1445 ハルマゲドン(101)
中原各地に散った赤目族によって世界の終わりが近いとの噂が広まっており、一部暴動のような騒ぎが起きている地域もあった。
尤も、内戦が治まったばかりのガルマニアではそれどころではなく、早朝にも拘わらず戦後処理が話し合われていた。
パシントン特別区の官邸には、大統領ヤーマン、民事補佐官ハリス、軍事補佐官ゲーリッヒに加え、勝利の最大の要因となったプシュケー教団の援軍を代表して、女騎士ファーンも呼ばれた。
「やっぱりドーラは贋者じゃったんじゃの?」
ヤーマンに念を押されたファーンは、やや面倒臭そうに「言ったとおりだ」と答えた。
「半分機械になったような不気味な男が、ドーラの幻影を纏って軍を指揮していたのだ。一刀両断しても動いていたから、念のため魔道で焼却した。その後、手分けして周辺を捜したが、ドーラ本人はどこにもいなかった」
と、白頭巾のハリスが、独特の抑揚で口を挟んだ。
「わたしの、得ている、情報では、魔女ドーラの姿は、ここ数日、エイサやバロードで、度々目撃、されている、とのことだ」
元皇帝ゲーリッヒが皮肉な笑みを浮かべた。
「もう放っとけよ、あんな婆さん。どうせ、ガルマニアには腰掛けで、本命の狙いはバロードだからよ。こっちが上手いこと行かなくなったから、中途でおっぽり出しやがったのさ」
が、ヤーマンは渋い表情を崩さなかった。
「じゃちゅうて、無罪放免ちゅう訳にゃあ行かにゃあでよ。国家反逆罪で本来なら打ち首だで。まあ、コロクスの狒々親爺は仲間割れか何か知らにゃあが、早手回しに首を刎ねられちょったがの。どうせならドーラも取っ捕みゃあて、首を並べにゃあでは、わしの気が済まにゃあでよ」
ゲーリッヒは鼻で笑った。
「だったら、もう一人いるだろ? 打ち首にしなきゃならねえ女がよ」
ドーラを糾弾していた時のような勢いがなくなり、ヤーマンは吐息した。
「言うてもオーネは元妻だで。さすがにわしも、首は斬れにゃあよ。今度こそ、終生幽閉にせにゃあとは思うちょる。で、ものは相談じゃが、プシュケー教団で預かってもらえにゃあか?」
そういう話の流れになると想定していなかったらしいファーンは、一瞬言葉を失った。
その様子を横で見ていたゲーリッヒが、ニヤニヤ嗤いながら「おお、そりゃあいい!」と揶揄した。
「かの暗殺者タンファンが正義の女騎士ファーンに変身したんだから、毒婦オーネも聖女に変わるかもしれねえぜ」
自分を引き合いに出されて怒り出すかと思いきや、ファーンは「それもいいかもしれぬ」と穏やかに同意した。
「しかし、決めるのは教主である兄弟子ヨルムだ。一旦戻ってから相談してみよう」
すると、ヤーマンが意外なことを告げた。
「相談するなら、もう一つ言ってもれえてえことがあるでよ。コロクスのコロネ州はわしのパシーバ州に組み入れるつもりじゃが、ドーラのバローニャ州はプシュケー教団の教主領にしてもええと思うちょる」
これには傍観者として面白がっていたゲーリッヒが鼻白んだ。
「おい、猿、てめえ正気か?」
ヤーマンは皺深い顔に埋まっていたような目をカッと見開いてゲーリッヒを睨んだ。
「無礼じゃのう。ちいとはわしを敬え。昔はともかく、今はおみゃあの上司だで。まあ、今回は赦すが、次はだちかんでよ。そりゃさておき、わしが言うたのは本気だがや。当然禁教令も撤廃するし、何なら不輸不入の権利を認めてもええだで。その代わり、わしの国と強固な同盟を結んでちょうよ」
抑々ガルマニア領内のプシュケー教団信徒を護りたいがために参戦したファーンは、勢い込んで頷いた。
「わかった。兄弟子を説得してみる」
だが、プシュケー教団の聖地シンガリアでは、教主ヨルムが頭を抱えていた。
「こんな時、サンサルス猊下ならどうされただろう?」
教団本部の執務室で悩んでいると、「おはようございます!」と元気のいい声が聞こえた。
「ヨルムさま、お花をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「おお、ヨハンさんですね。どうぞ、お入りください」
それは、シンガリアに近い花畑を管理している農夫のヨハンであった。
サンサルスの存命中は毎日のように花を届けていたが、教主がヨルムに代わっても、こうして時々花を持って来てくれている。
因みに、花を愛でる習慣のないヨルムは、謂わば前教主の遺産のようなものとして、儀礼的に受け取っていたのである。
しかし、この日はヨハンの顔を見るなり、自分の方から話しかけた。
「不躾な質問ですみませんが、あなたはわたくし以上に猊下の身近にいらっしゃった方なので、お聞きします。サンサルス猊下なら今のような状況の兄弟姉妹に、どのようなご講話をなさると思われますか?」
突然のことに、ヨハンは目を白黒させた。
「今のような状況、とは何でございましょう?」
「ああ、すみません、言葉足らずで。もしかしたらもう耳に入っているかもしれませんが、この聖地にもタナトゥス教の信者が現れ、兄弟姉妹に動揺する者も出ているのです。ご存知のようにわたくしは口下手で、猊下のような皆が喜ぶような話を思いつかないのです」
ヨハンは微笑んで答えた。
「わしも同じような悩み事を猊下に相談したことがございます。いや、わしがというより、ファーンが悩んでおったので、こっそり猊下に聞いてみたのです。その時、こう仰いました。『ヒマワリにはヘリアンテスの良さがあるように、ヒナゲシにはパパウエルの良さがあるのです。比べる必要はありません』と」
ヨルムはホッと息を吐いた。
「ありがとう。わたくしはわたくしなりの言葉で皆に話してみます。またいつか、ゆっくり猊下の話を聞かせてくださいね」
「はい、喜んで。でも、偶には花畑にも来てください」
「おお、そうですね。ファーンが戻ったら、一緒に参ります。が、その前に、少しでも皆の不安を鎮めなければ」
ヨルムはヨハンに笑顔を見せると、教団本部を出て行った。
(作者註)
ヨハンさんについては、786 ガルマニア帝国の興亡(28)あたりをご参照ください。