8 軍師ブロシウス
ゾイアの横をすり抜けるようにして部屋に入って来たのは、小柄な老人であった。
魔道師が着るようなフード付きのマントを身に纏っている。今はフードを被っていないため、地肌が透けるほど髪が薄くなった頭部が丸見えだった。
かなりの高齢のようだが、黒い瞳は炯炯とした眼光を放っている。
千人長のサモスは飛び上がるように席を立ち、老人の前にまろび出た。
「こ、これは軍師ブロシウスさま、お早いお着きで。お迎えにも出ずに、申し訳ございません。ちょっと、その、取り込んでおりまして」
「いや、構わんよ。わしが早く来すぎただけじゃ。それより、この暴れん坊は何者じゃ?」
「あ、はい、どうも子供と逸れてしまった父親らしく、血眼になっておるのです」
「ほう」
ブロシウスと呼ばれた老人はゾイアに向き直り、「そうなのか?」と尋ねた。
一瞬、躊躇った後、ゾイアは「そうだ」と答えた。
「ならば、多少の無礼は大目に見よう。親とはそういうものじゃで」
ブロシウスは、マントの下から枯れ枝のように細い腕を出し、人差し指で宙に何か文字のようなものをさらさらと描いた。
その途端、ゾイアはバタリとその場に倒れ、動かなくなった。完全に目を閉じて、轟々と鼾すらかいている。
老人はサモスに向かって、「牢にブチ込んでおけ」と命じた。
「は、ははーっ!」
「まあ、今の話が真実なら良いが、用心に如くはない。ああ、必ず厳重に縛って置くんじゃぞ」
「それは、無論でございます」
ゾイアは、屈強な男数名がかりで運び出された。
急に静かになった部屋で、サモスは精一杯の愛想笑いを浮かべながら、酒や食べ物を用意させていると告げたが、ブロシウスの返事は鮸もなかった。
「無用のことじゃ。早う例のものを見たい」
「さ、左様でございますか。では、奥の間に参りましょう」
サモスは、自分が座っていた席の後ろにある観音開きの扉を開けた。
「ここから城主の夫人らが住まう別棟へ向かう通路が伸びておりますが、途中に隠し部屋がございます」
「解説はよい。早う行け」
「はっ」
通路の真ん中辺りで左の壁を押すと、クルリと回って部屋が見えた。宝物庫らしく、貴金属や宝石が多数飾られている。
「こちらでございます」
さらに奥まったところにある太刀掛の上に、黄金と宝石で見事な装飾を施された短剣が乗っていた。
ブロシウスの顔に何とも言えない甘美な表情が浮かんだ。
「間違いない。アルゴドラスの聖剣じゃ。ふふん、ケロニウスめ、密かに持ち出させたつもりじゃろうが、わしの情報網を甘く見たな。所詮、昔の伝統を守るだけの、時代遅れの魔道師じゃったのよ」
ブロシウスは懐から紐付きの細長い革袋を出すと宝剣を中に入れ、再び袋ごと懐に仕舞った。
そのまま帰りそうなブロシウスの様子に、サモスは慌てた。
「すぐにお帰りでしたら、護衛をお付けしましょうか?」
ブロシウスは鼻先で笑った。
「無用。わし一人で千人隊に匹敵する戦力じゃ。足手纏いになるのみ」
「畏まりました。あ、それから、この剣を持って来たコソ泥は、いかがしましょう?」
ブロシウスは片方の眉だけクイッと上げた。
「金貨一枚盗んでも首が飛ぶご時世じゃぞ。言うまでもなかろう」
「はっ、それでは明日の朝にでも」
ゾイアが離れにある石牢の中で目醒めた時には、もうとっぷりと日が暮れていた。
両手両足に鉄の錠を掛けられ、それに繋がる鎖が壁面に固定されていた。勿論、入口も窓も鉄格子が嵌っている。
「おーい、誰かおらんのかーっ! 誤解だーっ! われは怪しいものではなーい!」
何度か叫んだが、一向に反応がない。
いっそ鎖を引き千切ってやろうかと、腕に力を籠めようとしたが、まだ完全には術が解けていないようで、全く力が入らない。
「くそーっ! 何とかしてくれーっ! あの老人を呼んでくれーっ!」
すると、ゾイアから死角になっている隣の牢から、「うるせえぞ! 静かにしやがれ!」という若い男の声がした。
「おお、誰かいるのか。われには何の咎もないのだ。頼む。われをここから出すように言ってくれ。子供の命が懸かっておるのだ」
「ふん、冗談じゃねえや。こっちだって無実の罪でブチ込まれてるんだ。しかも、牢屋の番をしてるヤツに訊いたら、明日処刑だってよ。ふざけるなって言うんだ。あのケロニウスとかいう魔道師のじいさんにすっかり騙されたぜ。何が褒美は望みのままだ、くそっ!」
「そうか、おぬしも無実なのか。で、どうするつもりだ?」
「はあ? どうするつもりかって? 決まってんだろう。逃げるのさ」
「逃げられるのか?」
「当たり前だろ。おいらを誰だと思ってやがる。カリオテのロックさまだぜ!」