つなぎめ
神通解読録 1/5
ひとはわかり合えぬもの。
ならばその眼を借りると良い。
黄泉に近しい水をくぐれば。
我らは同じものを見る。
ただ、同じものを見る。
「おまえ、幽霊が見えるんだって?」
新学期を迎え、晴れて高校二年生へと進級した菅原克己は、前の席に座る生徒の背中をつつく。
克己に背を向ける男、篠田光一の名は、悪い意味で轟いている。
当然克己の耳にもその話は届いており、クラス替えで偶然目の前にやってきたその悪名高い篠田光一が一体どんな人物なのか、話しかけたのはそんな好奇心からだった。
「一年の時、教室に悪霊がいるって騒いでたのおまえだよな?科学室に幽霊がいるとかも言ってたんだっけ?」
篠田はゆっくりと振り返る。
あえて意地の悪い言い方をしたつもりだったが、特に気にする様子も見られない。
むしろ感情を読み取れないその表情は、こちらが気圧されてしまいそうな妙な圧迫を感じるほどだ。
「興味あるの?」
そうぽつりと呟くと、一転して篠田の顔が笑顔になる。
満面の笑みを向けてこちらを見つめてくる篠田の顔を見て、その圧迫感の正体に気付いた。
目だ、口元は確かに大きく広がり、一見すると笑っているように見えるのだが、その目は据わったまま。
向けられたその視線が自分を何もかも見透かされているような、そんな気持ちにさせられる。
「興味ってほどじゃないけど‥ほら、去年結構騒ぎになってたから、ちょっと気になって。」
わざとらしくそっぽを向き、篠田から目線を逸らす。
「霊がいる‥というか、いない教室はほとんどないかな?僕が見たところ。」
克己は顔を背けたまま横目に篠田の顔を覗き見る。
篠田は相変わらず貼り付けたような笑顔のまま、突拍子もないことを言ってのける。
その言動が、つい今まであった威圧的な印象を打ち払い、噂通りの姿と一致する。
篠田光一という男の底が見えた気がして、一気に興味が失せていく。
この男はこういうデタラメで他人の気を引くのが目的なのだ、そのために一年の頃からこういった妄言を繰り返していたのだろう。
「へぇ‥幽霊ってそこら中にいるもんなんだ。」
興が削がれ、当たり障りのない返答で会話を終わらせようとしたのだが、篠田から返ってきたのは思いがけない言葉だった。
「幽霊、見たい?」
‥
幽霊が見たいか?
昨日今日会ったばかりの人間にそう言われて、一体どれだけの人が見たいと答えるだろうか。
しかも相手は大法螺吹きと名高い篠田光一。
普通なら歯牙にもかけない話なのだろうが。
最初に篠田に感じたほんの僅かな違和感が妙に気になり、まんまと放課後の教室に残ってしまった。
「それで?なんで調理実習室?」
篠田は机に広げた紙に青いペンで線を引いたり手のような模様を描いたり、何かをぐりぐりと描いている。
「儀式をするんだ、菅原君にも見えるように。
ここなら他の物も用意出来るから。」
一心にペンを走らせながら話す篠田を見て、克己は軽い気持ちで残ったことを後悔し始める。
「儀式‥ねぇ。」
自分が中学生‥いや、小学生なら目を輝かせて参加しただろうか?
そんなことを考えていると、よくわからない作業を終えたのか、いつの間にか篠田が目前に立ちコップを差し出している。
「これに水と砂糖を入れてきてくれないかな?」
「え?あ‥ああ‥」
間抜けた返事をしながらコップを受ける。
いよいよ珍妙な儀式とやらが始まると思うと、克己の気分も更に落ち込んでいく。
「入れたらこの紙の真ん中に置いて。」
そんな克己とは対照的に篠田は終始楽しそうだ。
克己の反応など気にも止めず、一人話を続ける。
「これから行うのは、由緒ある書物に載っているちゃんとした儀式なんだけど、僕もやるのは今日が初めてなんだよね。」
もはや克己の耳には、見えなくても仕方ない、という予防線を張っているようにしか聞こえていない。
「へぇ‥それは結構なことで‥」
それならそれで、さっさと終わらせてしまえば一秒でも早く帰れるだろう。
そんなことを考えながら手にしたコップを指示された場所に置くと、まだ何か話している篠田の言葉を遮る。
「それで?これで準備は出来たんだろ?」
篠田は待ってました、と言わんばかりの満面の笑みで紙の端に手を置く。
「君の側にも手の模様があるだろう?
そこに両手を置いて、それで儀式は完了。
後は見えてくるのを待つだけだ。」
「手を置く、だけ‥?」
あまりにも簡潔すぎないか?という言葉が漏れそうになったが、ここで話をややこしくしてもこのくだらない時間が長引くだけだ。
ここは気の済むまでやらせておこうと黙って指された場所に両手を置く。
そんな克己の様子などお構いなし、という風に篠田は一人熱を上げている。
「ここからは少し時間がかかるみたいだから、幽霊について少し話しておくね?
まず幽霊って、人みたいに個が無いんだ。
波長の近い幽霊同士が引き寄せあって固まってしまうんだって。
ほら妖怪とか、いろんな動物を合わせたような姿をしてるでしょ?
だから人間の霊も、特にこういう普段から人が集まるような場所には人の霊の集合体、もう誰かもわからない、人のようなものの霊がいるんだ。」
揚々と解説しているが、これも全て篠田の脳内で生み出された設定なのだろうか?
だとしたら、高校生にもなって漫画やアニメの見過ぎではないか?
そんなことを思いながら話半分で両手を置いた紙を眺めていると、先程とは少し状況が変わっていることに気がついた。
「水‥砂糖水?こんなに濁ってたっけ?」
紙の中央に置いたコップ、その中の水が僅かに黒く濁っている。
確かに砂糖を溶かし入れたが、ここまで水が濁るほど入れた覚えはない。
第一砂糖を溶かした水が黒く濁るなんてありえないだろう。
「始まったみたいだね。
菅原君、これから儀式が終わるまでは紙から手を離さないでね?」
「ああ‥わかった‥」
忠告の意味もわからないままコップを見守っていると、水はみるみるうちに淀んでいき、やがて泥水のように黒く染まってしまった。
「これ‥が、幽霊‥?」
克己の反応がよほど面白いのか、篠田は慌てふためく克己を興味深く観察しているようだ。
「これはただの霊水だよ、この水を通して僕の霊視を菅原君と共有するんだ。
左を見てみてよ、今ならよく見えると思うよ?」
そう促され、ゆっくりと左を向く。
まさか、本当に幽霊なんてモノが見えるのか?
目の前で起こっている奇妙な現象に、緊張した身体が強張る。
ゆっくりと頭を動かす。
少しずつ視界に入ってくるのは、数台並ぶ実習用の大きな机。
伏せて並べられた椅子。
そして調理器具が仕舞われた棚。
‥おかしい所は何もない。
普段と何も変わらない教室、幽霊らしいモノはどこにも見当たらない。
「ああ、ごめんごめん。
僕から見て左だから、君から見た右だね。」
「おい‥」
随分な肩透かしを食らったが、おかげで緊張が解れ、気分が少し軽くなった。
一呼吸置いて、改めて右に向き直ると。
人のようなカタマリと、目が合った。
つなぎめ 神通解読録 より




