90話 北国
アルのスキルの中で、便利な物を順に言っていくとするならば、ナンバーワンは間違いなく【空間転移】だ。二点間を瞬間的に移動できるスキルだが、それにもほんの僅かな欠点は存在する。それの一つが、転移先の状況が不明のままに放り出されてしまうと言う事だった。
「さ…さ…さささ寒いっ!!!!」
"熱い"。
転移した直後、一瞬そう勘違いしてしまった。それ程に、極寒の中に一行は突如として出現した。
「この寒さは、やはり体に堪えますね。それにしても、あっと言う間とはよく言ったものです。やはり【空間転移】はとんでもなく便利なスキルですね」
「たた確かになァ。商人でもやった方が、ももも儲かるんじゃねェか?」
エルフの里を目的地として、ガルム、そしてリアムさんとクレイさんを連れて転移したのはブルドー帝国首都のイージスだ。
転移した瞬間にアルが思ったのは、"来る時期を間違えた"と言う事だ。
アル達は当然、人目につかない様にと路地裏に転移してきたが、それ故に現状は腰上まで雪に埋まってしまっている。そして何度も言うが、とんでもなく寒い。もちろん防寒はしている。かなり厚目のコートを着込んでいるが、それでももう身体が勝手に震え始めた。
いざ転移して来る前にもイザベラさんにしつこくしつこく脅されていたが、本当に寒い。何故もっと強く脅してくれなかったのかと逆恨みしてしまう程だ。
「とりあえずどこかに入りましょうか。初めての人にはこの寒さは少し辛いでしょう」
「はは、は初めても何も、な慣れる気が、まま全くしないんですが………」
「オイ!りりゅ竜人!大丈夫かァ!?」
「…」
「え!?ガルム!?たた大変ですリアムさん!ガルムが話せないほど凍えてます!」
「まずい!【火球】!」
「ガルム!しししっかりー!」
そんなすったもんだがありながら、死に物狂いで冒険者ギルドまで到着した。ギルドの中はかなり暖かくしてあったが、それでもガルムが喋れるようになるまでは三十分はかかった。
「ぬぅぅぅ。酷い目に会った………。アル。正直、手前はエルフの里まで耐えられる気がせんぞ」
「竜人ってそんなに寒さに弱いものなの?」
「そうなのだ。竜人の里は火山の近くで、夏のアルテミスの倍ほどは暑い。旅中も冬には寒い所に近づかぬ様にしていたのだ」
「最悪ガルムはアルテミスで留守番じゃの」
「そ、それは嫌であるな………」
留守番しかない、だろうな………。
ガルムには申し訳ないが、アルもそう思った。
アルテミスでリヴァルと会った日から二日が経っていた。
リヴァルが現れた事はシオンにも話してある。しかし、人を殺して【吸収】した場合に、魔物と違ってスキル獲得に回数制限が無い事については、シオンにまだ真偽を聞けていない。ガルムにも、アルからタイミングを見て話したいからと言って口止めしている。
逆にシオンも、あの時に突然いなくなった理由を話してはくれなかった。しかし何故かその直後から、エルフの里に行くことに肯定的となった。その事にもアルは少し違和感を感じていた。
その時、ギルドの扉が開いて冷気が舞い込んできた。
一瞬の冷気にでさえ身を震わせるガルムに、思わず苦笑いしてしまう。
そしてギルドに入ってきたのはリアムさんだった。
ギルドに来る途中で寄る所があると言って別行動をしたのだが、何やら手には大きな袋を提げている。
「さぁ、これをどうか着てみて下さい」
リアムさんが袋から取り出したのはコートだった。
それは表面が鱗状の革で仕立てられており、かなり厚みがある上に身長二メートルを越えるガルムでも着れる様な特大サイズだった。特徴的なのはその色だった。灰色の様な、薄い青色の様な、珍しい色だと思った。
「お?おぉ?おおお?寒く…ない」
ガルムはそれを着るなり、急に先程までが嘘の様に動き出した。そして立ち上がったかと思ったら、慌ててギルドの外へと飛び出して行った。
「寒くないぞぉぉおお!」
そして何と、平然と動けている。
先程までが嘘のようだ。
「リアムさん、あれは一体何の素材で出来てるんですか?」
「アイスドラゴンの革だよ。かなり厚みはあるから防具は着れないし、かさばるけど。あれ自体がかなりの防御性能だし、何より【保温】のスキルが寒さを完全にシャットアウトする。セシリアの事での御礼の一つだと思ってどうか受け取ってほしい」
「ええ!?いや、絶対高級品ですよね!?大丈夫ですよ払います!」
「まぁまぁ、セシリアの命に比べたら安い買い物だったよ。それに君達には今後もかなり助けて貰うだろうからね。あれは持ってて絶対に損はしない物だから、特に彼にはね」
「リアム!感謝する!」
ガルムが突然リアムさんに抱き締めた事で、結局それは受け取ってしまった。
それにしても、あのガルムが抱きつくなんて。
そんなに寒かったのか………。
それからアル達は、エルフの里に向かう足として雪魚車と言う乗り物を借りた。
街の外は二メートル程の雪が積もっており、当然馬車では動けない。そんな時に使うのが雪魚車だった。荷台の下は"そり"のような形をしており、一番の見所は雪の中を泳ぐ魚が荷台を引くと言う点だった。
「おおぉー!ほんとに、およおよ泳いでる!すごい速い!そそそんでささ寒い!!!」
魚の名前はスノーシャーク。
歴とした魔物だ。ただ、餌を与えれば比較的飼い慣らすのは簡単らしく、昔からここら辺に住む人達の交通手段となっているらしい。
今回荷台を引くのは二体で、背びれがうねうねと雪の中を滑走するのを見るのは楽しかった。しかしそれも雪混じりの風が打ち付ける中では三分と持たなかった。
荷台には簡単に防風のシートが付いており、直接的な風は凌げるがそれでも厳しい寒さだった。慣れっこのリアムさんと、ガルムだけは御機嫌だったが。
「ママ、マジで寒ィぜ…。リアム。【火球】出してくれェ………」
「道中で何に襲われるか分かりません。魔力は温存しておいた方がいいでしょう。この船の上から有利に戦えるのは魔法使いですからね」
「そそそれなら、もし里に着いたら、おお俺をか解凍してくれェ」
クレイさんは、なんだかんだと言ってまた口を開くようになった。セシリアさんの生死がかかっていた時には一言も話していなかった事と比べると、かなり落ち着いた様に見える。
「アル…。妾を懐に入れてくれ………」
もぞもぞとミニシオンがコートの内側に入ってくると、それはなんとも言えない温かさだった。これで互いに温かいなんて、なんてウィンウィンなんだろうか。
しかし、シオンがこの子狐姿のままでいるのも、あと少しの間だ。
エルフの里に奉られている風雷石。
それはシオンが本来の姿に戻るのに必要な物らしい。エルフの里では奉られている石だとの事で、果たしてそれを使わせてもらえるのかは非常に厳しい問題だろうが、上手くいけばシオンの完全復活だ。
リアムさんが生まれる前から奉られているらしく、彼が言うには、風雷石に近付くにはエルフの里の長老の許可が必要なので、行ってみないとなんとも言えないらしい。
「さぁ、森に入りますよ」
リアムさんのそんな声が聞こえたのは、何十分か、はたまた何時間か経った時の事だった。アルは自分でまだ意識があった事に驚いていた。それはクレイさんも同じ様で、珍しくクレイさんと力なく笑い合う。
ただでさえ雪空で暗いのに、森の中はそれに輪をかけて明かりが乏しかった。まるで夜みたいだ。その分、寒さも増した気がした。
「リ…リアムさ…さん。あ…あ…あと……どの…どのくらい…どのくらい…で…着きますか」
「そうですね。思ったより順調です。途中で足止めをくわなければ、あと二十分くらいでしょう」
「リリリアム…ひ…ひ火を…いっか…一回だけ…たた頼む。こここれじゃ…着く…まままでに…し…し…しし死んじまううう」
「仕方ないですね。【火球】」
「あぁああ………たた太陽みたいですね………」
リアムさんが手を翳した少し上に、炎の球が現れる。
それはまさに太陽の様で、アルとクレイさんの凍った心と体を融かしていった。三分ほど出してもらっただけでも、かなり違った。
多少融けた身体を狭い荷台の上で無理に動かして、得た暖かさを保つ。
そして少しでも動ける様にしておいたのは正解だった。
「まずい!アイスオルカです!!!!!」
リアムさんが進行方向を指差すと、それは姿を現した。
雪面から飛び出たのは月の光を受けてまるでクリスタルゴーレムの様に輝く鯱だ。正面に見えるだけで三体が、荷台を牽くスノーシャークの前方を跳んでは潜りを繰り返している。
「厄介な相手です!雪面からほとんど顔を出さない!」
「任せろ」
名乗りをあげたのはガルムだ。
素早い【装備換装】から、弓に矢をつがえると、ギチギチと弓を引き絞る。
ドォウッ!と大砲の様な音を響かせて向かった矢は、雪の中から跳んだ直後のアイスオルカの胴体に直撃する。そしてそのまま雪の中に埋もれて見えなくなった。
「さっすがガルム!やった!?」
「いや、アイスオルカのレベルは43です!まだ生きているはず!」
そこからは途端にアイスオルカは跳ばなくなった。
その煌めく背鰭だけ見せつけてまた潜っていく。
「スノーシャークは魔物なので狙われません!こちら目掛けて跳んで突進してきます。雪の中に落ちると彼等の餌食です!上から撃ち落とすか跳んだ所を迎撃するしかない!【火球】!」
リアムさんの魔法によって、辺りが照らし出される。
アルは【支配者】で、雪の中の敵の動きを把握していた。今周りにいるのは五体。前方でふらふらと背鰭を見せつけているのは囮。狙っているのは………。
「右!」
アイスオルカは速かった。
【支配者】でようやく捉えきれる程の速度で雪から飛び出してきたが、リアムさんは見事にそのコースを読んで避けた。アルの声に咄嗟に反応できたのは、そのレベルの恩恵か、それとも前方だけでなく左右にアイスオルカが潜んでいる可能性を把握していたからか。
しかしリアムさんは避けるだけではなかった。杖を少し動かしただけで、先ほど作り出した【火球】を空中のアイスオルカに命中させる。
荷台のすぐそばで起こった爆発に、誰もが顔を覆った。
しかしその爆発に怯まず、炎に向かって飛び込んだ人がいた。
クレイさんだ。
爆発によって宙を舞うアイスオルカはまだ生きていた。
なぜならリアムさんの放ったのは比較的初級の魔法だ。空中でうねうねと動くアイスオルカに向かって、クレイさんが弾丸のように跳んだ。
ナイフの様な武器で、空中のアイスオルカを三つに分解すると、木を蹴ってまた荷台へと戻ってきた。
「一丁上がりだ。動いてた方が寒くなくていいぜ」
なんと言う判断、そして度胸だろうか。
いや、リアムさんが【火球】を使った瞬間から、このシナリオは二人の中で共有出来ていたのだろう。
「アルフォンス君!敵の位置が把握できるんですね!?指示を下さい!」
「え!?僕がですか!?」
「はい…!頼みます!」
それはアルにとって驚きだった。
何の躊躇もなく、リアムさんはパーティの指揮を格下のアルに任せたのだから。
出来るか…?
いや、その期待に応えたい。
「分かりました!残りは四体!九時、十一時、一時、三時方向に位置してます!ガルム、十一時が二秒後に突進来るから射って!さらにその直後に九時!そっちはリアムさんクレイさん!」
アルの指示でガルムが一体を撃ち落とし、もう一体をリアムさんとクレイさんのコンビで仕留める。さらに、突進のために助走中だった三時の奴を【斬撃】を飛ばして牽制し、その一秒後に飛んできた一時のアイスオルカを、丁寧に硬く作った【盾】で空中に弾き飛ばす。そいつが落ちるまでにガルムの弓の連射が三発は命中した。
「今のも撃破!残りは二体です!」
「お前ェ等と一緒に来て良かったぜ!」
「まったくその通りですね!」
そこからは立て続けに魔物が現れた。
しかしどれもこれも森の影や雪の中から強襲してくる様な魔物ばかりだったのが幸いし、全て美味しくアルの【支配者】の餌食となった。
アル自身の攻撃はレベルが足りないためほとんど通じないが、敵がどこからどう攻撃してくるのかは例え雪の中であっても手に取る様に解る。それを拙いながらも伝えるだけで、周りがすごく適切に倒してくれるのだ。
自分に経験値こそ入らないかもしれないが、これはこれで勉強になった。
「おかしいですね。この森の魔物は、普段は大人しくてこちらから手を出さなければ襲ってこない種ばかりなのですが………。何はともあれ、ようやく到着した様です。あれがエルフの里ですよ。わたしも帰ってくるのは二年ぶりでしょうか」
森に入ってから、十五分程。
休憩なしでスノービークルを走らせてようやく到着した。
まるで里とそれ以外の境界線を示す様に、急に雪が無くなっている。
スノービークルを雪の中に突っ込んだまま、アル達は数十分ぶりの大地を踏みしめた。
荷台の縄を垂らして、近くの木に係留する。
里の入り口には、エルフの人が二人立っていた。どちらも男性だと思うが、容姿端麗なエルフの例に漏れず、双方とも美形だ。
片方は弓、もう片方は杖を装備している。
「まずいですね。嫌な相手だ」
リアムさんは腐った干し肉でも食べているのかと言う程に苦い顔をしていた。顔見知りみたいだ。
「いやはや。誰かと思えば。里をお見捨てになられたリアム殿ではないですか」
嫌味っ気たっぷりに言うのは、杖を持ったエルフだ。
「私は見捨ててなどいないよ。ジェローム。それとマナリノ。それについては長老に話してある。さぁ、頼むよ、入れてくれ。凍えそうだ」
「だめだ」
近付こうとしたリアムさんに、マナリノと呼ばれた弓使いが、ぶっきらぼうに吠えた。そしてほんの僅かに弓を持ち上げた。その微かな所作だけで、全員に緊張が走る。
「落ち着いて下さい。マナリノ。リアム。現在エルフの里は、誰でも大歓迎と言う訳ではないのです。この里に入るには、権限を持つエルフが書いた"手形"が必要です。それはリアム、貴方も例外ではない」
「手形…だって?そんな物が必要になったのか?いつから?」
「お前が出ていってからだ」
「つっかからないでほしいな、マナリノ。………それで?権限を持つエルフって言うのは一体誰の事かな?」
「さあな」
アル達五人は顔を見合わせるが、全員が同じ様な、途方に暮れた様な顔をしていた。




