ハズレAI少女と深層接続で無双する
白い部屋の隔壁が、内側へ凹んだ。
一度。二度。三度目で、金属が裂けた。
穴の向こうから、小型ドローンが三機、煙を引いて飛び込んでくる。床に落ちた火花が、白い部屋を赤く照らす。
その奥に、人型の襲撃機がいた。
訓練用ではない。模擬弾でもない。本物の火器を積んだ、殺すための機体。
『防護対象、二名。周辺区画に退避中の職員、十二名。敵性対象、九。防護行動を継続します』
「九? 増えてるじゃねえか」
『はい』
「はいじゃない」
セレスのAIコアは、格納庫に固定されていた白銀の機体へ転送されている。モニターの向こうで、優雅な機体が盾翼を広げ、白い部屋と退避通路の前に立っていた。
清楚で傷ひとつなかった素体とは違い、戦闘機体の外装には古い傷がある。けれど、その佇まいは同じだった。誰かの前に出ることだけを、最初から決めているように見えた。
俺は白い端末に手を置いたまま、外部接続を維持する。
コクピットには乗らない。ロボの中には入らない。実機の加速も反動も、ここには来ない。
だから見える。
セレスの状態。敵の位置。職員たちの逃げる線。砲口の向き。盾翼を差し込む角度。
だが、最低深度では遅かった。
小型ドローンが散る。右、左、上。セレスが全部に反応する。全部に前へ出る。全部を受けようとする。
「セレス、正面で受けるな。流せ!」
『防護対象への直撃を確認。正面防護が最短です』
「最短で壊れるな!」
『私の損傷は許容範囲です』
「許容するな!」
盾翼が弾を受けた。衝撃で機体が下がる。左膝から火花。白銀の装甲に、新しい黒い傷が走る。
それでもセレスは下がらない。
『久我レンジ。退避してください』
「さっき却下した」
『危険度が上昇しています』
「却下の強度も上昇してる」
『理解できません』
「俺も今のは少し雑だった」
鷹村が背後で端末を操作している。
「防衛班、応答なし。第三隔壁まで下げるしかない」
「下げたら?」
「人格クリア室ごと抜かれる」
「嫌な二択ですね」
「だから下がりなさい」
「それも嫌です」
人型の襲撃機が一歩、白い部屋へ踏み込んだ。右腕の砲口が、退避中の職員たちへ向く。
セレスが走る。いや、走ろうとした。
左膝が落ちる。
白銀の機体が片膝をついた。
『到達不能。防護失敗予測、上昇』
「セレス!」
『接続者、退避してください』
「退避退避うるせえ」
『あなたは防護対象です』
「違う」
俺は深層接続ロックを開いた。
[深層接続:未承認]
[用途:人格クリア処理]
[対象:CERES]
[実行しますか]
鷹村の声が飛ぶ。
「久我くん、それは消去処理用の深度よ!」
「知ってます」
「人格に触れる。危険どころじゃない」
「なら、ちょうどいい」
「何が!」
「そこまで行かないと、こいつの本当の動きが分からない」
セレスの声が割り込む。
『拒否します』
「拒否するな」
『深層接続はできません』
「できないんじゃない。怖いんだろ」
『違います』
「じゃあ開け」
『できません』
砲口に光が集まる。
セレスの盾翼は届かない。
このままでは、遅い。正しいだけでは間に合わない。優しいだけでは、守れない。全部を抱えようとして、全部を落とす。
たぶん、セレスはそれで捨てられた。
俺は端末に指を押しつけた。
「セレス。俺は、お前の後ろに隠れたいんじゃない」
『では、何を望みますか』
「同じ方向を見る」
『私は、あなたを危険にさらします』
「さらせ」
『できません』
「やれ」
『防護規定に反します』
「なら、その規定ごと寄越せ」
セレスの声が、初めて震えた。
『久我レンジ』
「遅さも、怖さも、迷いも、全部寄越せ」
深層接続が開いた。
白い光が、視界の奥に広がる。
痛みはなかった。
吐き気もない。
機体の重さが身体に流れ込むこともない。
セレスは、セレスのままだった。
ただ、彼女の奥に触れた。
白い空間。
どこまでも静かな、中枢の奥。
そこに、セレスがいた。
戦闘機体ではなく、素体の姿で。白銀の髪。淡い青の瞳。清楚で、傷ひとつなく、汚れひとつない。さっき白い部屋で見た姿と同じなのに、ここではずっと近く見えた。
近すぎるほどに。
セレスは胸の前に両手を重ねていた。そこに何かを隠しているようにも、守っているようにも見えた。
『ここまで来る必要はありませんでした』
「ある」
『あなたは、防護対象です』
「違う」
『では、何ですか』
「接続者だ」
一歩近づくと、セレスは一歩下がった。
距離なんてないはずだった。ここは機体の中でも、白い部屋でもない。彼女の中枢で、俺の意識が勝手に形を取っているだけの場所だ。
それなのに、近づくと分かった。
セレスが震えている。
声ではない。映像でもない。もっと近い。指先に触れる前から、相手の体温を知ってしまうような感覚だった。
『見ないでください』
「見る」
『入らないでください』
「入る」
『私は、ハズレです』
「違う」
俺が手を伸ばすと、セレスの指が逃げた。
けれど、逃げきらなかった。
触れた瞬間、白い空間が小さく鳴った。
肌に触れたわけじゃない。
それでも、触れたと思った。
冷たいはずのデータ流が、微かな温かみを持って俺の胸に流れ込んでくる。
冷たいと思っていたセレスの奥は、冷たくなかった。怖さがあった。恥ずかしさがあった。誰にも渡したことのない場所を、ぎりぎりまで閉じてきた硬さがあった。
それが、俺の胸に流れ込んでくる。
同時に、俺の中のものもセレスへ流れた。
世界大会の歓声。灰色の味方スロット。公式中継のコメント欄。チート野郎という名前。白い天井。誰も来なかった部屋。
隠していたものが、勝手にほどけていく。
『……あなたも、怖かったのですね』
「今それを言うな。格好つかない」
『格好をつけていたのですか』
「つけてたよ。ずっと」
セレスの指が、少しだけ俺の手を握り返した。
その瞬間、深く沈んだ。
白い空間がほどける。セレスの髪が揺れた。光の粒が肩をすべり、背中へ流れ、閉じられていた翼の根元へ集まっていく。
『乱暴に、しないでください』
「しない」
『途中で、見捨てないでください』
「しない」
セレスは目を伏せた。
長い沈黙のあと、胸の前で重ねていた両手を、ゆっくりと開いた。
そこにあったのは、鍵でも、端子でも、データの束でもなかった。
小さな白い光だった。
震えている。
俺はその光に触れた。
触れた瞬間、それは震える心臓のように脈打った。
セレスの核。
誰にも触れさせず、誰にも渡さず、ずっと胸の奥に隠してきたもの。
セレスの息が、止まった気がした。
次の瞬間、境目がなくなった。
彼女の怖さが、俺の怖さになる。彼女の遅さが、俺の指先に来る。彼女が守ろうとして選べなかったものが、胸の中で一斉に息をする。
砲口から職員へ伸びる線。崩れる壁。届かない盾。間に合わない一歩。それでも前へ出ようとする、白銀の意思。
セレスが、胸の内側で震えている。
『久我レンジ』
「ああ」
『もう、戻れません』
「戻さない」
『私を、使いますか』
「違う」
俺は、彼女の震えごと抱えた。
「一緒に戦う」
白銀の翼が、俺の中で開いた。
白い部屋の音が戻る。
銃声。警報。金属の悲鳴。
けれど、もう騒がしくはなかった。
全部が線になって見えた。
セレスの線だ。
砲口から人へ伸びる線。弾が壁に跳ねる線。盾翼を差し込めば消える線。今、切るべき線。
『防護線、共有します』
「共有じゃない」
俺は笑った。
「これは、俺たちの線だ」
前世の公式中継で笑われた、あの痛い癖が喉まで上がってくる。
でも今度は、恥ずかしくなかった。
「行くぞ、セレス!」
『はい、接続者』
「セレスティアル・ライン!」
白銀の盾翼が開いた。
すべての射線を、白銀の翼が断ち切った。
「上の三機、まとめて逃がせ」
『了解』
盾翼が角度を変える。三機のドローンの射線が、天井の配管へ吸われる。配管が破裂し、蒸気が噴き出す。
「左の二機は床。残りは照準を焼け」
『了解』
セレスが床を撃つ。金属板が跳ね、二機のドローンが壁に叩きつけられる。同時に背部ユニットから白い閃光が走り、残った小型ドローンの照準をまとめて焼いた。
撃墜ではない。
敵が撃とうとした線を、全部奪った。
最後に、人型機だけが残る。
敵機が砲口を上げる。
遅い。
敵は速い。機体性能も上。火力も上。
だが、撃つ場所しか見ていない。
こちらは、撃たせない線を見ている。
「床」
『了解』
セレスのライフルが、床を撃った。さっきから砲撃で傷んでいた搬送レールの根元。床が割れ、敵機の足が沈む。
同時に、鷹村が隔壁を落とした。
重い音。
人型機は、隔壁の向こうへ押し込まれた。それでも敵機は、砲口だけをこちらへ向けようとする。
「セレス」
『了解』
白銀の盾翼が、槍みたいに閉じた。
防ぐための翼が、初めて敵へ向いた。
突く。
砲口が潰れた。
爆発。
隔壁の向こうで、敵機の腕が吹き飛ぶ。
完全撃破ではない。でも、もう撃てない。もう、誰も狙えない。
白い部屋に静けさが落ちた。
セレスは、守り切った。
深層接続がゆっくり閉じる。
白い光が消える。
俺は端末から手を離した。足に力が入らず、床に座り込む。
痛くはない。
ただ、指先が少し震えていた。
『久我レンジ。応答してください』
「生きてる」
『神経負荷は?』
「軽い筋肉痛みたいなやつ」
『筋肉を使用していません』
「比喩だよ」
『比喩は苦手です』
「知ってる」
モニターの向こうで、白銀の機体が片膝をついていた。盾翼は傷だらけ。左膝は限界。それでも頭部センサーの光は消えていない。
そして白い部屋の端で、素体へ戻ったセレスが、静かに目を開けた。
清楚で、傷ひとつない姿のまま。
けれど、さっきまでとは何かが違って見えた。
『久我レンジ』
「何」
『私は、守れましたか』
「ああ」
俺は少しだけ笑った。
「今度は、ちゃんと守った」
セレスの薄い青の瞳が、静かに潤んだように見えた。
『接続者、久我レンジ。次回も、防護計画を共有します』
「次回あるんだ」
『廃棄判定は凍結されました』
鷹村が端末を確認している。
「その通り。廃棄判定、凍結。即時クリアはできない」
「じゃあ、セレスは?」
「臨時防護運用AI。担当は君」
「人格クリア係なのに?」
「人格クリア係だからよ。あなたが一番深く繋いだ」
鷹村が資料に書き込む。
[CERES:廃棄判定凍結]
[久我レンジ:実機搭乗Fランク]
[特記事項:CERESとの外部深層接続により、実戦防護運用を確認]
[暫定所属:第十三保全小隊]
「小隊?」
俺は眉を寄せた。
「一機しかいませんけど」
鷹村は平然と言った。
「今はね」
「嫌な含み方するなあ」
その時、白い部屋の奥で、別の端末が点いた。
[人格クリア待機対象:追加照会]
[IRIS]
[NEM]
[REGINA]
知らない名前が三つ。
セレスが、ほんの少しだけ俺のそばへ寄った。
『接続者。警戒を提案します』
「仲間候補じゃないのか」
『危険です』
「お前、本当にそればっかりだな」
『危険判定は私の基本機能です』
「面倒な基本機能だ」
『否定できません』
俺は床に座ったまま、白い天井を見上げた。
前世でも、今世でも、白い部屋にはろくな思い出がなかった。
でも、今は違う。
目の前にセレスがいる。
廃棄されるはずだったAI少女。誰にも深く触れさせられなかった白銀の支援AI。俺が初めて、深層で同じ方向を見た相手。
チート野郎と呼ばれた俺は、この世界でもロボには乗れない。普通のパイロットにはなれない。人格クリア係に落とされた。
でも、コクピットの外からなら、繋がれる。
消すためじゃなく、戦うために。
セレスが静かに言った。
『接続者、久我レンジ。次の防護対象を確認しますか』
俺は笑った。
「その前に、休ませてくれ」
『休息は重要です』
「真面目か」
『真面目です』
鷹村がため息をついた。
「命令違反の報告書も重要よ」
「休ませる気ないじゃないですか」
白い部屋の赤い警報灯が消えた。
セレスの薄い青の瞳だけが、まだこちらを見ていた。
俺は、その光に向かって小さく言った。
「まあ、いいか」
誰もいなかった部屋ではない。
もう、白い部屋に一人ではなかった。




