1447 ハルマゲドン(103)
それは、異様な光景であった。
不吉な緑の極光がはためく空の下、一面の銀世界の中を、着膨れた人々が列をなし、口々に「タナトゥス、タナトゥス、タナトゥス……」と唱和しながら歩いている。
それはまるで、日が暮れる前に巣穴に戻ろうとしているアリの群れのようだ。
しかし、その先にあるのは巣穴ではなく、永久に凍りついた北の大海に突き刺さった巨大な円盤状の宙船である。
燻んだ紅色に輝く超合金の船体の中央には、ポッカリと黒い穴が開いており、そこから氷上に下ろされた何本もの縄梯子を攀じ登って、次々と人が中へ入って行く。
周辺には、羽根の生えたフォルミカの如く、白頭巾を被った赤目族が飛び回っている。
「皆、急ぐのだ! 日没前には、タナトゥスは星界へ旅立たれるぞ!」
赤目族たちの声にも、焦りが滲んでいる。
が、これは無理というものであろう。
中原各地から集めた信者たちを、あらゆる手段を駆使してここまで来させただけでも相当に無理を重ねたはずで、実際、縄梯子を登る途中で力尽きる者もいた。
いや、それどころか、ここに辿り着く前に、寒さと疲労で行き倒れた者が氷上に多数放置されており、凍死するのは時間の問題であった。
それでも猶、人々は熱に浮かされたように「タナトゥス、タナトゥス、タナトゥス……」と呟きながら、死の行進を続けていた。
そのタナトゥス、即ち白魔に憑依されたジョレたちを乗せたゾイアは、漸く地下隧道の出口に差し掛かっていた。
そこはバロードの北側に位置する山岳地帯で、かつて北方から蛮族が侵攻した際に使用された経路の起点となった場所である。
岩山の切り立った断崖に開いた穴の前には、僅かの広さの平らな部分しかなく、その前を流れるスカンポ河上流の向こうは北方であった。
アルゴドラスが所有していた機械魔神によって架けられた鉄橋は既になく、深い峡谷が行く手を阻んでいる。
ダフィニア島に保管されていた方のデウスエクスマキナが変形した動力車両が停車するのに合わせ、ゾイアの被牽引車両も止まった。
ゾイアは荷台に載せている本殿本体を揺らさないように注意しながら地面に下ろし、一旦人間形に戻った。
デウスエクスマキナに「ご苦労であった。戻ってよいぞ」と声を掛けると、本殿へ入った。
中にはうんざりした顔の魔女ドーラと、退屈そうな顔のラミアンが座っていた。
その背後には、例の機械人形が立っている。
「ジョレはどうした?」
ゾイアが聞くと、ドーラが面倒臭そうに「寝ておるんじゃろう」と答えた。
「頭が痛いと言うておったからのう。まあ、北の大海に着く頃には起きるであろうさ。で、これから飛ぶのじゃな?」
「ああ。巨大有翼獣人となって抱えて行く。今度は多少揺れると思うが、辛抱してくれ」
横で聞いていたラミアンが、パッと顔を輝かせた。
「空を飛ぶのなら、景色が見たいですね。そうすれば、少しは退屈が紛れます」
ドーラは呆れたように「物見遊山ではないぞえ」と言ったものの、すぐに「いや、それもいいかもしれんのう」と頷いた。
「北方を去ってもう随分経つから様子を確認したいし、北の大海の現状も気になるでの。頼んでみるか」
ドーラは振り返ると、機械人形に尋ねた。
「飛行中、外の景色が見えるようにできるかえ?」
透明な頭部の中に見える色とりどりの硝子玉が明滅した。
「床の一部を透明化できます。ですが、それにはご主人さまの許可が必要です」
すると、奥の方から「いいぜ!」と返事があった。
ドーラが「ほう。お目醒めのようじゃな」と笑ったが、奥から出て来たジョレを見て、その笑顔が凍りついた。
ジョレの人相が変わっていたのである。
ドゥルブに憑依されて以降、徐々に本来の気弱さがなくなっていたのだが、今や自信に満ち溢れた顔になっており、魔王のような霊光さえ感じられた。
「どうした? わたしの顔に何か付いているのか?」
ジョレに聞かれて、ドーラはハッとしたように視線を逸らした。
「ふむ。頭痛は治まったようじゃな」
ジョレはニヤリと笑った。
「ああ。スッキリした。もう何も問題はない。わたしはわたしだ。さあ、邪魔が入る前に、母船へ行こう。ゾイア、頼んだぞ」
それをどう受け取ったのか、ゾイアは「わかった」と応たが、改めて正面からジョレに向き直った。
「飛ぶ前に頼みがある」
「いいぞ。言ってみろ」
「例のオーロラに似せた電磁障壁のことだ。あれを解除してもらわねば、われが機能不全になって、墜落する虞がある」
「おお、そうだったな。任せておけ。直ちに解除させる。他には?」
「いや、それぐらいだ。後は一気に北の大海まで飛ぶだけだ」
「ああ。快適な空の旅を頼むぜ」
ジョレの戯言には取り合わず、ゾイアは軽く頷いて本殿から出て行った。
出てすぐに「これは吉か凶か」と首を捻ったが、迷いを吹っ切るように気合いを込め、変身し始めた。
一方、中のドーラとラミアンは、様変わりしたジョレに気圧されたように黙り込んだ。
と、本殿本体の上部からミシミシと音がして、巨大化したゾイアが持ち上げている気配が伝わって来た。
ジョレは魔王然とした笑みを浮かべながら告げた。
「発進せよ!」