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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第13章

 

 クーパーウッドがこうして着実に自分を高めている間に、南北戦争はほぼ終結していた。一八六四年十月。モービル湾占領と荒野の戦いは記憶に新しかった。グラントは今やピータースバーグの目前にいて、南軍総司令官リーは、最後に輝かしく絶望的に、戦略家として軍人として、自分の能力を発揮していた。株が暴落して経済活動が全面的に悪化するときが何度かあった――たとえば国民がヴィクスバーグの陥落や、ポトマック軍の勝利を待っている長い陰鬱な時期に、ペンシルベニアがリーの侵攻を受けたときなど。こういう時には、クーパーウッドの相場操縦能力が最大限に発揮された。そして何かの予期せぬ破壊的なニュースに自分の財産が破壊されないように、常時目を光らせていなければならなかった。

 

 しかし、合衆国は維持されるべきであると感じている愛国心とは違って、戦争に対する彼の個人的な態度は、戦争は破壊的で無駄であるというものだった。彼は決して愛国心や感情が欠けているわけではなかったので、大西洋から太平洋へと、カナダの雪原からメキシコ湾へと、今こうしてその版図を広げている合衆国には価値があると感じることができた。一八三七年に生まれてからずっと――今は国土であるアラスカを除いた――この国が物理的成長を遂げるのを目の当たりにしてきた。フロリダがスペインから買い取られて合衆国に編入されたのはまだ若い頃だった。一八四八年の不当な戦争後に、メキシコがテキサスとその領土を西部に割譲し、北西部かなたの米英国境問題には最終的な決着がつけられた。社会や経済に対する大きな想像力を持つ彼にとって、これらの事実は重要な意味を持たずにはいられなかった。そしてそれらはこれ以上何もしなくても、この広大な領域に潜んでいる無限の商業的可能性を彼に感じさせた。クーパーウッドは〝プロモーター〟として知られるタイプの、あらゆる未踏の細流や草原に利益を求める無限の可能性を見るような、投機的な投資の熱中者の類ではなかった。しかし、この国の広さそのものが、彼が望む可能性が乱されないまま後に残る可能性をうかがわせた。二つの海に挟まれた地域全体の長さにまで及ぶ領土は、南部諸州が失われたら維持しきれない可能性があるのではないかと彼には思えた。

 

 同時に、黒人の解放は彼にとって重要な問題ではなかった。クーパーウッドは子供の頃からこの人種を興味深く観察してきて、その良い面と悪い面に思うところがあった。しかしこれらはもとから備わっていたようだったし、彼にすれば明らかに、彼らの経験を決定づけるものだった。

 

 例えば、黒人が今よりももっと重要になるかもしれないという確信はまったくなかった。いずれにせよ、黒人にとっては長く苦しい闘いであり、この先の何世代も、この結論を見ることはないだろう。黒人を自由にしろという意見に彼は特に異論を持たなかったし、南部が自分たちの財産と制度の破壊に激しく抗議をしてはいけない理由も特に見出せなかった。黒人が奴隷としてやたらと虐待されるのはひどすぎた。これは何らかの形で是正されるべきだとはっきり感じた。しかしそれより、彼らの支援者の主張に立派な倫理的な根拠があるとは思えなかった。男にしろ女にしろその大多数は、たとえ奴隷制を禁じるために制定された憲法のあらゆる保証を手に入れても、奴隷化を本質的に免れるわけではなかった。精神的な奴隷の身分、弱い心と弱い体は隷属するからだ。クーパーウッドは、サムナー、ギャリソン、フィリップス、ビーチャーといった人たちの主張をかなり興味深く見守ったが、この問題が自分にとって重大な問題だとは全然思えなかった。彼は兵隊や将校にはなりたくなかったし、議論の才能はなかった。彼の頭脳は論争を好むタイプではなかった――たとえ金融が議題でも。自分にとって何が大きな利益になるかを見極めて、それに全注意力を注ぐことにしか関心がなかった。この内戦は彼の役には立たなかった。この戦争は実際にこの国の真の商業・金融面の調整を遅らせていると考え、すぐに終結すればいいと願った。重過ぎる戦争税が多くの人たちを苦しめていることは知っていたが、彼はそれを激しく非難する人たちには属さなかった。死や災害の話の中には彼を大きく揺さぶるものもあったが、残念ながら、そういうものは人生の不可解な運に属するものであり、彼の力では直せなかった。毎日、軍隊の到着と出発を見守り、汚くてだらしのない格好の痩せ細った病人の集団が戦場から戻るのや病院を見ながら、自分の道を歩んだ。彼にできたのは、ただ気の毒に思うことだけだった。この戦争は彼のためのものではなかったし、全く参加していなかった。しかし愛国者としてではなく資本家として戦争の終結を喜ぶことだけはできると確信した。戦争は無駄で、哀れで、不幸だった。

 

 あっという間に数か月が過ぎた。その間に地方選挙があって、新しい財務官、新しい租税査定官、新しい市長が誕生したが、エドワード・マリア・バトラーは以前と同じ影響力を持ち続けた。バトラー家とクーパーウッド家はすっかり親密になっていた。信仰は違っていたが、バトラー夫人はリリアンのことが大好きだった。二人は一緒にドライブやショッピングに出かけたが、リリアンは、バトラー夫人のお粗末な文法、アイルランド訛り、庶民的な嗜好のせいで――まるでウィギン家は全然庶民的ではないとばかりに――彼女には少し批判的で、恥ずかしいと思っていた。それでもバトラー夫人は、リリアンも認めざるを得なかったように、気立てがよくて心の優しい人だった。裕福になってから贈り物が大好きになり、あっちこっちに、リリアンや子供たちなどにプレゼントを送った。「さあ、ああたがた(丶丶丶丶丶)、いらっしゃいな、私たちと一緒に夕食にしましょう」――バトラー家が夕食の時間に到着した――かと思えば「明日は私と一緒にドライブに行かなくちゃね」

 

「アイリーンったら、ほんに、いい子だこと」とか「ノラったら、まあ、今日、病気なんね」といった調子だった。

 

 しかしアイリーンは、その気取った態度、攻撃的な性格、目立ちたがり屋、虚栄心の強さで、クーパーウッド夫人を苛立たせ、時にはうんざりさせた。今は十八歳で、微妙に刺激的な体をしていた。態度は男の子っぽく、時にはお転婆で、修道院で教育を受けたのに、どんな形であれ束縛を嫌う傾向があった。しかし、とても思いやりがあって人間味のある青い目には、優しさが潜んでいた。

 

 ジャーマンタウンのセント・ティモシー修道院付属学校は、娘の教育――いわゆる立派なカトリックの教育――のために両親が選んだ学校だった。アイリーンはカトリックの儀式の理論や形式について多くを学びはしたが、それらを理解することはできなかった。薄暗く輝いている縦長の窓、高くて白い祭壇、片側にセント・ジョセフの像、もう片側に、金の星をつけた青いローブをまとい、光輪を背に、(しゃく)を持つ聖母マリアがいるその教会は、アイリーンに大きな感銘を与えていた。教会全体が――カトリック教会はどこもそうだが――見ていて美しく――心を癒やしてくれた。祭壇は大ミサの間中、五十本以上のキャンドルが灯され、司祭や従者の豪華なレースの祭服に威厳を与えられて印象的なものにされた。肩衣やガズラやコープやストールや腕帛の、印象的な刺繍と華やかな色彩は、アイリーンの創造力をつかんで、目を釘付けにした。アイリーンの中には常に、色彩への愛と、愛そのものへの愛とが結びついた壮大さを感じる力が、潜んでいたと言ってもいい。彼女は年端もいかない頃から何となく性を意識していた。彼女には正確さへの欲求、精密な情報への欲求がまったくなかった。生まれつき備わっている官能的性質が、そういうものを持つことはめったにない。それは太陽の光を浴び、色彩に浸り、印象的なものや華麗なものに心惹かれる感覚の中に宿ってそこに留まる。手に入れたいという欲望の中に現れても、攻撃的で貪欲な性格でない場合には、正確さは必要ではない。本物の支配的な官能性は、最も活動的な気質にも、最も正確な気質にも現れることはない。

 

 この説をアイリーンに適用する場合は、定義しておく必要がある。この頃の彼女の性質を、はっきりと官能的であると表現するのは適切ではないだろう。あまりにも未発達だった。何を収穫するにしても、長い成育期間はある。告解室、教会がわずかばかりのランプで照らされる金曜日と土曜日の夕方の薄暗がり、神父の警告、許しの秘蹟、狭い格子越しにささやかれる神からの許し、は何か微妙に心地よいものとしてアイリーンを感動させた。アイリーンは自分の罪など恐れなかった。はっきり地獄行きが告げられても、彼女を怖がらせはしなかった。実は、そんなものが彼女の良心をとらえたことはなかった。おぼつかない足取りで教会に入って、お辞儀をして祈りをささげ、ロザリオにつぶやいている老いた男女の姿は、まるで十字架の道行きを強調している木のレリーフの独特な模様の彫り物のように、好奇心をそそる興味の対象だった。特に十四歳から十五歳の頃、アイリーンは告解して、司祭が「さあ、私の愛する子よ」と自分をさとす声を聞くのが好きだった。とりわけ、学校に告白を聞きに来るフランス人の老司祭は、親切で優しい人としてアイリーンの興味を引いた。彼の許しと祝福には心が込もっているように思えた――彼女がいいかげんにやっていたお祈りよりも立派だった。やがてセント・ティモシー教会に若い司祭が現れた。デイヴィッド神父は、健康で顔色がよく、カールした黒髪を額にたらし、司祭の帽子を気取った感じでかぶっていた。はっきりとした威厳のある手つきで聖水を撒きながら側廊をやって来る姿はアイリーンの心をとらえた。神父が告白を聞くときに、アイリーンは時々自分の変な考えをささやくのが好きで、そうしながら実際に神父が密かに考えているかもしれないことを推測した。努力しても彼を神聖な権威と結びつけることができなかった。あまりにも若すぎたし、あまりにも人間的だったからだ。彼女が喜んで自分のことを彼に話して、それからつつましく、後悔の気持ちを表わして退出する態度には、少し意地の悪いからかっている部分があった。セント・アガサで彼女はかなり扱いにくい人だった。学校の善良なシスターたちがすぐに気がついたように、アイリーンはあまりにも生命力に満ちあふれ、活発過ぎたので、そう簡単に言うことを聞かせられる相手ではなかった。修道院長のシスター・コンスタンティアはアイリーン直属の指導係のシスター・センプロニアに一度注意した。「あのミス・バトラーはとても元気な子よ。うまく立ち回らないと、大変なことになるかもしれません。ちょっとした贈り物で、おだてないといけないかもしれないわ。あなたならお手のものよね」そこでシスター・センプロニアはアイリーンが最も興味を持つものを探し出して、それで手なづけようとした。父親の力を強く意識し、自分の方が偉いとうぬぼれていたので、そう簡単にはいかなかった。しかし、アイリーンは折に触れて家に帰りたがり、黒檀のペンダントの十字架と銀のキリストがついているシスターの大きな数珠のロザリオをつける許しをほしがるものだから、これは大きな特権になった。授業中は静かにしている、穏やかに歩く、穏やかに話す――彼女にできる範囲で――消灯後は他の女子の部屋に忍び込まない、あれやこれやと同情的なシスターに恋心を抱かない、などを守れば、土曜日の午後に校庭を散歩するとか、欲しい花をすべてと、ドレスや宝石などを余分に持つことを許される、といったいろいろなご褒美が贈られた。アイリーンは音楽が好きだった。その方面の才能はまったくなかったが、絵を描いているという考えが好きだった。本や小説にも興味はあったが、手に入れることができなかった。それ以外――文法、字のつづり、裁縫、礼拝、歴史全般――は大嫌いだった。行儀作法――まあ、多少は大切だった。教わったかなり大げさなお辞儀を気に入ってしまい、家に帰ったらそれをどう使おうかとよく考えたものだった。

 

 社会に出てからは、暗に示されたちょっとした社会的な格差が、その存在を彼女に痛感させ始めた。父親がもっといい家――豪邸――他の場所で見たようなもの――を建てて、自分をきちんと社交界に送り出してくれることを心から願った。それがかなわなかったので、服や宝石、乗馬用の馬、馬車、こういうもの用に自分に許された衣装をふさわしいものに着替えること以外は、何も考えられなかった。彼女の家族は、自分たちがいる場所で、気品に満ちた方法で、人をもてなすことができなかった。アイリーンはすでに十八歳にして、挫かれた野心の痛みを感じ始めていた。生きている実感が欲しくてたまらなかった。どうすればそれが手に入るのかしら? 

 

 アイリーンの部屋は、熱心で野心的な心の弱さを研究するにはうってつけだった。部屋は、服、あらゆる場面に備えた美しいもの――宝石――身につける機会が少ないのに――靴、ストッキング、ランジェリー、レースでいっぱいだった。化粧品をまったく必要としなかったのに、未熟なりに、香水や化粧品の研究をしていて、しかも大量にあった。あまり全体のまとまりを考えず、派手に見せびらかすのが大好きだった。カーテンも掛け軸もテーブルの装飾品も絵も、豪華なものになりがちで、家の他の部分とうまく調和しなかった。

 

 アイリーンはいつもクーパーウッドに、手綱のない足を高らかと上げている馬を連想させた。彼はいろいろな場面で、母親と一緒のショッピングや父親とドライブをしているアイリーンに出くわした。そしていつも彼女が彼の前でとる、気取った退屈そうな口調に釣りこまれて面白がった。「ねえ! ねえってば! 人生ってとても退屈よね、そうじゃない」と言いつつも、実際は、人生の一瞬一瞬が、彼女にとって刺激的な関心事だった。クーパーウッドはアイリーンの精神を正確に測定した。気高い人生観を内に秘めた、ロマンチックで、愛とその可能性ばかりを考えている少女。彼は彼女を見るとき、自然が完璧な肉体を作り出そうとするときにできる最高のもの、を見ている気がした。どうせすぐに幸運な若者が結婚して、彼女を連れ去ってしまうのだろう、という考えが浮かんだ。しかし、誰がものにするにせよ、彼女をつなぎとめるなら、そいつは愛情と気の利いたお世辞と気遣いとで、つなぎとめねばならないだろう。

 

「小生意気よね」――そんなことはない――「あの子ったら自分の父親のポケットの中で太陽が昇っては沈むと思ってるんだわ」ある日リリアンは夫に言った。「彼女の話を聞いてると、アイルランドの王族の子孫かと思っちゃうわよ。絵や音楽に興味があるふりをしてるんでしょうけど、おかしいったらないわ」

 

「まあ、彼女にあまり厳しく当たらないでくれよ」クーパーウッドは上手になだめすかした。すでにアイリーンのことが大好きだったからだ。「とても上手に演奏するし、いい声をしてるだろ」

 

「ええ、わかってるけど、彼女には本物の品ってものがないわ。果たして身につけられるものかしら? 両親を見てごらんなさいよ」

 

「彼女にそれほど大きな問題があるとは思わないがね」クーパーウッドは言った。「明るくてきれいだよ。もちもん、まだ子供で、少しうぬぼれ屋だけど、そのうち治るさ。分別や力がないわけじゃないんだからね」

 

 クーパーウッドも知ってのとおり、アイリーンは彼にとてもなついていた。クーパーウッドのことが好きなのだ。クーパーウッドの家で必ずピアノを弾いて彼のために歌を歌った。彼がいるときしか歌わなかった。クーパーウッドの安定したなめらかな歩き方、がっしりした体、男性的で凛々しい顔にはアイリーンを惹きつける何かがあった。うぬぼれ屋で自己中心的だったにもかかわらず、彼を前にすると時々少し気圧されることがあった――緊張してしまった。彼がいるところでは一段と陽気になり、一段と輝きが増したように思えた。

 

 この世で一番無駄なことは、おそらく性格を正確に定義しようとする試みである。すべての人間は矛盾の塊だ――最も有能な人間ほど矛盾が多い。

 

 アイリーン・バトラーの場合は、正確に定義をするのは絶対に無理だろう。彼女が確かに持っていた未熟で優雅さを欠いた状態の知性――また、現在の社会通念と習慣に多少抑制された生まれつきの力は、自然なままの必ずしも魅力がないわけではないなりに、今でも時々はっきりとその姿を見せた。この時、アイリーンはまだ十八歳で、フランク・クーパーウッドのような気質の男性から見れば明らかに魅力的だった。彼女は、彼がそれまで知らなかった、あるいは意識的に欲しがらなかった何かを与えてくれた。活力と快活さを。彼がこれまでに出会った他の女性は誰もアイリーンほど多くの生まれながらの力を持っていなかった。彼女の赤みを帯びた金髪は、赤というよりは赤を連想させるものがあるれっきとした金色で、額のあたりで重い房が自然に丸まって、首の付け根に垂れていた。鼻は美しく、繊細さはないがまっすぐで、鼻孔は小さかった。目は大きくて、それでいてやたらと色っぽく、彼にとって感じのいい青みの強い青灰色という色合いだった。そして、身なりは、もちろん彼女の気質によるものだが、過剰といっていいほど豪華さを感じさせた。腕輪だとか足首かざり、イヤリング、女奴隷(オダリスク)の胸当て、といっても、もちろん、そんなものがあるわけではなかった。彼女は何年も後になってから彼に、爪を塗って、手のひらも茜色で染めたかったことを打ち明けた。健康で元気な彼女はいつも男性のことばかり気にしていた――男性は自分をどう思うだろう――自分は他の女性と比べてどうだろう。

 

 馬車に乗れることや、ジラード・アベニューの立派な家に住めることや、クーパーウッド家のような家々を訪問できることは、とても大きな意味をもっていた。しかしまだこんな年なのにアイリーンは、人生にはこれ以上のものがあることに気づいていた。多くの人は、そういうものを持たずに生きていた。

 

 しかし、アイリーンには富と恵まれた環境があった。彼女はピアノの前に座って演奏したり、馬車に乗ったり、歩いたり、鏡の前に立ったときに、自分の姿を、その魅力を、それが男性にとって何を意味するかを、女性たちが自分をどれほどうらやましがるかを、意識した。時々、貧相、漏斗胸、不器量な顔の女の子を見て、かわいそうに思うことがあった。また別の時には、自分たちを社会的にも肉体的にも図々しく押し通す美しい少女や女性に、説明のできない反感を燃やすこともあった。チェスナット・ストリートや高級店で、あるいはドライブ中や、馬や馬車に乗っているときに、ひょいと頭をあげて、自分たちの方が育ちが良くてしかもそれを心得ていることを、人にできる動きを存分に駆使して示す良家の娘たちがいた。こういうとき、両者は互いに挑発的に睨み合った。アイリーンは世の中の高い地位にのぼりたくてたまらなかった。かといって、自分より社会的地位がよくても甲斐性のない男性には全然魅力を感じなかった。男らしい男を求めていた。時々、〝それらしい〟男性はいたが、完全ではなかった。惹かれはしたが、そのほとんどが父親の知り合いの政治家か議員で、社交界とは無縁だった――だから、彼らはアイリーンをうんざりさせ、失望させた。彼女の父親は本物のエリートというものを知らなかった。しかし、クーパーウッドさんは――とても洗練されていて、とても力強くて、とても控えめに見えた。アイリーンはよくクーパーウッド夫人を見て、彼女は何て幸せなんだろうと思った。

 


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