前編
お手柔らかにお願いします。
夜中に小さくノックをする音がした。
その音に飛び起きたラビーヌはすぐさまベッドの端イコール部屋の隅に背中をつけ身を縮みこませた。
警戒しながら構えているとかちゃりと鍵が開きドアがゆっくりと動く。キィ、という嫌な音に喉を鳴らした。
本来なら悲鳴をあげるところだが環境のせいか騒ぎを起こした後のことを煩わしく考えてしまったせいか相手の出方を待つ方法を取ってしまった。
普通ならありえない選択だが入ってきた侵入者の様子がおかしいと感じたせいもある。
侵入者は明かりも持たず真っ暗い廊下からラビーヌの部屋に入り静かにドアを閉めた。
小さく、ゆっくりとドアが閉められる音にこの家の使用人ではないと理解した。この部屋に入ってくる使用人はがさつでノックもせず豪快にドアを開けてくるからだ。
ヒュン、と暗い空間に光の筋が見える。それが魔法だとわかるとぎゅっと身を固くした。水魔法か風魔法か。もしくは火の魔法か。目をつむり痛みが過ぎるのを待ったが何も起こらなかった。
そこで聞こえた呪文が防音呪文だったことを思い出す。
まさか殺すために?と血の気が引いたラビーヌは手足が冷え、持っていた枕を落としてしまった。攻撃力も防御力もないが枕で対抗しようとしたのだ。
我ながら混乱しているなと思う。
「はじめましてラビーヌ様。防音魔法をかけたので声をひそめなくても話せますよ」
部屋の中は暗くて明かり取り窓の下まで行けば多少は顔を拝めるだろうが、相手はそんなヘマはせずラビーヌと対角線上で立ち止まり挨拶をした。
聞こえてきたのは甲高い少女の声だった。互いの顔は見えない。暗殺者かと考えていたから余計に混乱した。おかしな行動をとるなと思ったら少女だとは。
下手をすれば自分とかわらないくらいの年頃に思えてハッとする。そして警戒から嫌悪に代わり反対側にいる人物を憎々しく睨み付けた。
「あなた、パルフィーヌね」
「そうよ。ラビーヌお義姉様」
嬉しそうに微笑む声に顔を見ていないのに腹が立った。
「妾腹のあなたに『姉』なんて言われたくないわ」
「でしょうね。捨てられた正妻の哀れなお嬢様」
パルフィーヌ。わたくしのすべてを奪い取った憎い女の娘。それだけではない。この女の母親は父と愛人関係でラビーヌの母を毒殺し後妻に収まったのだ。
ラビーヌの母セリーヌと婚約していた頃から関係を持ち、ラビーヌと数ヵ月違いの子供を生み、母の喪が明けないうちにこのアルヴィルド伯爵家に乗り込んできた。そんな阿婆擦れ母子を憎まないはずがない。
「わたくしをこんなところに追いやっただけでは気が済まず暗殺しに来たってこと?」
令嬢としては失格の表情を露に声すらも低く攻撃的なトゲを含めて言ってやれば、呆れたような溜め息が聞こえカチンときた。
「そういえばお義姉様のお部屋はじめっとした地下室でしたわね。明かり取り窓もこーんなに小さいなんて、病気になってしまいそう」
「そういうあなたはさぞやいい暮らしをしているのでしょうね。わたくしの部屋は住み心地がいいでしょう?伯爵令嬢になった気分はいかが?」
嘲笑はなかったが嫌味に感じてラビーヌも嫌味で返すとパルフィーヌはこれまた令嬢らしくなく鼻で笑って「とてもいい部屋よ。腹立つほどね」と吐き捨てた。
「わたしが身を置いてる部屋は斬新な屋根裏なの。朝日が顔を照らして日暮れまで部屋を暖めてくれるから灼熱地獄のようよ」
ははっと空笑いするパルフィーヌに「は?」と返したが、日々のストレスでなんでそんなことを言うのかまでは頭が回らず『この邸に来る前の話をしている』、もしくは『わたくしをやり込めるための嘘をついている』のだと思い込んだ。
ならばとそっちの方がまだマシじゃない。こっちだって夏はいいが冬は地獄だと言い返した。
明かり取り窓とはいうが鎧戸もなければガラスもはめられていないので風が強いと枯れ葉やら雨水やらなんだったら雪だって入ってくるし、たまにクマネズミやドブネズミが競争して走り回ったりするのだ。
最初の頃はネズミに噛まれるんじゃないかと恐怖で寝られない日もあった。今だってネズミの騒音で寝れない日もある。
パルフィーヌの雨漏りや隙間風や雪で凍傷になりかけたとかヒバリの井戸端会議やネズミの死骸なんてまだ可愛いほどだ。……いや、死骸を処分しなきゃいけなかったと聞いてちょっと同情した。
その辺りでお互い使用人の話をまったくしていないことに気がついた。
「それに毎朝毎朝モップで叩き起こされるのよ?ドアや壁を楽器のように叩かれてね」
「こっちだって天井が落ちてくるんじゃないかっていうくらい床をダンダン踏まれて起こされるし天井の埃や木のカスが顔や口の中に入って大変なんだから」
「モップで顔を拭かれないだけマシよ?あの、この世のものとは思えないようなゲロまずい味を口や鼻の中に入ったわたしの気持ちがわかる?」
「そんなのわかるわけないわ。まずいっていうなら食事なんて毎日まずいものばかりよ?
なんでわざわざカビたものや腐った具材を用意するのかしら。食品管理が杜撰だし食費だってバカにならないのよ?」
「言えてるわ。パンをカビらせるほど余分に作らせるなんて普通の家なら絶対にありえないし、野菜が萎びるではなく腐らせたものを調理するなんて料理人の風上にも置けない所業だわ」
そこで一旦沈黙した。お互いああ、この人もまずい食事をしていたのかと考え親近感がわいたが嫌な親近感だと眉を寄せた。
「……食事の回数は?」
「一日一回から二回」
「毎日?」
「前は一日置きもあったわ。今は一応毎日出てるけど」
「あいつの機嫌次第よね」
「そうね。あの女の機嫌を損ねると食事を抜かれるのよね」
「あのくそエトナ」
「エトナという名前だったわね」
同時に出た名前にたまらず吹き出した。ああ、自分達は同じ女に虐げられていたのかと理解した。
共通の敵がいるとわかった二人は打ち解けたようにエトナの愚痴を言い合った。あくまで小休止で仲良くなったわけではない。
エトナとはアルヴィルド伯爵家のメイドだ。
ラビーヌが物心ついた頃にはもうメイドとして仕えていた。母が生きていた頃はとても親身になってくれるいいメイドだったがセリーヌが亡くなるとラビーヌを虐げるようになった。
最初は陰で意地悪をされたが父がなかなか帰ってこず、ラビーヌの専属メイドになると堂々といびりだした。
どうやらずっと前から父ベルックス・アルヴィルドのことが好きだったらしい。
昔も今も美しい容姿の父とは不釣り合いだと詰られ、父は本当はエトナのことが大好きだったが先代に言われて仕方なく政略結婚したのだとか、父も使用人達もみんな母との結婚に反対していたなど暗唱できるほどエトナに刷り込まれた。
一番許せなかったのは母が亡くなったのは父の子供を宿したからで、死んだのは当然だと言われたことだ。ラビーヌが生まれなければ母は死なずにすんだとも。
母そっくりのラビーヌはアルヴィルド伯爵家に相応しくないから地下室で一生を終えろとまで言ってきた。ご丁寧に父の命令だと添えて。
使用人が主人の娘を虐げる権利などないと思うがあの時は母が亡くなったショックもあり気が動転して何も言い返せずこんなところに閉じ込められてしまった。
たしかに父は整った顔立ちをしているが母だって器量よしだったのだ。釣書もそれなりに寄せられていたはずで父よりもいい条件の家もあっただろう。
最終的に二人の気が合ったことで結婚が決まったはずなのだが母を失った今では父が騙したのではないか?と疑っている。
今ならよくわかるが父は仕事人間でタウンハウスに帰ってくることが少なかった。宰相補佐らしいから仕事が忙しいのだろう。母を信頼しわたくしが寂しがろうとも家族のために働いているのだと教えられた。
だが外で子作りするだけの時間があったことを考えると父は随分前から母にもラビーヌにも興味がなかったのだろうと察せられる。
だからパルフィーヌ達を迎えて三人で楽しく過ごしているのかと思っていたのにどうやら違うらしい。出てくるのはエトナの悪口ばかりで父の名前はほぼ出てこない。
ラビーヌにマウントを取りたいなら家族自慢が一番効くのに。それにパルフィーヌの母親の話も出てこない。
もしかしてパルフィーヌを放って新婚旅行にでも出たのかしら?
やっと邪魔者がいなくなったのだから結婚からやり直しているのかもしれない。でなければパルフィーヌがエトナに虐げられるはずがないと思った。
愚かなエトナ。新しく妻になった父に愛される娘をいじめてただですむはずがないのに。
そう考えたら急激に心が冷めて言葉を切った。
「それで?本当はなんなの?なんのためにわたくしに会いに来たわけ?」
「そうね。夜中に盛り上がる話じゃなかったわ。もしかしたら察しがついてるかもしれないけどラビーヌお義姉様……いえ、ラビーヌ様。わたしと手を組まない?」
「手を組む、ですって?」
なんで寝取った阿婆擦れの娘と手を組まなきゃならないのよ。
「ええ。そんな嫌そうな顔をしないで?わたしもあなたと仲良くしたいわけじゃないわ。あくまで共同戦線を張りたいの」
「……何をさせるつもり?」
警戒を滲ませながら伺った。彼女の予想外の言葉に思わず目を瞠る。
「わたしはお母さんみたいに元貴族でもないし根っからの平民なの。贅沢を夢見たことはあったけど今の暮らしには興味ないの。というか、こんな暮らしなら平民だった頃のほうが何倍もマシね」
お母さんがあいつのことを好きだったからついてきただけ。
父をあいつと言うパルフィーヌに父親の価値が見えてしまった。
「出て行こうにも邪魔されてうまくいかないのよ。しかもわたしは平民だし?」
「魔法を使って出ていけばいいじゃない」
「あらラビーヌお義姉様はもう忘れたの?わたしは平民よ?平民は魔法が使えないことになっているのよ?……あ、お義姉様が使えないから自分基準に話しているのかしら?」
カチンときたがパルフィーヌの方が正論だったので押し黙った。
「ラビーヌ様も出て行きたいというなら手伝うけどあなたには婚約者がいるものね?」
「あんな人いないも同然だわ。わたくしと一向に会えなくてもあなたがいるから気にもしていないでしょう?」
「ええそうね。あの人お義姉様の名前を忘れているんじゃないかしら」
わたしを恋人だと思っているようだし。と嗤われカチンとした。やはりわたくしを殺して居場所を奪うのでは?と思った。
「あちらはあちらで貴族令嬢なら誰でもいいんでしょうね。知ってる?あの男他にも恋人がいるのよ?」
「まぁ。結婚前から愛人を抱えているの?」
それは伯爵家に対して随分な侮辱だ。
「しかも傑作なことにその恋人はこの家の使用人の娘なの」
「あら。使用人を従わせることもできないなんて女主人として失格ね」
だから使用人なんかに舐められるのよ、と嘲ればパルフィーヌの顔が少し強張ったがすぐに隠した。
「だってこの家を仕切っているのはあのクソエトナなのよ?まともな家政ができるわけないじゃない」
「それもそうね」
はぐらかされた気もしたがエトナが女主人として権威を振るっているのは納得がいった。でなければここまでの状況にはならなかっただろう。
「…疑問なのだけど、家令や他の使用人達は何をしてるの?」
たとえエトナが父のお気に入りだったとしても主人と使用人には越えられない壁がある。それを家令が見逃すはずがない。彼は先代から勤めている重鎮だ。
「一服盛られてこの家の機密をついうっかり漏らしたらしいわ。それを盾に脅してるらしいわよ。他の使用人も同じで弱味を握られて陰の女主人になった、という感じね」
「よく調べたわね」
「だってわたしも同じことをされたもの」
「は?」
驚きの声をあげたがすぐに口を閉じた。
「それなのにわたくしに会いに来ていいの?」
「あら優しいのね。でも大丈夫よ。あの女の前では従順にしてるし。それに今日はいい日だってワインをたらふく呑んで寝てるわ」
ならエトナを殺せばいいのに。手を汚す気概もないのね、と自分のことを棚に上げて呆れた。
ラビーヌと同じ生活をしているならパルフィーヌも頬が痩け手首も細いだろう。何かしようとしても逆にやり込められてしまう可能性が高い。それに曲がりなりにも貴族令嬢なら暴力は振るえないはずだ。
だけど自分の知らない情報を話してはくれているがどこまで本当かはわからないし、本当に敵じゃないのかもわからない。
「わたくしを裏切らない保証はあるの?」
「今のところ言葉しかないわね」
信じれないと言うなら仕方ないわ。と言うパルフィーヌにラビーヌは少し考え顔を上げた。
「わかったわ。なら、あなたに頼みたいことがあるの」
自分よりも行動範囲が広くエトナが油断しているなら代わりに動いてもらおう。もしそれが失敗しても罰を受けるのはパルフィーヌだ。そうなるように立ち回る。
だって彼女の母親はラビーヌの母を殺したのだから。
◇◇◇
「ラビーヌ・アルヴィルド。悪いが今日で君との婚約を破棄させてもらう」
年度末の学園パーティに参加していればどこかの令息がラビーヌの名をあげ指差した。
グラスを持ち、暗い部屋に閉じ込められ使用人の仕事を強いられていた経験で昏く鋭くなった目を向ければどこぞの令息がビクッと肩を揺らした。
「り、理由は君もわかっていると思うが、義妹であるパルフィーヌ嬢を元平民だからと虐げ撲殺しようとしたからだ。そんな悪辣な者に公爵夫人を名乗ってほしくない!よってここで破棄することにした!!」
興奮しているのか鼻息を荒くしながら胸を張る令息にグラスをテーブルに置き扇子を開いた。
「随分と傲慢なお話ですわね。こんな公の場で私的な家同士の婚約を持ち出されるとは。公爵家ではそういう教育方針なのですか?」
暗にお馬鹿さんなのですか?と問われた令息はカッと顔を赤くした。
「は、話を誤魔化すな!こういう場でなければプライドが高く狡賢い君では体よく逃げられると助言があったからだ!」
「まぁ。では確実に婚約を破棄するために逃げ場がない学園パーティを利用したと?他の生徒や先生方のご迷惑は考えなかったのですか?」
「そこまでしなければ君の悪行が隠蔽されたままになるからだ!」
他の者達には後で説明するがきっと理解してくれるはずだ!と豪語するが周りの冷たい視線はラビーヌが悪辣なことをしたことへの嫌悪よりも騒ぎを起こしてパーティの空気を損ねたことへの非難のほうが強い気がした。
誰とも交流していないから角がたつこともなかったし友人も作れず休学していたから悪評にものぼらない、その程度の影の薄い伯爵令嬢だったのだ。婚約破棄を発表したところで興味なんてないわよね。
「随分自信がお有りなのね。ですがひとつ訂正を。わたくしもラビーヌと申しますがラビーヌ・ガッシュバルですわ。アルヴィルドではございません」
「はぁ?」
お見知りおきを、とカーテシーをすると令息は間抜け面でわたくしを見た。
「そ、そんなはずは…だって地味なブルネットの髪に翡翠の目、贅沢三昧のし過ぎで過食と拒食を繰り返し骸骨のような見た目に二の腕には汚い痣があると」
「汚い痣。フフッ公爵家ではそのように淑女を貶す言葉を吐いても許されるのですね。勉強になりましたわ」
今日のドレスは肩が出ていて二の腕も晒している。そのため痣が見えるが化粧のお陰で薄くなっている。
これだけ離れていても見える視力は素晴らしいが紳士としては落第だ。上位の家だからという傲慢さが垣間見える。
「見当違いも甚だしいのでガッシュバル侯爵家から正式に抗議をさせていただきますわね」
「え?!なっ待ってくれ!君は僕の婚約者のラビーヌだろう?!」
「さあ?わたくし、会った方はすぐ覚えるほうですがあなた様とお会いしたことなんてありましたでしょうか?」
会ったのは顔合わせを含めた最初の数回だけ。それも五年も前の話だ。
「その件につきましてわたしからホイットマン公爵令息にお話がございます」
「パルフィーヌ嬢…」
わたくしの隣に立ったのは同じく着飾ったパルフィーヌで令息が痛ましそうに顔を歪めた。
「わたしが義姉ラビーヌ様に虐げられ撲殺されそうになったと言っておられましたがそんな事実はありません」
「そ、そんなはずはない!ラビーヌに脅されているんだろう?早くこっちにおいで。そうすれば僕が守ってあげるから!」
「やめてください気色悪い。女なら誰でも尻尾を振るとお思いですか?平民など股を開くしか能のない性欲処理の道具だと嗤っていたあなたが」
穢らわしい、と吐き捨てるパルフィーヌに聞いていた生徒達、とくに女生徒達が一気に引いた。
ラビーヌも顔を引きつらせそうになったがなんとか留めた。が、笑みはもう作れなかった。気持ち悪すぎて無表情にしかならない。
「なっ!そ、そんなこと言った覚えはない!」
「左様ですか。まぁ元平民など使用人よりも価値が低い置物でしょうから見えていなかったのでしょう。
いじめも学園の女生徒だとお伝えしたのにラビーヌ様に虐げられたのだと曲解したまま今も信じていらっしゃるようですし」
「そ、そんなはずはない!キミは確かにラビーヌに虐められているとラフィーヌの母が教えてくれたぞ!」
救済のために差し出した手を引っ込めた令息は顔を真っ赤にして声を張り上げた。まるで嘘を見抜かれ虚勢を張っているようにしか見えない。
「へぇエトナが……まぁわたしへのいじめなど些末なことですのでどうでもいいのです。あなた様の後ろに控えている女達は別ですが」
視線を遣るとすぐ近くにエトナとその娘が今にも倒れそうな蒼白い顔で立っている。
とくに娘のほうは伯爵家では買えないドレスを身に纏っていた。恐らく公爵令息にプレゼントされたのだろう。婚約者に使う予算を使って。
彼女達のシナリオでは婚約破棄された惨めなラビーヌを嘲笑いながら公爵令息の新たな婚約者として注目を浴びる予定だった。
今も口を挟んでこないのは一応序列を理解しているからだがパルフィーヌが出て来るまではずっとニヤニヤしながらラビーヌを嘲笑っていた。それが崩せただけでも少し溜飲が下がる。
「そこの女、エトナは義姉やわたしに教育と称して鞭を打ち折檻していた使用人です。使用人の肩書きがなければその者達はただの平民ですよ」
「は?え?そんなはずは…エトナ夫人は元侯爵家の者で今はアルヴィルド伯爵家の正妻のはず。
そんな御方を使用人に貶めたのは貴様だろう?!ラビーヌが邪魔をしなければラフィーヌが僕の婚約者になるはずだったんだ!」
指をさし唾を飛ばしてくる令息に嫌悪で顔が歪んだがその目はエトナに向けた。
あの女はラビーヌの母の生家の爵位を騙ったのだ。騙るだけでなくそれを使って目の前の大馬鹿者を騙した。絶対に許してなるものかと睨めばエトナが短く悲鳴をあげた。
自分の城と化したアルヴィルド伯爵家ではない場所だからか、笑えるくらい怯えるエトナに鼻で笑ってしまいそうになる。
だがそれ以上にこんな小物に屈していた自分への怒りのほうが強い。
今にも目で殺しそうなラビーヌを制するように視線を送ったパルフィーヌは笑みを深めてから令息を見遣った。勿論目は嘲りと氷点下の冷たさを添えて。
「フッ…残念ながらそこの女の夫はアルヴィルド伯爵ではなくミカワヤ商会の下働きをしている男です。見目が少しだけお父様に似ているからあわよくばと利用したのでしょう。
正妻?ホイットマン公爵令息は御冗談がお好きなのですねぇ。アルヴィルド伯爵家の正妻はセリーヌ様です。セリーヌ様がお生みになったのはラビーヌ様のみ。……ですわよね?ラビーヌ様」
「ええ。ガッシュバル侯爵家にエトナとかいう女の名前は家系図に存在しておりません。勿論ラフィーヌという名もありませんわ。
そこの女にも侯爵家から抗議を送らせてもらうわね。家はどこかしら?名前を教えてくれる?」
わざと見下す言葉を吐けばエトナが目をつり上げいつものように罵声をあげそうになったが周りの視線に気がつき、「わたくしはベルックス様の妻ですわ」と顔を引きつらせながら答えた。その醜い表情に淑女達は益々白けた顔になった。
「後妻のわたしの母もエトナなんて名前ではありませんわ。ならばアルヴィルド伯爵の妻と騙るあなたは何者なのかしらね?」
「……っ」
「調べればすぐわかるようなことを……いえ婚約者に確認すればわかることを敢えて調べずこのような場を使って婚約者の家を貶めるということは、ホイットマン公爵家は家門でもない政略で結ばれたアルヴィルド伯爵家を潰し社交界から抹殺したいご様子。
格下相手なら何をしてもいいと思われてらっしゃるのかしら?たかが令息のくせに」
低い声で睨みつけるパルフィーヌに公爵令息は気後れして尻餅をついた。
令嬢に睨まれた程度でそこまで怯えるなんてとクスクスと嘲笑された令息は恥じたように顔を赤らめ口をパクパクさせたが言葉にならず。
目を動かしラビーヌに視線を合わせると縋るように声を荒げた。
「ラビーヌ!本当のことを言ってくれ!君は僕への歪んだ愛のせいで跡継ぎであるパルフィーヌ嬢を害し僕の愛する人を貶めようとしたんだろう?!」
正直に言えば許してあげるから。という世迷言に隣から「キモ」と呟きが聞こえた。同意しかないわ。
「何度も申し上げておりますがあなた様と婚約した記憶もなければ歪んだ愛を向けた記憶もありませんわ。
政略結婚ですのよ?誠実さや互いを思い遣る気持ちはあっても情愛や親愛を最初から持ち合わせている方がこの中にどれほどいらっしゃるかしら。
仮に婚約していたとして御自分の都合のいいことしか見聞きせず浮気を正当化し爵位の盾で婚約者の名誉を簡単に傷つけるあなた様に歪んだ愛を持つほどの魅力がおありなのかしら?」
名前以外婚約者のことを何ひとつ知らず、他の情報は第三者からもたらされたものだけ。婚約者に贈るべきドレスを浮気相手に贈る。
またこんな衆人環視の中、女性の人生を潰すような敬意の欠片もないことをしでかすあなた様に嫉妬するような奇特な女性などいるのかしら。きっとどこを探しても見つからないと思いますよ。
そう告げれば公爵令息はショックを受けた顔のまま項垂れるように手をついた。
◇◇◇
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