで歩く。

(幸せだなァ……)

 笑顔ではしゃぐビネガに、うっとりとした表情で従う雷華。

 最初に手が触れた時は緊張して石像のようになってしまったものの、慣れた今では至福の時間に他ならない。

「お、あの子チョーマブくね?」

「キレーな金髪ー」

「あ、あれってもしかして……ビネガ!?」

「んなわきゃねーって。ここ日本。コスプレだろ」

 道行くビネガはかなり目立つ。まだあどけなさを残した異国のかわいらしい顔が、見る者を一瞬にして惹きつけてしまうのだ。

 中には露骨にビネガを見つめ、ニヤニヤしたり、ポーッとしたりする男たちもいる。

 が……。

「アァ?」

「ひっ!?」「うぐっ!?」

 すべて、雷華の凶悪な視線が追い払っていた。

 しかし――

「らいかおそいぞ、いそぐのだ」

「(ササッ)大丈夫っスよビネガ様。武器屋は逃げやしませんて」

 ビネガが振り返るたび、鬼のような表情は一瞬でとろけた笑顔に変わる。実に器用な面相切り替えだ。

「だめだ。はやくゆかねばかたながなくなってしまう」

「はいはい」

 二人はそんな調子で箱をぶらつき、買い物などを大いに楽しんだのだった。

「……すまんな、らいか」

「え?」

 正午になり、小休止のため入ったワクドナルドで、カウンター席に並んで腰掛けた雷華とビネガ。

 メガワックを分解して食べていたビネガが、いきなり雷華に切り出した。

「きょうは、せっしゃのためにきをつかってくれたのだろう?」

「あ、いや……」

「わかっている。せっしゃはレッドがみつからないから、あせっていた。おちこんで、おちこんで、おちむしゃのようだった。……らいかはやさしいから、せっしゃをげんきづけるために、このたのしいまちへつれてきてくれたのだろう?」

 まったくの図星だったため、雷華は何も言えず、黙ってしまう。

 そんな雷華に、ビネガは小さく微笑んだ。

「あんしんしろらいか。ユーのこころみは、せいこうとしかいえない。せっしゃはいま、ものすごくたのしいぞ? レッドのこともわすれてしまうぐらい、まいあがっている」

 ビネガはメガワックを手放し、雷華に向き直る。

「にほんにきてよかった。まだレッドにはあえていないが、それでも、らいかのようなおなごとおちかづきになれて、ほんとうによかった。あらためて……かたじけない、らいか」

「!」

 ビネガはにっこりと笑いながら、少しだけ頬を染めつつ言った。

 それは、極上のスマイル。

 普段は眠そうな表情ばかりのビネガが贈る、最大級の破壊力を秘めた、対ビネガファン最終兵器。

「ッ……!!」

 そんなものを向けられて――

 ビネガファンである雷華は――

 ビネガにこの上ない憧れと敬愛を抱いている雷華は――

「……え?」

「――」

 ビネガの金髪と体が揺れる。

 雷華に抱き締められて。

「らい、か……?」

 雷華は席から腰を浮かし、ビネガを思い切り抱き締めていた。

(かわいい! かわいい! かわいい! なんて健気なんだ! なんて優しい子なんだ!)

 ビネガの背中と頭に手を回し、ギューッと抱き締める。

 ビネガは最初、きょとんとしていたが、自分が雷華に抱き締められているということを理解し、徐々に顔を赤らめた。

「あ、あの、らいか……」

「――ハッ!?」

 耳元で戸惑ったように呼びかけられて、雷華は我に返る。

 その瞬間、彼女の表情はサァーッと青ざめていった。

「すすす、すみません!」

 雷華がガバッと身を引いて、ビネガを離す。

(や、や、やっちまった! あ、アタシってやつは、いくらビネガ様がかわいすぎるからって、衝動に任せてなんてことを……)

 雷華はすぐさま立ち上がって、勢いよくビネガに頭を下げた。

「ほんとにすみません! いきなりこんな……すみません!」

「う、ううん、いい。らいか、かおをあげてくれ」

「は、はい」

 雷華は言われた通り顔を上げるが、まともにビネガを直視できない。

 そのまま互いに目を逸らし、黙ってしまう。

(怒ってらっしゃるよなァ……。クソ! アタシの大馬鹿野郎!)

 しかし、雷華の思考を読んだかのように、ビネガが言った。

「だいじょうぶだ。おこってなどいない」

「え?」

「ただ……」

「ただ?」

 雷華がビネガを見ると、彼女は人差し指でメガワックのパンを突きながら、どこか煮え切らない様子だ。

「せっしゃはその……――だから、そういうことをされると、こまってしまう」

「はい?」

「らいかはやさしいし、つよくてかっこいいが、せっしゃにはもうレッドというこころにきめたものが……」

「す、すみませんビネガ様、声が小さくて……。もう一度おっしゃってもらえませんか?」

「いや、いい!」

 ビネガは首をぶんぶんと振り、言い直すことはしなかった。

 その顔は、熱でもあるかのように火照っている。

「と、とにかくせっしゃは、らいかにおこってなどいない! あんしんしてくれ!」

「はあ……でも、とにかくすみません」

「よい、きにするな! ……ご、ごごからはゲーセンめぐりだったか? それもすごくたのしみだ」

「え、ええ」

 釈然としないものを感じながらも、雷華はビネガと共にワックを去った。

 その後は、予定した通りゲーセン巡り――ガチャロード探索を行う。

「いまのみせはおもしろかったな。めいどがいるゲーセンなどはじめてだ」

「アレはここらでも異色の店でさァ。ま、うちの野郎どもなんかはよく行くみたいですがね」

「なるほど。……つぎはどこへいく?」

 二、三の店を回り終える頃には、雷華とビネガはすっかりいつも通りに戻っていた。

 ガチャロードは自体はもう往復してしまったので、二人はそこから一本外れた裏の路地を歩き、隠れた名店を探す。

「あー、ここなんかどうでしょう?」

 雷華が指さしたのは、『ポニカ』という名のゲーセンだ。

 表通りにも入り口があったものの、先ほどは見落としていたらしい。

「ここは新しいもんから古いもんまで、ありとあらゆる格ゲーが揃ってる店なんスよ」

「オー、ふるいものもあるのか? 『じゃすがく』とかおいてるか?」

「ありますよ。つーかよくご存じで。聖地祭の種目でもなかったのに……。ま、とりあえず行ってみますか?」

「うむ」

 こうして雷華とビネガは、『ポニカ』の自動ドアをくぐ――らなかった。

 二人して、固まっていた。

 自動ドアのガラス越しに見える、店内の景色。

 その中に――

「い、いた……レッドの野郎!」

 セルⅣをプレイする咲弥と、それを背後から見守るレッドの姿を発見して。

「ビネガ様! いました! レッドの野郎がいましたよ! ほらあそこ!」

 ここ数日、足を棒にして探し回っていた相手なのだ。

(やっと……やっとビネガ様の手助けを果たせた……)

 雷華は笑顔になりながら、隣のビネガへ向き直る。

 だが――

「? ビネガ様?」

 レッドを見つめるビネガの表情は、硬く、暗く――

「……驕り」

「!?」

 ビネガの口から零れたのは、英語だった。

「高ぶっている。これ以上なく。世界を前進する感覚に。座っていても感じられる疾走感に」

「び、ビネガ様? なんておっしゃってるんで――」

 言いながら、雷華は気付く。

 英語で何かを呟いているビネガの視線が、レッドではなく――

 その脇でセルⅣをプレイする、咲弥に向けられていることに。

 そして、もう一つ発見する。

「あー、黒いのが野郎のだから……ってなにィ!? あの早漏が七連勝だとォ!?」

 目の良い雷華は店外にいながらも、画面の隅に表示された勝利カウントを読み取ったのだ。

 しかし――

(あン……?)

 ビネガと並んで咲弥のプレイを見ているうちに、雷華の驚いた顔は消え、不敵な笑みだけが残る。

「なァーんだ。てんで弱ぇじゃねぇか」

「そう、彼は弱い」

「はい?」

 英語を使われると、雷華は手も足も出ない。

 ビネガは咲弥に冷徹な視線を送りながら、その背中に静かな怒気を湛え、言葉を続ける。

「『その感覚』に触れる、触れないは自由。でも、勘違いをしてはいけない。……この世界は決して、おまえのためにあるものではない。おまえの思い通りになることなど、何一つとしてない。世界の壁は高く、厚く……。仮にも聖地祭の元チャンピオンだろう? そんなことも忘れたのか?」

「……」

 雷華には、ビネガの言葉がさっぱりわからない。

 だが、気持ちは伝わってきた。

 ビネガの表情と、普段より低い声のトーン。そして、彼女が眺める咲弥のプレイを見ていたら、なんとなく、言わんとすることが理解できたのだ。

「……あの咲弥って野郎、調子に乗ってますね」

「ああ。まったくもってその通りだ」

「野郎を締めてやるんですかい?」

「そうだ。粛正の必要がある。それも、とびきり上等な」

「アタシはもちろん協力しやすぜ」

「すまない。さて――」

 ビネガはガラス越しに咲弥を睨み付けながら、言った。

「それが自讃であり、錯覚であり、幻影であり、夢想であるという事実を思い知らせてやる。レッドのパートナーにふさわしいのは、この私だ……!」

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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