7 望まぬ運命
生徒会室から戻るとクラスメイト達は全員が五限目の体育に移動しており、一人恭平だけがジャージに着替えもせず教室に残っていた。
「え、恭ちゃん?」
葵が教室に向かっている間に、予鈴は鳴ったはずだ。
ジャージを取りに教室に戻った葵は、いる筈のない恭平の姿に目を丸くした。
「葵!大丈夫だったか!?」
自分の机に腰かけていた恭平が、自分に駆け寄ってくる。
―――そっか、心配して待っててくれたんだ。
その事実に気付き、思わず気張っていた心が緩んだ。
目尻に涙が浮かんでくる。祖父が亡くなって以来、恭平には涙を見せないように頑張ってきたのに。
恭平に歩み寄ろうと足を踏み出したが、戸を閉めて少し歩くと緊張が解けたのか足の力が抜けた。
―――学校を、やめてもいいなんてウソ。
本当は、楽しみにしていた行事が沢山あった。頑張って勉強して恭平と同じ学校に入ったのに、こんな理不尽な理由で辞めることになるなんてあんまりだ。
その時葵の中で、退学はほぼ決定事項のようになっていた。もし停学で済んだとしても停学を喰らう様な娘を今度は両親が放っておかないだろう。
激昂が解ければ、考えは全て悪い方へ悪い方へと流れていく。
「何があっても俺はお前の味方だから。心配するなっ」
恭平が机の合間を縫い、足早に近寄ってくる。
一瞬、起きた出来事が信じられなかった。
しゃがみ込んだ恭平に抱きしめられたのだ。
チャイムが鳴り響き、隣の教室からは授業開始の挨拶が聞こえる。
葵は声を殺して、わんわん泣いた。
***
―――信じらんない信じらんない信じらんない!
紬は人気のない廊下を早足で通り過ぎた。
右手の爪を噛み、その表情は普段は絶対に見せない怒りで強張っている。
―――なんで西村君の幼馴染が、生徒会に呼ばれたわけ!?
全攻略対象キャラを重課金で攻略済の自分ではなく、どうしてあの子がと、胸は嫉妬で張り裂けそうだ。
紬の計画は、完璧だった。完璧だった、筈だ。
最後の攻略対象である理事長を落とす為、最も難易度の高い四人同時攻略に挑もうとした。
まずは転校初日の放課後を使って、西村恭平と北嶋玲の二人に出会うはずだった。北嶋との出会いはその彼女である萩原環奈との遭遇も含めて、2ターンが必要だ。だから西村との出会いはサクッと済ませてすぐに旧校舎に向かい、そこで怪我をして北嶋に保健室までおんぶしてもらわなければならなかった。そうしないと第二第三のイベントにどんどんずれが生じてしまう。
シナリオでは北嶋におんぶされている姿を目撃した環奈が、次の日から風紀委員長の権力をフルに使って紬に難癖をつけてくるはずだった。環奈に目をつけられた紬はクラスから孤立し要注意生徒のレッテルを張られてしまう。ゲーム序盤に今後のストーリーを盛り上げるための辛い期間だ。
ちなみに、この出来事の前に西村の幼馴染である夏草葵を上級生から助けておくと、要所要所で彼女が庇ってくれたりするのだが、それはさて置き。
なのに、環奈に目をつけられたのも、クラスから孤立したのも夏草葵の方だった。
―――ということは、あの日見た既に踏み抜かれた床板は、彼女が?
紬は脳裏に葵の事を思い描こうとするが、うまく像が結ばなかった。所詮彼女は最もイージーモードの西村の幼馴染で、少し登場回数が多いだけの脇役に過ぎない。今までに何度も繰り返した攻略の際にも、彼女に特別の注意を払ったことなんてなかった。
―――でも、そう言えば…
そうして紬が思い出したのは、転校初日最初のイベントで、上級生の女生徒に囲まれた彼女を助けた時のことだった。
本当だったら紬に感謝して西村に紹介してくれるはずの彼女が、そのプロセスをすっぽかして一人走り去ってしまったのだ。
すわ新しいシナリオかと一回は盛り上がった紬だったが、それにしては新しく手に入れたスチルもないしスケジュール通りにイベントはこなせないしで彼女は膨れていた。
そして時間がかかった割に身入りの少ない西村とのイベントを終えて旧校舎に駆けつけてみれば、そこに北嶋の姿はなく転校初日から幸先の悪いスタートになってしまったという訳だ。
しかし時間が経ってみれば、膨れているだけでは済まないことに彼女は気が付いた。
あれ以来、何度旧校舎を訪れても一向に北嶋と出会うことはできない。むしろ教師に見つかって、厳しいお叱りをくらったぐらいだ。ツイていない。
しかしそのその北嶋のイベントをこなさなければ、後の東尾のイベントも、そして担任教師で攻略対象の南川有栖とのイベントも発生しない。主人公である紬がクラスで孤立し、それを東尾が促すことによって受けられる北嶋と環奈からの謝罪。更にその学校内での復権に付随して、力になれなくてすまなかったと担任の南川から謝られるところまでが、どの攻略対象をオトす場合でも通過しなければいけない共通ルートなのだから。
紬は焦っていた。待てど暮らせどイベントは一向におこらず、このままでは東尾に出会わない内に大イベントである生徒会選がきてしまう。
紬はいやいやながらに東尾の説得を受け入れ、会計に立候補する、というストーリーがこれではおじゃんだ。
―――なにか、ある筈。入れ替わってしまった夏草葵と自分の運命を取り換えるルートが。
ガリガリと爪を噛みながら階段の影で立ち止まった彼女は、脳内にある過去の攻略データを手当たり次第に漁った。
“主人公”である自分が、このままクラスに埋没するなんてありえない。難易度の高いイケメンと恋をして、さまざまな美女たちから彼らを略奪し、吠え面をかかせるのは自分なのだ。
「待ってなさいよ、夏草葵!」
誰もいない放課後の旧校舎で苛立ちも露わに、紬は顔を歪めてそう吐き捨てた。




