辺境伯と騎士
フォルキリエは目を覚ますとほっとした。戦場の天幕ではなく、自宅のベッドの上にいることが分かったから。そのままもう一眠りしたい気持ちを抑える。息が白い。布団を出る。
床には大量の本が積まれている。どれもが有名無名の騎士物語であり、どれもが彼女のお気に入りであった。
着心地の良い女性用の寝間着を脱いだ。運動用の服を着て、髪を軽くとかし、ごく薄く化粧をする。服の上から、鎖帷子と鎧を着けていく。手慣れたものだった。さらに、上着を羽織る。
自分用の騎乗戦闘用の重曲刀と、それより短い汎用の片手剣。いずれも相当の業物である。よく砥がれ、綺麗に磨かれて、鏡のように澄んだ刃。鞘より引き抜いて点検すると、窓から入る冬の弱い日の光を強く反射して、持ち主にその存在を主張しているように見えた。少々、うっとおしく思った。
練習用の、身の丈より少し短い5本の投擲槍。これもまた、普通に騎士が戦場で用いるような、しっかりとしたものであった。穂や柄にひび割れなどがないか確認する。ただし、自分に穂先が向かないようにしながら。
2本の剣と5本の投擲槍を抱え、中庭に出る。今日は雪は積もっていない。武器を地面に置いて準備運動を済ませた後、剣を拾って抜いた。
重曲刀と片手剣でそれぞれ、素振りを行う。この日課から、彼女の1日は始まるのであった。
一見して小慣れた感じのするその剣技はしかし、剣自体の鋭さとは裏腹に、鋭いとは言い難いものであった。
彼女自身、これから使い物になるほど上達するとも思えず、やめようかと思ったこともあった。だが、それでも諦めきれなかったのである。
それぞれの剣で順繰り、一通りの型を流す。汗が滲む。息はまだ上がらない。よく眠れたせいか、体の調子は良さそうだった。
剣を鞘に納め、剣の代わりに槍を手に取る。もう20年近く、修復されながらそこに立ち続ける標的。その周囲に誰もいないことを確かめてから、狙いを定めて、投げる。当たらない。投げる、投げる、投げる、投げる……
「はは、これは我がことながら……全然面白くありませんね」
15m。今日は調子が良いにも関わらず、全然当たらない。10mなら2割くらいは当たるのだが、この距離ではずっと外しっぱなしであった。
「これを見たら、あの方は何と言うのかしらね。わらうかしら……彼だったら……フォームについて指摘するのかも」
地面に座り込む。この時期にしては、空が高く澄んでいる。後ろに倒れないように手をついて、上を向くと、視界の隅に何かいるのに気が付いた。さらに上を向くと、誰かが後ろに立っているのが、上下逆さまに見えた。
「いつもながら、朝がお早いですね、お姉さま」
フォルキリエはそのままの体勢で返事をする。
「お゛は゛よ゛う゛、リ゛ー゛シ゛ェ゛」
「はしたないですよ、お姉さま」
そこに立っていたのは、フォルキリエの妹、銀髪碧眼の、アリーシエ・ブレヴフェンシアであった。彼女は妹を愛称である『リーシェ』と呼んだ。妹もかなり早起きであり、絹のような長い銀髪をきれいにとかしてから出てきたことがうかがえた。そして、何か薄いものを手に持ってたたずんでいたのである。
フォルキリエは立ち上がり、尻をはたいてから、妹に向き直る。
「あなたしか見ていないので、よいではありませんか。それは?」
「先日お願いされた件です」
「そう。あとで見ましょう。朝食の準備は?」
「まもなく済みます」
「では、先に行ってください。片付けをしなくてはなりませんから」
「承知しました。お体を冷やさないように、お気を付けください」
妹に微笑み、手を振ると、妹は一礼して屋敷に戻っていく。フォルキリエは投げ散らかした槍を拾いに向かった。
上着と鎧と鎖帷子を脱ぎ、室内用の別の上着を着てから食堂に入る。香ばしい香り。丸い食卓に並べられた、上品な盛り付けの料理。いかにも貴族向けらしい料理が並ぶ。
フォルキリエ自身はこんな贅沢な料理は必要ないと思っていた。特に朝食には……だが、料理人が頑固にもそういう料理を作りたがっているため、そのままにしているのだった。料理人は、いつでもだれでも満足できるように、腕を磨きたいと考えていると聞いた。彼が磨いた腕はきっと役立つ。そう思い、任せているのだった。
食卓を囲むのは、フォルキリエとアリーシエの2人のみ。ここのところ、屋敷の食堂で食事を摂るときは大抵そうなのであった。
料理人は料理の説明をし終わると、礼をして部屋を出ていく。2人の他にはメイドが1人部屋に残った。
両手の掌を合わせて、神聖語由来のかすれたような音が出るだけの短い呪文を唱える。このシンプルなシルフィア式のお祈りの儀式をすると、食事は始まるのだった。
「それで、先ほどのあなたが持っていたものを、見せてもらっても?」
フォルキリエがそういうと、アリーシエはメイドに目を向けた。傍に控えていたメイドが歩いてきて、卓上にそれを置いた。それは写真だった。ヴォルテーラ卿ハルデが、花束を左手に、笑顔で手を振っている様子が収められている。
メイドは礼をして、部屋を出ていく。部屋にはフォルキリエとアリーシエの2人きりになった。
「いい写真ですね。早速、広報誌を作っている部署に回してください」
「もう送ってあります」
「素晴らしい。方針についても、たびたび周知してください」
「自分達に都合の良いことは少しだけ大げさに、対抗派閥のことは事実ベースで、ですね」
「そうです。人々には我々を良く印象付け、かつ相手には深く反論させないのが重要です」
アリーシエは息をつき、何やら考え込むように俯いた後、再び顔を上げて口を開いた。
「前から思っていたのですが、対抗派閥をもっと積極的に潰して、改革を素早く完了させた方がよいのではありませんか。保守派のやり方では敵を押し留めることができないのは明らかです」
「リーシェ、いえ……」
フォルキリエは首を振って否定する。
「アリーシエ。いいですか、彼らとは派閥で争ってはいますが、敵ではありません。改革が済もうと済むまいと、彼らには共に戦ってもらわなければならないのです。内乱を起こすわけにはいきません。それに」
彼女はこめかみを指でつついた。
「改革をした騎士団が戦果を残せるかどうか、というのは、わたくしにもまだわからない領域です。感覚的にはいけると思っていますが、実績はない。だから<フォルテガールタ>で試して、実績を出そうとしている」
スープを一口すする。
「ん……我々が騎士団全体に改革を実施するには、実績が必要です。ひとたび実績が認められ、改革の必要性が認められればなおさら、保守派と争う必要などなくなります。その時には彼らの内の何を残すのかさえ、交渉できれば良いのですから」
「なるほど……出過ぎたことを申しました」
「いいのですよ。あなたがわたくしに意見するのは貴重ですから、気兼ねなく言ってください」
「では、もう一つ……」
フォルキリエは意外に思いつつ、目で先を促す。
「お姉さまは随分と、彼を重要視していらっしゃいますね」
「ヴォルテーラ卿の事ですか。そうですね、彼は……」
「彼は?」
「彼には、責任を……取ってもらわねばならないから」
「責任、とは?」
「それは……やめましょう、この話は。あなたには何でも話してしまいそうになります」
「そう仰るなら、そのように」
妹はそう言って首を傾げた。
「とにかく、彼が有用なうちは是非とも利用させてもらいます。個人的な気持ちは置いておいて。そうだ、リーシェ」
手を叩くと、アリーシエは少し驚いたようだった。
「あなた、法術が使えますよね」
「はい、少しなら」
「では、彼が回復したら、彼の騎士隊に従士として入ってください。彼のことを、できるだけ詳細に記録してほしいのです。彼自身、女性を騎士隊に配属するなら2人以上にするように要請していましたし、ちょうどよいです」
「はい。お姉さまがそれを必要というのでしたら……ただ、私の法術と医術はともに中途半端で」
「そうかしら。法術が使えれば十分に思えるけれど……とにかく、頼みますね」
「努力いたします」
「ええ」
言い終わると、食事に戻る。すっかりすべてを平らげて、最後にお茶をぐいっとあおり、食事を終えた。
「お姉さま、その、飲み物をあおるのは……」
「これが気持ちよいのです。外ではやっていません……やっていませんよね?」
「いえ、それはわかりませんが」
「こほん、まあ、いいでしょう。仕事を始めます。リーシェはゆっくり食べてください」
フォルキリエは手を合わせて食後のお祈りをして、席を後にする。アリーシエは頷いて、ジルバンを小さくちぎって口に運んだ。
相当量の事務仕事をこなした後、フォルキリエは翌日に迫ったパーティの準備に追われていた。
「それはそこ、それはあちら、戦車はあちらの脇に。それから……食事と飲み物はあちらのスペースに、こちらは書き物ができるようにして。わたくしの服はどうなっていますか」
尋ねると、メイドが答えた。
「ドレスは準備ができています。試着なさってください」
「よろしい、着てみましょう」
正直、ドレスなんて用途さえ合えばどれも一緒だと思いながら、それを口に出したりはしなかった。
衣装部屋(彼女は散らかした自室に立ち入られるのを嫌ったため、別に衣装用の部屋を作っていた)に入り、真新しい真紅のドレスの試着をする。自分でできるところは自分でやった。昔は、本当にすべてを自分の手でやろうとして、周りの者たちを困らせたものだった。今では、自分の手が届かないところは任せるくらいの分別があった。当たり前ではあるのだが。
鏡を見る。十分な高級感を出しながら、とても動きやすい。このドレスを仕立てた新しい被服職人は、まだ若い女性だった。彼女はよい仕事をしたように思えた。彼女のこの先の仕事のために、何か追加で注文してもよさそうに思えた。
「ふむ。このドレスを作った職人と、今度会えるようにしてください」
「はあ。いつになさいますか?」
また急に何だ、という風な顔をして、メイドが答える。
「可能なら、来週の早いうちがいいです。一旦予定を尋ねてください。わかったら教えて」
「かしこまりました」
メイドのうちの1人が部屋を出ていく。早速手配してくれるはずだ。いつも急にさまざまなことを頼んで困らせている……申し訳ないとは思っていた。ただ、その癖を直す気はあまりなかった。自分の時間は有限であり、辺境伯として決断しなければいけない案件も、ただ自分がやりたいことも、数えきれなかった。
明日の算段は概ねついたはずだ。使用人たちは優秀で、指示さえ出せば大体のことは済ませてくれる。だから、今日はこのドレスを着替えて、暗くなる前に馬術の訓練をしよう。これもまた、自分の思う騎士には必要な技能なのに、一向に上手にならなかった。少しでも理想との溝を埋めるべく、毎日触れたかった。
ただ戦争をするための能力ということであれば、すでにまあまあ満足していた。彼女が騎士学校で見出された能力。それは『最適な救援の時機を感じ取り、それを実施する』能力だった。演習でも実戦でも、味方にとって最高のタイミングで救援を実施し、成果を上げてきた。
しかし、彼女の中にある、自身に期待した能力は、それではなかった。冒険譚を残すような、技能のある騎士。自分自身が『騎士物語』に描かれるような騎士になること。それによって、自らの愛してやまない騎士物語の魅力を、存分に伝えられるようになりたい。それが辺境伯にして騎士、フォルキリエ・ブレヴフェンシアの個人的な願いであった。




