第四十二月:刺激欲しさに
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歯輪の次元を離れて、もうどれくらい歩いたんだろう。
陽はすっかり真上まで昇り、綺麗に整地されていた街道は地の果てへと失せた。現在、僕らが歩いているのは湿地帯と広範囲に及ぶ瀑布に挟まれた緑土──又を道なき道。
時折、展望台のような建造物が見えるものの人影は無い。だから、本当に宮地に向かっているのか不安になりながらも、苔蒸した岩肌を踏み進んでいる。そんな感じ。
「滝の音エグいな。ここも観光名所っぽくね?」
「な。……と言うか、まだ歩くのか。まさか、ここ横断する気なんじゃ……」
恐らくハウにしか聞こえないような小さな呟きに、前を歩くノノギがこちらを向いた。
「それは時間がある時にしよう。お仕事中の今は、秘都クレイトまで案内してくれる人と合流する方を優先っ」
「案内?」
「──ぉっと! 秘都って言うだけあって、簡単には入れないのさ。けれど、仕事とか特別な用事があるのなら別で、事前に連絡を入れとけば、あちら様から迎え入れてくれるってわけ」
小さな水溜りを軽快に飛び越え、ノノギは「ところでさ」と、問い掛けてきた。
「今更で悪いんだけど、ふたりの探索レベルってどうなってるんだい?」
「どうって……」
勿論、清楚極まる初期状態の素晴らしき1である筈。
でも樹都フォールからここまでの移動で、何かの拍子に上がっていたりしてないか。そう考えて、少しばかり胸が躍る気持ちで踏地パネルを展開し、早速確認してみようとするが、
「探索レベルは行きっぱだと上がらないよ。ちゃんと拠点に帰らなきゃいけないんだ」
人の淡い期待を見透かして蹴散らすじゃん。
ノノギが言うように、踏地パネルに表示された僕の探索レベルは初々しく輝かしい生まれたての小鹿の様な1のままであった。
それを見せると、彼女は少し苦い顔をした。
「そっかぁ。残念な話だけど、秘都の連中は探索レベル至上主義な所があるからさ……嫌な扱いされるんじゃないかな」
「マジですか……。それはまた……」
鼻白む事ではあるけど、その手の話ならばテンプレでございにもなり得るのではないか。
筋肉隆々な猛者達が集う酒屋に入って来た一見ヒョロい奴が絡まれ笑い者にされるが、そいつが桁外れの実力を見せつけて全員を黙らせる展開だ。
──……しかし、僕らに出来るかソレ。
獣衣装こそ出来はするが、実力の程はお察し。ノノギとのかけっこに負けるし、シャンドさんにもアヴィさんにも敵わないし、ククさんにはビビりまくる始末だぞ。
仮に上記の流れになったとて、フラグの無い切ない結末になるのがオチになるのは明白だろう。ノノギはそれを危惧してくれているのか、「どうしようかな……」と考え込んでしまって……。
「悩むくらいなら、俺らをここら辺で待たせた方がよくね?」
「あ、おい」
考える意味が分からんとでも言わんばかりに、ハウがスパッと解決案を出して来た。
「ハウは行きたくないわけ? さっきのお偉いさん連中もさることながら、秘都クレイトは不思議いっぱいな印象を受けたじゃん?」
「あんなんに興味あんのはキキらしくていいけど、胸糞展開は遠慮するわ。大自然を観光する方が平和に過ごせると思うんだけどー」
まぁ、確かに。
けれど。
そうかもしれないんだけれど。
「探索レベルを明かさないって出来ないの? 開示しなきゃいけないとかある?」
「まぁ、公的な取り決めではないな。言わなけりゃ知られないし、元より誰とも関わらなければ隠し通せるかもね」
それならステルスチートが光るじゃないか!
持ち前の特技を活かせば万事解決っ。こんな最善策があるんだから、消極的になる必要なんか無いと思わんかねっ。
あたしもそれなりの立ち回りをしようと考えてるんだけどぉ……などと眉を挟めて呟くノノギに反し、僕の声が弾んだ。
「なら──!」
「なら何? 探索レベルが低い上に獣衣装をした状態でさえ、あたしにも負ける実力なんだよ? 強制や粘着されたり、上手くいかなかった場合はどうする? ハウ氏の言う胸糞展開が待ってるかも」
「あぅ」
そしてごもっともなコトを言われて萎む心。
確かに失敗する可能性はあるっちゃあるんだから困ったものだ。
記憶に新しいのは、ラゥミア戦での失敗例。自分では完璧に空気に溶け込んだと思っていたのに、何故か力が発揮し切れずに見つかった。
史学演劇同好会ベチャードの皆さんを相手にした時こそ上手く出来たが、正直……絶対的ではないのかもと思う僕もいる。これではノノギを納得させるなど遠い遠い。
そもそも、獣衣装をすればハウの存在感が強すぎて効果を成さないってのもネックだ。(薩摩さん達みたいな例外はあったけども)
それらの事があり、最善策があると謳うほどではないと……もう反論も叶わず、僕は口を一文字に結ぶだけに留まってしまった。そうしてこちらが噤んだのを見て、ノノギは顔を晴れやかにして頷く。
「うん。じゃあ、秘都にはあたしだけで行ってくる。ぱっぱと仕事終わらせちゃうから、ふたりは観光を楽しんでてね」
タンタンと手を打ち、問題の解消に安堵したらしい彼女が足早に去ろうとしていた。
(……ぁ)
異論は無い。その方が良い。
よって僕はそれを見届け、姿が見えなくなった時にハウに「さあ、何処から見て回ろうか」と問い掛けて──……そんな流れになるのは仕方ない話だと思って諦めようとしていた。
ところがその時──……、
樹都フォールを出た瞬間に感じたのと同じ感覚が……また誰かに──トン──と、背中を押されたような気がして、
「──待って」
「ん?」
ノノギは何を問われても構わなそうな顔で振り返る。
「僕も、……行かなくちゃ」
「は?」
「えと……行かなくちゃダメな……気がして」
「……ほう。どうして?」
どうしてって……どうして?
「ほら、どうして行きたいのでしょうか?」
瞼を伏せ、言葉だけを待って見せるノノギの姿。
視線による言いづらさを緩和されたせいか、まるで独り言を溢す様に、僕の口がトロトロに吐露っていく。
「……インプットしたいんだと思う。僕が築けるモノ……築きたいモノが出来た時の為に、色んな宮地を見て……色んな人が築いた物を見て、上手にアウトプットさせれる様に学んでおきたい……のかな」
……何この言動。
無駄な自分語りは、相手に弱みを曝す愚行だとばっちゃも言っているだろう。そんな事は分かり切っている筈なのに、
「今、凄く刺激を欲してる感じがする。動きたい動きたい動きたいって、脚とか腹の深い所が疼いて仕方なくて」
口が止まらない。おおよそ、自分の言葉選びとは思えない心情の露呈。知られなくていい燻っていたままの心の内を話しているのは、なんで……?
どうして晒して……。
譟贋ケ
─ ─ ──
── ───── 晒されてしまって ─ ───────
──── ─ -
邇イ螂
(──って……!)
なんでじゃない……だとしたら……やはり……かもしれない。
まだ脳裏にこびり付いている出来事と、今のノノギが重なって──僕は言葉を詰まらせた。
こちらの心情など梅雨知らず、藍の瞳を向けてきたノノギは徐に片手斧を抱えて見せる。して、言吹いたのは。
「──そこまで言うのなら、あたしが賊役をしてあげる」
その矢先、彼女の周りの空気が唸った。
そう感じた時には既に、
「──動かないじゃん。そんなんじゃ、秘都に行っても賊に斬り付けられる事になりますけど?」
「……ぃゃ、まず、頭の整理が……ッ」
一度の瞬き程度の、ほんの一瞬の内に身を翻したノノギは、なんと片手斧の刃を僕の胸に押し当てていた。
「頭で整理してる暇があるなら、キョドってないで距離を空けなよ」
言いつつ、つま先で脚をコンコン突いてくる。そのお陰かそのせいか、今繋がりそうになっていた事柄が吹き飛び、僕はすぐに後ずさろうとするが、
「判断が遅いっ」
胸ぐらを掴まれ、グイっと引き寄せられた。
「キキ君の制作サイド魂は尊いです。なのですがね、それなら尚の事? 貴方の安全を護りたい守ってみせたい系のあたしとしては? 秘都クレイトに行かせるわけにはいかないでしょ? ……まあ、それが嫌なら──」
「あー、力を示せってヤツ? いいね、やろっか?」
「ちょいハウさん、察しが良くてもノリが外れてる」
まさか昨晩かけっこで負けたから、ここでリベンジ戦と洒落込むか的な? 冗談じゃない。この人シャンドさんを倒した戦闘狂ですぞ。勝てるわけないでしょ。だったら変な暴力沙汰が始まる前に嘘ぴょんカードを切ってしまうのが、真の最善策だってなもんか?!
「待って二人ともッ! 考え直すから──!!」
僕は慌ててノノギの肩を掴むと、思い切り引き離そうとした。
だが、その際に僕らとそう遠くない場所から叫び声が上がって──?
「ぁあーーーー! 待って動かないでください! その構図のラフを描き切るまでそのままで、どうかご協力をお願いしますですハイ!!」
「……へ?」
「……ぁぁ」
僕らが驚き振り向いた先にいたのは、木陰でしゃがみ込む女性。その人はスケッチブックらしいノートを抱え、ドガガガガガッッとの効果音がつけられそうな勢いでペンを走らせていた。
「……誰?」
「あたしがさっき言った、秘都への案内人」
案内人……この人が。
見た感じ、アトリエに引き篭もって恋愛魔術めいた事をやってそうな風貌? 細かく言えば、チョコレート系の明暗三色でコーディネートされた服装は女の子らしさで溢れているが、その上に着けたクソきたな……色彩豊かなエプロンが台無しにしている。
「──よい。とても良い。もういいですよー、ありがとうございました♪」
彼女が手早くノートを折り畳む──と。
「それはそうとノノギさん!」
彼女は急に詰め寄って来、ノノギの顔にペン先を突き指した。
「当方、予定時刻から十一時間待ったのですけれどッ?」
「ゃ、ややん……朝に連絡入れたでしょう……」
「一度決めた約束は守ってくださると嬉しいです! これだけは面と向かって言いたかったのでえー」
「律儀だなぁ」と、圧倒され気味のノノギが呟く。それをあしらう様に、エプロンの女の子は僕らへと目線を移した。
「それで? このモフ君が朝に言っていたゲスト様?」
「え、あ? ぁ、そうそう。紹介させて」
──秘都クレイト所属、似顔絵師『揶々ん』。
ノノギが僕らを彼女に、彼女を僕らに紹介した後で、この揶々んと言う人は、唐突に目を丸くした。
「──っ……、びっくりした……! 当方てっきりゲスト様ってモフ君だけの事だと……。や、正直言いまして、トーテムポールだと思ってスルーしていました……」
とーてむ……。
「揶々ん……あなた、いつから目が節穴に……」
「ちがっ……! わないですねッ! ごめんなさい! さっきのラフも貴方様を描き足しておきますので! ご容赦くださいませ!!」
慌てふためく揶々んさんの手から落ちたノートが開いた。露わになった先程の絵には、本当にノノギとハウしか描かれていなかった。
僕としては別に傷つく案件ではないから別にいいのだけど……むしろ、なんか嬉しくも感じるですねハイ。
「……なにニヤついてるん、空気男爵が」
「キキ君……」
蔑むな憐むな、二人してドン引くな。
「いや、違うんよ。ちょっと不安だった事が杞憂に過ぎないのかもって思って。ぁ、あんまり違わないかコレ。ごめん」
今まで脳死ポジティブシンキングしてくれてた面々が、反して開眼ネガティブキャンペーンしてくるのは流石に予想外でして。
ともあれ、僕はわざとらしく一度咳払いをしてみせた後、揶々んさんに「早速、秘都クレイトへの案内を──」と持ち掛けた。
「あの、だからキキ君あのね」
「ん? ノノギさん、当方構いませんよ?」
案内人の思わぬ対応に、ノノギはおろか、どさくさに紛れて言ってみた僕も顔が固まった。
「や、駄目だよっ。この人達は探索レベルが低くて、秘都クレイトの雰囲気には馴染めそうにないって──」
「でしたら、ここいらで探索レベルを上げていけば宜しいのでは?」
……すげぇ、ごもっともな意見。
かと言って、ノノギの心は萎えなさそうだ。
「そんな事してたら、あたしの仕事が終わるのがいつになるか分からないじゃない!」
「どの道、少なくとも十一時間も長引いているのだから、更に時間が延びても大して変わらなくないですか?」
「──ッ、そんな……どうせ遅刻なんだし小腹空いたからクレープ買いにいこうみたいな寄り道理論で済む話じゃないんだってば……!」
「まぁ、秘都クレイトですし心配する気持ちは分かりますが、探索レベルなら一つ上げるだけでも大丈夫だと思いますよ? 『ちょっとレベル上げたからって、調子こいてここまで来るとかやるやんけ兄ちゃん』って感じで歓迎して下さるのでは?」
「あたし、あそこでそんなフランクな人見た事無い!」
……全然折れないな。
絶対に秘都クレイトに入れたくないノノギと、それに対して疑問しか湧いていない揶々んさん。
平行線を保った掛け合いのせいで、時間がチックタックと流れていく。けど、そうして僕らをほったらかしにしてくれているおかげか、また僕の思考にあの事が戻って来た。
ノノギの横顔に重なるアノ顔。
僕としては、探索レベルがどうとかよりも……とにかく、ノノギについてハウと意見の交換をしたかった。
出来るだけ早く。
彼女の居ない場所で。
僕らの進路を、もう一度改める為に──。
……と言うか、空気男爵ってなんやねん。
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