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番外編 微笑む紙面

 丸ノ内線の車内。派遣社員の佐々木美咲は、ドア横の広告枠をぼんやりと眺めていた。

 そこには、新作コスメの宣伝モデルが、完璧に整った美貌で微笑んでいる。

「……いいな。こんな風に、誰からも見惚れられる存在になれたら」

 日々の仕事に追われ、鏡を見るたびに自分の顔が擦り切れていくような感覚に陥っている美咲にとって、その広告の女性は、手の届かない別世界の住人だった。


 その時、急にトンネル内の電圧が不安定になったのか、照明がチカチカと点滅した。

 瞬きをするたび、広告の中のモデルの表情が変わっていることに美咲は気づく。

 最初は口角が上がり、次は目が細まり……そして、点滅が収まった時。

 広告の中のモデルは、美咲の私服を着て、美咲の持っているバッグを肩にかけていた。

「えっ……?」

 美咲が息を呑んだ瞬間、広告の枠が「額縁」のように盛り上がり、中のモデルがこちらに向かって手を伸ばしてきた。

 周囲の乗客たちは、まるで見えていないかのようにスマホを見つめたままだ。

 案内板の文字が、インクが滲んだような赤色で点灯する。

『次は……掲載……掲載……イメージの更新を行います。動かないでください……』


 電車が、一面が白い紙で覆われたような無音の駅――零駅に停車した。

 ホームに立っているのは、顔が真っ白な「キャンバス」になっている駅員たち。彼らは巨大なカッターを手に、乗客の顔を一枚ずつ剥ぎ取るようにして「回収」していた。

「何、あれ……」

 駅員は巨大なカッターを持ったまま美咲の方に近寄ってきた。

「嫌、来ないで!」

 美咲は座席から立ち上がろうとしたが、背中の感覚がない。

 見れば、自分の身体が急激に薄くなり、紙のようにペラペラと波打っている。

 指先からは血の代わりに色鮮やかなインクが滴り、彼女の肉体は立体感を失い、座席のモケットに「印刷」され始めていた。

 広告の中から、完全に美咲の顔を写し取った「モデル」が、音もなく車内に踏み出してきた。

 彼女は美咲の震える肩を優しく抱き、耳元で完璧な発声の声を響かせた。

「……お疲れ様。これからは私が、あなたの代わりに『完璧な人生』を演じてあげる。あなたは、誰にも汚されない広告の中で、永遠に微笑んでいればいいのよ」

 美咲の意識は、強烈なフラッシュを浴びた瞬間に暗転した。

 彼女の魂は、冷たい紙の繊維の中へと吸い込まれ、二度と動くことのない固定された「イメージ」へと変換された。


 数分後、電車は新宿駅に到着した。

 一人の美しい女性が、軽やかな足取りでホームへ降りていく。

 彼女が座っていたドア横の広告枠には、新しいポスターが貼られていた。

 そこには、かつて美咲だった女性が、この世のものとは思えないほど美しい微笑みを浮かべ、新作コスメを手にしている姿があった。


 通りかかる人々が、その広告を見て呟く。

「このモデルさん、綺麗だね。でも……なんだか、目が助けを求めているみたいに見えない?」

 だが、その声が広告の裏側に届くことは、永遠にない。

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