73 紅の使者
当然のことながら、龍馬の厩舎は、普通の馬とは分けられている。
マーサ姫は、いつの日か龍馬に乗りたいと願い、以前からそこを訪れては給餌の手伝いなどをしていた。
龍馬にも飼葉は食べさせるが、それ以外に蘇摩が与えられる。
神の薬草とも言われる蘇摩は、人間には幻覚作用を齎すが、龍馬には無尽蔵の活力の源となる。
マーサ姫は乾燥させた蘇摩を与えながら、「今日はわらわを乗せるのよ、いい?」と頸筋を撫でた。
銀色に光る鱗は、見かけと違い、サラサラした手触りである。
龍馬は、美しく澄んだ黒い瞳でジッとマーサ姫の顔を見ていたが、軽く嘶いて、首を縦に振った。
マーサ姫は嬉しそうに笑った。
「そう。ありがとう。じゃあ、行きましょう!」
真っ赤な甲冑に身を包んだマーサ姫は龍馬に跨ると、一路南を目指し、颯のように駆けて行った。
マーサ姫の目指すクルム城では、愈々バロード共和国との同盟の調印式が行われようとしていた。
カルボンの名代である特命全権大使としてやって来たのは、共和国参与という肩書のクジェケという中年の男であった。
魔道師が着るようなフード付きのマントを身に纏っている。
勿論今はフードを下ろしていた。
前を切り揃えた銀色の髪に、薄いブルーの瞳をしている。耳がやや尖っていた。
「お初にお目に掛かり、恐悦至極に存じ上げます、アーロン辺境伯閣下」
型どおりの慇懃な挨拶であったが、アーロンには、少々胡散臭く思えた。
「痛み入ります」
アーロンの応答に何事か感じ取ったのか、クジュケは苦笑した。
「どこの馬の骨ともわからぬ魔道師が、何故に全権大使かとお思いでしょうな」
アーロンは慌てて否定した。
「いえ、決してそのようなことは」
「良いのです。わたくしが閣下のお立場でも、同じ気持ちになるでしょう。少し、お話しさせていただけますか?」
「無論です」
ありがとうございます。
さて、そもそも辺境伯とバロード王家は千五百年前からの誼があり、千年前に聖王国が滅んで御子孫が魔道師の都エイサに逃れた後も、細々ながら親交が続いておりました。
閣下と顔見知りの御貴族も多い中、わたくし如き魔道師上がりがしゃしゃり出るのは烏滸がましい話です。
いえいえ、これは事実でございますから、お気になさらずに。
わたくし自身エイサに住んでおりましたが、その中にあったバロード王家領に入ったこともなく、カルス王が王国再興を果たされた時にも、将来自分が係わることになるなど夢にも思っておりませんでした。
全ては、ガルマニア帝国の暴挙に起因します。
千年の独立を冒され、多くの塔が焼き払われ、魔道師たちは散り散りに逃亡しました。
わたくしも親戚の伝手を頼り、バロード自治領の片田舎に身を潜めました。
自治領とは名ばかりで、事実上ガルマニア帝国の占領下でしたので、長く住むつもりはございませんでした。
当然、その時にはカルボン卿を良くは思っておりませんでした。
あからさまにはできなかったでしょうが、多くの国民もそうであったと推察しております。
その後、経緯はどうであれ、カルボン卿はガルマニア帝国に叛旗を翻されました。
国民の喜びは如何許りであったか。
わたくしも、自ら新しい政権に馳せ参じました。
何しろ、ガルマニア帝国には、かの憎きブロシウスがおります。
魔道に対抗し得るは、魔道のみ。微力ながら、わたくしをお使いくださいと申し入れたのです。
カルボン卿、いえ、カルボン総裁は、そんなわたくしをお引き立てくださり、共和国参与にご採用くださいました。
この度、辺境伯閣下より同盟のお呼び掛けがあったと聞き、恩讐を超えたそのご決断にいたく感動致し、わたくしの方からこの大役に名乗りを上げたのです。
何卒、宜しくお願い申し上げまする。
「おお、こちらこそ、宜しくお願い致します」
そう答えながらも、自分語りの長さに、アーロンは少々辟易していた。
傅役のシメンが、「マリシ将軍より、火急のご使者が参りました! マーサ姫にございます!」と駆け込んで来た時は、寧ろ、ホッとしたくらいである。
「すぐにお通ししろ!」
言ってしまってから、クジュケを同席させたままでいいのか、アーロンは迷った。
それを察したのか、クジュケの方から「暫し、お外し致しましょうか?」と申し出た。
こちらの出方を窺うような、微妙な表情である。
「それには及びません!」
そう言いながら、マーサ姫が入って来た。
既に兜は脱いでいるが、真っ赤な鎧はそのままだ。
「いずれはバロードにも、いえ、中原全体に関わることにございます!」




