1449 ハルマゲドン(105)
地下隧道を出たゾイアが飛行態勢に入った頃、ウルスラ女王・ゲルヌ皇子・統領クジュケ・ジェルマ少年の四名は、一足早く北の大海近くの北方最北端まで、一気に跳躍して来た。
「あれは何?」
ウルスラは、雪原に延々と続く行列を指差した。
ゲルヌが眉を顰めた。
「タナトゥス教の信者だな。恐らく、ここだけではないだろう。中原各地から出発した者たちが、まだ続々とこの死の行進に参加し続けているからな」
「あっ。一人倒れたわ。え? でも、誰も助けようとしない。どうしましょう?」
動揺するウルスラにジェルマがピシリと告げた。
「今は放っとくしかねえよ。ゾイアのおっさんが上手いこと白魔を中和できなきゃ、日暮れと共に魔道神の仲間が火の雨を降らせ、この世界ごと吹っ飛ばしちまうんだぜ。なあ、そうだろ、ゲルヌの兄ちゃん?」
明け透けな言い方にやや鼻白みながらも、ゲルヌは「それはそうだが」と弁明した。
「そうならぬよう、バルルも全力で説得を続けてくれている。が、今のところ、救援艦隊の決定が覆っていないのも事実だ」
しかし、ウルスラは納得しなかった。
「たとえそうだとしても、このまま放置すれば、確実にあの人は凍死するわ。助けなきゃ」
自ら助けに行こうとするウルスラをクジュケが手を挙げて制し、「ならば、わたくしが」と先に飛び立ち、倒れた人物のところへ行ったが、何故かすぐに戻って来た。
クジュケは悲しげに首を振った。
「駄目です。タナトゥスの教えに帰依しない者の助けを受けては、永遠の生が得られないと拒否されました。無理にでも助けようとするなら、舌を噛むと」
暗澹たる表情で俯くウルスラに、ゲルヌが声を掛けた。
「狂信的な人間を救う方法は一つしかない。かれらの信仰の根源を糺すのだ。つまり、ドゥルブを倒し、その本性を白日の下に晒すことだ」
「そんなこと、わかってるわ」
わかったと言いながらも、ウルスラの目は伏せられたままであった。
一方、本殿本体を抱えたゾイアは、北方の東端部から北西に向かって飛行していた。
通常の巨大有翼獣人形態よりも腕の数を増やし、合計六本でガッチリと本殿を固定している。
本殿内部の床の一部は透明になっており、喰い入るようにして秘書官ラミアンが覗き込んでいた。
「へえ。意外に植物が生えていますね」
その横で気のない素振りで地上を眺めていた魔女ドーラが、面倒臭そうに説明した。
「まあ、この辺りまでは辺境の延長さね。多少寒いとはいえ、樹木が凍るほどではない。しかも、焼失した北長城以南の辺境より地下水が豊富で、それなりの植生が保たれておる。そのため獣も多く、蛮族たちの生活の糧となっておった。が、もうすぐ、あれが見えて来るぞえ」
「あれって? あ、あれですね!」
ラミアンの視線の先に、キラキラと宝石のように輝くものが見えた。
結晶の森である。
「むう。だいぶ傷んでおるのう」
ドーラが言うように、かつて名工の手による宝飾品のように美しかった森は、あちらこちらと結晶が剥がれ落ち、その上、汚泥に覆われたように見える部分もあった。
「ゾイアのせいさ」
憎々しげにそう告げたのは、いつの間にか二人の背後に来ていたジョレであった。
「簡単に退治されぬよう、腐死者に結晶毒を喰らわせたのだが、動けぬように氷漬けにされたのだ。已む無く、地熱で融かしたが、更に抗病素剤を散布された。まあ、元々美術的な価値などない死の森ではあるが、お蔭で随分と汚らしくなったよ」
完全にドゥルブの記憶と自分の記憶が融合している様子のジョレをチラリと横目で見て、ドーラは「試してみるかの」と呟いた。
「ジョレよ。わたしの指は何本見える?」
そう言いながら、ドーラは全部の指を開いた手をジョレに見せた。
が、ジョレは鼻で笑った。
「急にどうした? タンファンが得意だった幻術の真似か? 生憎だが、あのような原始的な催眠術になどかからぬ。わたしを舐めるな!」
恫喝するように声を荒らげるジョレに、ドーラは笑顔で「ちょっと悪戯しただけぞえ」と胡麻化した。
が、ジョレは笑わず、ドーラを睨みつけた。
「今度何かおかしなことをしたら、約束は全て反故だぞ。いいな、魔女?」
横で聞いているラミアンの方は蒼白になって交互に二人の顔を見比べている。
が、ドーラは満面の笑顔で頭を下げた。
「おお、畏れ入りました、ジョレさま。どうぞ、お見捨てになりませぬよう」
最後まで巫山戯たフリをしながらも、ドーラは油断なくジョレの目を見ている。
「ふん。喰えぬ女だ」
吐き捨てるように告げてジョレが立ち去ると、ドーラは大きく息を吐いた。
「やはり手強いのう」
ラミアンはまだ少し震える声で聞いた。
「ど、どうするつもりだったんです?」
ドーラは舌打ちした。
「ジョレの人格が完全にドゥルブを支配しておるようじゃったから、ジョレに幻術を掛ければ、ドゥルブごとわたしの思いどおりになるかと思うたのさ。じゃが、逆にドゥルブを吸収したジョレは、わたしなどより強力な存在になってしもうた。これは、根本から考え直さねばならんのう」