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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
20/59

第20章

 

 これほど明確な最終合意に到達した以上、この関係がますます親密なものに発展するのは当然だった。信心深い躾を受けたにもかかわらず、アイリーンは明らかに自分の気質の犠牲者だった。世の中で幅を利かせている宗教観や信仰はアイリーンを支配できなかった。過去九年から十年の間にアイリーンの心の中では、自分の恋人はこうあるべきという理想が徐々に形成されていた。その男性は、強く、ハンサムで、率直で、成功していて、澄んだ目を持ち、健康で血色がよく、一定の生まれながらの理解力があって共感できて、自分の生き方に会う生き方を愛する人であるべきだった。これまで多くの若い男性が彼女に近づいてきた。おそらく理想に最も近い形で現れたのは、セント・ティモシー教会のデビッド神父だった。当然、彼は司祭であり独身の誓いを立てていた。二人の間で言葉は一切交わされなかったが、アイリーンが相手を意識したように相手も彼女を意識した。次にフランク・クーパーウッドが現れた。彼が現れて接触するようになると、心の中で彼が理想の人物としてゆっくりと組み立てられた。惑星が太陽に引き寄せられるように、彼女は引き寄せられた。

 

 ちょうどこの時期に有力なライバルが出現していたら、どうなっていたかわからない。こういう性質の感情や関係だって、もちろん、時には破壊、撲滅される。個人の性格は、ある程度修正や変更が可能かもしれないが、力が十分でなければならない。恐怖は大きな抑止力である――精神的恐怖がない場合は、物質的損失を被るという恐怖――富と地位は往々にしてこの不安を打ち消しがちである。財力があれば陰謀を企てるのはとても簡単だ。アイリーンには精神的な恐怖がまったくなく、クーパーウッドには霊だとか宗教的な感情がなかった。彼はこの少女を見て、どうすればうまく世間を欺いて、彼女と恋愛を楽しみ、自分の現状に波風を立てないようにできるだろうと考えた。確かに彼は彼女を愛していた。

 

 仕事で頻繁にバトラー家を訪問する必要があり、そのたびにアイリーンに会った。クーパーウッドが初めて来たとき、アイリーンはそっと前に出て彼の手を握り、人目を盗んで素早く鮮烈なキスをした。またあるときは、彼が帰るときに、客間のドアにかかるカーテンの陰から突然現れた。

 

「あなた!」

 

 その声は穏やかで誘いをかけていた。クーパーウッドは振り返って、二階の父親の部屋の方に向かって警告がてらうなずいてみせた。

 

 アイリーンがそこに立ったまま片手を差し出すと、クーパーウッドはすぐに前に踏み出した。彼がそっとウエストに手をまわす間に、アイリーンの両腕がすかさず彼の首に抱きついた。

 

「会いたくてたまらなかったわ」

 

「私もだ。何とかするよ。考えているところなんだ」

 

 クーパーウッドは彼女の腕を振りほどいて外に出た。アイリーンは窓に駆け寄って、彼を見送った。自宅が数ブロックしか離れていなかったので通りを西に歩いていた。アイリーンは肩幅の広さとバランスのとれた体を見た。クーパーウッドはとても元気よく、きびきびと歩いた。ああ、これでこそ男性だわ! あなたはあたしのフランクよ。アイリーンはすでに彼のことをそんな風に考えていた。それからピアノに向かって、物思いにふけりながら夕食まで演奏しつづけた。

 

 フランク・クーパーウッドは裕福だったので、やりくり上手の頭脳が、方法や手段を提案するのはとても簡単だった。若い頃いかがわしい場所を遊び回り、その後も時折まっすぐの狭い道を踏み外して、道徳に反する興味本位の娯楽をたくさん学んでいたからだ。当時、人口五十万人以上の都市だったフィラデルフィアには、人が通えて、慎重に、人目につかないようにちゃんと守られている、これといった特徴のないホテルや、お金を支払えば予約がとれる、昔からある住宅のような特徴を持つ家があった。そして、新しい人生を始めるにあたっての安全対策は、もはやクーパーウッドにとって謎ではなかった。彼はこういうことを万事心得ていた。注意するに越したことはない。かなり急速に影響力のある有名人になりつつあったから、用心しなければならなかった。漠然としたものは除くが、やはり、アイリーンは自分の情熱の行く末を意識していなかった。彼女にはこの愛情の導く運命がはっきりわかっていなかった。彼女が求めたのは愛だった――優しくなでられること、愛撫されることだった――それ以上のことまで本当は考えていなかった。この線に沿って先を考えるなら、薄暗い片隅の暗い穴から頭を見せて、ちょっと物音を聞いただけで慌てて引っ込むネズミだ。とにかく、クーパーウッドに関することはすべてがすばらしいことになるだろう。愛すべくして彼はあたしを愛している、とまでは本当は思っていなかったが、愛するようにはなるだろう。自分が彼の妻の権利を不当に干渉したがっていることが彼女にはわからなかった。その自覚がなかったのだから。フランクがあたし――アイリーン――を愛したとしても、それが奥さんを傷つけることにはならないわ。

 

 気質や欲望のこういう微妙な特徴は、どう説明すればいいだろう? 人生はいたるところでこういうものと向き合わねばならない。こういうものはなくならない。そして、人間という小さな有機体の外側にある自然の大きくて穏やかな動きは、彼女など大して関係ないことを示すだろう。我々は、刑務所、病気、破産、破滅といった形で多くの罰を目にする。しかしこの古い傾向が目に見えて減っていないことも目にする。個人がやり遂げようとする微妙な意志と力の外に、法則はないのだろうか? なくても、そろそろ、我々はそれをすべて知ってもいい頃だ。そうなれば、我々は自分たちのやっている行動を認めるかもしれないし、神の定めといった愚かな幻想はなくなるだろう。民の声が神の声なのだから。

 

 こうして逢瀬はつづいた。彼女の情熱が次第に高まり、ひどく恐れるでもなく、伴う致命的な危険も顧みず、言いなりになりそうなのを確信させた瞬間に、二人はすぐにすてきな時間を過ごすようになった。見とがめるものがまわりに誰もいないときにこっそり過ごした自宅でのひとときから、市の境界を越えての密会に進展した。クーパーウッドはのぼせ上がって、仕事をおろそかにするタイプの人間ではなかった。現に、このかなり思いがけない愛情の発展を考えれば考えるほど、これを放置して仕事の時間と判断力に支障をしたさせてはならないと気を引き締めた。とにかく、事務所は九時から三時まで、彼の注意をめいっぱい要求した。彼は五時半まで事務所に利益をもたらすことができた。しかし、三時半から五時半か六時までの午後の数時間を休み時間に割いてである。これほど賢い人は誰もいないだろう。午後はほぼ毎日ひとりで元気な鹿毛の二頭立て馬車を運転するか、父がボルチモアの有名な馬商人から買った馬に乗るのがアイリーンの習慣だった。クーパーウッドも馬車や馬を扱えたので、ウィサヒコンやスカークル街道の遠くに待ち合わせ場所を設定するのも難しくなかった。新しく整備された公園には、森の奥のように邪魔の入らない場所がたくさんあった。誰かに出くわす可能性は常にあったが、いつだってもっともらしい説明をすることができた。いや、こうして出くわすことがあっても、普通は何も疑われたりしないのだから、何でもないことだった。

 

 こうやって、しばらくは愛情が育まれた。単純な、最終形態とはほど遠い恋人同士が普通に行ういちゃつきだった。近づいてくる春の緑の木々の下を一緒に仲良く乗馬を楽しむのはのどかだった。クーパーウッドはこの新たな欲望に顔を赤らめながら、これまでに経験したことがなかった、自分が空想したような、人生の喜びに目がさめた。彼が初めてノースフロント・ストリートの彼女の家を訪問した若かった頃のリリアンはすてきだった。あの頃彼は言葉で言えないほど自分は幸せだと思ったが、あれから十年近くたってしまうと、すっかり忘れていた。それからは大恋愛もこれといった情事もなかった。それなのに、新しい大仕事が活況を呈しているさなかに、突然、アイリーンが現れた。若い肉体と精神を持ち、情熱的な幻想を抱いていた。クーパーウッドはずっとわかっていたが、アイリーンは大胆なくせに、彼が関係する打算的で残酷な世界についてはほとんど知らなかった。父親は彼女が欲しがるおもちゃを惜しみなく与えた。母親と兄弟は彼女を甘やかした、特に母親は。妹からは慕われていた。アイリーンが何か過ちを犯すとは、誰も一瞬も想像しなかった。彼女はあまりにも思慮深く、結局のところ熱心すぎて世の中では成功できなかった。自分の前には幸せな人生が開けているのに――近い将来、結婚に適した満足できる恋人とすてきな恋愛結婚だってできるだろうに、どうして彼女はこんなことをしなければならないのだろう? 

 

「アイリーン、結婚したら、私たち、ここで楽しく過ごしましょう」母親はよく彼女に言っていた。「もしそれまでに直さなければ、家はその時に直しましょ。エディに直してもらわないと、でなきゃお母さんが自分でやっちゃうわ。心配いりませんよ」

 

「ええ――でも、やっぱり今やってほしいわ」アイリーンは答えた。

 

 バトラーはよく、がさつな、愛情の込もった態度で、娘の肩を陽気に叩いて「おい、彼氏はもう見つかったのか?」とか「お前に会いたくて外をうろうろしてるんじゃないか?」と尋ねた。

 

 もし娘が否定しようものなら、父親はすかさず言い返す。「まあ、いずれ現れるさ、心配するな――運が悪いんだ。お父さんはお前がいなくなのは嫌だな! いたければ、ずっとここにいていいし、いつでも戻れるってことを忘れるな」

 

 アイリーンはこういう冷やかしをほとんど相手にしなかった。父親を愛していたが、これはみんな当たり前のことだった。これは彼女の生活のありふれたことで、うれしいことではあったが、それほど重要なことではなかった。

 

 しかし近頃は、春の木々の下で、どれほど熱心にクーパーウッドにその身をゆだねていただろう! 彼女は、やがてそうなるあの完全屈服に全然気づいていなかった。何しろ、彼は今はただ愛撫して話しかけるだけだったからだ。クーパーウッドは少し自分に自信がなかった。自分に自由が増えるのは至極当然に思えたが、彼女に公平を期すために、二人の愛が意味するものはどういうものかを彼女に話し始めた。きみはどうなの? わかっているのかな? ここに来て初めてアイリーンは少し戸惑い、怖くなった。ある日の午後、黒い乗馬服を着て、赤みを帯びたブロンドの上に山高のシルクの乗馬帽をちょこんと乗せてクーパーウッドの前に立ち、話を聞く間、短い鞭で乗馬スカートを叩き、迷いながら考えていた。彼はアイリーンに、自分が何をしているのかわかっているのかい、と尋ねた。二人がどこに向かっているのか? きみは本当にそんなに私のことを愛しているのかい、と。二頭の馬は、幹線道路からも、二人がたどり着いた急流の土手からも数十ヤード離れた雑木林に繋がれていた。アイリーンは馬が見えるかどうか確かめようとしていた。それは見せかけで、目には興味のかけらもなかった。考えていたのは、クーパーウッドのことと、彼の乗馬服のかっこよさと、この瞬間のすばらしさだった。彼の馬はとてもすてきなまだらのポニーだった。木々の葉は十分に生育し、緑色の透けたレースのようで、まるで緑色にきらめくアラス織り越しにその向こうや後方の森をのぞいているみたいだ。打ち寄せる水がきらきらするあたりは、灰色の石にすでに薄っすら苔が生え、気の早い小鳥――コマドリ、クロウタドリ、ミソサザイ――がさえずっていた。

 

「お嬢さん」クーパーウッドは言った。「きみはこういうことを全部わかっているのかい? こうやって私と一緒に来ているときに自分が何をやっているのか、ちゃんとわかっているのかい?」

 

「わかってるつもりよ」

 

 アイリーンはブーツを踏み鳴らして地面を見た。それから木々の間から青空を見上げた。

 

「こっちを向いてごらん」

 

「いやよ」

 

「いいから向くんだ。きみに聞きたいことがある」

 

「やめてよ、フランク、おねがい。あたしにはできないわ」

 

「ほら、見るくらいできるだろ」

 

「できないわ」

 

 クーパーウッドが手をつかんだのでアイリーンは後ずさりしたが、またすぐ前に出た。

 

「さあ、私の目を見るんだ」

 

「できないわ」

 

「こっちを見て」

 

「できないわよ。あたしにそんなこと言わないで。ちゃんと答えるわよ、でもあなたを見るのはいや」

 

 クーパーウッドの手がこっそり頬にふれて優しくなでた。肩をさすると、アイリーンは彼に頭をもたせ掛かけた。

 

「とても美しいよ」クーパーウッドはついに言った。「きみを諦められないんだ。自分がどう振る舞うべきかは心得ている。きみもわかっていると思う。でも、諦めきれないんだ。どうしても、きみが必要なんだ。もしこれが露見したら、私もきみも大変なことになる。わかるよね?」

 

「はい」

 

「きみの兄さんたちのことは良く知らないが、なかなかしっかりした人たちとお見受けした。きみのことをすごく大切に思っていますね」

 

「ええ、そうよ」これを聞いて彼女の虚栄心は少し高まった。

 

「おそらく私を殺したがるでしょう。これだけのことでも即座にね。もし――いつか何か起きたら、兄さんたちはどうすると思いますか?」

 

 クーパーウッドはアイリーンのかわいい顔を見つめながら待った。

 

「でも何も起きないわよ。あたしたちはこれ以上進む必要がないから」

 

「アイリーン!」

 

「あなたのことを考えるつもりはないわ。聞くまでもないでしょ。無理だもの」

 

「アイリーン! 本心かい?」

 

「わからないわよ。あたしに聞かないでよ、フランク」

 

「こんな終わり方はできないだろ? わかっているよね。これで終わりじゃない。いいかい、もし――」彼は不義密会についてひと通り、冷静に、淡々と説明した。「きみは絶対に安全なんだよ、ただひとつ、偶然の発覚を除けばね。そういうことだってありえるわけだ。もちろん、そのときは解決すべき問題がたくさん出てくる。クーパーウッド夫人は絶対に離婚しないだろう。そうする理由がないからね。もし私が望む形で決着がつけば――百万ドルを稼いだら――今すぐやめてもかまわないんだ。一生働く考えはないからね。三十五歳でやめようといつも計画を立てている。その頃には十分な蓄えができてるだろうから。それから旅行もしたい。もうあとほんの数年のことだ。もしきみが自由だったら――ご両親が亡くなっていたら」――不思議にも、アイリーンはこの現実的なたとえに顔をしかめなかった。「話は違ってくる」

 

 クーパーウッドは間をおいた。アイリーンは思案しながらまだ下流の水面を見つめていた。彼と一緒の洋上のヨット、どこかの宮殿――二人っきりでいることに思いは駆け巡っていた。半分閉じた目はこの幸せな世界を見ていた。そして彼の話を聞きながらうっとりしていた。

 

「ここから抜け出す道がわかれば死んでもいい。きみを愛してるからね!」クーパーウッドは彼女を抱き寄せた。「愛してるよ――愛してる!」

 

「わかったわ」アイリーンは激しく答えた。「お願いするわ。あたし、怖くない」

 

「北十番街に家を借りたんだ」馬のところまで行って乗るときに、ようやくクーパーウッドは切り出した。「家具はまだだが、すぐにそろえる。管理する女性にも心当たりがある」

 

「どんな人?」

 

「五十近い興味深い未亡人だよ。とても頭がよくて――魅力的で、人生経験が豊富なんだ。広告で見つけた。準備ができたら、午後にでも訪ねて場所を見てみればいい。気軽に会えばいいんだ。どうかな?」

 

 アイリーンは何も答えず、考えながら馬に乗った。クーパーウッドは単刀直入で、考え方が実用的だった。

 

「どうかな? これなら大丈夫だろ。自分で相手を見ればいいんだし。いずれにしても、いやな人じゃない。どうかな?」

 

「準備ができたら知らせてよ」アイリーンが最後に言ったのはこれだけだった。

 


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