39 廃墟に潜む者
すぐに声のした方を見たが、相手は巧妙に草叢に姿を隠しており、ゾイアの眼力を以てしても見分けられない。
相手が一人かどうかすら判然としなかった。
ゾイアは油断なく身構えながらも、努めて穏やかな声で話しかけた。
「すまぬ。無人の廃墟と思い、ズカズカと入り込んでしまった。旅の者だが、水と食料が足りず、難儀している。少し分けてもらえぬだろうか?」
返事は真横から来た。
「ならば、何故、剣、持って、いる?」
先程と同じ声だ。物音一つ立てずに移動しているのだ。
ゾイアは一瞬躊躇ったが、カランと剣を捨てた。
ずっと怯えた目で様子を見ていたロックが、小声で「おっさん、大丈夫かよ」と囁いた。
ゾイアは片頬だけで笑い、「案ずるな」と答えた。
両手を広げて武器のないことを見せながら、ゾイアは再び呼び掛けた。
「このとおり、害意はない。勿論、水や食料の代金は支払う。頼む」
今度の返事は真後ろから来た。それも言葉ではない。刀子である。
予期していたらしく、ゾイアはすでに身を屈めており、刀子は頭上を通り過ぎたが、すぐに次が飛んで来た。
「ロック、どこかに身を隠せ!」
叫びながら長剣を拾って刀子を叩き落した。
ロックが慌てて石塀の残骸の裏に回ったのを確かめ、ゾイアは相手のやり方を詰った。
「有無を言わせず刀子を投げるのは、どういうつもりだ? 水や食料を渡せぬというなら、仕方ない。われらは出て行くだけだ」
三度飛んで来た刀子を長剣で弾くと、ゾイアは別の方向へ横っ飛びに走り、草叢の中を移動しつつあった相手を捕まえた。
「おまえは……」
草色に染めた布で全身を覆った相手の手首を押さえながら、ゾイアは、その体格の小さいことに驚いた。
「子供か?」
相手は、巻き付けた布から目だけ出している顔を背け、「馬鹿に、するな」と反発した。
ゾイアは、子供の手を放してやった。
「馬鹿になどしておらぬ。見事な隠形であったぞ。一人であることを悟られぬよう、常に移動しつつ、刀子を投げていたな。だが、おまえ一人で水路や畑を作った訳ではあるまい。仲間はどうした?」
質問に答える代わりに、子供は刀子で自分の喉を突こうとした。
ゾイアは咄嗟に手刀で相手の手を打ち、刀子を落とした。
「よせ! 命を粗末にするな。もう詮索はせぬ。われらはこのまま出て行く」
ゾイアは、追って来られぬよう、この子供を縛って置くべきか迷った。
だが、掟の厳しい部族なら、仲間に処刑されかねない。
放っておくことにした。
どこかに隠れているはずのロックに「おい、行くぞ!」と声を掛け、馬を留めた石柱に向かって歩き出した。
が、その石柱の陰から、刀子が飛んで来た。
先程の子供より、何倍も速い。
さすがにゾイアも避け切れず、グサリと腕に刺さった。
「ぐぬっ!」
辛うじて次に飛んで来た刀子は長剣で叩き落し、腕に刺さった刀子を抜いて、逆に、投げつけた。
石柱の陰から手だけ出して刀子を投げていた相手は、持っていた刀子でそれを弾くと、石柱を回って姿を現した。
全身黒尽くめで、顔すら、目以外は黒い布で覆っている。
「クルム城、から、逃げた、男、だな?」
ゾイアは傷ついた腕を押さえながら、内側から込み上げて来る情動に必死で耐えていたが、「だとしたら、何だ!」と叫んだ。
「連れて、行く」
だが、ゾイアはもう喋ることもできず、「ぐおおおっ!」と吠えた。
アクアマリンの瞳が緑色に光りだし、肌に細かな黒点が多数生じた。
と、ゾイアの瞳の光がスーッと消え、黒点はそれ以上伸びずに止まった。
「こ、これは……」
ゾイアの体は、その場に崩れ落ちるように倒れた。
黒尽くめの人物はゾイアに近づき、爪先で蹴って動かないことを確かめた。
「痺れ薬、効いた、か」
その時、「母者!」という声がし、草色の布で全身を覆った子供が駆け寄って来た。
「すまぬ、コソ泥、逃げた、みたい」
それを聞いても黒尽くめの女は叱らず、「かまわぬ」と告げた。
「それより、この男、荷車に、乗せる、手伝え」
「わかった。どこ、行く?」
「カルボン、の、ところ、さ」
女は、ピクリとも動かないゾイアを見て、低い声で笑った。
しかし、ロックは逃げたのではなかった。隠れたはずの石塀の裏から、忽然と姿を消していたのである。




