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第1話:鉄錆の橋頭保と歪んだ先入観

 王都を発ち、北方へ徒歩で一週間。過酷な密林地帯を開拓して造られた街道を進むにつれ、緑の濃密な気配と僅かに砂埃の混ざり合う独特の匂いが濃くなっていく。

 その街道の突き当たりに鎮座するのが、砂漠の遺跡攻略における最前線基地「フォート・レムナント」であった。旧文明の遺産である超硬合金の防壁を骨組みに据え、幾度もの補修と増築を重ねて築かれた無骨な要塞は、訪れる者に重苦しい圧倒的な威圧感を突きつけている。


 基地の厳重な防護門を抜け、暗く無機質な通路を進んだ先に目的の部屋――総括司令室が存在していた。

 広々とした室内には無数の地図や作戦図が並べられ、その中央に立つ一人の男が出迎えた。基地の統括を担う軍人、グスタフ総括司令である。歴戦の猛者らしい静かな佇まいを見せる彼は、訪れた若者たちへ穏やかな眼差しを向けた。


「よくぞご到着された、クリストファー卿。遠路はるばるのご足労、心より歓迎しよう」


「ご挨拶申し上げます、グスタフ総括司令。ですが……僕がここへ赴いた理由はお察しの通りです」


 少年の声には、十五歳という若さに不釣り合いな硬質さと、隠しきれない刃のような刺が混ざっていた。

 彼の名はクリストファー・アストランド。由緒正しきアストランド侯爵家に生まれ、王都で質の高い教育を受けてきた少年である。

 そのキャパシティは『8』。人が持つ9段階の魔術素養、その上から数えて2番目である。数千人にひとりとも言われる希少な逸材であった。

 侯爵家の麒麟児として貴族界の注目を集める彼が、何故この最果ての地に居るのか。


 その瞳の奥には、数ヶ月前にこの最前線で命を落とした敬愛する兄フレデリックへの想いと、強い不信感が渦巻いていた。

 王都に届いた事故死の報告を、クリストファーは到底納得していなかった。現場の冒険者たちの規律の緩みと怠慢が兄を死に追いやったのだと信じ込み、自らの手でこの甘えた体制を改革すべく、強い使命感を抱いてこの地を訪れたのである。


 兄の死を無駄にはしない。

 右手首に巻き付けた赤い飾り紐。形見となってしまったそれを、クリストファーは我知らず握り込んでいた。


「歓迎の労はありがたいですが、失礼ながら基地の空気には緊張感が欠けているように見受けられます。我が兄が命を落としたのも、現場の冒険者たちが私利私欲に走り、規律を乱した結果ではないのですか? 僕が来たからには、そうした甘え切った気風を叩き直させていただきます」


 尊大で不躾とも取れる不満の吐露。しかし、グスタフはその言葉に対しても声を荒らげることはなく、ただ静かに受け止めた。


「……お若さゆえの情熱と、兄上を喪われたお痛みからの言葉とお受けしよう、卿。だが、現場の現実は王都で学ぶ机上の知識とは少々趣が異なるものだ。言葉が時として己を刺す刃となることだけは、お心に留めておかれるといい」


 グスタフが静かに諭していたその時、重厚な鉄の扉が押し開かれ、二人の男性が室内へと入ってきた。

 一人は使い込まれ無数の傷が刻まれた重装甲を纏う筋肉質で大柄な壮年。もう一人は大剣を担いで要所を金属で覆った革鎧に身を包み、隙のない身のこなしの中年。


「総括司令、先ほど外回りから戻った。異常な点は――あん?」


 報告のためにグスタフへ歩み寄ろうとした壮年の男だったが、室内に漂うピリピリとした緊迫感と、新参の少年が放つ視線に気づき、足を止める。

 グスタフは視線を送ると、新たに入室した二人に向けて声をかけた。


「ちょうどいいところに来てくれた、ゲオルグ、ダルカス。こちらは王都から視察に来られたクリストファー卿だ」

「へっ、王都のボンボンか。随分と威勢のいい目をしてやがるが……現場を知らねぇガキが、いったい何の用だ?」


 ゲオルグの遠慮なく品定めするような視線に、あからさまに鼻を鳴らす不躾な態度。さらには挑発的な物言いに、クリストファーの胸中でくすぶっていた感情が一気に跳ね上がった。


「規律も守れず仲間を見殺しにするような者たちに、これ以上この基地を任せておくわけにはいかないと思ってここに来た! 事故で死人が出るような無様な真似を今後許すつもりはない。そのつもりで気を引き締め直してもらおうか!」


 ゲオルグの目つきが急に鋭さを増す。


「あぁん!? 仲間を見殺しだと……? ふざけやがって! 俺様たちが命を張ってこの最前線の壁を維持しているからこそ、貴族様が温かいベッドで眠れるんだろうが! 命を削ったこともねぇ鼻垂れ小僧が、現場のやり方にケチつけてんじゃねぇぞ!」


 ゲオルグの怒声が司令室の壁に反響し、殺伐とした空気が一瞬で場を支配した。緊張の糸が弾け飛び、互いに手を伸ばせば届く距離で一触即発の危機が訪れる。

 その時だった。二人の間に、必死の様相で割り込んできた人影があった。


「そこまでです、お控えください!」


 クリストファーの背後に控えていた従者兼護衛のレイラだった。二十歳という若さながら実務をこなす彼女は、冷や汗を拭いながらクリストファーを庇うように立ち塞がり、深々と頭を下げた。


「恐れ入ります、ゲオルグ殿! 主人は長旅の疲れと兄上を想う心労から、少々不躾な発言をしてしまいました。決して皆様の功績を侮辱する意図ではございません。どうか、どうかご容赦を……!」


 レイラの必死な態度と、グスタフの目配せを受け、ゲオルグは大きく舌打ちをした。


「……チッ。おい総括司令、俺様はこんな青二才の相手をしている暇はねぇんでな。失礼するぜ」


 ゲオルグは怒りを収めきれない様子で吐き捨てると、荒々しい足取りで踵を返す。

 その視線が少年の右手首で一瞬止まったことに、気が付いた者はいなかった。


「ゲオルグ。クリストファー卿の案内を誰かに頼みたいのだが――」


 ばしん! ばたん! という音が、グスタフの声に対する返答であった。

 前者はゲオルグがダルカスの背中を叩いた音。後者はそのまま退室した彼が強く扉を閉める音である。

 残された室内に、重苦しい沈黙が降り立つ。グスタフは静かに息を吐くと、クリストファーへ視線を戻した。


「……ご覧の通りだ、卿。彼らは荒っぽいが、この過酷な最前線で命を懸けて戦い続けている者たちだ。王都の物差しだけで彼らを測ろうとすれば、摩擦を生むばかりか、いずれ致命的な歪みを生むことになる」


 グスタフの静かな警告に、クリストファーは悔しそうに拳を握りしめたが、言葉を返すことはできなかった。


「いてて……やれやれ、初日から大荒れだな。……で、どうやら俺がこの基地を案内することになったらしい。

 ダルカスだ。よろしく頼むよ、坊ちゃん」

「……無駄口を叩くな。案内するというならさっさとしてくれ。グスタフ総括司令、失礼する」


 飄々とした態度のダルカスが差し出した手は空を切る。

 申し訳なさそうに頭を下げるレイラに軽く肩をすくめて返したダルカスは、クリストファーの後を追って外に出た。

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