2 須賀
大臣たちは顔を見合わせた。
「ぴんとくる結論が無いわい。こりゃあ降参かのう」
「いや、他に手がかりはないのか? 須賀よ」
「そうですね…神鳴りの雨が降ったくらいでしょうか」
「そんなことじゃあいかん、他にないんか。娘はどんなやつだった」
「よくいる町娘ですよ。私の顔が好きで仕方ないんでしょう、というような」
「お前はたいした者だよな、本当に」
「思い上がっているのではなく、残念ながら事実なのですよ。こちらもこの顔で良い思いをしているので、お互い様ですね」
「ふむう、良家の子女か」
「そうですね、私に自ら話かけて食事に誘えるくらいの家の娘ではあります」
「ふうむ。では華族とはいかないまでも、資産家か」
胸くその悪い会話を聞きながら、幾葉は思っていた。
そのお嬢さんもたいがい、悪い男を気に入ったものである。
この須賀とかいう顔だけ綺麗な殿上人は、女人や娘と遊ぶくせに、まともに相手をする気がまるでない。
見目は良いかもしれないが、こんな男に愛だの恋だの囁いてもむなしいだけだ。
毒か薬か分からぬが、一服盛って自分の物にしようとは、まるで考えが浅いといえる。
「それで、娘はどうなったのだ」
「いやあ……こちらも散々苦しかったのでね。もう会うことはありませんよ」
ほら、この通りだ。
自分に都合よく遊べる女を見繕っているだけだ。
普通の市井の人間としては、なるべくならばこのような種類の男と関わり合いになりたくはない。
話を聞いても聞かぬふりで、仕事だけして帰るのだ。
「うーん、分からんなあ。お前たちはどうだい」
水を向けられた天神たちが顔を見合わせる。
「娘さんが一服盛ったなんて……すいぶん過激やわ」
「そうやねえ。命がけやわ」
「だけど、今年の夏はよく雨が降りもうした。水に濡れた殿方って素敵やから、娘さんもつい魔がさしたんやろか」
「おや、それでは今度から、宴席には水を浴びてから参るとしよう」
きゃあっと天神たちが派手に笑った。
幾葉は地方の姐さんをじっと見た。
正直とてももどかしい。
今日の相棒は、千代鶴という中堅の姐さんだ。
幾つもこのような座敷に参じ、洛での場数を踏んでいる頼れる姐さんといえる。
幾葉とは対照的に無口な千代鶴は、無言で首を振って、幾葉に釘をさした。
(分かってるな。葉ちゃん。うちらは絶対喋ったらあかんで)
分かっている。
そう、絶対に喋ってはいけない。
犯人はもちろんその娘で、衝動的ではない、ずいぶんと計画的な犯行であることも――。
天神たちも降参していた。
「あかんなあ、もう迷宮入りや」
「うちもお手上げどす。旦那さんらにお任せします」
「むむむ……分かった、犯人はその娘ではなく、厨房の板前ではないか。貴殿は男にも言い寄られるではないか!」
「よして下さい。検討はずれにも甚だしいですよ。そんな無粋なことを言うなら、私の隠れ家にはお招きできません」
「おっと待て待て。気を急くな。冗談じゃないか」
くすり、と須賀は微笑み、パンパンと二度手を叩いた。
千代鶴が三味線を鳴らす。
小気味よい音が軽やかに座敷に響き渡った。
「さあ、私の恥ずかしい失敗談を肴に、美味い酒が進んだでしょう。もう少し景気づけに飲みましょうか」
「懲りておらんな、お前は本当に」
宇多の大臣がカラカラと笑い、和やかな雰囲気が訪れる。
待っていたように天神が杯に美酒を注ぎ、煙管の火をつける。
幾葉はすうと息を吸い、浪々と歌い上げた。
「鴨の河原の水やせて~ 咽ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が~」
ここまでは良かった。
天神たちが天女のように舞い、芸術的な舞踏を披露している。大臣たちも満足そうだ。
「氷室今宵も夜もすがら……」
自分の声を、自分の耳が拾って、間違えたことを悟った。
サアッと血の気が引く。
ハッとしたのは幾葉だけではなかった。
隣の千代鶴も失敗に気付いて、伴奏が半拍遅れた。
本当なら、『泣くよ今宵も……』と唄わなければならない。
(ま、間違えたっ……!)
しかし、座敷の御仁たちは、皆艶やかな天神の舞や美酒にどっぷり浸かり、心ここにあらずだった。
もしかしたら、聞いて聞かぬふりをしているのかもしれない。
きっと天神の姐さんたちには後から大いに突っ込まれるだろうが、今の宴席が無事であるならばそれでいい。
後で土下座参りをしに行こう。
頭が真っ白になりながらも唄いきったのは、日頃の修行の賜だった。
宴席は大いに盛況で幕を閉じ、幾葉はほっと息をついた。
しかし、そううまくはいかなかった。
宴席が終わり、とぽとぽと徒歩で花街の大門の外へ出ようとした幾葉は目を見開いた。
「やあ」
うさんくさい笑顔を見せたのは須賀だった。
お座敷を掌握していた旦那が、なぜこんなところにいるのか。
幾葉はにこやかに会釈をして、すすすと門から出て行こうとした。
しかし、須賀はすれ違う瞬間に、幾葉の耳もとにはっきりと告げた。
「君、間違ってたよね」
さあっと血の気がひく。
「……すんまへん」
「歌詞を間違えるなんて、それでも芸仔かい」
「堪忍です。いえ、もう、私新参者でして、大変慌てておりまして、このような座敷にあがったことなどなかったため、私自身があがっていたといいますか、何といいますか」
「わあ、早口。しかも、洛言葉じゃないのか。東の出かな」
最悪だ。墓穴を掘った。
「君、もしかしなくても、私たちの話を聞いてたよね」
「いえ、もう、あの、我々には守秘義務がありますのでハイもちろん誰にも言いません」
「うんうん、そんなこと心配してなくってね」
須賀はにんまりと猫のように笑い、あの女子たちを狂わせる艶めいた顔をずいっと幾葉に近づけた。
「君、分かったのか」
「何も、何も分かっておりません。大変申し訳ありませんでした、もう心を入れ替えてしっかり修行に励みますのでご勘弁を。お許し下さい」
須賀は指を口元にあて、少し考え込んでいたが、にんまりと笑んだ。
猫というよりも、虎のようだった。
静かに忍び寄り、一口で頭から襲いかかる。
「君が粗相をしたこと、大臣たちに言っちゃおうかなあ」
悪魔だ。
幾葉は信じられないものに遭ったような思いで須賀を見た。
「わ、私にどうしろと」
「聞かせていただきたいなあ。謎解きってやつを」




