薔薇の花束
街はすっかりバレンタインの空気だった。道行くお店にはハートの装飾やカラフルで色々な形の美味しそうなチョコレートの数々。
今まで友人との交換とか推しへの投票とかで送ったことはあっても、ちゃんとした本命のチョコなんて用意したことがない。そもそも、今のテオも甘いものは大丈夫なんだろうか。
隣を歩くテオを盗み見ると、小さく笑ってこちらを向いた。
「どうした?」
そんなに私の視線は分かりやすいかな。とりあえず探るように、当たり障りなく話題を振ってみる。
「もうすぐバレンタインだなって思って」
「そうだな……
パティシエの友人がいるが、この時期とクリスマスは特に大変だって愚痴を聞かされる」
「やっぱりそうなんだ……」
試作品をよく食べさせられる、と苦笑いするからには、甘いものは大丈夫なんだろう。というより、本職のご友人がいるなら、これは下手なものは贈れないんじゃない??
「もしよければ……」
少しいい淀むように、テオは私の方を見る。……心なしか頬が少し赤い。
「よければ、その、悠希の作ったプリンが食べたい」
プリン。向こうの世界で、旅の途中に何度か作った。実際に食べたのは前のテオなので、こちらのテオは初めて食べることになる。
「だめか?」
ダメ押しのように、おずおずとこちらを伺う顔で覗き込まれては承諾する他ない。その顔はずるい。
「ううん、全然、もちろん!!」
こっちのほうがもちろん材料や道具は充実している。あのときよりちゃんとしたものが作れるだろうし、折角なので試作もしたい。
私がガッツポーズを作ると、テオは楽しみにしてる、と嬉しそうに笑った。
◇
バレンタイン当日。家にやって来たテオは、玄関先で私に花束を手渡した。
「わあ、薔薇だ!」
「日本ではチョコレートの日になっているが、花を贈る日だからな」
にっと口角を上げて笑う顔にどきりとする。海外では、大切な人に花を贈るというのはもちろん私だって知っている。
真っ赤な薔薇に、周りを飾るのは白いカスミソウだ。そっと受けとるとほのかに香りが届く。卒業みたいなイベント事以外で花をもらうのは、初めてかもしれない。
普段花を飾る習慣はないけれど、家を出るとき花瓶はひとつは持っておけと持たされていた。もらった花束を早速飾りつつ、母の先見の明に感謝した。
テオが何か手伝うか?と聞いてくれたけれど、今日は私一人で作りたい。そう言うと、それじゃあと、後ろからじっと作業の様子を見てくる。背中に気配を感じるのが、色々な意味で落ち着かなくてやりづらい。
「テオ、すごく楽しそうだね……」
「ああ、楽しい。」
振り返ると、それはそれは楽しそうな顔で眺めているので、向こうに行っててとは尚更言い出しづらくなってしまった。私の負けだ。
◇
天板にココットを並べて、お湯を張ってオーブンにセットする。あとはコーヒーを淹れて、ソファで焼き上がりを待つことにした。
湯気のたつコーヒーを飲みながら、オーブンからはプリンの焼けるいい匂いがほんのりしていた。あいていた右手をそっと隣のテオの左手に伸ばすと、笑ってきゅっと力を入れてくれる。ああ、いいなあ。落ち着くし暖かい。
テーブルに飾った薔薇の花束を眺めながら、ふとあることを思い出した。
「そういえば、薔薇って本数で花言葉が違うって聞いたことあるな」
何本でどんな意味があるかはしっかり覚えていないけれど、昔何かで知って感心した記憶があった。
「ん?……ああ」
……あれ? 少し、歯切れの悪い返事に違和感を覚えてテオの顔を見上げると、ちょっと斜め上を見ている。これは……
「テオ、知ってるんだ?」
「……まあな」
知っているということは、この花束もそのつもりで持ってきてくれたんだろうか。カスミソウに縁取られた薔薇の数は、全部で5本。
「5本の薔薇だと、どんな意味なの?」
教えてくれなさそうな様子のテオに、先ほどの仕返しとばかりにじとっと見ると、髪をくしゃくしゃとかき混ぜて小さくため息をついた。こちらを向いて、私の頬にそっと手を伸ばす。
「……あなたに出会えてよかった、だ。」
目を細めて、頬を撫ぜた指がそのまま私の髪をくるくるといじる。顔を覗きこむような体勢なので、当然先程より距離が近い。自分の心臓の音が、体全体から聞こえるみたいだ。
と、静かだった部屋にオーブンの止まる電子音が響いた。
「焼けたな」
「……うん」
テオは笑って私の頭をくしゃっと撫でてソファを立った。心臓はまだどきどき大きな音をたてていて、ちょっとだけ残念な気持ちになりながら──残念な気持ちってなんだ?!?!と脳内で頭を抱えつつ、テオのあとについてオーブンを覗きこんだ。
扉を開けると甘い香りが広がる。ココットを揺らしてみると、うん、いい感じに揺れた。念のため一つ竹串刺してみる。大丈夫そうだ!
「……食べてもいいか?」
一部始終を見守っていたテオが、少しそわそわした感じで尋ねてくる。かわいいじゃないか。そんなに楽しみにしてくれていたなら、こちらとしても嬉しい。
「うん!私は焼きたてが一番好き」
渡したスプーンですくって口に入れるのを緊張して見ていると、テオの目がふにゃっと幸せそうに細められる。
「美味い」
思わずその顔に見とれていると、テオが次のひとくちをすくって私に差し出した。
えーと、、このまま、食べろと。
あーんというやつだし、それに今テオが食べたから、これはいわゆる……間接キス……という……やつでは……?
テオの顔はニヤリと笑って楽しそうだ。
「食べないのか?」
観念して差し出されたスプーンからプリンを食べると、バニラの香りで満たされる。甘すぎず、カラメルのほろ苦さがちょうどいい感じだ。自画自賛だけどこれは結構美味しいと思う。練習の成果がでたな。
そんなことを考えていると、残りはあっという間にテオの口の中へ消えていった。
「もう一つ食べていいか?」
わざわざ許可をとるところが律儀で、そしてそういうところが好きなんだよなぁと思う。
「テオに作ったんだから、全部食べたっていいんだよ」
ぱっと嬉しそうな顔をするテオに笑みをこぼす。本当に、また作ろうという気にさせてくれるなぁ。
「悠希、ありがとうな」
「こちらこそ、美味しそうに食べてくれてありがとう」
今度は一緒に作ってみたい、というテオに、笑顔で私も頷いた。