33 プシュケー教団
正体不明の連隊(三千人隊)規模の集団は、鬨の声を上げて移動を開始したが、ロックが言うように真っ直ぐこちらに向かっているのかは、まだ明確ではなかった。
「妙だな」
ゾイアはそう呟いて首を捻ったが、すでに浮足立っているロックは、「おっさん、いいから逃げよう!」とゾイアの腕を引いた。
だが、ゾイアはその場を離れない。
「少し待ってくれぬか。西南の方向から進んで来たから、あれがガルマニア軍でないことは確かだ。と言うより、普通の軍隊とは思えぬ。これほどの距離でもわかるが、騎乗してる者を含め、殆ど全員が平服で、甲冑は一切身に着けていない。槍などの武器は手にしているようだが、楯は持っていない。つまり、防御ということを、全く考慮していないのだ。あり得ぬ話だが、つまり、命が惜しくない、ということだ」
「おいらは命が惜しいよ! 逃げよう!」
「大丈夫だ。見たところ弓隊がいない。手にしているのは槍と剣ぐらいだ。それも、まあ、普通の軍隊とは違うところだ。間もなく日も暮れるし、余程接近しない限り、馬で逃げ切れるはずだ」
ゾイアが動きそうにないため、ロックは懇願した。
「だからって、わざわざ危険を冒すことはねえだろう。なあ、頼むよ」
「どうしても心配なら、先に出立してくれ。われは、あれが何者か確認したら、すぐに後を追う」
ロックは馬の方をチラっと見たが、諦めたように項垂れた。
馬は夜目が利く動物で、脚にある指の痕跡で見るという俗説もあるほどだが、それは乗り手の技量があっての話である。
「わかったよ。でも、約束してくれ。危ないと思ったら、すぐに逃げようぜ」
「勿論だ。それに、どうやら向かう先はこちらではないようだぞ」
ゾイアの言葉どおり、謎の連隊は、やや北寄りに進路を変えつつあった。
それを見て、今度はロックが首を傾げた。
「変だな。あのまま進んでも、ずっと緩衝地帯が続くだけで、ベルギス大山脈にぶち当たってしまう。それとも、途中で西か東に曲がるのかな」
ロックの言葉をゾイアは片手を上げて止め、「見つかってしまったようだ。誰か来る」と告げた。
「ええっ、大丈夫かよ!」
「心配ない、一騎のみだ」
東北から真北へ進路を変えつつある集団から、単騎で離れた者がこちらに駆けて来ていた。
害意がないことを示すように、白い上着を脱いで、片手でクルクルと回している。
まだ若い男だ。髪も目も茶色い。
充分声が届く距離まで近づいて、男は馬を止めた。
振り回していた上着を羽織ると、大声で叫んだ。
「旅のお方と見たーっ! 恐れることはなーいっ! われらはプシュケー教団であーるっ! この中原に天国を創るために戦っておるのだーっ! 仲間にならぬかーっ!」
ゾイアは、相手に負けぬほどの大音声で答えた。
「人探しの旅をしている! 仲間になることはできぬ!」
「わかったーっ! 探し人が見つかることを祈ーるっ! 気が向けば、ベルギス大山脈の麓にあるわれらの拠点に参られよーっ! いつでも歓迎するーっ!」
それだけ告げると男は仲間たちのところへ戻って行った。
ロックは、そのプシュケー教団とやらの気が変わって、急に攻めて来たりしないかと不安な顔で見ていたが、その懼れはなさそうだった。
「おっさん、良かったな」
「ああ、一先ずはな」
「なんだよ、心配ないって散々言ってたくせに」
ゾイアは苦笑した。
「そうだな。だが、われらには危険はなくとも、こらからの中原の歴史には、重大な影響があるやもしれぬ」
ゾイアも、そして無論ロックも知らなかったが、プシュケー教団は、これからガルマニア帝国とバロード自治領が激突するはずの予定戦場を通過することになる。
一方、自分たちに害がないと安心したロックは、漸く笑顔になってゾイアに尋ねた。
「おっさんは、何故そう思うんだい?」
「防御をしない、ということは、死を怖れぬ、ということだ。これほど恐ろしい軍団はあるまい。だが、まあ、われらにはウルス王子を探すことが先決だ。先を急ごう」
そのウルスは、ケロニウスのお陰で魔女の疑いも晴れ、再び早船でスカンポ河を南下していた。
ツイムに頼み、船に積まれている本を借りて読んだが、殆どは船に関する本で、ウルスが興味を持てるものは少なかった。
「ねえ、今度湊に着いたら、ちょっと本を売ってる店に寄ってもいいかな?」
ツイムは呆れたように、「何を馬鹿な事を言っておられるのですか」と窘めた。
「あなたさまは追われる身なのですよ。しかも、本は高価な商品です。王子さまには日用品でも、庶民には簡単に手に入るものではないのです。それを年端もいかない子供が買いにいけば、噂が立ちます。絶対におやめください」
「うん、わかったよ」
そう言いながら、次の湊で、ウルスはこっそり船を下りたのだった。




