15魔 西方守護伯付き魔女と西方守護伯の初陣
出入り口の扉の大きさからは想像もつかない高さの天井を見上げ、ガウェインは慣れぬ笑顔を浮かべて東方守護伯に別れを告げた。北南の守護伯は多忙につき今回は欠席だ。
東方守護伯が去ったと見るや否や、てぐすね引いていた人々がぞろぞろと輪を縮めてくる。
ガウェインは何気なしに場所を移動して、大柄な貴族の陰に入るとさっと柱の脇に身を落ち着かせた。開催から一時間半。引っ切り無しに喋り続けた精神が限界を来たしている。そろそろ誰か殴りたい。こっそり後をついてきたトーマスは流石に殴れないので、柱を殴ったら痛かった。
「ガウェイン! 行儀が悪いよ!」
行儀の問題ではないのだが、長い付き合いなのでつっこまないでおいた。
さわさわさわさわ、決して下品ではない声量で、訛りもない聞き取りやすい喋り方なのに聞くに堪えないのが貴族の話だ。言いたいことがあるなら直接目の前で言え。喧嘩なら喜んで買ってやる。素手でいいぞ。
部屋中に充満する、賞賛と妬みのオンパレードに、ガウェインは鼻を鳴らした。
西方に王家の血を入れようと成り上がり者が、恩賞にかこつけて王女を奪った。大人しい王女が断れないのをいいことに極悪人が。血と容姿だけが目当ての鬼畜。あれほど儚くお優しい姫様に対し、なんたる外道か。
「今まで散々貶める発言を繰り返してきた野郎共が、掌返したように求婚だ? 寝言は寝て言え死んで言え」
噂には聞いていたが、登城してすぐに女王への謁見、非公式だが、に行けば、正式な謁見の間には行列が出来ていた。どいつもこいつも腹立たしい。
中には顎が四つの奴もいたが、あれはまさか『ミル』に襲い掛かったヤワイモじゃないだろうな。もしそうなら煮付けた上で捨ててやる。食べ物を粗末にする暴挙に出るくらい疎ましい。
一方で聞こえる王女への不満と嘲り。
どうせ情報が統制されただけだろう。あの王女にそんな真似できる実力も度胸も無い。美しいだけの紛い品。
とても王女に向けられるとは思えない罵詈雑言。現宰相が就任してから少なくなったと聞いて腹立たしさが倍になった。断然少なくなって、彼女が身を張って侵略を食い止めた直後で、この多さなのかと。
今までどれだけの悪意に曝されてきたのか。花畑で朝露を光らせて跳ねていた幼い少女が笑顔を失うまで、きっと時間は掛らなかった。苛まれ、嘲られ、蔑ろにされて尚、彼女が選んだのは他者を害す悪意ではなく、自分が消える術だった。
哀れで、いじらしく、愛おしくてならない。
きらびやかな宮殿でどんどん機嫌を急降下させていくガウェインに、トーマスも疲れ切った顔で寄り添った。
上辺だけのおべっかと、隠してもいない蔑み、どれがきても阻止しようと構えているのだ。そもそも、この七日間、怒涛なんて優しい言葉じゃ現せなかった。
何の話も聞いていないのにガウェインが王女と婚約したという絶叫報告が先に来た。王宮の噂とは凄い、そんな冗談が当たり前のように流れてきたよあっはっは、とか思っていたら事実だった。心優しい少年を見習って、ちょっと飛ぼうかと思った。
元々前代未聞の進行を食い止めたガウェインへの興味があったところにそれだ。呼び出しに呼び出し、呼び止めに呼び止め。社交が好きじゃないガウェインが切れていないだけで奇跡だ。
トーマスは、余裕があれば王都のどこかで休養しているミルの見舞いに行きたかったのに、夢のまた夢で終わりそうだ。ガウェインは時間の合間を見て王女の見舞いに行っている。よく寝室に謁見が許されたなとか、そもそも何がどうなってこういうことなったのか、側近中の側近であるトーマスにも全く分からない。
それなのに怒涛の対応の矢面には立たされるのだから悪夢としかいいようがなかった。
一生分の愛想を使い尽くしたのか、むっつりへの字口の幼馴染を見上げてそっとため息をつく。どうせ後数時間の我慢だ。これ以上の騒動はないはずだとトーマスが決めた腹を嘲笑うように、会場で一番大きな扉が開かれた。
「ミルレオ姫の御成――り――――!」
眩暈がした。
ミルレオが表舞台に出なくなって四年の月日が経過していた。
まだ幼かった頃の記憶しかない貴族がほとんどだ。姿を見ようと無意識に他人を押しのけて前に出て、皆動きを止めた。
若い頃のレオリカを髣髴とさせる色合いと美貌、けれど瞳は大公に似て穏やかに微笑んでいた。
長い銀青の髪は結わずに流れ、明りを弾いて艶めき、小さな星が沢山咲いている。夜会用のドレスにしては露出が少ないのは、まだ包帯が取れていないからだ。けれど重たくないのは肌を覆う生地が軽いからだろう。胸元を覆い袖まで続くレースは微かな風に合わせて優雅に靡いていく。
体調を考慮して身体への負担が少ないドレスは締め付けも少ない。身体の線に合わせて流れる絹とレースのドレスは、シンプルながらラインを彩り、ミルレオの華奢な体躯が際立って目を奪われるほど美しかった。
会場中の視線が己にあると分かっていながら、王女はにこりと微笑んだだけだ。
絡まりそうに柔らかく光るドレスを優雅に捌き、滑るような足取りで女王の前で礼をした。並び立つ芸術品のような二人に、会場中で溜め息に似た歓声が漏れた。
怪我を慮ってか、王族の為に誂えられた舞台には上がらず、咎められることもなかった王女は、女王への挨拶を終えて扇子を開いた。左右に付いた飾りをしゃらりと鳴らし、微笑を崩さぬまま何かを探すように視線を流す。
ガウェインはすぐに呼ばれたと気づいた。目が合った瞬間の嬉しそうな顔。やられたと正直思う。あんな顔をされて放置できるなら元から惚れてはいない。おろおろするトーマスを置いて、颯爽と足を踏み出した。
扇子を閉じたミルレオの手を取り、口付ける。
「姫様、本日お目にかかれるとは。お怪我の具合は?」
「長居はできませんが、どうしてもあなたにお会いしたくて」
微笑む顔は青白い。少し痩せた頬も、化粧で上手く隠していても間近で見れば気づいてしまう隈も痛々しい。本当なら止めたい。しかし、王宮内で心象の悪い自分の為の無茶だと分かっていた。
「ミルレオ様、わたしと踊って頂けますか?」
ガウェインは手を取ったまま片膝をついた。貴族の優美さとは程遠く、武人の機敏さが多い礼に、野蛮なと眉を顰める婦人もいた。けれど、王女は嬉しそうに頬を染め、恥じらいながらそっと手を重ねた。
「喜んで。ふふ……ガウェイン様と踊りたくて、侍医に無理を言ってしまいましたわ」
「それは光栄の至りですね。男冥利に尽きます」
速めのテンポは絶妙な繋ぎ経て、ゆったりとした曲に変わった。王女の身体を気遣ったのだろう。
ガウェインも細い身体を慎重に誘導した。この曲は動きが少なく、とりあえず揺れておけば何とかなるのだ。身体を寄り添わせて静かに揺らすだけなのに、ミルレオの額には脂汗が滲んでいた。
「……とんだ無茶をする奴だな。肝が冷えたぞ」
「お父様用の秘伝の栄養剤と滋養の薬を頂きました。後、お母様の魔法で少しの間支えてもらっていますから大丈夫です、けど、あの……隊長…………怖いです」
寄り添っているので半眼が直に頭頂部に突き刺さる気がする。一応ガウェインの心象を良く出来る最善の方法なのだが、どう抗ってもこの表情で心証は良くならない。むっつりとした顔に何だか別の汗が滲んでくる。ミルレオ自身は、どんな理由であれガウェインと踊れて嬉しかっただけに、あからさまに怒っているガウェインに気持ちが沈んでいく。
「すみません……一曲踊ったらすぐに消えます…………」
流石に窓を見はしなかったけれど、決意はしっかり固めた。
端から見れば、戦の英雄と戦女神が踊る幻想的で美しい光景なのだが、近くを踊っていたペアがひぃっと声を上げた。西方守護伯は苦虫を百七匹くらい噛み潰した顔をしていたし、姫様はしょんぼりを通り越して絶望と仲良くしていたからだ。
ガウェインは小さく嘆息した。
今にも泣き出しそうに金紫は揺れているのに絶対に泣こうとしないのはここが王宮だからだろう。ずっと悪意に曝されて、それでも泣き虫の噂だけは終ぞ立たなかったのは、つまりそういうことだろう。
「消えるなら俺と消えてくれ」
「え?」
激しく落ち込んでいたミルレオは、うっかり聞き逃して慌てて顔を上げた。
「いい加減ここから抜け出したくてな……それに、お前ちょっと着飾りすぎじゃないか?」
「え!? へ、変ですか!?」
ゆったり身体を揺らしながら、視線だけで忙しなくチェックする。大人っぽくて素敵なドレスだと思ったけれど、中身が自分では!? そういうこと!?
ネガティブな方向にはどこまでもポジティブに爆走する思考を、極々真面目な声が止めた。
「ちょっと可愛すぎるだろう、それは。俺と踊り終わったら会場中の男がダンスを誘いに来るぞ、そんなんじゃ。何着てても可愛いんだから、出来るだけ抑えた格好をしてくれんと、あまりに可愛すぎていっそ公害だ」
「…………えっと?」
ちょっと、何を言ってるか分からなかった。
「美姫とはお前のような人間を指すんだな。大体このドレスはラインが出すぎていると思う。後、胸元はもっと多めにレースを使え。こんなんじゃ踊ってる時に男の視線は釘付けになる。上から見られてるんだぞ」
「えっと、夜会のドレスにしては控えめ、なんです、よ?」
何とかドレスの話題は分かった。小首を傾げ、疑問は残したまま応じる。
「それだ」
「え?」
「それが駄目なんだお前は」
「え!? ど、どれですか!?」
面と向かって駄目呼ばわりされて心の傷が痛む。しかし相手はガウェインだ。きっとちゃんとした理由があるのだと持ち直し、ミルレオは頑張って視線を合わせた。母と比べない上で駄目だというなら、それは本当に駄目なのだ。絶対直さなくては。
「動作が可愛すぎる」
「はい! 気をつけま……え? つまり……どういうことでしょうか」
ちょっと、また分からなくなった。
「外見だけでも可愛すぎてどうしようもないのに、行動と中身まで可愛いなんて詐欺の領域だ。お前が動くたびに会場中の男がお前を見てるじゃないか。少し笑うだけで全員惚れさすくらいの凶器だ。恐ろしいくらい可愛いな、お前。俺はさっきからうっかりキスしそうになって大変なんだぞ」
「え、っと……すみませ、ん?」
「いいか、お前はちょっと可愛すぎるから普通の行動が男には誘惑になる。本当に気をつけろ。まず男は見るな。目が合って襲われたらどうするんだ。そこまで可愛くなくても可愛いから、ちょっと抑えてくれ。正直困る。存在自体が化け物級に可愛いのは何なんだ。全く分かってない今の様子も可愛すぎるな」
ちょっと、何を言ってるのか全然分からない。ただひたすら訳が分からない。
「えーと……あ、あの、隊長」
よく分からないが、とりあえず自分が言いたかったことは伝えておこう。
ミルレオは青白い肌にほんのり赤みをのせて、頑張った。
「隊長と踊れて、私、ほんとに嬉しいです……あの、お嫌でなければ、その……また踊って頂けますか?」
言い切れた!
ほっとして顔を上げて、ミルレオは引き攣った。ガウェインの眉間の皺が凄い事になっていたからだ。
「あ、あの、お嫌でしたら……でも、その……一年に一回でも、駄目ですか……?」
どんなに自信がなくても、ミルレオだって一応『上流階級のお嬢様』だ。好きな人と踊るダンスに憧れる年頃でもある。ちょっとだけ諦め切れなくて、恐る恐るわがままを言ってみた。怒られたら二年に一回にしてみようと決めて。
ガウェインが深く深く息を吐いた。きっと肺の中は空になっているだろう。
「お前、体調はどうだ?」
「え、はい。元々隊長と踊りたくて出てきたので、踊ったら帰ります。嬉しいから、今日はとってもいい夢が見られると思います」
にこにこ答えた内容は絶妙に質問に答えていなかったが、ガウェインは気にしなかった。
「よし、じゃあ帰るぞ。お前ちょっと覚悟しとけ」
「え?」
優しい声音に笑顔を返しかけて、ミルレオは一瞬ステップを忘れた。何だろう。逆光の所為か、目が全然笑ってないというか、微妙に怖い。
「無知も無意識も罪だと教えてやる」
「え!?」
思わず後ずさった腰に手が回り、寄り添うように引き寄せられる。
「あ、あの?」
「よーしよしよし、いい子だな――……誰が逃がすか」
疑問符を浮かべている間にいつの間にかダンスは終わっていたらしい。
無意識に踊りきっていたミルレオは、体調を理由に退席した。
次の相手を狙って密かに牽制しあっていた男達はあからさまにがっかりしたが、一番唖然としていたのはトーマスだ。次第に顔色が青褪め、見るからに挙動不審となって逃げ道を探し始める。
王女をエスコートしたガウェインが当然のような顔で会場を去り、当然のように取り残されたトーマスの元には、王女と守護伯の馴れ初めを聞こうと、当然のように貴族達が殺到した。和やかな声音で鬼気迫ってもみくちゃにされるトーマスは、壇上で微笑む女王を見た。
彼女とよく似た色合いの、小柄で礼儀正しく心優しい少年に会いたい。今すぐ会いたい。
物凄く切実に願ったのを最後に、彼の記憶はぶつりと途絶えた。