1453 ハルマゲドン(109)
死を覚悟したものの、いつまで経っても何も起こらず、ラミアンもさすがに不審を感じた。
気がつけば、周囲に聞こえていた物音が一切しなくなっている。
ラミアンは、恐る恐る目を開いた。
目の前には嫌な笑みを浮かべたジョレが、腰の剣を抜きかけた状態で固まっている。
「え? どゆこと?」
左右を見回すと、ドーラも横を向いたまま少しも動かない。
静寂の中、小さな足音が近づいて来て、スルリと壁を抜けてジェルマ少年が姿を見せた。
「生命綱が役に立ったぜ」
「ああ、ジェルマ! 救けに来てくれたんだね!」
安堵のあまり泣きながら抱きつこうとするラミアンを、ジェルマは邪険に撥ね退けた。
「そんな場合じゃねえだ。ゾイアの合図で聖剣が戻って来ねえから、みんな青くなってる。このまんまじゃ、みんな死ぬぞ。いってえ、どうなってんだ?」
ラミアンは忽ち頬を膨らませた。
「みんな酷いじゃないか! ゾイアの合図のことなんか、ぼくは何も聞いてないよ!」
ジェルマは顔を顰めた。
「そう喚かねえでくれ。潜時術をやってる間は他の音がしねえから、小声でも充分に聞こえるぜ」
「あ、そうか! ごめん、また声がでっかくなっちゃった。そうかあ、これが潜時術なんだねえ。あれ、でも、きみはここには居なかったよね?」
「そうさ。そのために出発前、あんたに目印を付けたろう?」
「へええ、そうか。あれで離れた場所から潜時術が掛けられるんだね」
「ああ。ご先祖さまは、いつもそうやってたらしい。おいらも最近やっとできるようになったばかりさ。おっと、今はそんなことはどうでもいい。ゾイアのおっさんの合図のことは、あんただけじゃなく、おいらたちだってギリギリまで知らなかったんだ。それもこれも、そこで固まってる二人にバレねえためさ。ウルスラの姉ちゃんを恨むのは筋違いだぜ」
ラミアンも吐息して頷いた。
「わかってるさ。でも、ドーラさまが持ってる聖剣が贋物と聞いて自棄になり、いっそ一思いに殺された方がマシだと」
大声を出さないよう窘めたことも忘れ、思わずジェルマは大きな声で聞き返した。
「待て! 贋物って、どういうこった?」
ラミアンは掻い摘んでジョレが自慢げに話したことを説明した。
「……ってことらしい。だから、ゾイアがいくら叫んでも、本物の聖剣には合図が届かないんだよ」
「うーん、そりゃ困ったな」
腕組みして考えていたジェルマは、「やってみるか」と頷いた。
「とにかく、聖剣を腹に呑み込んでるっていうガラクタ人形に接触してみよう。どこに居る?」
「さっき奥に入ったけど。あ、扉開けちゃっても大丈夫?」
「ああ。一応、本殿本体全体に潜時術が掛かってる。ってか、この本殿本体は一つの密閉空間になってて、扉は単なる仕切りの役目なんだ」
「わかった。じゃあ、こっちへ」
二人が奥へ向かうと、何の飾りもない両開きの引き戸らしきものがあった。
ラミアンは首を傾げた。
「そういえば、ロビーが近づくと、勝手に開いてたような気がするなあ」
「そうか。じゃあ、動けるようにしてみよう」
ジェルマが指先でチョンと触れると、引き戸は真ん中から左右に分かれ、スルスルと開いた。
「へええ」
感心して覗き込むラミアンに、ジェルマは少し焦ったように「ガラクタ人形はいたか?」と訊いた。
「うん。固まってるよ」
様々な色に光っている複雑な機械類の前で、何かの操作の途中で止まっているロビーがいた。
ジェルマは周辺の状況を確認した。
「ふむ。他の機械まで動くと厄介だな。ラミアンの兄ちゃん、このガラクタ人形を手前に移動させるか、こっち向きにしてくれ」
「ええっ。でも、重そうだよ」
「おいらができるならやってるが、見てのとおり、五歳児の身体じゃ無理なんだ。頼むぜ、兄ちゃん」
「ぼくだって力仕事は、って言ってる場合じゃないね。やってみるよ」
ラミアンはロビーの胴体を後ろから抱えるようにして動かそうとした。
顔を真っ赤にして力むが、ピクリとも動かない。
ジェルマが吐息混じりに「違えよ」と告げた。
「梃子の要領でやるんだよ。計器を操作してる鋏みてえな手の先を掴んで、グルッと身体ごと回しゃいいんだ」
「あ、そうか」
それでも相当の力が必要だったようで、ロビーの足でズリズリと床を擦りながら向きを変えた時には、ラミアンは汗だくになっていた。
「こ、これで、いいかい?」
「いいだろう。じゃあ、動かすぜ」
ジェルマの指先が、ロビーの鋏のような手にそっと触れた。
直後、ロビーの透明な頭部に見える色とりどりの硝子玉が明滅し始めた。
「……異常事態を検知。虚時間への移行を確認。船内に侵入者を発見。……警告! 警告! 直ちに下船してください! さもなくば、電撃を加えます!」
ロビーの鋏のような両手の間に、バチバチと小さな稲妻が走った。
ジェルマは「っせえな」と強がって動かない。
ラミアンが慌てて割り込んだ。
「ロビー、よせ! この子は怪しい者じゃない! ぼくの友だちなんだ!」
「……しかし、このイマジナリータイムを発生させているのは、明らかにこの人間です。まあ、見たところ、子供のようですが」
ジェルマが余計な反論をする前に、ラミアンが「そうなんだ」と押し被せるように応えた。
「きみは、戦闘行為以外では、基本的に人間を傷つけないと言ってたね。まして相手は子供だよ。その物騒なものを止めてくれないか?」
「確かに、未成年者、特に幼児に対しての攻撃は禁じられていました。大変、申し訳ございません」
ロビーの両手が離れ、稲妻が消えた。
その様子を見ていたジェルマが、「成程なあ」と頷いた。
「このガラクタ人形は、兄ちゃんの言うことなら聞きそうだ。いっちょう、頼んでみてくれ」
「え? 何を? あっ、そうか。うーん、でも、どうかな?」
ラミアンは首を傾げながらも、ロビーに頼んでみた。
「きみがお腹の中にしまってる、聖剣を外に出してくれないか?」
ロビーは即答した。
「それはご主人さまに許されておりません」