58 海賊の島(2)
その夜、ツイムの心配どおり、嵐となった。
気候の穏やかな中原では経験したことのない風雨の強さに加え、スカンポ河を下っている時にはなかった大きなうねりを伴う波に、ウルスはすっかり参ってしまっていた。
胃の中が空っぽになるほど吐いても吐いても、一向に吐き気は治まらず、船室の寝台で身動きもできなくなった。
勿論、海賊上がりだというツイムは、船酔いなどとは無縁のようであったが、頻りに外の様子を気にしていた。
「どうしたの?」
真っ青な顔で、息も絶え絶えになりながらも、ウルスは聞かずにはいられなかった。
「ああ、すみません。ウルスさまのお加減が悪いのに、何度も甲板に行ったり来たりしてしまいまして。静かにいたします」
「それはいいんだけど、気になることでもあるの?」
ツイムは少し躊躇っていたが、結局、話した方が良いと思ったようで、ウルスの寝ている横に座った。
「ええ。二つ、ございます」
「一つは?」
「はい。今日申し上げましたように、この近くは多島海になっています。そのお陰で、ウルスさまには信じられないでしょうが、これでも波が弱められているのです。反面、浅瀬が多いため座礁の危険も大きく、これだけ船が風に流されて針路が逸れると心配でした。が、幸い、船員たちは熟練者揃いのようで、まず大丈夫でしょう」
「もう一つは?」
ツイムは困ったような笑顔になったが、言わねば、余計に心配させることになる。
「これは、あくまでも可能性がある、という話です。わたしが海賊であった頃、船を襲うのは、波の穏やかな時でした。海が荒れていては、接舷して乗り移ることができませんからね。ところが、最近の海賊は、警備船の見廻りが厳しいため、手薄になる嵐の時を狙うという噂を耳にしたことがあるのです。一旦航行不能な状態にして、嵐が治まってから乗り込んで来たり、船ごと自分たちの拠点に曳航したり」
ツイムがそこまで話した時、俄かに船上が騒がしくなった。
船員たちの怒号が聞こえ、その中に、「海賊だ!」という言葉もあった。
ツイムは、食い縛った歯の間から押し出すように「やはり来たか」と呟いて、拳で横の壁を殴った。
が、すぐにハッとしたようにウルスに向き直り、「動けますか?」と尋ねた。
「う、うん」
ウルスはそう言って上半身を起こしたが、また気分が悪くなったようで、頭を押えた。
ツイムは、ウルスの横に屈んで背中を向けた。
「負ぶって差し上げます。苦しいでしょうが、どうか、お急ぎください!」
最早喋ることもできず、ウルスは黙ってツイムに負ぶさった。
「暫くご辛抱ください!」
ウルスを背負ったまま、ツイムは甲板に駆け上がった。
雨足がやや弱まったとはいえ、驚くべき数の火矢が射込まれ、あちらこちらでブスブスと燻っていた。
雨でも火が消えないところを見ると、特殊な油を布に染み込ませているのだろう。早くも、帆の一部が燃え始めていた。
船員総出で消火に当たっているようだが、その頭上からさらに火矢が降り注ぎ、悲鳴や絶叫が上がっている。
姿勢を低くして、物陰から周辺の海上を見渡したツイムは、「敵は二艘、いや、三艘か」と言って、唇を噛んだ。
「やむを得ん、逃げましょう」
気絶したのか、グッタリしているウルスにそう言うと、ツイムは救命舟のある方へ走った。
上から落ちて来る火矢を避けながらであるが、中にわざと火を点けない矢が混ぜられており、油断ができない。
舟に辿り着くとすぐにウルスを背中から降ろし、矢が刺さっていないことを確認すると、大きく息を吐いた。
そのまま抱きかかえて舟に乗せ、自分も乗り込むと、繋ぎ留めている綱を、これだけは肌身離さず持っている船乗り用の小刀で、プッツリと切断した。
フワッと落下する感覚があり、やがて水面に到達した衝撃と共に水飛沫が体にかかった。
周囲は暗く、何も見えない。
「後は、海の女神に祈るのみ、か」
ツイムがそう呟やくと、救命舟が波に押され、早船の影から出て、甲板の燃え盛る炎に照らされた。
その明かりを利用して、ツイムは、未だ目醒めぬウルスの顔を心配そうに見つめた。
と、ウルスの目がバチリと開いた。
だが、その瞳の色は、ツイムのよく知っているコバルトブルーではなく、限りなく灰色に近い薄いブルーだった。




