1451 ハルマゲドン(107)
ゾイアが北の大海の上空に差し掛かったところで、抱えられた本殿に乗っている魔女ドーラや秘書官ラミアンにも、氷上の騒ぎが見えた。
「どうしたんでしょう? 何か揉めてるみたいですね?」
ラミアンに聞かれたドーラは、興味なさげに「予想したとおりぞえ」と鼻で嗤った。
「赤目族に競争させ、信者を掻き集めたようじゃが、あまりにも時間がなさすぎるわさ。これが、後三日でもあれば、ここに集まっておる人数ぐらいは乗れるであろうが、恐らくその間にも続々と詰めかけて、人数が倍になっておろう。結局、乗れない人間が増えるだけぞえ。全く愚かな話じゃの」
「同感だな」
笑いを含んだ声で応えたのは、勿論ラミアンではなく、魔王然としたジョレである。
いつの間にか戻って来て、背後で二人の会話を聞いていたらしい。
その顔に皮肉な笑みを浮かべている。
「人間というものの愚かさは底なしだな。競って信者を集めた赤目族も、自分には未来永劫生き続ける資格があると己惚れる民衆も、反吐が出そうだ。が、次の植民惑星で簡単に絶滅させぬためには、それなりの人口を連れて行く必要がある。積めるだけは積んで行くつもりだったが、この状態では合体の邪魔になるだけだな。今から排除させる。まあ、見ておれ」
その気配を察したのか、奥からカタカタと音を立てて機械人形が出て来た。
「お呼びでがざいましょうか、ご主人さま?」
が、ジョレは苦笑して首を振った。
「残念だろうが、おまえではない。もっと役に立つ僕がいるからな」
ジョレは天井を見上げて叫んだ。
「おい、ゾイア! 火を噴いて、邪魔な群衆を散らせ! 多少焼け死んでも構わんぞ!」
聞こえたらしく、「趣旨は理解した!」との声が響いて来た。
一方、氷上で騒いでいる群衆は、自分が乗れないなら他人も乗せるものかと醜い争いを続けていた。
「どけ! おれを先に行かせろ!」
「何を言うか! タナトゥスのお供に相応しいのは、わたしだ!」
「おまえら如きに何ができる! わしは全財産をタナトゥスにお捧げしたのじゃぞ!」
「黙れ、爺い! おまえみたいな年寄りなんぞ、タナトゥスは望んでおられぬ! ええい、邪魔だ邪魔だ!」
「ちょっと、あんたたち! 女にだって乗る権利はあるんだよ! どいてちょうだい!」
「女って言ったって、あんたみたいな小母さんは要らないのよ! あたしみたいな若くて綺麗な女こそ、タナトゥスさまの伴侶になるべきだわ!」
「何を勘違いしておるのか、この小娘! タナトゥスが望まれているのは妻ではなく、司祭じゃ! わしのように祭礼を行える人間じゃ!」
が、本来の司祭であるはずの赤目族は、これらの騒ぎを傍観するだけで、一向に鎮めようとはしなかった。
最初は赤目族を説得しようとしていたゲルヌも諦め、空中を飛び回りながら直接群衆に呼び掛けていた。
「皆、聞いてくれ! 宙船の下の氷が融けつつある! ここに居ては危険だ! どうか避難してくれ!」
が、自分が乗船することしか考えていない群衆は聞く耳を持たず、他人を押し退けてでも宙船に近づこうとするばかり。
ウルスと再び交替していたウルスラはそれを見ていたが、クジュケに「わたしたちもゲルヌを手伝いましょう」と声を掛けて飛び立った。
クジュケは困った顔でジェルマ少年に「おまえは残っていなさい」と告げると、ウルスラの後を追うように飛んで行った。
一人残されたジェルマは小さく舌打ちした。
「一人じゃ寒いし、心細いじゃねえか。ったく、みんなお人好しすぎるぜ。今は何よりも白魔を退治して、魔道神の仲間の攻撃を止めなきゃなんねえのによ。それより、ゾイアのおっさんは何やってんだ? 空中に止まったまんま、何もしねえで……え? わっ、やべえ!」
ジェルマが驚いたのは、本殿を抱えたゾイアが空中浮遊したまま首だけを伸ばし、下に向けて口から火炎を噴射したからである。
それはかなり加減されたもので、炎の先は群衆の遥か頭上にしか届いていなかったが、皆の注意を惹くには充分であった。
炎を止めると、朗々としたゾイアの声が響きわたった。
「われはゾイアである! 諸君らが乗船を望む気持ちは理解するが、このままでは宙船が出発できず、諸君の信仰するタナトゥスにも大変な迷惑が掛かるぞ! 結果的に、タナトゥスもわれらも、いや、この世界全ての人間が滅びてしまうのだ! どうか速やかにこの場を離れ、自身の安全を確保してくれ! それがタナトゥスの望みでもある!」
群衆にどよめきが起き、戸惑いの声が上がったが、今まで傍観していた赤目族たちにも何らかの指示があったようで、一斉に群衆の避難を誘導し始めた。
空中で群衆が周辺に散って行くのを見たドーラも、ホッとした顔になった。
「これでよい。何とか日没前には合体できそうじゃな」
ラミアンも「そうですね」と言いながら、チラリと横目でジョレを見た。
その視線に気づいたらしく、ジョレは嘲笑を浮かべた。
「心配するな。ギリギリのところでおまえは逃がしてやる。が、まだ駄目だ。最後の最後まで、誰が裏切るかわからんからな。魔女には効き目がなくとも、ゾイアに対しては人質として役に立つ。近くにはウルスラ女王やゲルヌ皇子も来ているしな。正直、おまえがここに居てくれて良かったよ。さて、祝杯でも上げるとするか」
成功を確信できたのか、ジョレは小型自律機械に酒器の準備を命じた。
「せっかくだから、杯は三つ用意しろ。おまえが飲めるなら、四つでもいいが」
自分の冗談に笑うジョレを、さすがに笑えない顔でドーラは見つめながら呟いた。
「まあ、仕方あるまい。ここまで来ては、成り行き任せじゃ。どっちに転んでも、わたしに損はない。ああ、いえ、勿論わたしたちでございますとも、兄上」