4 赤い河を越えて
こんな状況で眠れるわけがないと思っていたが、ウルスがふと気づくと、ゾイアの背中に頬を付けていた。顔を上げると、すでに空が白み始めている。いつの間にか眠ってしまったようだ。
それほどゾイアの強さは圧倒的だったのだ。
腕力もさることながら、一度剣を手にするや、その剣技は超絶的であった。ウルスが両手で持ち上げるのがやっとだった剣を、片手で自在に左右に振り回し、空いている方の手でウルスが落ちないよう支えていた。
相手がンザビでなかったら、とっくに勝負は着いていただろう。当たり前だが、そもそも死んでいるンザビには、どれほどの斬撃も致命傷とはならない。
さしものゾイアにも疲れが出始めたようで、ウルスにも、動きがやや鈍くなって来ているように思われた。
「ゾイア、大丈夫?」
「おお、目が醒めたようだな。大丈夫さ。間もなく夜が明けるからな。死霊に操られているのなら、それで大人しくなろう」
ゾイアの言うとおり、長かった夜にも、ついに最初の暁の光が射し初めた。
すると一体、また一体と、ンザビの動きが止まり、崩れるように倒れていった。
朝日が昇り切る頃には、すべてのンザビが動かなくなった。
「終わったようだな。もう降りてよいぞ」
「ありがとう」
ウルスはゾイアの背中から降り、ンザビと成り果てた男たちの屍体を痛ましそうに見た。
「可哀想に。こうなってしまったら、遺体を焼くしかないね」
「そうなのか?」
「うん。普通に埋葬しても、夜にはまたンザビに戻っちゃうんだ。彼らのためにも焼いてあげるしかないんだよ」
「わかった」
ゾイアは草叢から適当な大きさの枯れ枝を集めて積み上げると、軽々と男たちの屍を抱えてその上に重ねた。
ついでに、自分の体格に合う服を一着剥ぎ取って、身に着けた。明るくなれば、全裸は目立つからであろう。
全部積み終わると、遺体の服を探り、火打ち石を出した。何度か石を打ち付けたが、濡れているのか、なかなか発火しない。
横でそれを見ていたウルスが、一度俯いて顔を上げると、瞳の色が灰色に近い薄いブルーに変わっていた。
「ゾイア、わたしが火を点けるから、離れて」
ウルスラの声だった。
「そうか。頼む」
ゾイアが離れると、ウルスラは左手の人差し指を立てて唇に当て、積み上げられた枯れ枝に向かってフーッと息を吹きかけた。
息が指先に触れたところから火が点き、細い炎となって枯れ枝まで伸びる。それが燃え移ると、忽ち大きく炎が上がった。
「便利なものだな」
ゾイアは感心したが、ウルスラは首を振った。
「魔道は、基本的に理気力を使うものだけれど、使う度毎に身体から放出できる水準まで、集中して気を高めなきゃいけない。どうしても時間が掛かるし、今度のことのように大きな悲劇に遭うと、気持ちが萎えて使えなくなるし。わたし程度の能力では、実戦向きじゃないわ」
「そういうものか」
ゾイアが答えた時には、再び顔が上下して、ウルスの目に戻っていた。
「たぶん、この火と煙が追って来る者たちの目印になっちゃうから、早く辺境に逃げた方がいいよ、ゾイア。ああ、でも、人食いザリガニのいるスカンポ河をどうやって渡ろうか?」
「スカンポ河とは、われが落ちた、この河だな」
「そう、別名、赤い河さ。覗いて見てごらん」
その河は向こう岸が霞むほど大きかった。
ゾイアが岸辺の河面から覗き込むと、河底が見えないくらいビッシリと真っ赤な生き物で埋め尽くされている。これがガンクであろう。
「随分いるものだな」
「そうなんだ。今は大人しいけど、動物が水の中に入ったら一斉に襲いかかり、アッという間に骨だけにされてしまうんだ」
「ほう」
「だから、タロスが落ちた時にはもう……」
「そうか。われは落ちた瞬間は覚えておらぬが、別にガンクの鋏に挟まれはしなかったようだ」
「多分、落ちた衝撃で逃げちゃったんだろうね。でも、今度は落ちた直後に飛び出して来るのは難しいでしょう?」
「うむ。どうやって飛び出したのかもわからぬ。だが、そもそもガンクは河底にしかいないのであれば、いるのは浅瀬だけだろう。そっと水面近くを泳いでいけばいいのではないか?」
「え、でも、ぼくは向こう岸まで、とても泳げないよ」
「先ほどと同じで良い。われの背中に乗れ」
ウルスは猶もグズグズ言っていたが、半ば強引に背中に乗せると、ゾイアはそっと水の中に入った。
呼吸を整え、なるべく水流を乱さないよう、ゆっくり泳ぎ出した。
「ウルス! 向こう岸に着くまでの辛抱だ! 確り掴まっていろよ!」
「ああ、そうするよ!」
だが、向こう岸にある辺境地帯が、決して安全とは言えないことは、ウルスにもよくわかっていた。