86 再会
「何をしているの! 逃げるのよ! 生き延びて、必ず仇を討つのよ!」
ウルスの不甲斐なさに腹が立ち、思わず大声を出してしまったウルスラは、自分の声に驚いて目が醒めた。
見知らぬ部屋だ。
不用心なことに、半分開いたままの窓から朝日が差し込んでいる。
意識がハッキリして来ると共に、身体に違和感を覚えた。
「どうしたのかしら?」
そう呟いた自分の声に驚いた。
野太い、男のような声だ。
ガバッと上半身を起こしてみると、身体の異変は明らかだった。
自分の、いや、自分とウルスの身体ではない。
目の前に手を出してみると、ごつい男の手だ。
その手で顔を撫でると、ザラザラした髭の感触があった。
慌てて辺りを見回すと、呆れるほど物がない。
今まで横になっていた寝台以外は、大きな水瓶が置いてあるくらいだ。
ハッと気づき、水瓶の蓋を外して水面を覗き込んだ。
そこに映っていた顔は。
「タロス!」
驚く間もなく、ドンドンと部屋の扉が叩かれた。
「おれだ、ベゼルだ。どうした、ティルス、今朝は寝坊か?」
そう言うなり、許しも請わずに入って来た。
ごつい身体つきの大男で、体中に傷跡があった。
うねうねと波打つ癖のある長い黒髪を後ろで束ねている。
瞳の色は焦げ茶色だ。
「ん? どうした、ティルス。おまえ、様子が変だぞ。目の色が薄くなってないか?」
入って来た男に問われ、ウルスラは咄嗟に俯いた。
フッと身体が浮揚するような感覚があり、現実感が薄れた。
ウルスラのよく知っている、人格交替の感覚であった。
タロスそっくりの男は、自分の意思で顔を上げた。
「おお、ベゼルか。すまん。寝過ごしたようだ」
ベゼルという男は不審げにこちらを見ていたが、首を傾げた。
「うーん、目の色が戻ってるな。光の加減だったのか。まあ、いい。そんなことより、今朝は稽古は中止だ。ルキッフが呼んでる」
「そうか。わかった。すぐ支度する」
支度といっても、先程の水瓶から柄杓で水を汲んで、顔を洗って、口を漱ぐくらいである。
その間、ウルスラはずっと様子を見ていたが、わかったのは、この男がティルスという名前らしいことと、ウルスラの存在に全く気がついていないということだけだった。
男二人は部屋を出た。
周りの建物から見て、どうやらここは砦の中のようだ。
その中でも、とりわけ大きな建物に二人は入って行った。
中は円形の広間になっており、大勢の男が集まっていた。
皆ひと癖ありそうな面構えをしている。
思い思いに座ったり、寝そべっていたりしており、特に礼儀などないらしい。
その正面の一段高い場所に、片目に黒い眼帯をした男が座っていた。
周りの様子から、この集団の首領と思われる。
遅れて来たベゼルとティルスの二人が座るのを待って、眼帯の首領が喋り始めた。
「みんな、急に集まってもらって、すまない。おれ一人で決めてもいいんだが、一応、主だった者の意見を聞いておきたい、と思ってな」
周囲がザワついた。滅多にないことなのだろう。
「実は、先日手打ちしたばかりの『暁の軍団』から、同盟の申し入れがあった」
あちこちから声が上がり、騒然となった。
「また騙されるぞ!」
「信用ならねえ!」
「バポロの計略だ!」
首領は、辛抱強く騒ぎが鎮まるのを待った。
「おまえたちの気持ちは良くわかる。おれだって、バポロを信じちゃいない。だが、今回の話は、バポロからじゃないんだ」
一旦静かになっていた広間が、前以上に喧しくなった。
「静かにしやがれ!」
ついに我慢し切れなくなった首領が大声で怒鳴ったが、一向に治らない。
と、広間の奥から、シャン、シャン、と鈴を鳴らすような音が聞こえて来た。
同時に、聞いたことのない言葉で、呪文を唱える声もしている。
次第に男たちは静かになり、そちらに注目した。
現れたのは、明らかに北方蛮族とわかる者たちに取り囲まれた、派手な仮面の男だった。
この男だけは蛮族ではないらしく、仮面からはみ出した髪が金色だった。
首領はホッとしたように、「本人から喋ってもらおう」と、仮面の男を手招いた。
仮面の男は、蛮族たちに下がるよう手真似で指示すると、首領の横に立った。
「わたしは、蛮族の帝王、カーンである!」
その声を聞いた瞬間、ティルスの顔が上下して瞳の色が変わった。
その口から、声は男のものながら少女のような抑揚で「そんな、まさか……」という言葉が洩れた。




