郷里の人々
ハルデは普通に歩けるようになるまで、フォルキリエと取り留めのない話をした。
その後、フォルキリエは、周囲を探るように目線を彷徨わせた。
「そういえば……マキさんに話があるのですが、どこにいます?」
「さあ。どこか演説が聞こえるところにいるのではありませんか。このバルコニー近辺には限られた者しか入れませんから」
「ふむ。探してみますか……演説が終わった今、大方、あなたを探してぎりぎり入れる近くの部屋あたりにいるでしょうし」
程なくして、マキネカラビナは見つかった。彼女は少し息が上がっていて、そこまで走ってきたことをうかがわせた。
「あっ、ハル! あとブレヴフェンシア卿」
「マキ、何を慌てているんだ」
彼女は大変興奮した様子だった。
「ハル、ものすごい演説でしたね! 皆盛り上がってました!」
「そうか」
ハルデが悄然とすると、彼女は首を傾げた。
「うれしくないんすか?」
「あまり実感がないな……」
「そっか。でも、一応の相棒としては鼻高々というか」
「そうか」
ふふん、とマキネカラビナは鼻を鳴らした。
「あとはわたしが匹敵する功績をあげて騎士になれば、晴れてちゃんと相棒ということですね!」
「そうかもな。そういえば、ブレヴフェンシア卿の用事は?」
「そうです、マキさん。貴女にお渡ししなければならないものがあったんですよ」
「わたしに、ブレヴフェンシア卿から?」
「はい。これです」
何やら書かれた紙を、フォルキリエはマキネカラビナに手渡した。
「なんですか? あれ、この文字……」
「お気づきになりました? あなたの書いた字を元にした、活字用字体を使用しているんですよ」
ハルデが覗き込むと、その書類の文字は確かに、マキネカラビナに以前書かせた書類の字形にそっくりだった。本来角のあるところでもやんわりと曲がり、かつ不思議とメリハリがある文字が、大体同じ間隔で並んだ、印刷された文章であった。
「印刷用の文字を考えているときに、あなたの文字を見てピンと来たんです。これは使える、と。それで書類を1枚拝借して、それを元に字形を作成し、新型の印刷機用に構成して、これが出来上がったというわけです。もういくつかの出版物が出版され、飛ぶように売れています。それで……」
フォルキリエは書類の最後の方を指差す。
「あなたにはこの字形を利用した書類・書物による収益の一部を、お支払いすることとしました。この書類はその最初の1回目のお支払いでして。勝手に使った迷惑料も込みで、ブレヴフェンシア家の銀行に持ち込めば、現金でも口座振替でも、500万クォーラの支払いを受けることができます」
「ご、500万クォーラ!? それって、本当なんですか?」
「もちろん、嘘は……つきませんとも、こういう話では」
「ほえ~、500……ハル?」
「なんだ」
「この500万クォーラがあれば、この間言っていた工場の稼働ってやつができますか?」
「あ、ああ、たぶんな」
自分の家から捻出できそうな500万と彼女の500万、あわせればちょうど、営業資金に足りそうな額ではあった。
「だったら、このお金を、ハルの工場事業に投資するっすよ」
「助かるのは助かるが、いいのか? 他の使い道だって」
「いいんすよ。配当金? とか当然出してくれるっすよね」
「それは、そうだな。投資して成果が上がれば、正当な報酬が支払われるべきだ」
「それくらいは知ってるんすよ、わたしだって」
彼女は人差し指を立てて、揺らしている。
「ヴォルテーラ卿、事業を始めるんですか?」
「ええ。再従兄弟が取得した用地と建物を借りて、領民が働ける工場をと思っていまして」
「いいですね。あなたの再従兄弟というと……あの工場跡ですか。あの施設なら鋼鉄も作れるので、稼働してくれると助かります。稼働したら必ずわたくしに言ってください。早速回したい仕事がいくらでもあるんですよ。加工機材なども必要そうでしたら、リースでも、買い切りでも」
「承知しました。ただ、これから領民と話をして、準備して……となるので、いつ頃になるか」
「ひと月。ひと月で動かしてください。1人でも多く、熟練の工員を育成して、生産力を高めなければなりません」
「ひと月……わかりました、努力します。忙しくなりそうだな」
降って湧いたような話になったが、早く進められる分には都合がよかった。頭の中で、この後の算段を立て始めた。
2日後。ハルデとマキネカラビナは戦災公営住宅に向かって、馬車に乗っていた。馬車は都市外縁部方向へ向かって走っていた。
ハルデは適当な貴族用の服を、マキネカラビナはいつもの兄弟のお下がりを着ていた。この組み合わせは、それはそれで目立っていた。失敗だったかもしれない。
「では、わたしはこの辺で。ハル、本当にうちでご飯を食べるつもりなんですか?」
「そのつもりだ。では、また後で」
「はいっ」
マキネカラビナはハルデが降りるよりも手前の馬車駅で馬車を下りた。ノストルキア出身の彼女の家族が住んでいる住宅群は最初期に建設され、ガールマルフラ領避難民の地区よりも内側にあるのであった。
帝都西側、戦災公営住宅群の、大きく3区画に分かれた2区画目に、ハルデの目的地……ガールマルフラ領避難民の住む区画があった。
大路にも路地にも、露店が並んでいた。住民達が、せめて何か収入を得たいと商売をしているのだった。市街の内側の方では『連合帝国認可済み』の店が並んでいたが、外側に近づくと『帝都開発会議臨時認可』の店が増えていく。
さらに外側に進めば、『未認可』の店が出てくるのかもしれなかった。ハルデはその実態を知りたくなかった。
このあたりでこの時間では、大路でさえ歩く人はまばらで、まともな商売になっているのか疑わしかった。
大路に面した、目的の路地の直前にある、日用小物を売る露店。彼はそこに立ち寄り、店番の男に声をかけた。
「これで、儲かっているのか?」
「儲かりやしませんね、お客さん。何か買って……あ、あんた。ハルデ、ハルデ・ヴォルテーラか?」
「そうだ。久しぶりだな、ヌービウム、ヌービウム・ヤーマス」
露天商は、ハルデの幼馴染であった。彼はヴェルフラ市避難民のまとめ役的な商会の、跡取り息子であった。抱擁を求めると、抱擁が返ってくる。
「無事だったんだな、ハル……いや、閣下。ご無事で、いや、ご無事ではないか。ともかく、お帰りを心よりお喜び申し上げます」
「かしこまらないでくれ、ヌービウム。俺は同郷の友人達に会いに来たんだ、今日は」
ヌービウムは首を振り、頑として譲らなかった。
「俺は商売人としての分別を忘れるわけにはいきませんよ。たとえ幼馴染でも、平民は平民、貴族は貴族です」
ハルデはこれ見よがしに溜息をついた。
「俺よりも融通が利かないやつがあるか」
ややあって、どちらからともなく笑いだす。ハルデがこういう笑い方をするのは久しぶりだった。
思えば、子供のころに、こっそり彼の家に遊びに行った時も、彼がハルデの来訪について生真面目に父親に言ったせいで、一緒にお茶を飲むこともできない日があった。それも今や、懐かしい日の思い出なのである。
「皆と会う前に少し、商品を見せてもらおう」
「どうぞ、ごゆっくり。見るだけといわず、買ってください」
女性向け装身具のコーナーを見ていると、揶揄われた。
「もしかして、女性への贈り物ですか? あの朴念仁の閣下が?」
「失礼だな……そうだよ。たまにはいいだろう」
「大切な方で?」
「ただの同僚だ。へこまれたら困るから、念のために、な」
「閣下のせいで?」
「いや、これからそうなるかもしれないから、だ」
「ふぅん……その実、その人のことを気に入ってるんじゃないですか」
「悪いやつではないのは確かだ……この、ペンダントをくれ」
革製のペンダント。大きな角のマーヒローが透かし彫りになったペンダントで、この意匠はヴェルフラ市において健康祈願のお守りとして有名だった。
「もうちょっと色気のあるものでもよいのではないですかね……8000クォーラになります」
「健康が第一だよ、ヌービウム」
金貨1枚を支払うと、1000クォーラ銀貨2枚のお釣りを受け取る。
「申し訳ないが、買い物はおしまいだ。皆の様子はどうだ。元気にやっているのか?」
「皆必死に日々を生きていますよ、閣下。この路地の奥に住んでいますから、ぜひ会って話をしてやってください。きっと喜びますよ」
路地を進むと間もなく、避難民達が集まってきた。ヌービウムと話しているのを誰かが見ていたようだ。
避難民達の声に対して、笑顔で答えるハルデ。領地にいたときにはなかった感触。彼らの視線は『ハルデ』にではなく、『領主』に向けられていた。
「りょうしゅさま、あそんでー!」
「もうちょっと後でな。その時にはほかの子供達もつれておいで。まずはナーフトラ・ヤーマスを連れて来てくれるか?」
「うん、わかった! ヤーマスおじさんね!」
子供が去っていく。あれを何とか守らなければならない、そう思った。
「領主様、お花をどうぞ」
領地では見覚えのない少女から、花束をもらった。左腕と固定帯で花束を挟むようにして、保持できる位置を探した。彼女はヴェルフラ市外の村民だろうか。それにしてはよい服を着ている。
「ありがとう、お嬢さん」
少女は花束を渡すと、遠くに走って行って、手を振った。ハルデはそれに対して、笑顔で手を振り返した。
あとから、避難民の、年老いた人々が進み出た。
「伯爵様、わしらはいつ頃領地に帰れるんじゃろうか」
「それは……わからない。騎士団の戦いぶり次第ということになるだろうが、必ず皆のガールマルフラ領は取り戻す」
「いつになるかわからないんじゃ……わしらはいつまでこの狭いところに押し込められりゃいいんじゃ」
「爺さん、伯爵様一人でどうこうできる話じゃないわい。伯爵様、ご無礼の段、なにとぞお許しを……」
「かまわない。不甲斐ないのには変わりないのだから。何とか精進するよ」
しばらくして、ナーフトラ・ヤーマスが来た。彼はヌービウムの父親、ヤーマス商会の会長であり、商工会長なども兼任している、ヴェルフラ市の実力者であった。
「閣下、お帰りを心待ちにしていました」
「ヤーマス会長、苦労をお掛けしています」
「私にそう畏まられては困りますな」
「とはいえ、親子ほども年が離れているとやりづらいですよ」
「まあ、必ずしも横柄になる必要はないとは思いますけれどね。今日はどんなご用事で?」
「立ち話もなんですから。どこか座れるところは?」
「小さな事務所でよければ。参りましょう」
ヤーマス商会の帝都臨時事務所は、書類の山に埋もれかかっていた。
「すごいな、これは」
「東の開拓事業には避難民も参加できるのはご存じでしょう。ここで働きたいものを集め、シフトを組んで、無理が祟ることの無いように管理して派遣しているんです。文字が書けないものも、代筆して申請したり、多少の手数料を取って積み立て、病気や怪我をしたもののための保険のようなものを作ったりして……」
「いろいろ考えているんだな」
努めて対等か、少し優位に聞こえるような話し方をする。自分はそういうやり方に、慣れる必要があるのだ。対して、ナーフトラは丁寧に接し続ける。
「仕事柄ですね。どうぞそちらに」
粗末な椅子を勧められ、そこに座る。机を挟んでナーフトラが座った。
「それで、今日は……」
「実は、工場で働ける人材を探している。鉄鋼業や革細工……まだ何ができる工場かもよくわからないんだが、私が見ても多分わからないままだろう。それで、そういう見立てができる人材を紹介してほしい。あと、何ができるのかわかったら、実際に働く人材も。具体的に動くのは私ではなくて家令のカミルにやってもらうと思うが、私も見学くらいはしたい。誰かいないだろうか」
「場所は決まっていて、後は人と設備を集めて操業したい、と、そういうわけですな。すぐに手配しましょう」
「助かる」
「まあ、数日はかかるかもしれませんな。水でもいかがですか」
「いただこう」
ナーフトラは近くからカップを取ってきて、水を注ぎ、ハルデの前に置いた。ナーフトラは自分の分を用意しなかった。一口頂く。
「しかし、時の進む早さに驚きますな。ヌービウムと遊んでいたあの小さな貴族が、今や国の英雄とは」
「英雄……その話、そんなに広まっているのか」
「帝都で知らぬものなどいないのでは?」
ナーフトラは新聞を引き出しから出して、ハルデによこした。大きな見出しの文字が躍って見えた。
――新たな英雄誕生! 救世主殺し・ハルデ・ヴォルテーラ、帝国払暁章を受章――
見覚えのある字体で自分のことが書かれた、今日の日付の新聞だった。
「この新聞……ブレヴフェンシア出版発行……?」
「前からあった新聞ではあるんですがね。新しい印刷機で大量に発行できるようになったそうで、最近は週2回刊行になりました。値段も安いし、様々な記事が載っていてますます人気が出てきているんですよ。見出し記事に一番多いのは騎士団の話なんですがね。そう遠くないうちに、文字が読める者でこれを読んでいなければもぐりだと言われるようになるのではありませんか」
「そ、そうなのか」
思っていた以上に、手広くやっているようだ。そういうところで騎士団の活躍を喧伝して、国としての戦意を保とうとしているのかもしれない。そして、自分自身がその為に利用されているのだった。
「これは今、どれくらい普及しているんだ」
「中流階級以上なら半分くらいの人がこれを購読しているのではありませんか。下層階級向けの食事処などもこれを取って掲示する店が多いようです」
「そんなにか」
そのうち、1人では外を出歩けなくなるかもしれない。有名な二つ名持ちの騎士さえ、自身の腕が立つとしても、大抵は護衛を連れているものだった。
「閣下、この後のご予定は?」
「しばらく子供達と遊んでやって、それから仲間のもとに向かうつもりだ」
「子供達も喜ぶでしょう。だんだん、御父上に似てきたようですな」
彼が優しい表情でこちらを見ていた。
「父も子供と?」
「心底楽しそうに遊んで下さっていましたよ。時に厳しい領主でしたが、それは子供達の将来のため、とおっしゃる方でした」
「そう、か……」
扉から窓から、隙間風が吹き込んでくる。その冷たさが、身に染みた。
「では、先ほどの話、くれぐれもよろしく頼む、ヤーマス会長」
「お任せください」
扉を開くと、外には子供達が集まっていた。その顔には、『領主とは遊んでくれるものだ』と書いてあるようであった。きらきらと輝くいくつもの双眸が、そこにあった。
「おはなし、おわった?」
「ああ。それで、何をしようか」
「おにごっこ!」「かくれんぼでしょ!」「おれあれがやりたい!」「あれってなに?」
「よし。順繰りひとつずつやっていこうか」
結局その後、ハルデは子供達とたっぷり2時間遊んだ。無尽蔵の体力を誇るかと思われた子供達に対し、ハルデは何一つ怯むことなく、全くもって疲れを見せずに遊びきったのであった。
マキネカラビナは、扉の前で深呼吸をした。表札のない家。ここに、避難してきた家族が住んでいるはずであった。
おずおずと扉を開いた。正面奥に食卓があって、父が椅子に座ってお茶を飲んでおり、母は炊事場に立っていた。
「ええっと、ただいま? おじゃまします?」
おどけてそう言ったが、両親は硬い顔で彼女を見つめていた。
「お父さんは、今日はお休みっすか? それともどこか具合が悪いとか……?」
彼女の父・マルドは、彼女に対して仰々しく礼を取った。
「よくぞお戻りに……」
その様子を見て、彼女は慌てた。
「いやいや、お父さん! 何をそんなに畏まって……ほら、娘、お父さんのかわいい娘っすよ!」
そう言い募る娘に、父は冷たく突き放そうとする。
「あなたは貴族になるのだから、こういう扱いに慣れなければならないのですよ」
「まだ、まだ騎士にはなってないっすから!」
「なるのだから、と言っています」
彼は自分が座っていた椅子を彼女に進めながら、そう言った(この時彼女は気づかなかったが、勧められた席は上座にあたる場所であった)。
勧められるままに椅子に腰かけると、両親も座ると思ったが、彼らは座らなかった。
微妙な空気が場を支配した。マキネカラビナは思い出したように両親に腰掛けるよう促すと、ようやく父は座ったのである。母・キユーテは礼を取ってから、お茶を沸かし始める。
別室の扉から、兄弟たちが覗き見ているのがわかった。兄弟たちに手招きすると、兄・エールドは父の向かいに腰掛けた。弟・ショールドと妹・リューテはマキネカラビナに抱き着いた。
「帰ってきたのは2年ぶりだっけ……みんなは変わりないっすか?ショールドもリューテも、大きくなったっすね」
弟たちの頭をぽんぽんと叩く。弟たちはうれしそうな顔をした。
父が口を開く。
「特に変わりありませんよ、閣下」
マキネカラビナは頭をかきむしる。
「ああもう! そういうの無しにするって、命令すればいいっすか!?」
父は、いや兄も、肩を竦めた。そのシンクロした動きに、なんだかイラついてしまった。
「お前がそこまでいうなら、今回はそうするが。本当に早いうちに、慣れなければいけないよ、マキ」
「あーあ、お淑やかになりさえすりゃあ、お前にも嫁の貰い手があるだろうにな」
兄はそう言ってニヤニヤしている。
「むーっ、なんか、まるでうちには貰い手がいないみたいな言い方っすね!」
「実際、貰い手がいるってのか?」
「やめんか2人とも、見苦しい」
父に叱られて、言い合いをやめる。兄はもう少し妹を弄りたそうな顔をしていた。
無邪気な弟達が、顔を覗き込んできた。
「ねーちゃん、おしとやかってなに?」「なーに?」
「んー、お姫様みたいな人のことっすかね」
「ねーちゃん、お姫様になる?」「なるー?」
「それは、ならないかなぁ」
母がお茶を持ってくる。その顔は不安そうに見えた。お茶を木製のカップに注ぎながら、マキネカラビナに語り掛けた。
「マキ、お前、本当に義勇騎士を続けていくつもりなのかい? 厳しい世界なんだろう、騎士団っていうのは。お前のおじいさんの真似なんかしなくていいんだよ?」
「別に、真似をしているわけじゃないっすよ、お母さん。技術者と対戦車騎士は全然やることが違うし、厳しいけど、仲間たちもいて……」
母は溜息をついた。
「技術者じゃない方がよっぽど心配だよ、お前。直接、魔族と戦わなきゃならないんだろう?」
「それは、そうだけど……」
「わたしゃ怖いんだよ、お前が死ぬんじゃないかって、毎日毎日、死亡通知が届くんじゃないかって……何とか、やめるわけにはいかないのかい?」
母が目を覗き込んでくる。マキネカラビナは見つめ返した。
「お母さん、騎士は逃げちゃ駄目なんすよ。逃げたくったって、怖くったって、後ろに民がいる限り……」
「お前自身、まだ騎士になっていないって言ってたじゃないか」
「うちはなるっすよ、騎士に、ずっと夢だった、かっこいい騎士に。不謹慎なようだけど、せっかくチャンスが来たんすから」
それに対して、父が頷く。
「母さん、マキだっていつまでも子供じゃないんだ。自分の責任で、好きにさせればいいさ」
「でもあんた、この子の幸せは……」
「それについては、ええっと……うちの隊長についていけば、何とかなる……かも?」
両親は怪訝な顔をした。
「ついていけばって、何だ、それはつまり、あれか?」「ノストルキアの言い伝えの……?」
マキネカラビナは顔を赤くする。
「はい、その……その言い伝えっす」
「マキ、おま、お前、その時は本当にその、事故だったんだな? 無理やりとかじゃなく?」
コルナ村での出来事を思い出す。ハルデが着替えの入った荷物を持って来てくれた時、彼は本当にきょとんとした顔をしていたはずだ。
「自分から、そういうことをする人じゃないっすよ、ハルは!」
「そ、そうかい。その人はハルっていうのかい?」
気まずそうな顔で、母が尋ねた。
「ヴォルテーラ卿ハルデっていう人っすよ。そうだ、その彼が、今日の晩御飯をうちでご一緒したいって話なんすよ」
父親はその名前を聞いて、お茶を噴き出した。
「うわっ、な、なんっすか!」
「ゴホッゴホッ……ヴォルテーラ卿ハルデと言ったか? ものすごい有名人じゃないか!」
「えっ? そんなに有名に?」
「そんな騎士が、うちみたいな庶民の食事を摂りたいってのかい? 変わってるんだねぇ。材料は足りると思うけど」
「演説も聞きに行ったぞ。立派な方じゃないか。ただ……お前はその方と、私達とで一緒に食事をしたいと思っているのかもしれないが、それは諦めなさい。その方とお前の分を別の部屋に用意するから、そちらで食べるように。お前の爺さんだって、そういうのをあきらめて、1人で生きたものだよ」
「むー……」
「マキ、暗くなってしまう前に、下の子たちを散歩に連れて行ってあげてくれるかい? もしかしたら、これが最後になってしまうかもしれないからね。あんたも、家でぼーっとしてないで一緒にお行き」
母はそう言って、兄を指差した。兄は渋々といった様子で立ち上がる。
マキネカラビナは頷いて、抱き着く弟と妹の手を握って、外に出るように促した。弟達は素直に従った。兄は端で、下の弟の手を握った。4人そろって外へ出かけた。
4人は連れ立って出かけたが、ほとんど会話はなかった。兄は、家の外では、貴族に片足を突っ込んだ妹を敬遠しているようであった。下の2人も、はっきりと理解しているとは思えなかったが、姉との隔絶をなんとなく予感しているように見えた。
マキネカラビナは心底寂しかった。彼女が騎士としての立身を志す限り、きっともう、この暖かかった家族と一緒の食卓を囲むことはないのだろう。新しい家族を見つけるまでは、あたたかな家庭の食卓は得られないのだ。いや、あるいはもう、一生……
夕日が路地を染めていく。労働を終えて、避難先である戦災公営住宅に帰る人の群れ。その群れが、ふと大きな空間を空けた。その空間を、ハルデが歩いてくるのが見えた。
両手が塞がっていた彼女は、彼に見つけてもらおうと、つま先立ちでぴょこぴょこと跳ねてみると、運よく彼はこちらに気づいた。そして、右手に持った花束を掲げて近づいてくる。
彼女は、彼の顔を見てほっとしたのであった。
しかし、兄弟たちは、一見して見目麗しく身なりの良い、この区域において場違いな男が近づいてくるのに対して警戒しているように見えた。特に兄は、彼を目線で威嚇しているようだった。
兄が何か言うのに先んじて、声をあげる。
「ハル!」
姉が笑顔で言うと、弟と妹は目を見合わせて、感極まった様子で呟いた。
「お、おうじさま……」「おうじさまだ……」
ハルデはマキネカラビナ以外の3人を見回している。
「ええと、ご兄弟か?」
「おねえちゃん、おうじさま、むかえにきた!」「きたー!」
「はい、兄と弟、妹で……って2人とも、違うっす! 王子様じゃないっすよ!」
ハルデは戸惑っている様子だった。
「ええと、何の話をしているんだ?」
「な、何でもないっすよ! ほら、そろそろ帰るっすよ。ハル、その花束は……」
「領民からもらったんだ。左手で持てればいいんだが、どうにもな」
「じゃあ、わたしが持つっすよ。代わりに、リューテと手をつないであげてもらっていいっすか?」
「あ、ああ」
マキネカラビナは左手を妹から離して、ハルデから花束を受け取った。ハルデはゆったりとした動きで妹の手を取った。妹の目が夕日を反射して煌めいて見えた。
ハルデは、ストリケパイラン家の兄弟達を微笑ましく見ていた。子供の面倒を見るのは結構好きだった。また、自分に兄弟が一人でもいれば、今直面している後継者問題などなかったのにとも、思うのであった。
彼はマキネカラビナとその弟達とは話をしたが、結局兄は口をきかなかった。
兄・エールドが家の戸を開けると、ショールドとリューテは中に駆け込んでいった。父に抱き付く弟達。
「おとうさん、おうじさまきたー!」「きたー!」
「お、王子様だって?」
マキネカラビナの父・マルドは目を丸くする。
なんとなく申し訳ない気持ちで、頭をかく。それから、誠心誠意、彼に挨拶をする。
「いえ、王子ではないんですが。騎士ハルデ・ヴォルテーラです。ご息女には騎士団でお世話になっております」
彼は心底驚いた様子に見えた。
「随分、腰の低いお方だ……し、失礼しました。マキネカラビナの父、マルド・ストリケパイランと申します。まずはお掛けください」
ハルデは勧められた椅子に掛け、自然とストリケパイラン一家にも掛けるように促した。
「娘は、その……ご迷惑をお掛けしてはいないでしょうか」「マキがこんな方と一緒にいるなんて、本当に大丈夫なのかしら」
マキネカラビナの両親は、心配そうな顔を見せた。
「ご心配は無用です。ご息女は概ね、つつがなく軍役を務めておられます。むしろ、ご息女には命を救われ、勇気を分けていただいているくらいですよ」
2人の心配を見て取り、安心させようと努めた。うら若き乙女が単身、基本的には男所帯である騎士団に交じって、軍務に励むことを心配する気持ちは理解できた。
「ヴォルテーラ卿はその、娘のことをどうお考えですか」
そう尋ねられて、困惑する。
「どう、といいますと?」
「その、有り体に言うと、個人的な好悪といいますか……」
マキネカラビナが慌てた様子で大声を上げた。
「ちょ、ちょっと、お父さん!?」
「個人的な評価、ということですか」
ハルデは『義勇騎士マキネカラビナ』をどう思っているか、ということだと解釈し、少し考える。
「うーん……多少、お調子者のきらいはありますが、よくやってくれているし、少なくとも嫌う理由はないというか……これは答えになっていますか?」
マルドは目を細める。
「それでは、私の娘が貴方様に付き従うのに、問題はないのですね?」
「それはまあ、そうですね」
「どうか、娘を側に置いてやってください!」
父親は食卓に頭を擦りつけた。
「ハル、これは、その……騎士として、仲間としてついていくっていう、そういう話っすよ!」
ちらとマキネカラビナを見やり、それからマルドに向き直る。
「いや、なんだかそうは見えないんだが……いや、心配なさらずとも、騎士団が配属を分けない限り、ご一緒しますよ」
「どうか、よろしくお願いいたします」
再びマルドが頭を下げる。それに対してハルデは頷いた。
それを確認して、マキネカラビナの母・キユーテはマルドの注意を引いた。
「あんた、そろそろ夕食にしましょうよ」
「そうだな、そうするとしよう。お客人達の分はそちらの小部屋に用意いたしますので、少々お待ちください。エールドも手伝ってくれ」
頷きながらも、ハルデはマキネカラビナの表情に注目していた。彼女は父に抗議するように、眉根を寄せていた。
結局、別室に通されたハルデとマキネカラビナは席に着く。
目の前で並べられる食器、よそわれるフライパンの中身、スープ、見るからに硬いパン。
客人向けの準備を済ませた母親が、心配そうにしている。
「あなた様のお口に合えば良いのですが」
「子供の時分より、何でも食べられるようにしつけられていますので、ご安心ください」
ハルデがそう答えると、キユーテは頭を下げて部屋を辞した。
食事が始まる。
「マキ、料理について教えてほしい。これは何という料理だ」
「平たい皿の方が<イーミンド>という餡掛け炒め、スープは<オックル>です。材料は、ノストルキアの物が手に入らないから、本来とはちょっと違うけど……とりあえず食べてみるっす」
どちらが先ともなく、料理に手を付ける。
「なんていうか、塩辛いな」
「そうっすか? こっちに来てから特に、余裕がないので薄くなってると思うんすけど……」
「そ、そうなのか。もしかして、俺がいつも作っている料理は相当薄味に感じていたりするのか?」
ここまでずっと、ハルデが食事を作ってきた。実は、口に合わなかったというときもあったのだろうか。
「いえ、ハルの料理はおいしいと思いますよ。軍旅の間にあれ以上の料理は難しいんじゃないっすか」
「あ、ああ。そう言ってもらえるなら光栄だよ」
想定しないほめ方をされて、ハルデはむず痒かった。
マキネカラビナがハルデを見つめる。目が合った。
「ハル」
「なんだ?」
「なんでハルは、今日、この家を訪ねようと思ったんすか。お屋敷よりおいしいご飯が出るわけもないのに」
ハルデは何と言ったものか考える。
「そうだな……マキがこういう事態、状況に陥るのを想定していたんだ。つまりその、家族の団欒への期待を裏切られた挙句、別室で1人寂しく食べる、みたいなのをさ。それで、1人で食べるよりは、仲間と一緒の方がマシだろうと思った。貴族と平民の隔絶っていうのは……まぁ、ちょっと経験があったからな」
「なんで、そうしようと思ったんすか」
「なんで、か。うーん、お前が……気落ちしているとやりづらいから、かな。そうだ」
ポケットから、露店で購入したペンダントを取り出し、テーブルに置くと、指でマキネカラビナの方に差し出した。
「少しでも元気の足しにならないかと思って、お前に」
マキネカラビナの目が、蝋燭の炎に煌めく。
「これは?」
「お守りのペンダントだ。この意匠は健康祈願のご利益があるとされている」
マキネカラビナはペンダントを手に取り、少し長め、それから頭を通して首にかけた。
「にひひ、どうっすかね」
「素朴な感じでよく似合っている」
「ありがとうございます、ハル」
泣いたりしたらどうしようかと思っていたが、彼女の笑顔が見えてほっとしたハルデだった。
「気に入ってもらえたようでよかった。『悲しみは井戸のようなものだ。早く埋めるほど、くみ出す涙は少なくて済む』ってな」
「なんすか、それ」
「悲しいことには早く対処するほど良い、っていうミルキリアの格言だ。言葉通りの意味さ。さぁ、食べてしまおう」
「食前のお祈りは?」
「よその、つまりミルキリアの家でないなら、省略されるんだ。家人は早く食べたいだろうからな」
「そ、そうなんだ」
手を合わせてから、食事を始めた。そしてすべて食べてしまった後に、短く食後のお祈りをした。
「そろそろ、帰らないとな」
「名残惜しいけど、そうしましょう」
食器を片付けようとすると、キユーテは慌てた。しかし、騎士の心得に、自分で使ったものをなるべく自分で片付けることが定められており、自分達で洗って片づけをさせてもらった。
「それでは、ごちそうさまでした。急な申し出に対応していただき、改めて感謝を」
「お父さん、お母さん、ええと……今まで育ててくれて、ありがとうございました。何とか、頑張って、やるから……心配しないで……」
マキネカラビナの目から光るものが流れる。両親も同じような顔をしていたが、何とかこらえているように見えた。
「もう暗くなります……気を付けてお帰りくださいませ。マキ、お前のこと、遠くからずっと見守っているからな」
「どうか元気で」
マキネカラビナの両親は深々と頭を下げた。それに対し、2人は騎士礼で応じたのであった。




