81 リード湊の攻防(3)
話は少し遡る。
縄張りを懸けた闘士同士の試合で、罠を仕掛けたために却って墓穴を掘り、剰え自分は獣人となったゾイアに怯えて失禁してしまった『暁の軍団』団長のバポロは、その後、酒も飲まずに自室に引き籠ってしまった。
その間に、ゾイアに襲われた際に這って逃げた腹心の部下が、『荒野の兄弟』と手打ちを済ませていた。
国同士なら戦争になってもおかしくない状況であったが、野盗同士が争っても、周辺の勢力に付け込まれるだけだという認識で一致したのである。
その代わり、圧倒的にこちらが不利な条件で縄張りの線引きが為されたが、一応お伺いを立てられたバポロは、「好きにせい」と言ったのみだった。
その頃には、酒焼けして赤かった鼻も、すっかり白くなっていた。
七日目の朝、バポロはさすがに酒が飲みたくなり、小姓を呼んで葡萄酒を持って来させると、杯に注ぐのももどかしく、瓶に口を付けてガブガブ飲んだ。
鼻も赤くなり、人心地がついたところで、小姓に「窓を開けよ!」と命じた。
あれ以来、窓を開けるのが怖くなって、ずっと閉め切っていたのである。
窓を開けさせると、小姓は下がらせた。
ここはゾイアが露台から侵入した部屋とは反対側に面する部屋で、窓からは城外の景色が見える。
遥かに翳む辺りを、大きな帆を張った船がゆっくり進んでいた。
西廻り航路でスカンポ河を遡上する早船であろう。
「余もいっそ、旅にでも出るか」
バポロは、柄にもなく感傷的になっていた。
因みに、領主になりたいという憧れは捨てられず、未だに自分を余と呼んでいる。
と、外から一陣の風と共に、何か白いものが飛んで来た。
小鳥かと思ったが、そのヒラヒラした飛び方は鳥とは違っている。
「コウモリか?」
バポロはこの年齢になるまで、真っ白なノスフェルというものは、見たことは勿論、聞いたこともなかった。
白いノスフェルは、バポロが座っている机の上に留まった。
普通のものより、随分大きいようだ。
顔も、小型の肉食獣であるイタチに近い。
「何じゃ、こいつは?」
バポロが小姓を呼ぼうかと腰を浮かせかけた時、白いノスフェルが口を開いた。
「話がある」
「わ、わわわっ」
逃げ出そうとするバポロに、白いノスフェルは「待て。おぬしにも得になる話だ」と続けた。
一旦身を乗り出しかけたバポロは、「信じられるか!」と上体を反らした。
「信じる信じないはおぬしの自由だ。話だけ聞かぬか?」
「そもそも、おまえは何者だ。無礼だろう!」
「おお、そうだな。名乗っておこう。わたしは蛮族の帝王、カーンさまの使いだ」
「蛮族の帝王?」
「そうだ。長らく絶えていたその地位に、中原より飛来して、就かれたお方だ」
「意味がわからん」
「わからずともよい。カーンさまは対立する部族を纏め上げ、統一された。そして命じられたのだ。北方を捨て、中原へ行くと」
わからぬながらも興味を惹かれ、バポロは座り直して葡萄酒をもう一口飲んで、尋ねた。
「何故北方を捨てる?」
「その名を口に出せぬあるものが、五百年ぶりに現れたのだ」
「ドゥ、あ、いや、わかった。そうなのか。しかし、中原に出るにしても、北長城があるではないか」
「長城は越えぬ。越えて辺境に入ったところで、広いばかりで食べるものがない。飢えて弱ったところを叩かれる。五百年前と同じことになってしまう。カーンさまは、寧ろ河を越えよ、とおっしゃっている」
「スカンポ河を越えるだと? あり得ん!」
「いや、すでに準備は整った。後は機会を見計らうのみだ」
「うーん、とても勝算があるとは思えんな。しかし、それと余が、何の関係があるのだ?」
「渡河したとして、中原側に協力者がいなければ、それ以上進めん。カーンさまは、古い城を所有する野盗がいたはずだから、接触し、味方にせよ、と言われた」
バポロは顔を顰めた。
「随分勝手な言い種だな。おまえたちに協力したとて、余に何の得がある?」
「領主になれる」
「な、何だと!」
「いや、場合によっては、国王になれるかもしれぬ」
「ど、どこの国だ?」
「バロード」
バポロは、もう一口葡萄酒を飲むと、ニヤリと笑った。
「その話、気に入った。協力しよう」
斥候から『暁の軍団』千名が迫っていることを聞いたニノフは、蒼白になった。
この戦況で前後から挟まれれば、創設されたばかりの機動軍は全滅しかねない。
斥候の報告を横で聞いていた部下の一人が「已むを得ません。今ならまだ間に合います。逃げましょう!」と進言した。
ボローの部隊を見捨てても、全滅は免れよう、というのである。
「そうだな」
ニノフがあっさり頷いたため、退却を進言した部下の方が驚いた。
「良いのですか?」
「ああ、逃げるとも。但し、横でも後ろでもない。前にだ!」
ニノフの色白の頬が、激しい闘志で紅潮していた。




