第8章「女王」 前編
最初に会ったとき、私はその人をお姉さんだと思った。自分とそっくりな長い金髪、顔もどことなく似ている様な気がして。それなのに、自分よりもとてもしっかりしていて、大人びていて。
間違いないわ、この人は私のお姉さんなのよ。私もいつか、この人みたいになるの。なんて、そんなことを思ってた。
最初は、そう、憧れだったわ。
その日、私はバールのようなものを振るっていた。あの人がとても強いと聞いて、あの人みたいになりたくて。一生懸命、戦いをイメージしながらバールのようなものを振り回していた。
そうしたら、あの人が微笑みながらやって来た。熱心だな、って。そう言ってくれた。
私はお願いした。強くなりたいから、戦いを教えて欲しいって。その人は頷いてくれた。私は嬉しくなって、はしゃいで。全力で行くわ、そんなことを言ったと思う。
そうしたら、その人は言った。それならこちらも対等に行く、そんなことを。
そして次の瞬間には、私は痛みに泣いていた。
両手首、両足首から涙のように血が溢れていて、殴られたお腹と胸はとても痛くて、苦しくて。死にそうな、本当に死にそうな気分がして。殺されちゃう、そう思って、すごく怖かった。
そんな私を、その人は微笑んで見ていた。痛みは君を強くする、笑いながらそう言っていた。
そこから先は覚えていない。だけど、次に目が覚めた時には3年も経っていた。
目覚めた後の私は、姉だと思いこんでいたその人のことが苦手になった。みんながその人を呼ぶ時の言葉で、私もその人を呼ぶようになって。
『女王』――恐れを込めた名前。
抱いたのは、そう、恐れだったわ。
ある日、私はその人に頼み事をした。『女王』に、畏れ多くも『女王』に。
『構造体』の中の本や映像を見て、私はその本物に触れたくなっていて。どうしても、外の世界にある色んなものに会いたくて、だから私はお願いをしたわ。
もしも『構造体』から出れるような日が来たら、一番最初に私を外の世界へ出してと。震えながら、でも勇気を振り絞って私は言ったの。
そうしたら『女王』は、笑ってこう答えたの。出来る限り、叶えよう。そんなことを。
私はとても嬉しかった。怖くて仕方なかった『女王』が、微笑んで約束してくれたことが。もし本当に叶えてくれるのなら、昔のような憧れを、敬意を、私は示せると思った。
期待、そう、期待してたわ。
そして、約束の日。『女王』は誰よりも早く外の世界へと旅立った。私との約束を守ること無く、自分だけ。それでも、私は我慢することが出来た。
『女王』は『構造体』の外へ出る前、微笑みながら言ってくれた。帰ってくるまで、君が私の代わりをしていてくれって。その言葉は、『女王』が城主として支配しているこの『構造体』を私に預けるということ。
外に出れなかったことは残念だったけど、私は満足だったわ。認められたこと、あの人の代わりとして、あの人に並べたこと。そして、『構造体』にある全てを手に入れたこと。『女王』にありがとうって言いたくなるくらい、私は喜んでいた。
感謝、そう、感謝してしまったの。
だけど、それは間違いだった。
私は、『女王』に並んでなんていなかった。私が出来たことは、ただ玉座に座って、何も無い日々を過ごして、何一つ決める権利も無くて、何も出来ない飾りとして座っているだけで。
外に出たい、そんな願いすら聞き入れられないまま。何日も、何日も、何日も……!
私は伝えた。外にいる『女王』に対して、外の世界に出してくれるように。だけど帰ってきた答えは、少し待て、それだけだった。
もう、分かっていたの。自分は身代わりなのだと。玉座を空席にしないための、身代わりにされたのだと。
私は怒った。とても怒ったわ。『女王』に期待した自分が馬鹿だったと、そう怒った。
怒り、そう、怒りだったわ。
私は、私に許されていた言葉を『機関長』に突きつけた。『構造体』の機能全てを管理する、その男に。
私は言った。『女王』の代わりなんて辞めると。そして、この『構造体』を出ると。
彼は言った。辞める権利はあっても、外の世界に出る権利が君には無い、と。だけど、こうも言ってくれた。自分にも止める権利は無い、って。
そして機関長は、ローエングリンを呼んでくれた。外の世界への案内役を、彼は用意してくれた。そうして私は外の世界へと旅立つことが出来た。そんな権利はどこにも無かったかも知れないけど、私はそれを望んでいたの。
夢を、叶えたかった。
『女王』への怒りをそのままに、私は夢にまで見た世界を巡った。その旅の中で、『女王』なんてどうでもよく思えて来たの。
世界で一番嫌いなだけの、ただそれだけの人。いつか倒すなんてことを言っておきながら、それを想像で済ませて満足していた。『女王』なんて、そんなものになっていた。
そんなもの、そう、そんなものだったわ。
だけど今は――
「『女王』…………!」
忌々しげな声を出し、アリスは涙目のまま『女王』を睨んだ。
「本当に久しいな、アリス」
怨嗟の眼差しに対し、『女王』は嬉しげに微笑む。まるで、何事も無いかのように。
アリスの怒りはもはや噴出すしか無かった。言語として成り立たない雄叫びと共に、彼女はバールのようなものを力任せに振るう。必然であるかのように、その暴力は『女王』を掠めすらしなかった。
「穏やかではないな、アリス」
「どうして……どうしてホンシアをっ!!」
振り払い、振り上げ、振り下ろして。バールのようなものを振り回しながら、アリスは『女王』へと少しずつ歩を進めていく。
「単純な理由だ、アリス。彼女は私を殺そうとした。だから私は彼女を殺した。対等の権利として」
アリスが1歩進む度に、『女王』は1歩下がって行く。間合いは変化しない。アリスの攻撃は、少しも当たらない。
「ひどい……ひどすぎるわ!」
怒りに任せて、アリスは思いっきり得物を振り下ろす。次の瞬間、アリスは宙へと突き上げられた。
「ぐあっ……!」
落下運動に転じるよりも早く加速度を発生して、アリスは背中を打つこと無く屋根へと着地する。顎と首に感じる痛み。『女王』の手が自分の顎を払い上げる動作を、彼女の目は捉えていた。だが、回避するまでには至らなかった。
過去には一瞬で重傷を負わされた『女王』の攻撃。アリスはその攻撃速度に反応出来る程の成長を遂げていた。しかしその一方で、アリスと『女王』の実力差は未だに決定的であった。
「情けないぞ、アリス。だが、嬉しい。君が生きていてくれたこと、君と外の世界で会えたこと、本当に、本当に喜ばしい」
「ふざけないでっ!! ホンシアを殺したくせに!!」
「それが敬意さ、アリス。私なりの、敬意なのだ」
「敬意ですって……」
「そうさ」と肯定し、『女王』は右肩の弾痕をアリスに向ける。まるで勲章であるかのように、堂々と。
「これがホンシアの付けた傷だ。狙撃銃を奪われた彼女が、当たるはずの無い銃で狙った結果だ。まさに全身全霊、命をかけた一撃。ならばそれに対して、私はどうすれば良い? 何をすれば、対等だと言える?」
『女王』は下に向けていた右手を上へと向けた。その指先は血に塗れている。
「手加減せず、殺す。それが私を殺そうと動いた相手への、私なりの敬意だ」
「そんなの、馬鹿げてるわ!!」
「馬鹿げている? 彼女には、彼女達には私を殺したいほどの理由があった。私を殺そうという心があった。ならば、私も対等の心を持つのが正当。それこそがお互いの誇りを守り、お互いの命が同等であるという敬意である。違うか?」
「分からない、そんなの分からないわっ!!」
ぶんぶんと、アリスは首を横に振った。『女王』の論理など、彼女にとっては理解不能な妄言そのものだったから。
「理解できないか、アリス。それでもいい、だがそれなら君はどうするつもりだ」
「どうするって……」
そんなことは、決まっていた。ホンシアを殺した相手が、自分の敵が、すぐ目の前にいる。取るべき行動に、考える余地など無かった。
彼女は駆け出し、バールのようなものを再び振るう。だがその先端すら、『女王』には届かない。
「私をよく見るんだ、アリス。対象の正しき認識こそ、魔力の基本だ」
「うるさいわっ!」
『女王』を否定するかのように、アリスはがむしゃらにバールのようなものを振るった。
「それではつまらないんだ、アリス。それでは」
その言葉の直後、バールのようなものが『女王』の右手に掴まれていた。
「えっ……」
絶句するアリス。
「武器を振り切った一瞬、無防備になるようではな」
『女王』の爪先がアリスの鳩尾を蹴り上げる。苦しさが一気に込み上げて来て、彼女は胸を押さえて膝をついてしまう。
「冷静になれ、アリス。怒りに囚われたままでは、集中など出来ない。集中出来なければ、魔力を発生するための正しいイメージも思い浮かべることは出来ない」
けほっ、けほっ、とアリスが咳き込む。それでもその目は『女王』を睨んだまま、逸らしていない。
「そうだなアリス……話をしよう。話、そう話だ。話したい事が沢山ある。聞きたいことも沢山ある。どれから話せば良い? 何から聞けば良い? そうだな、アリス、そうだ、人間の話をしよう。人間だ、人間。我等が尊敬を刷り込まれた、あの特別な存在たちについて」
唐突に語り始める『女王』を、アリスは訝しげな眼差しで見つめる。
「人間の話ですって……?」
「そうだ、人間だ。君も多くの人間を見てきただろう? 友人、隣人、待ち行く人々、メディアに映る著名人、近き遠きを問わず、多種多様な人々と」
アリスの脳裏に浮かぶのは、奈々子、ホンシア、そして――
「『構造体』のプログラムは我々シンボルに彼らへの敬意を植えつけた。だが私にはある疑問がある」
そして何故か、アリスはローエングリンやエルザの顔も思い浮かべていた。人間でない、彼らの顔を。
「一体何なのだろうな、アリス。我々と、人間の違いは」
「私たちと……人間の?」
それはアリスにとって考えたことの無い疑問だった。自分たちと人間が違うものだと自覚していながら、彼女はそれを意識することなく過ごしてきた。街を歩く時も、奈々子といるときも、近くにいる者たちと自分が違う種族である事を意識したことなど、ほとんど無かった。
唯一、空を飛んでいた時は自分が人間とは違うことを意識していたかも知れない。しかし、アリスがホンシアと出会ったのは空だった。同じことを、人間がしていた。
自分と人間との違い。その答えを、彼女は導き出す。
「そんなもの……無いわ」
それが、答えだった。
「正解、いや半分正解だアリス。その通り、人間と私たちは本質的には非常に似通っている。たとえ骨格や細胞の一部が機械であっても、寿命が人間よりも長くとも、精神的に極端な側面があろうとも、私たちは人間と言って遜色無いほどの模造物だ。だが、それでも我々と人間には違いがある。分かるかアリス、その違いが」
自分が発見した答えが素晴らしいものであると確信してるかのように、『女王』は得意げに笑む。その顔が、アリスを不機嫌にさせた。
「分からないわ、そんなもの」
「数だ、アリス」
一瞬、アリスには何を言ったのかが分からなかった。
「数?」
「そう、数だ。人間は数が多い。今生きている人間たち、今まで生きていた人間たち。現在と歴史の中に数十億数百億の人間が生きていて、その積み重ねの上に今の人間がいる。だからこそ人間は尊敬に値する価値がある、敬意を払うべき種族なのだ」
「……意味が分からないわ」
落胆したかのように、『女王』が肩を落とす。
「良いか、アリス。人間とは探索する生き物だ。自身の可能性を。学術的な真実を。より多くの有益な情報を。その探索を今もなお、90億もの人間が行っている。その数で以て、広く、深く。神の作りし、この世界を」
神? 神様ですって?
アリスはその単語にとても胡散臭いものを感じた。その言葉の違和感が亀裂となり、彼女には『女王』の自論が理解する価値も無い、ただの偏執であるように思え始める。
「そしてその探索の結果をお互いに反映し、人間は繁栄して行った。書物、建築、絵画、写真、映像、会話、他にも多種多様な形で自分たちの探索結果を他者へと伝え、人間はこの星で最も世界を知る生物となった。知能では人間に勝っているというイルカでさえ、人間ほどは世界を知らぬだろう。この世界の可能性を知らぬだろう。全ては人間という生物の数の多さと、それによる大規模な情報の収集・共有の為せることなのだ」
自信溢れる語調で紡がれた『女王』の言葉たち。だが、アリスにとってそれらは無味乾燥な、それどころか否定の衝動が生ずるようなものであった。
「ということはだ、アリス。人間と共に生き、人間の社会に人間然として溶け込めば、我々も人間の数の内に入るようになるのでは無いか? 人間というシステムの一部としてその恩恵を受け、そして与えることが出来るのではないか?」
「違う」と、アリスはどうしてもそう言ってやりたかった。だが、何が「違う」のか。それを説明する言葉が浮かばず、彼女は唇を噛む。
「そして人間の持つ精神、情緒の豊かさ、信念、それらを我が心に宿すことも出来るのでは無いか。己が夢、己が自由を貫く意志を。陰島のような、神崎のような、ホンシアのような――」
ホンシア――その名が言葉の羅列に混じった時、アリスの中でイメージが湧き出す。もはや目を開くことの無い、血まみれの死体。それは説明不要の理由だった。
溢れ出す否定の念に押され、アリスは叫んだ。
「違うっ!!!」
さしもの『女王』も、その大声に驚いた様子を見せる。アリスは膝をついた体勢からゆっくりと立ち上がり、バールのようなものを構えた。
「ホンシアを殺したくせに、偉そうに……」
どんなに人間を賛辞しようと、目の前にいるのは人を殺した女。
「偉そうにっ!!」
アリスは我慢できなかった。
殺人者が人間を語ることを。ホンシアを殺した者が、ホンシアを語ろうとすることを。
「何を怒っているのだ、アリス。私がホンシアを殺したからか? だがな、アリス。何度も言うがホンシアの殺意に見合うものは、やはり私の殺意しか無い。だから私は対等に、正当に彼女を殺した。それこそが、私の敬意なのだよ」
「知らない! 関係無いわっ!!」
首をぶんぶんと振り、アリスは必死に否定する。
「そんなもの、貴女の独り善がりよ!!」
「正当防衛だよ、アリス。それにもし私が彼女を殺さなかったとしたら、それは彼女の意志を軽んじているということになる。彼女が自らの選択で私を殺そうとしたのだから、私はその決定を重んじなければならない。殺意には殺意で、対等を以て正当とする。対等を以て、自由とするのだ」
「違う!!」
アリスの中で想起される記憶。
ホンシアは言っていた。殺すのは怖いって。でも殺さなければ、自分じゃいられなくなるって。
きっと、ホンシアには『女王』の言うような意志なんて無かったのよ。他に道が無くて、他にどうすることも出来なくて……自由なんて、どこにも無かったに違いないわ。
それなのに『女王』は、勝手に決め付けて、簡単に殺して……!
「許せない……許せないわっ!!」
「アリス、よもや君がそこまでホンシアに入れ込んでいるとは……鎮めるつもりが、逆に憤らせてしまったな」
「貴女の言葉なんかに、私は落ち着いたりしない! 貴女はいつだって、いつだってそうよ!! 言葉だけ偉そうで、だけどやっていることは最低、最低なのよ……!」
「最低、確かにそう見えるかもしれない。だがアリス、私は」
「うるさいわっ!!」
力任せに片手で振るう、バールのようなもの。造作もなくかわされたその運動は、しかし『女王』の言葉を断つことだけには成功した。
「貴女の言葉なんかで、何が伝わるっていうの!?」
「聞く耳持たずか、アリス。ならば、それでいい。こちらも喋りすぎた」
掲げられる『女王』の右手。
「私を理解したくないのならば、刻み付けるだけだ」
その言葉と共に加速する『女王』、アリスは反射的にバールのようなものを振り上げる。しかし、前へと加速したはずの『女王』の身体はその射程外、アリスから離れた位置にあった。
再び加速する『女王』に対し、慌てて防御の構えをするアリス。敵の右手を打ち払おうと、バールのようなものを振るった。
その一撃は、やはり掠りもしなかった。
「くっ!!」
「良いじゃないか、アリス」
『女王』は後ろへと加速し、再び距離を取っていた。余裕の表情を浮かべる『女王』に対し、アリスは焦りを隠すことが出来無い。
速い……やっぱり速いわ。
瞬時に加速度の方向を変える反射神経と加速度自体の大きさ、それは明らかにアリスを凌駕するものであった。例えずとも、化け物と言う他ない。アリスはそれを実感しながらも、もう1つのことも感じていた。
攻撃を払い除けることが出来た。対抗することが出来た。決して、自分は無力では無いと。
「冷静さの代わりに激情で以って、その力を高めたか。だがな、アリス。力とは大きさと方向で成り立つ。今の君はまるで方向の定まらない力を反射的に振り回しているだけで、それではまだつまらないのだ。私を落胆させるつもりか?」
「だから、うるさいって言って……」
言葉と共に前へ出て、振り下ろしたバールのようなもの。それをすり抜けたかのように、『女王』の右手がアリスの襟元を掴んでいた。
「意志が、意志が必要なのだよアリス。私を本気で倒したいと考えているのか? それとも単純に怒りを発散しているだけか? 後者か、後者なのだろうアリス。それでは私が傷を付けた所で君には無意味であろう。ならば仕方ない、君が背負うべきもの、君に託されしものを見せる他無い」
「一体……何のことかしら……」
苦しげに言葉を吐くアリス。襟元を掴む力がさらに強まるのを彼女は感じた。
「知れ、そして、刻み込めるが良い!!」
襟元を異常な力で引っ張られ、強烈な勢いで中庭の地面へと投げ飛ばされるアリス。地面に激突する寸前まで必死に抵抗する加速度を発生させたが、減速し切れなかった勢いによって彼女は背中から地面に叩きつけられた。




