21 エイサの謎
魔道は、基本的に理気力を使うものであるため、日常の法則の埒外にある。
か細いウルスラの手から迸る波動は、かつて獣人化したゾイアの突進すら止めた。
今、それと同じものを喰らった黒尽くめの人物は、衝撃で後方に飛ばされ、侵入して来た扉の角にぶつかった。
「うげっ!」
はずみで顔を覆っている布の一部が外れ、意外に華奢な口元が見えた。
同時に、手に持っていた刀子もバラバラと落ちた。
だが、ウルスラの方も力を出し切ったらしく、ハアハアと肩で息をしている。
黒尽くめの人物は「お、の、れ」と呻きながら、半身を起こしたが、布に覆われていない口から出る声は、明らかに女のものだった。
そのまま落ちた刀子を拾おうとしたが、反射的にパッと手を引く。
と、今まで手があった位置に、カツンと音を立てて矢が突き刺さった。
更に二の矢、三の矢が飛んで来たが、黒尽くめの女はゴロゴロと横に転がりながら避けた。
そのまま窓際まで転がると、開けられないように板を打ち付けてある窓を蹴破り、一陣の風のように消えて行った。
後を追うように次々に射掛けられる矢も、ついに届かなかった。
「ウルス王子、ご無事でしたか?」
そう言いながらアーロンが入って来た時には、既にウルスラからウルスに替わっていた。
「ああ、大丈夫だよ」
「安堵しました。外出より戻ったら、見張りの者が斃されておりましたので、慌てて武器庫に走り、十字弓を持参しました」
「ありがとう、アーロン。助かったよ。でも、あいつ何者なんだろう?」
「服装から見て、暗殺部族のガイ族の者でしょう。雇い主は、恐らくガルマニア帝国、若しくは、カルボン卿」
だが、ウルスは首を傾げた。
「そうかな? ガルマニア帝国はもう、新バロード王国を滅ぼしてしまった。今はバロード自治領となり、周辺のいくつかの自治領も併せ、裏切り者のカルボン卿が統治している。今更亡国の王子であるぼくを暗殺しようとするだろうか。あ、いや、違うぞ。あいつ、じゃないや、あの女、一緒に来いって言ってたよ。何だろう。ぼくには、まだ利用価値があるということかな?」
アーロンは悩まし気に、「いずれにせよ、ここはもう危険です。移動しましょう」と告げた。
「移動するって、どこへ?」
「北方警備軍が衛る、北長城です。クルム城の方は一先ず落ち着いたので、辺境伯継承のためにも、一度、マリシ将軍と会った方がいいと思いまして。よろしければ、ご同行願えますか?」
「わかったよ。ぼくも、一度は北長城を見たいと思っていたんだ」
模擬試合の後、座ってお茶にしようということになり、ギータから堅焼きパンと薬草茶が供された。
三人で小さな円卓を囲み、試合の緊張から解放されたロックのコソ泥失敗談などで、会話も弾んだ。
ゾイアは試合前よりずっと打ち解けた様子で、自らここに至る経緯を話した。
それを食い入るように聴いていたギータは、ゾイアの話が一通り終わると、小さな革袋を取り出し、卓上に乗せた。
「これはライナから預かった金貨十枚だが、お返ししよう」
サッと空気が張り詰めた。
「それは、依頼を断る、ということか?」
やや気色ばんだゾイアの問いに、ギータは笑った。
「これはわしの言い方が悪かった。案ずるな、一旦引き受けた仕事を断りはせん。そうではなく、今聞いた話には、金貨十枚分の値打ちがあった、ということよ。わしは情報屋だからな。もちろん、軽々に他人に漏らすようなことはせんから、安心してくれ」
「良いのか? われは金貨十枚でも足りぬかと思っておったくらいだが」
「いやいや、逆に、わしの方もそう思う。うむ、ならば、五枚ずつ折半でどうだ?」
「われに異存はない」
笑顔で差し出されたゾイアの手を、ギータは両手で握り返した。
薬草茶を飲み終える頃、ギータがゾイアに尋ねた。
「おぬし、現在の中原の状況については、あまり知らんのだな?」
「ああ。自分でも、何を知っており、何を知らんのか判然としない。切れ切れにロックから話を聞いたが、頭の中でちゃんと繋がってはおらん」
「うむ。それでは、これから探索の旅に出るのに困るであろう。よし、庭で説明してやろう」
再び三人で、裏庭に出た。
ギータは、地面の平らなところに、枯れた木の枝で四角を描いて話し始めた。
うーむ、われながら拙いが、これが中原と思ってくれ。
別名を『豊穣神の箱庭』というように、肥沃な穀倉地帯だ。
西の端が、おぬしらの渡ったスカンポ河、北はベルギス大山脈、東はガルム大森林、南はアルアリ大湿原だ。
この外側で人が住めるのは、大湿原の南側にある沿海諸国を除けば、スカンポ河の西の辺境と、ガルム大森林の中ぐらいだ。
但し、辺境の北方は人外の世界だが、今は措く。
この中原のほぼ全域が、かつて古代バロード聖王国の版図であった。
千年前に聖王国が滅ぶと、群雄割拠し、多くの国が栄枯盛衰を繰り広げた。
唯一戦乱を免れていた魔道の都エイサも、ついに先日……
「待て! 今、何と言った!」
突如ゾイアが叫んだため、欠伸を噛み殺して聴いていたロックが、跳び上がった。
「な、何だよ、おっさん、急に大声出して」
だが、ロックの不平はゾイアの耳には届いていなかった。
「頼む、もう一度言ってくれ!」
ギータも驚きながら、「魔道の都エイサ、のことか?」と聞き返した。
「エイサ、エイサ。……。ぐ、ぐぐ、ぐおおおおーっ!」
ゾイアの獣人化が始まっていた。




