1452 ハルマゲドン(108)
高緯度の北の大海付近は、冬場は夜が延々と続き、夏は白夜となる。
しかし、その端境となる今の季節には、バロードなどとあまり変わらない時刻に日が暮れる。
巨大有翼獣人形態のゾイアに一喝された群衆が、ゲルヌ皇子やウルスラ女王らの誘導で全員宙船から遠ざかった頃には、日没が近づきつつあった。
それを上空から眺めているジョレは苛立ちを抑え切れず、魔女ドーラに八つ当たりしていた。
「ゾイアめ、何と手緩いのだ。あんな虫ケラども、焼き殺せば簡単じゃないか。これで宇宙艦隊の光子魚雷発射に間に合わなかったら、みんな死ぬんだぞ!」
「わたしに言われても知らんぞえ。それでもまあ、これで準備は整うたわさ。ささ、始められませ、ジョレどの」
魔王然としたジョレに追従するように微笑みながら、ドーラは促した。
「そうだな。しかし、あいつは本当に緊張感のないやつだな」
ジョレが呆れたように顎でしゃくって示したのは、秘書官ラミアンである。
この緊迫した状況で、機械人形、ジョレの云う小型自律機械に、熱心に話し掛けているのだ。
「きみたちに倫理規定はないの?」
「ございますとも。例えば、不必要に人間を傷つけない、とか」
「必要があれば、傷つける、ということ?」
「然様ございます。昔の人は、自律機械には最も厳しい倫理規定を課すべきだと考えていたようですが、それでは実用に堪えません。わたしたちも、場合によっては戦闘員になれるよう、命令があれば殺人もできるよう設計されていますよ」
「怖いなあ。でも、その命令は誰がするの?」
「以前は『惑星開発委員会』、あなたたちの言葉で云う魔道神がご主人さまでした。現在のマスターは、ジョレさまです」
「へええ、白魔じゃないんだね?」
ロビーの透明な頭部に見えている色とりどりの硝子玉が忙しく明滅を繰り返した。
「……わたくしの認識では、ジョレさまとドゥルブは不可分です。よって、マスターはジョレさまお一人です」
「ふーん、そうなんだ。あ、でも、ぼくらの命令も聞いてくれるのかな?」
「ああ、勿論です。あなたも人間ですからね。但し、当然ですが、マスターの命令に反しない限りに於いてのみですが」
さすがにジョレが割り込んで来た。
「無駄なお喋りはそれぐらいにしておけ。愈々合体を開始するぞ。ロビーは持ち場に戻れ」
「畏まりました、マスター」
ロビーがカタカタと足音を立てながら奥へ引っ込むと、ラミアンは溜め息を吐いた。
「別に暢気だから喋ってたんじゃないですよ。不安で不安で、居ても立ってもいられなかっただけです。ぼくだって、この若さで死にたくありませんからね」
ジョレも余裕を取り戻し、皮肉に嗤った。
「心配することなど何もない。ドッキングが完了したら、すぐに船外に出してやる。だから、おまえもドッキングの成功を祈ってろ。さて」
ジョレは天井を見上げて叫んだ。
「ゾイア! もういいだろう! 本殿を射出しろ!」
と、ゾイアの声が響いて来た。
「了解した! これより、本殿を離す! 時は今!」
ゾイアの大きな声は、当然氷上のウルスラたちにも聞かせるためであった。
「始まるわ」
群衆の誘導を終え、ジェルマ少年の待つ場所に真っ先に戻って来ていたウルスラは、深みを増した青い空に浮かぶゾイアを見上げながら、ジェルマの肩を抱き寄せた。
照れたのか、少しぶっきらぼうに「そうだな」と応えたジェルマも、視線を上に向けた。
ゾイアの六本の腕が離れるのと同時に、本殿の下部から幾つもの炎が噴き出した。
それで均衡を保ちつつ、氷に突き刺さる宙船の方へゆっくり移動して行く。
宙船の側も、中央に開いた黒い穴の内部が同心円状に光り始め、本殿を誘導しているようだ。
「変ね?」
ウルスラのジェルマの肩を抱く腕に、ギュッと力が入った。
「痛えよ。どうした、ウルスラ姉ちゃん?」
「あっ、ごめんなさい。でも、ゾイアは確かに『時は今』と宣言したのに、聖剣が戻って来ないのよ」
そこへちょうど帰って来たゲルヌとクジュケも、不安を口にした。
「どうしたのだろう?」
「おかしいですね?」
その時、再び頭上からゾイアの声が響いて来た。
「時は今! 時は今! 時は今! ……」
その声に含まれる焦りに、ウルスラたちも気づかざるを得なかった。
その間にも本殿はスルスルと宙船に接近して行く。
ウルスラは唇を噛んだ。
「どうしましょう? このまま合体してしまったら宙船の防御力が上がってしまって、たとえゾイアの手に聖剣が渡っても、中和が不可能な状態になってしまう。ああっ、もう時間がないわ!」
ゲルヌが「わたしが、直接本殿へ乗り込んでみるよ」と言うと、クジュケも「わたくしも」と応じたが、二人とも顔色は蒼白であった。
「おいらに任せな!」
ジェルマがそう告げた時には、その場から消えていた。
一方、ドッキングへの最終態勢へ入った本殿の中でも、「時は今!」と叫び続けるゾイアの声が聞こえていた。
「あれは、どういう意味だ?」
ジョレに聞かれたドーラは肩を竦めた。
「知らぬ。少なくとも、わたしは聞いておらぬ。孫たちが何か企んでおったのかもしれぬが、最早手遅れじゃ。おお、そうか、可能性が一つあるのう」
「何だ?」
「わたしは覚えておらなんだが、おぬしのお蔭で古代神殿の内部に入れたから、赤目族の記録を調べたのじゃ。第一発言者プライムの死の前後のことをのう。それでわかったのは、予め聖剣に、合図があったら過去に戻るよう命じてあったということじゃ。どうやってわたしから聖剣を奪ったのかずっと疑問であったが、それでわかったわい。姑息にも、今回も同じことをしたのであろうさ」
ジョレは嘲笑った。
「ほう。それは残念なことをしたな。泣けど叫べど、聖剣には聞こえぬ」
「どういう意味ですか?」
切迫した声で尋ねたのは、ラミアンであった。
まずいと思ったのかドーラはソッポを向いたが、ジョレは更に笑みを深くした。
「教えてもいいが、それを知ったら死ぬことになるぞ?」
ラミアンは蒼褪めた顔でキッパリと答えた。
「構いません。女王陛下が何をなさりたかったのか、ぼくは聞かされていないんです。酷いじゃないですか。ぼくは生命懸けなのに!」
ジョレは「それは愉快だ」と声を上げて笑った。
「ならば、あの世への土産話として教えてやろう。右に左に揺れていた魔女は、結局、人間を裏切ったのさ。魔女が今持っている聖剣、即ち時空干渉機は贋物だ。本物は、ロビーの腹の中にある。尤も、亜空間保管庫の内部だから、音も光も遮断されている。ゾイアがいくら叫んでも無駄さ。では、おまえの望みどおり、今すぐ殺してやろう!」
ラミアンは、死を覚悟して目を瞑った。