45話 久々のアルテミス
「それじゃ、アルテミスに飛ぶよ?」
"エルサのドキドキワークショップ"からさらに三本ほど筋を入った薄暗い路地で、二人は再度【空間転移】の準備をしていた。
「うむ。今度は人のいない所を選ぶのじゃぞ。お、そうじゃ。先程買った魔力回復薬を一つ出せ」
「分かってるよ。ん?【保管】。はい。何に使うの?」
「これで出来ることなど限られておるじゃろうに。自分で飲むか飲ませるか投げつけるかくらいしかあるまい。気にせず早く飛べ」
気を取り直して、アルは詠唱を始める。シオンがアルの手を握ってくる。その手はいつにも増して冷たく、小さく感じた。そして詠唱に必死なアルは、その手が僅かに震えている事に気づけない。
長い詠唱が終わると、またもや世界をたらい回しされる感覚。
今度もやはり一秒程かかって、床に足が着いた。先程と違ってちゃんと大通りからすぐの路地裏だ。周りにもアル達以外には誰もいない。文句無しに成功だろう。
「ほーら?今度はちゃんと成功したよ?」
「とりあえずはそうじゃの」
しかし意気揚々と一歩を踏み出した時だった。もう一度、世界が反転する様な感覚に襲われる。出した一歩目の膝から崩れ落ち、無様に床に這いつくばった。まるで目を回した時の様に、視界が回転している。
そのまま耐えきれず、四つ這いの体勢のまま嘔吐した。
分かった。これは、魔力切れだ。
ルスタンからアルテミスまでの【空間転移】に必要な魔力量が足りなかったんだ。
「やっぱりの。ほれ、これを飲め。今回の用途は"飲ませる"じゃったの」
アルはシオンから差し出された小瓶を、手の感覚だけを頼りに口元へと持っていく。魔力回復薬は初めて飲んだのだが、とてつもなく苦い。口の中に残った胃酸の酸味が、苦味で上書きされて史上最悪だ。
と、そんな事を思っているうちに、アルは既に視界が回っていない事に気が付いた。立ち上がってみると、先程までの症状が全くない。それどころか、身体中に魔力が漲っている。もっと言えば、先程戻した分で少し空腹を感じるくらいに調子が良い。
「あのエルサとか言う少女。口だけでは無かったか。これはかなりの効き目じゃ。特に効果が現れるまでの時間がとてつもなく早い」
「そうだね。あとそれについては僕も分かったことがある。ギャニングさんが言ってた"薬の依存性の低さ"ってのはこの苦さの事だな。舌が焼け落ちたと思った。値段は高いし、この薬に依存する気にはなれないよ。と言うか、こんな事になる可能性があるなら教えておいて欲しかったんだけど?」
魔力をここまで使い切ったのは初めてだ。完全に魔力が底をつくと気絶してしまうらしいが、その一歩手前くらいだろう。
「言えばもう一ヶ所中継しようとしておったであろう?何事も一度は経験しておくに限る物じゃ。それが悪いことなら尚更の。初めてが迷宮主の目の前が良かったか?」
「そうなる可能性があるって事くらい教えて欲しかったって事だよ。それに魔力切れならゴールドナイツで一度経験してるし」
「その時は吐く間も無く失神したと聞いておる」
そして今度こそアル達は大通りに出た。まだ二十日程しか経っていないのに懐かしく感じてしまう。やはりアルテミスは他の街と活気が違う。まさに荒くれものの冒険者達の聖地とでも言おうか。
「さぁ。まずはレベルアップに向かうぞ」
シオンはきっとお腹が空いてきたのだろう。早く行ってこいと催促される。ルスタンの街でも色々と食べ歩いていたはずなんだけど。
アルが本拠地としている神殿は振り返ったすぐそこにあった。当然だ。わざわざ神殿の近くの路地裏に【空間転移】したのだから。アルは心を踊らせながら、小走りで神殿へと向かった。
*
「ミアさんただいま…!」
冒険者ギルドはそこまで混雑していなかった。それでもミアさんに出来た列の横から顔を出して、何となく懐かしい彼女にこそっと声をかける。まだ二十日しか経ってないんだけど。
「え…?アル君何で!?」
ミアさんはかなり驚きつつも"専属対応中"の札を少し時間をかけて引っ張り出し、アルとシオンを個人相談室へと通してくれた。
「何でここにいるの!?途中で何かあって引き返してきたの?」
扉を閉めるなり、ミアさんはアルの身体をあちこち確認し始めた。まるで母親みたいだなと思ってしまったが、何となく言うと怒られそうな気がしたので黙っておく。
そしてアルとシオンにとりあえず怪我が無いことを何度も説明し、全員がソファに腰掛けた所で、再度部屋の扉が開いた。驚き顔のルイさんが入ってきたのだ。
ミアさんの驚き声を聞き付けてやってきたのだろうが、さてはまた【地獄耳】のアクセサリーを装備してるな?
………あぁやっぱり。
「やぁアルフォンス君シオン君。元気そうで何よりだねぇ。
さて………。シャルロットからは十日前に君達がクープに到着したと連絡が入ってる。何かあったのかな?」
いそいそと自分もソファに腰掛けるルイさん。形式上は二人を心配するような言葉だが、その表情は知的好奇心そのものだ。彼とは反対に、ミアさんは未だに心配そうな顔をしている。
「ええ。クープには十日前に無事到着しました。今回アルテミスに帰ってきた目的はレベルアップです。あとは装備の修理ですね。ついさっき神殿に行ってきてレベルアップしました。23から二つ上がって25レベルです。それからついでにマルコムさんとガブリエルさんの所に行って防具と武器も渡してきました」
先程の神殿での御祈りで、アルはレベルアップした。なんと二つもである。ここを立ってから二十日間のうち、十日間はほとんどが移動だったので、嬉しい誤算だった。シオンも驚いていたし。どうやら前回23レベルに上がった所から、かなり余分に経験値が蓄積されていたのではないかとシオンは言っていた。
レベルアップしたアルとシオンのステータスは現在こうなっている。
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名前:アルフォンス
職業:双剣使い
Lv:25
生命力:2850
魔力:2750
筋力:2650
素早さ:2850
物理攻撃:2800
魔法攻撃:2800
物理防御:2700
魔法防御:2700
スキル:【空間魔法】…【斬撃】【盾】【保管】【空間転移】【召喚】
召喚:妖狐
武器:コーク鉄の短剣【魔力量上昇Lv2】
防具:ダイアボアの革防具【軽量化】
その他:ミスリルの指輪【魔力吸収Lv3】
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名前:シオン
Lv:25
スキル:【筋力上昇Lv5】【変身Lv5】【吸収】
【風魔法】…【風鎧Lv2】【風加護】【風刃】
【雷魔法】…【感電】【雷】【雷光】
共通スキル:【素早さ上昇Lv3】【物理攻撃耐性Lv2】【火耐性Lv1】【瞬間加速】【威圧】【運上昇Lv1】【ステータス成長率上昇】【隠蔽】【鑑定】【裁縫Lv1】
武器:サーベルナイフ
防具:ダイアボアの革防具【軽量化】
その他:ミスリルの指輪【徒手空拳Lv3】
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スキルもかなり増えたし、レベルも二十台の折り返しだ。
十ヶ月前まではレベルは僅か6で、スキルが一つもない状態だったのが嘘みたいだ。そう考えると、ステータスに表示された数字やスキルの一つ一つが愛おしく思えてきて、ついついニヤけてしまう。
シオンにハッキリと"キモい"と言われているが気にしないのだ。
「また二レベルも!?まだ前回のレベルアップから三週間しか経ってないのに!?」
「えぇ、まぁ。クープでもここのダンジョン以上に頑張ってるんですよ?」
それは間違いではない。朝から晩までダンジョン中心の大冒険を日々繰り返している。
「ええ、ええ。もちろん、あなた達の頑張りは私が一番解ってるわ。そうね。遅くなってごめんなさい、レベルアップおめでとう。一般的には30レベルで中級冒険者と言われているから、もう手の届くところまで来てるわね。きっと世界中で見ても十代ではトップクラスのはずよ。この調子で頑張ってね」
「ありがとうございます。ミアさん。これからも精一杯頑張ります」
ミアさんは笑顔で祝福と応援の言葉をかけてくれた。彼女の笑顔は本当に素敵だ。彼女の笑顔に応援されて、明日も頑張ろうと思う冒険者がどれだけいる事だろうか。
「ちなみにその事なんだが、君達がそんなに早くレベルアップ出来るのには何か秘密があるのかい?もしも何かヒントがあるならば、他の冒険者の育成のため教えて欲しいんだけどね?」
ルイさんから探りが入る。それに答えたのはシオンだ。
「秘密などない。最適レベルの敵をできるだけ倒す。それだけじゃ。今これだけレベルアップが早いのは妾達がパーティーを組まず、経験値を独占しておるからじゃ」
「ちょっと待ってシオン、僕もそれ知らないんだけど。独占ってどういう事?」
アルも実はこの辺がよく分かっていない。つい質問してしまったら、シオンから呆れた顔で見られた。するとシオンが何か言う前にミアさんから助け船が出される。
「アル君。魔物を倒した時の経験値はね。その時に戦闘に関わった人達に分配されると考えられているの。つまり、四人パーティで魔物一体を倒した時には、その魔物の経験値が四人に分配されるって事よ。与えたダメージや戦闘の貢献度が分配比率に影響すると言う考え方もあるわ。だからあなた達の場合は二人で戦闘してるから、ほぼ半分の経験値がもらえているはずよ」
「半分ではない。全てじゃ。妾はアルの召喚獣と言う位置付けじゃ。よって妾の戦闘貢献分もアルの経験値に加算される。よってほぼ百パーセントの経験値が入っておると言っても良い」
「あぁ、やはりそうだったのか」
またしても驚いたミアさんとは対称的に、ルイさんは"やはり"と言った。ある程度予想していて聞いてきたらしい。この辺がこの人に全幅の信頼を置けない所だとアルは思う。
そしてルイさんはミアさんの理解が追い付くのを待つことなく、次の話題へと移行した。
「ところで、毎回わざわざレベルアップしに十日もかけて戻ってくるつもりなのかい?確かに安全な方法ではあるけどねぇ?」
今回のメインディッシュとも言わんばかりの表情だ。
「いえ、それが………何と言いますか」
そして非常に言いにくいながらも、アルは【空間転移】の魔法について二人に話した。黙っている訳にもいかないし、今後アルテミスに月に二回も三回も顔を出していれば嫌でも分かってしまう。
【空間転移】について説明された二人は、少しの間固まって動かなかった。さすがにルイさんも、予想の斜め上だったらしい。最初にステータスを見せた時以来の驚き様に何となくたじろいでしまう。
丸々一分間かけて二人の再起動を待つと、二人は揃って諦めの声を出した。
「何と言うかまぁ………。改めて君達の特別さを再確認させられたよ。もしかすると魔物の姿に戻ったシオン君に乗って帰ってきた、程度の話かと思っていたよ」
「私は少しずつ慣れてきてしまった自分が怖いです。今日ギルドにはわざわざその事を報告しに来てくれたの?」
「まぁそんな所です。あとはレベルアップの件ですかね。
それからもしも御二人が昼食がまだでしたら、ルスタンから新鮮なお魚を持ってきたので、"竜の翼亭"で食事でもどうですか?」
二人へのお土産として、ルスタンで新鮮な魚を【保管】に入れて持ってきたのだ。"竜の翼亭"ならば間違いなく美味しく調理してくれるはずだ。
そしてアルテミスでは手に入りにくい新鮮な魚料理に、二人も食い付いた様だった。
「ルスタンからかい?それは嬉しいね。ミア君もお昼はこれからだろう?一緒に頂こう」
「はい是非!」
その後、四人で"竜の翼亭"へと向かった。
ミアさんのお父さんに魚を渡したところ喜んで料理してくれた。その料理の旨い事と言ったら、焼いたり煮たり蒸したり。喜んで色々な品を作ってくれた。昔は世界中を料理修行に回っていたとかで、魚を捌く手際も見事なものだった。
お父さん自身も久し振りに粋の良い魚を料理できると喜んでいたし、これからアルテミスに帰ってくる時には色んな食材を持って帰ろう。
ルイさんとミアさんとの食事はとても楽しかった。「あれ?アル君左利きだったっけ?」と言われて縛りプレイの事を話して怒られたり、クープまでの道中で盗賊家族に会った事や、ガリアの街で荷馬車を取り上げられそうになったりした事を話した。特にゴールドナイツでの一件に二人は興味津々だった。
それから二人と別れてアルテミスを一通りぶらついた後、ガブリエルさんとマルコムさんの所に向かった。昼に出して夕方には完成していると言う仕事の早さに驚かされたが、どうやら最優先でしてくれたみたいだった。
クープへ帰る際の出立は、また路地裏からだった。すっかり陽も落ちて、それこそ誘拐されてもおかしくないような薄暗がりだ。
シオンの指示通りに、中継を挟まず一気にクープまで飛ぶ。また魔力切れを起こす事は明白だったが、それでもシオンが一度だけやれと言うので仕方なくだ。
そしてクープで借りている宿の部屋に到着したと同時。アルの視界は回りながら暗転し、意識を失った。そして翌日の朝まで起きることは無かった。
*
「よし、今日から三層に進出じゃ。思いがけずレベルが二つも上がったからの。新しい魔物を【吸収】しながら一気に六層まで行く事とする」
修理された装備に身を包み、今日もアル達はダンジョンへと向かっていた。しかしアルの身体は気分とは裏腹に重たい。昨日二回も魔力切れを起こした事が原因らしいが、全身筋肉痛の様な感覚だ。
「うーん身体が重たい………」
「いちいち女々しい奴じゃのう。何事も」
「経験でしょ。分かってるけどさぁ」
一、二層を進みながらついつい愚痴を溢してしまう。レベルが二つも上がっている事で、全身筋肉痛だろうが今までより動きは良いくらいだ。その証拠にアラクネへの攻撃がかなり通りやすくなっている。
まとまった量の敵も出てこなかったため、二人は魔物を倒しながらすらすらと進み続ける。ダンジョンに入って十五分もしないうちに、三層へと到着した。
三層では二層から引き続きアラクネがちらほらと出つつ、主に遭遇するのはカーティルという魔物。クモに続いて今度はサソリだ。しかもアラクネより一回り大きく、胴体だけでも二メートルはある。
このカーティルの場合、気を付けなければならないのはその強靭な鋏と尾節についている棘だ。基本的には両触肢の鋏で交互に攻撃して、その間に棘の攻撃を挟んでくる。
群れることはなく、単独行動をしている魔物なので、一対一の練習としてはかなり有用だと感じた。ちなみにドロップ品として落ちるのは甲殻かサソリの毒。これからは【毒耐性Lv1】のスキルを得る事が出来た。
四層ではさらに五メートル程にもなる百足の魔物が出てきた。名をセンチピード。理由があるのかないのか、このダンジョンには節足動物がやけに多いみたいだ。昆虫は得意な方ではないのに加えて、動きが掴み難いために嬉しくは無かった。アルがもし女子だったら悲鳴無くして攻略できないダンジョンである。
センチピードからは甲殻のみのドロップで、スキルを得ることは出来なかった。
「あーもう虫はいいよ………」
「昆虫類の魔物は臭いがあまり無いからのう。妾も場所が掴みにくくて効率が悪い」
しかし四層を抜けた先の五層と六層では、昆虫類の魔物は目に見えて減った。そしてこの階層では、アルのレベル上げが大いに捗る事が分かった。
五層から昆虫以外に現れ始めたのが、アイアンパペットと言う魔物なのだが、こいつがアルのスキルと非常に相性が良かった。
アイアンパペットは背丈がアルの腰くらいまでの大きさで、丸く太った寸胴な体型に醜悪な顔つきをしている。そしてそれらが全て金属で出来ており、物理攻撃はかなり通りにくい。しかしその反面で魔法攻撃には滅法弱いという特性がある。アイアンパペットと同じ24レベル以上であれば、最低限の魔力で放つ一番簡単な魔法で倒しきれる程度である。
アイアンパペットはたいてい五匹程度で固まって行動している。そしてその図体に似合わず、そこそこのすばしっこさを見せる。攻撃手段としては、武器を使わない素手での殴りだけなのが幸いだ。
よってこいつと戦う時は前衛が後衛を護れなければ、魔法使いが鉄の拳でタコ殴りにされると言う悲劇が起こる。パーティーの連携が問われるのである。
このアイアンパペットと相性が良いというのは、アルの【斬撃】が物理攻撃と魔法攻撃の特性を併せ持つ為だ。
例え最小限の魔力で【斬撃】を使って攻撃しても一撃で倒せてしまう。そして倒した直後には、アクセサリーに付与されている【魔力吸収Lv3】の効果で、使った魔力を上回る魔力を回復出来てしまうのだ。つまり、アイアンパペット相手にであれば、無限に【斬撃】し放題なのである。
唯一残念な事は、アイアンパペットのドロップ品にほとんど価値がない事だった。ドロップするのは多くがネジやボルトで、一つ百ギル程度。たまに三千ギルで売れるレアメタルをドロップするが、確率は体感で数パーセントだ。しかもスキルも得られなかったと言う残念具合。
よってアル達は、アイアンパペットの場合はドロップを待たずして次の集団に向かうと言う採算度外視の攻略法を取る事にした。ダンジョンが死体を取り込んでドロップ品を吐き出すまでの十秒程度と、それを拾って【保管】に放り込む時間ですら短縮すると言う選択。
幸いお金には少し余裕がある。二週間程度収入が無くて困るような事はない。
こうして、アル達はアイアンパペットを狩って狩って狩りまくる日々が始まった。




