64 秘密
カルボンの予想以上に噂の反響は大きかった。
中には、すぐにでもニノフを王位に即けるべきだと言う者もいた。
未だに行方不明のウルス王子より、王に相応しいというのである。
勿論、その話は本人の耳にも届いていた。
「ニノフが王さまになるなら、おれは一番目の臣下になるぞ」
そう言ったのは、ごつい体格の黒髭の男である。
髭だけでなく、はだけた胸元からのぞく胸毛も真っ黒だ。
大熊騎士団のボローであった。
ちょうど共同の練兵が終わり、金狼騎士団の宿舎内にあるニノフの居室で、干し肉を肴に二人で酒を酌み交わしているところであった。
言われたニノフは半分困ったような笑みを浮かべた。
傭兵には珍しく痩せ型のしなやかな体つきをしている。
「おまえの気持ちは嬉しいが、おれには王になるつもりなどないよ」
「何故だ? 今どこにいるのかもわからない、弱虫の弟に遠慮してるのか?」
ニノフの顔から笑顔が消えた。
「よしてくれ。確かにおれは父を憎んでいたが、ウルス王子については何の恨みもない。寧ろ気の毒だと思っている。そんなことより、おれはただ、母国であるバロードを護りたいだけなのだ」
「しかし、今の政府は」
言いかけたボローを片手で制し、ニノフは耳を澄ました。
「来客のようだ」
すぐに表が騒がしくなり、「構わんでよい、微行だ」という声が聞こえて来た。
ボローの顔色が変わった。
「あの声は、まさか……」
すぐにニノフが席を立って居室の扉を開けると、削いだように頬がこけた陰気な顔の男が立っていた。
カルボンである。
さすがにニノフも驚いた顔になった。
「これは総裁閣下。このような下賤な場所に御自らお出ましとは、如何されました? まさか、敵の急襲でございますか?」
カルボンは意味不明のニヤニヤ笑いを浮かべて立っていたが、愛想笑いのつもりようだ。
「いやいや、大事ない、気にするな。救国の英雄と話がしたくなっただけだ」
アングリと口を開けていたボローは、ハッと気づいて立ち上がり、「し、失礼いたしました。ど、どうぞ、ごゆっくり」と、慌ただしくテーブルの上を片付けて、そのまま出て行った。
カルボンは、ボローが座っていた席に手布を敷いて座り、「少し話そう」とニノフにも座るよう促した。
「はっ、失礼いたします」
ニノフが向かい合わせの席に座ると、カルボンはまたニヤニヤ笑いながら「まあ、そう固くなるな」と言ったが、自分も緊張のためか膝が細かく上下していた。
「畏れ入ります。して、お話とは?」
「うむ」
カルボンはわざとらしく左右を見回し、「噂は聞いておる」と小声で告げた。
「噂、と申しますと?」
「惚けずともよい。おまえの出生のことだ。真実か?」
ニノフは表情を引き締めた。
「確かに、わが母が先王の寵愛を受け、その結果、自分が誕生したのは事実です。しかし、先王が、母に僅かな手切れ金と自分の子である旨の書付だけを渡し、お棄てになったのも事実。自分は、先王を親と思ったことはございませぬ」
カルボンは、同情するように、何度も頷いた。
「痛ましいのう。わしもカルス王に長年仕えておったが、高貴なお生まれのせいか、他人の気持ちがわかられぬところがあったな。まあ、それもあって、国家存亡の危機に当たって意見が対立し、不幸な結果となったのだが」
カルボンは、改めてニノフの顔を見た。
「成程のう。やはり、面差しが似ておる。しかし、苦労をした分、むしろ、カルス王以上の器かも知れぬな」
「いえ、そのようなことは」
カルボンは、狡そうに笑った。
「良いではないか、誰も聞いてはおらん。まあ、今すぐにとは行かぬだろうが、将来的にはそれが望ましいと、わしは思っておるよ」
ニノフは激しく首を振った。
「買い被りでございます、総裁閣下」
「まだ先の話さ。それより、今は別にお願いしたいことがあるのだ」
「何でございましょう?」
「うむ。先のシャルム渓谷の戦いで、おまえたち傭兵騎士団の名声は高まったが、それを快く思わぬ者もおる。この際、傭兵騎士団全てを統括し、新たに機動軍を創設しようと思っておる」
「機動軍?」
「そうだ。正規軍とは独立した、総裁直属の軍とする。対等な立場となれば、古株の将軍たちもごちゃごちゃ言わんさ。そして、当然、機動軍の初代の将軍はおまえだ、ニノフ」
「そ、それは」
「遠慮することはない。誰も文句は言わんさ。また、言わせぬ。引き受けてくれぬか?」
ニノフは立ち上がり、「身命を賭して、相務めさせていただきます!」と敬礼した。
「おお、よくぞ申した。では、頼んだぞ」
上機嫌でカルボンが帰った後、一人部屋に残されたニノフは苦笑して「狐め、してやったりと思ってるがいいさ」と呟いた。
と、ニノフの首がカクンと下がり、顔を上げると、コバルトブルーの瞳の色が、灰色に近い薄い青に変わっていた。
「お兄さま、どうして父上の仇を討ってくださらないのですか?」
その口から出た声は、明らかに女のものであった。




