12月18日、泥濘に沈んだ火
朝、目が覚めた時、学校に行きたくないと思った。
久々だった。学校に行きたくないなんて思ったの。昨日のことが頭から離れない。早紀の震える声。彩羽ちゃんの硬い笑顔。詩織さんの沈黙。
全部、私のせいだ。
お母さんが部屋に来た時、私は布団にくるまっていた。
「灯花、起きなさい。学校――」
「……ごめん、今日ちょっと体調悪い」
嘘だった。体は元気だ。でも元気なのは体だけ。
「熱ある?」
お母さんが心配そうに聞いてきた。
「ちょっと測ってみる」
お母さんが部屋を出てから体温計を手に取る。
少しだけ、火を出した。ほんの微かな熱。体温計の先端だけを温める程度の。ピピピ、と音が鳴る。
37.8度。
「あら、熱あるじゃない。今日は休みなさい」
「……うん」
そのことを告げるとお母さんは心配そうな顔をしながら、仕事の準備をしていた。私のためだけに休むわけにはいかない。
「お昼はレンジで温めれば食べられるもの置いておくから。何かあったら電話してね」
「うん。ありがとう」
お母さんが出ていった後、私は天井を見つめた。
体温計の捏造なんて、簡単だった。脇を強く締める必要もない。布団に擦りつける必要もない。火を出せば、それで終わり。
……なんか、どうでもいいよなぁ。
私も、この火も。
暖かいだけの火。人を傷つけることもできるし、体温計を誤魔化すこともできる。
で、それでなに?
環さんは言ってくれた。「暖かいのは才能」だって。「自分を許していい」って。あの時は、救われた気がした。
でも結局、私は何も変わってなかったんじゃないか。
また人を傷つけた。今度は火じゃなくて、言葉で。
早紀を。彩羽ちゃんを。詩織さんを。
小学生の頃と同じだ。私がいると、誰かが傷つく。環さんに話したことを、みんなに話さなかった。それが悪かった。
いや、違う。環さんに話したこと自体が悪かったのかもしれない。みんなより先に、転校生に心を開いた。それがみんなを傷つけた。
でも、私は。私は、環さんに話したことを後悔してない。
環さんに話して、楽になれた。自分の火を、少しだけ好きになれた。それは嘘じゃない。
でも、それでみんなを傷つけた。どうすればよかったんだろう。
みんなにも同じタイミングで話せばよかった?
でも、話せなかった。タイミングがなかったなんて言い訳だ。本当は、怖かったんだ。
みんなに話したら、引かれるんじゃないかって。
環さんには話せたのに、みんなには話せなかった。
それが全部、悪かったんだ。
……もう、どうでもいいや。
私は布団を頭まで被った。暗い。暖かい。何も考えなくていい。このまま、ずっとこうしていたい。
学校に行きたくない。みんなに会いたくない。
会ったら、何を言えばいいか分からない。
「ごめん」って言えばいいのかな。でも、何に対してごめんなの。
環さんに話したこと? それは謝りたくない。
みんなに話さなかったこと? それは……謝るべきなのかもしれない。でも、謝ったら許してもらえるのかな。
許してもらえなかったら、どうすればいいんだろう。
分からない。
分からないから、今日は休んだ。
明日も休むかもしれない。明後日も。
ずっと。
……ダメだ。そんなことしたら、もっとみんなに迷惑かける。でも、会う勇気がない。私は最低だ。
人を傷つけておいて、謝る勇気もない。
環さんは「自分を許していい」って言ってくれた。
でも、今回は違う。今回は本当に私が悪い。許しちゃいけない。
私は――。
外から、声が聞こえた。
「灯花ーーー!!」
……彩羽ちゃんの声だ。え、なんで。学校は。
窓から外を見る勇気がなくて、私は布団の中で固まっていた。
しばらくして、スマホが震えた。
グループチャット。
彩羽ちゃんから。
『今、灯花の家の前にいる』
『私と詩織ねぇとさきっち』
心臓がバクバクする。なんで3人で。なんで学校を。
『話したいことがあるの』
詩織さんからもメッセージが来た。
『会えないかしら』
そして、早紀から。
『灯花』
それだけ。私の名前だけ。
何を言えばいいか分からない。
会いたくない。怖い。
でも。
また、メッセージが来た。
早紀から。
『私も、言いたいことがある』
『昨日のこと』
『だから、会いたい』
早紀が、会いたいって言ってる。
昨日あんなに怒っていた早紀が。
『お願い、灯花』
彩羽ちゃんからだった。
『出てきて』
私は震える手でスマホを握った。
会いたくない。怖い。
でもみんなが来てくれた。
学校を早退してまで、私に会いに来てくれた。
それを無視するのは、ひどいことだ。
私はゆっくりと布団から出て、階段を降りて、玄関に向かった。
◇◇◇
玄関のドアを開けた。
3人が立っていた。
息が切れている。頬が赤い。走ってきたんだ。この寒い中、駅から。
「灯花……」
早紀が私を見て、固まった。
彩羽ちゃんも、詩織さんも、同じような顔をしている。
「え、なに……」
私は自分の顔に触れた。
濡れていた。
あれ、私、泣いてたんだ。布団の中で。気づかなかった。
「ご、ごめん、ちょっと待って――」
顔を隠そうとした。こんなぐしゃぐしゃの顔、見せたくない。
「灯花」
早紀が一歩踏み出した。
「……入って、いい?」
その声が、いつもより小さかった。
「あ、うん……どうぞ」
私は3人を家に上げた。みんな制服のまま。本当に学校から直接来たんだ。
「リビングでいい? 私の部屋、散らかってるから……」
「うん」
3人がリビングに入る。私はとりあえず何か出そうと思ってキッチンに向かった。
「お茶、淹れるね。ちょっと待っ――」
「灯花」
早紀の声に、私は立ち止まった。
「お茶はいい。座って」
「でも――」
「座って」
早紀の声が、いつもより強かった。
私は言われるままにソファに座った。3人は向かい側に並んで座る。
沈黙が落ちた。
何を言えばいいか分からない。謝ればいいのか。でも、何から謝ればいいのか。
「灯花」
早紀が口を開いた。
「昨日は、ごめん」
え。
「私が感情的になって、灯花を責めた。私が悪かった」
「え、ちが――」
「違わない」
早紀が私の言葉を遮った。
「灯花が誰に何を話すかは、灯花の自由。なのに私は、自分が傷ついたからって、灯花にぶつけた」
早紀の目が、真っ直ぐに私を見ている。
「灯花がどう感じるか、考えてなかった。灯花が自分を責めるって、分かってたのに」
「早紀……」
「私、ずっと灯花のそばにいたのに。灯花のこと、分かってるつもりだったのに。なのに、灯花を傷つけた」
早紀の声が、少し震えていた。
「ごめん、灯花」
「私もごめん」
彩羽ちゃんが続けた。
「チャットで『ショックだった』とか言って。灯花が気にするの、分かってたのに」
「彩羽ちゃん……」
「灯花が私たちのこと嫌いじゃないって、分かってた。でも、自分の気持ちを優先しちゃった」
彩羽ちゃんが俯いた。
「ごめんね、灯花」
「私も、ごめんなさい」
詩織さんが静かに言った。
「私は何も言わなかった。でも、それも灯花ちゃんを傷つけたわ」
「詩織さん……」
「灯花ちゃんが謝るメッセージを送った時、私は何も返さなかった。既読だけつけて」
詩織さんの目が、少し潤んでいた。
「灯花ちゃんがどれだけ不安だったか、分かってたのに。私も、自分の気持ちでいっぱいだった」
「ごめんなさい、灯花ちゃん」
3人が、頭を下げた。
私は――何が起きているのか分からなかった。
私が悪いのに。私がみんなを傷つけたのに。
なんでみんなが謝ってるの。
「ま、待って」
私は慌てて言った。
「謝るのは私の方だよ。私が環さんに話して、みんなには話さなくて――」
「それは灯花の自由」
早紀がきっぱり言った。
「灯花が誰に何を話すかは、灯花が決めること。私たちがどうこう言うことじゃない」
「でも」
「私たちが傷ついたのは、私たちの問題。灯花のせいじゃない」
早紀の言葉に、彩羽ちゃんと詩織さんも頷いた。
「灯花は悪くないよ」
彩羽ちゃんが言った。
「私たちが勝手に傷ついて、勝手に灯花にぶつけただけ」
「灯花ちゃんは、正直に話してくれただけよ」
詩織さんも言った。
「それを私たちが受け止められなかっただけ」
「でも……」
私の目から、また涙が溢れてきた。
「私、みんなに話せなかった……環さんには話せたのに、みんなには……」
「それでいい」
早紀が言った。
「今度から灯花が話したい時に、話したい人に話せばいい。私たちは、待ってる」
「なんかあっても、いつか話してくれたら嬉しいけど、無理にとは言わないよ」
彩羽ちゃんが微笑んだ。いつもの彩羽ちゃんの笑顔だった。
「私たちは灯花ちゃんの友達だから。灯花ちゃんのペースで、いいのよ」
詩織さんも、柔らかく微笑んだ。
「みんな……」
涙が止まらなかった。
嫌われたと思ってた。もうダメだと思ってた。
なのに、みんなが来てくれた。学校を早退して、走って。
私に謝りに。
「ごめんね……ごめんね……」
私は泣きながら、何度も謝った。
「だから、謝らなくていいって」
早紀が呆れたように言った。でも、その声は優しかった。
「灯花は泣き虫だなぁ」
彩羽ちゃんが笑った。
「ハンカチ、いる?」
詩織さんがポケットからハンカチを差し出してくれた。
私はそれを受け取って、顔を拭いた。
でも、涙は止まらなかった。
嬉しくて。安心して。
みんなが、まだ私の友達でいてくれる。
それが、たまらなく嬉しかった。
「……ありがとう」
やっと、それだけ言えた。
「うん」
早紀が頷いた。
「私たちこそ、ありがとう。許してくれて」
「許すも何も……私の方が」
「はいはい、その話はもういいから」
彩羽ちゃんが手を振った。
「お互いごめんね、でおしまい! これ以上謝り合ってたらキリないよ」
「そうね。もう終わりにしましょう」
詩織さんも頷いた。
「……うん」
私も頷いた。
まだ目は腫れてるし、顔はぐしゃぐしゃだけど。
でも、胸の中のもやもやが、晴れた気がした。
「あー、走ったから喉乾いた!」
彩羽ちゃんが突然言った。
「灯花、さっきお茶淹れるって言ってたよね? 手伝うから淹れよ」
「あ、うん。淹れてくる」
「私も手伝うわ」
詩織さんが立ち上がった。
「私も行く」
早紀も立ち上がる。
「4人でお茶淹れるの? 狭くない?」
「いいの。灯花を一人にしたくないから」
早紀がぶっきらぼうに言った。
「……ありがとう」
私は笑った。泣きながら。
4人でキッチンに向かった。
「いや、やっぱ狭いって!」
うちのキッチン、レストランの厨房じゃないんだからさ!
でも、暖かかった。




