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34 ダフィネの面

 この時代、本といえば、主に写本(しゃほん)である。

 一冊ずつ丁寧(ていねい)に書き写(うつ)され、羊皮紙(ようひし)などのカバーを附(つ)けて製本される。

 人手(ひとで)も時間もかかるため、必然的に冊数(さっすう)も少なく、高価であった。

 内容は、宗教書・歴史書・兵法書などであるが、人気があるのは、やはり魔道書ということになる。

 因(ちな)みに、物語(ものがたり)は本にされることはなく、吟遊詩人(ぎんゆうしじん)によって詠(うた)われるものであった。

 また、商売として本を売っている店では、同時に魔道関係の道具も扱(あつか)うことが多い。

 中には紛(まが)い物を売っているような、如何(いかが)わしいところもあり、ウルスが訪(おとず)れた店も、見るからに怪(あや)しげだった。

「ここは止(よ)そうよ。あんまりいい感じがしないよ」

 ウルスは独(ひと)り言(ごと)のようにいって、俯(うつむ)いた。

 すぐに顔を上げると、瞳(ひとみ)の色が限りなく灰色に近い薄(うす)いブルーに変わっていた。ウルスラである。

「こんな小さな湊(みなと)に、他(ほか)に本屋なんてありゃしないわ。大丈夫よ。何かあったら、すぐに逃げればいいじゃない」

 再び顔が上下した。

「わかったよ。でも、出来るだけ早く戻らないと、ツイムさんにバレたら大変だよ」

 ツイムが禁じたにも拘(かかわ)らず、本屋に行きたいと言い出したのはウルスラの方である。

 常時表面に出ていられるウルスと違い、人目(ひとめ)のあるところでは隠(かく)れている他(ほか)ないウルスラは、欲求不満で爆発しそうだったのだ。

 もっとも、彼女が見たい魔道書は、女性が触れることを禁じられているため、後(あと)はウルスの人格に委(ゆだ)ねるしかなかった。

 そのウルスが見つけたのが、塔(とう)を模(も)した尖(とが)った屋根のある、怪しげな本屋であったのだ。全体に煉瓦(れんが)造(づく)りであるが、随分(ずいぶん)煤(すす)けて黒ずんでいる。

 入口の扉(とびら)も、いつ掃除(そうじ)したのかわからぬ程(ほど)、木枠(きわく)に埃(ほこり)が溜(た)まっていた。

「もしかして留守(るす)かな」

 扉をちょっと引いてみると、鍵はかかっていない。

 意(い)を決して、ウルスが扉を開(ひら)くと、耳を塞(ふさ)ぎたくなるような音で蝶番(ちょうつがい)が軋(きし)んだ。

「うわっ、気持ち悪い。もう帰ろうよ、ウルスラ」

 ウルスラは用心して表面に出て来なかったが、それが正解だった。

 薄暗(うすぐら)い店の奥から「どなたじゃな?」という、しゃがれた老人の声がしたのだ。

「あ、いえ、すみません。ちょっと本が見たいなと思ったもので。どうも失礼しました。もう帰ります」

 ウルスは、しどろもどろに弁解(べんかい)しつつ、そのまま逃げようとした。

「まあ、待ちなさい」

 ギイッと椅子(いす)を鳴(な)らして立ち上がる気配がし、コツ、コツという音がこちらに近づいて来た。

 奥から現(あらわ)れたのは、枯(か)れ枝(えだ)のように痩(や)せ細(ほそ)った老人であった。

 脚(あし)が不自由らしく、杖(つえ)を突(つ)いている。

 高齢のため髪も眉(まゆ)も真っ白だが、瞳は焦(こ)げ茶色だから南方の出身のようだ。

「本が見たいんじゃろう。上(あ)がるがいい」

「でも」

「遠慮(えんりょ)することはない。見てのとおり、閑古鳥(かんこどり)が鳴(な)いておる。久しぶりの客じゃで、冷(ひ)やかしであろうが何であろうが、大歓迎(だいかんげい)じゃよ」

「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘(あま)えて、少し覗(のぞ)かせてもらいます」

 ちょっとでも本が見られればウルスラが納得してくれるだろうと、ウルスは思ったのである。

 勧(すす)められるまま店内に入ると、老人はランプを灯(とも)してくれた。

 見窄(みすぼ)らしい店構(みせがま)えの割(わり)には、書架(しょか)に並べられた本は充実していた。

 魔道書の基本である『理気学入門(ロゴスがくにゅうもん)』『識不識論(しきふしきろん)』『波動形而上学(はどうけいじじょうがく)』などを始め、あまり一般的とは言えない『呪詛力学(じゅそりきがく)』『大魔道師列伝(だいまどうしれつでん)』などまで置いてある。

 ウルスの興味津々(きょうみしんしん)な様子に、老人は「本だけではないぞ」と、さらに店の奥を案内した。

 そこは、魔道に関する様々な物品で溢(あふ)れていた。

 魔道に使う小杖(タクトゥス)は言うに及(およ)ばず、マント、鞭(むち)、坩堝(るつぼ)、薬草、隠(かく)し武器など、凡(およ)そ魔道師が必要とするものが揃(そろ)っていた。

 その中に、ウルスが今まで見たことのない仮面(マスク)のようなものがあった。

「これは何ですか?」

 ウルスが尋(たず)ねると、老人は目を輝(かがや)かせた。

「おお、それかね。よくぞ気がついたのう。それはダフィネの面といって、わしの母国であるダフィニアに昔から伝わるものじゃ。ちょっとだけなら、着(つ)けてみてもよいぞ」

 ウルスは迷ったが、仮面を着けるぐらいなら構わないだろうと、「はい、ありがとうございます」と礼を言って手に取った。そのまま、部屋の隅に置いてある姿見(すがたみ)の前に行って、顔に当ててみた。

 その途端(とたん)、仮面はウルスの顔に吸い寄せられたようにピタリと貼(は)り付いたのである。

「うわああああーっ!」

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