after 1〔見上げる新代社会と品薄の補助輪、大人の都合はいつも諸事情〕
※ ※ ※
日常において、上を見上げる機会が圧倒的に増えた。
それは精神的な成長からくるものではなく、単に、物理的な視座が著しく下がったからに他ならない。
「本当、やっとキタって思った」
私の代弁者たる友が、ボヤクようにして言う。
「そっか、チエの家って、エレベーターあるんだよね?」
「……庶民の住む場所にはだいたいあるっつーの」
さすがにおおよそではないと思うが。
「そうなんだ……。これまではどうチてたの?」
「長らく、孫の手がぶら下がってた」
――新代社会において、高層階への移動手段は事を欠かせない。
何故なら、児童のリーチでは操作盤の半分より上は完全な不可侵領域と化しているから。
「ま、ほとんど使わないけどね」
「どうチて?」
「他人の手垢にまみれた孫の手とか触りたくない。だから、わたしはいつも自前の折りたたみ傘。なんで、車いす用のボタンは神が降臨したに等しい」
若年層のためのバリアフリー化、なかなか皮肉が効いている。
「……でも、結局それを皆が触るっしょ……」
「それとこれとは全くのべつ」
「なんでッ?」
それにしても、文明の利器を動かすために昔ながらの木製スティックを振るう児童たち。
新代社会の適応力は、今日日、斜め上を見ているな。
「――そういえばさ、最近、変な行列を見たんだよねェ」
唐突な話題の切り出し、さすがのマヤカ。
「変な行列?」
「そう、まだ開店前のサイクルショップに長蛇の列……」
あー。
「あー。……補助輪でしょ?」
どうやら、チエさんも知っていたようだ。
「ぇマジ? なんで補助輪?」
マヤカが思わずな感じで身を乗り出して聞く。
「今、全国的に補助輪が品薄なんだってさ」
「ぇでも、小さくなっても自転車くらい普通に乗れるっしょ?」
たしかに中身はそのままだから、二輪車のバランス感覚自体は失われていない。が。
「技術じゃなく、物理的なパワーと積載量の問題かな」
「ぁー……」
いまいちピンときていない様子だな。
「……想像してみなよ、子供用自転車の前カゴに重たい物を載せたら、どうなるか……」
「重心がブレて一瞬で転倒する」
素の良さが出てしまっている回答だな。
「そ。だから、重たい荷物を安全に運ぶために補助輪の需要が爆上がりしてるってコト」
「うわぁ……なんか、すっごいシュール」
確かに。だが今の世の中、そんな光景はありふれている。
カラフルな自転車に補助輪をガラガラと鳴らしながら、必死の形相で夕飯の買い出しに走る元大人の現主婦たちの群れ。
「でもさ、補助輪つけて漕ぐとか、ダサくない?」
「背に腹は代えられないでしょ。生活もかかってるんだから」
新代社会を生き抜くためには、大人のプライドよりも補助輪だ。
「ふーん……、――マセルはどう思ゥー?」
何故、私。
「……なにも思わないし。感じない」
「それヤバいじゃんッ、死の間際じゃんッ」
……まぁ。
「強いて言う事があるとすれば、――親が離婚するのやめるってさ」
「ウソ、マジ?」
「何で?」
「そこは何でより喜ぶのが先っしょッ」
べつに嬉しく思う必要はないのだが――。
「――青春を謳歌するには、尚早だったらしい」
「だろうね」
「なにそれ……、めっちゃ勝手じゃんか」
「大人の都合ってのはどんな時代でも、そういうもんでしょ」
と言ってチエがやれやれと首を振る、幼い身体に似合わない冷めた溜息をこぼしながら。
まあ。
急に青春をやり直したくなった親たちも、結局はこの小さな体と社会の不都合さに振り回され、自分たちの身勝手さにも気づかされたのだろう。
しかしながら壊れかけていた家庭が踏みとどまったのなら、娘としては“まあ良し”としておくべきだ。
と、日々尽きない日常の出来事を告げたところで、予鈴が――鳴り響く。
「サイアクー」
「毎回言ってて、飽きない……?」
この小さな身体で生き抜くための、二度目の青春。
――日常において、上を見上げる機会が圧倒的に増えたこの世界で。
見上げる空だけは変わらずに広いけれど。
妙にちっぽけな私たちの日常を。
――今一度、大人に成れるその日まで、いっそ二倍楽しんでやろうじゃないか。




