一話 ボク、カワイイ?
やけに静かな夕暮れの帰り道のことだった。
「ボク、カワイイ?」
橙色から紫色へと移り変わり始めた街頭の影から、ヌッと影が伸びる。
声のした方に視線を向けると、長く伸びた影を押し縮めたように小柄な輪郭が浮かび上がった。
──僕、可愛い?
たどたどしかった発音をなぞり、組み立てる。
不意に話しかけられたのもあり、理解するのに時間を要したが、「己が可愛いか否かを」問いかけるものであることを認識した。
薄暗がりの中、じっと目を凝らす。上はピンクのシャツ。下は黒のハーフパンツをベルトで留めている。極め付けは緩やかなシルエット。オーバーサイズの上着を、着ているのか脱いでいるのかよくわからない宙ぶらりんな状態で羽織っている。
なんていうか、地雷系……?
エンカウントした刹那に展開した、『目の前の少女は怪しい者である』というレッテルが揺らぐ。
赤いトレンチコートのセクシーお姉さんが『ワタシ、キレイ?』と迫ってくる都市伝説は耳に覚えがある。
しかし、地雷系少女が己の可愛さを問うてくるのは、ただ地雷系少女が己の可愛さがどの程度かを気になっているだけなのではないだろうか。
この際、彼女が生粋の不審者なのか、また、彼女の自認が「カワイイ系」なのか「キレイ系」なのか、そんなことはどうでもいい。一番の問題は、顔の三分の二が真っ黒なマスクと大きなメガネで覆われていて、肝心の顔立ちがわからないことだ。これでは、カワイイも何もあったものじゃない。
「ボク、カワイイ?」
うわっ、追い打ちかけてきた。
さながら、即レス以外許さない束縛彼女のようだった。見た目通り、ちゃんと地雷系だ。
そうなれば、あまり長考していると刺されかねないので、顔の僅かに見えている部分を品定めするように凝視した。ガラス玉に負けず劣らず潤んだ瞳は小柄な背丈を補うように持ち上げられている。俗に言う『上目遣い』。
黒をベースに、先端にかけて桃色のグラデーションを描いたツインテールが肩付近で揺れている。
威嚇しているつもりなのだろうが、地雷系ポメラニアンにしか見えない。
「うん。カワイイよ」
嘘偽りなく、本心が口から溢れた。
「……ふっ」
今、鼻で笑った?
俺の『褒め』を鼻息であしらった?
『ドヤっ』という声が聞こえてきそうなほど、満足げに目尻が垂れ下がっている。
そうかと思えば、袖口から細い指を出し、耳にかけられたマスクに手をかけた。そして——
「コレでも……かーっ!」
バッと、勢いよくマスクの下から現れたのは、頬まで豪快に切り裂かれた口と、鋭く尖った八重歯だった。
「おおっ」
思わず声を漏らして一歩後退る。俺のリアクションに調子づいたのか、「どうだ参ったか」と言わんばかりにズンズンと距離を詰めてくる地雷系ポメラニアン——もとい怪異。
やべっ、俺ディナー確定?
焦りとは裏腹に、不気味な迫力に圧倒され、足が金縛りに遭ったように動かない。
グキッッ!
ん?
静寂の夜道に、信じられないほど嫌な骨音が響き渡った。
「あがっ……」
糸を切られた操り人形のように盛大によろけ、そのまま豪快にコンクリートへ倒れ込む怪異。足元を見れば、なるほど、十センチ以上はある厳めしい厚底ブーツを履いている。
「だ、大丈……夫……?」
吹っ飛んでいったメガネを拾い上げ、屈み込んで手を差し伸べた瞬間、俺は息を呑んだ。
メガネとマスクが外れ、剥き出しになったその素顔。
白磁のような肌に、整いすぎた鼻筋。大きな口から覗く八重歯はむしろチャーミングなアクセントになっていて、何より涙目でこちらを睨みつける瞳の破壊力が凄まじい。
え、やば。めっっっっっちゃタイプ。
不審者とか、都市伝説とか、全部どうでもいい。とにかくタイプ。顔が強い。
「な、ナンダ……ニンゲン……ッ。怖がれ……ッ!」
「めちゃくちゃカワイイ。連絡先交換しよ。てか、俺と付き合って」
「は、はァ……!?」
痛みに耐えながら威嚇しようとしていた怪異が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
「ってか、名前は?」
「……レツ」
唇を噛みながらも潔く答えてくれる。
「レツちゃん? 可愛い名前。ケータイ持ってる?」
「ケー……タイ? シラナイ! 近寄るナ!」
カツン、カツンと歪な足音を鳴らし、レツちゃんは必死に足を引きずりながら後ずさる。
「き、キョウハ見逃ス! ツギ、オマエ、コワがらセル……っ!」
そんな捨て台詞を残し、彼女は猛スピードで走る。そして、数メートル先で霧のように行方をくらませた。
ポツンと一人残された帰り道。俺は彼女が逃げていった角をいつまでも見つめていた。
「……あー、可愛かったな」
胸のときめきが収まらない。
──ツギ、オマエ、コワがらセル……っ!
『つぎ』か。
また、会えるかな。
俺はいつもより軽い足取りで家に帰った。




