44話 最強の一角
クープに来てから十日程が経った。
この十日間はずっと一層と二層を延々とぐるぐるぐるぐる回っていた。飽きもせず延々とである。アルテミスでは何ヵ月もオークと向き合っていたので、十日間くらいはへっちゃらである。
そしてその成果もあり、左手での短剣術はやっと少しマシになってきた。体重の乗せ方等も上達してきている。それでも右手で振るのには遠く及ばないが、少しずつ受ける傷も減ってきた今日この頃だ。
稼ぎも少しずつ上がってきているがヘルハウンドの肉は単価が少し安いので、日に十二万ギルが良いところ。
十日間の間で、ジュリアとも時折顔を合わせることもあった。ジュリアはやはり巨漢三人に囲まれており、ダンジョン内では基本的に巨漢が前で耐えてジュリアがその後ろから魔法で攻撃すると言う戦闘方法。二層での戦闘しか見ていないが、敵とレベル差もあるため安定していた。
その日の朝は普段と変わらない一日だった。今日もいつも通り、ダンジョン周回頑張ろう。そう思いながら宿で防具を準備をしていると、シオンに止められた。
「今日は一度帰ってみるぞ」
「あ、帰るってまさか……」
「決まっておろう。レベルアップしに帰るぞ。アルテミスへ」
こうして僕達は今日一日をレベルアップのための休養日とする事にした。
サラン魔法王国クープから、ロザリオ王国中央のアルテミスまでは馬車で十日。山を越え、谷を越え、川を渡り、果てしない平原を進み、ついでにろくでもない領主が治める街や戦闘狂の領地まで通らなければならない。そんな距離を往復するだけで二十日だ。
もし、その往復を一日で済ませられる手段があるのなら、冒険者なら誰もが喉から手が出るほど欲しがるだろう。
その理由は、レベルアップの仕組みにある。
人はレベルアップを、最初にレベル1から2へ上げた神殿でしか行えない。その神殿は”本拠地“として登録され、一度決まれば他の神殿ではレベルアップできない。
僕の場合、幼い頃からアルテミスの神殿でレベルを上げてきた。そのためアルの”本拠地”はアルテミスであり、今いるクープの神殿ではレベルアップできない。
だからこそ、もしクープとアルテミスを一日で往復できるなら話は変わる。
ダンジョンで経験を積み、レベルが上がればすぐアルテミスへ戻ってレベルアップする。そして再びクープへ帰還し、強化された状態で攻略を続けられるのだ。
レベルアップすれば能力値は上昇し、新たな魔法やスキルを習得することもある。常に最善の状態でダンジョンへ挑めるため、安全性も攻略効率も大きく向上する。
例えばそれを通常の移動方法でしようとすると…
僕がレベル30になるまで、レベルが上がるたびにアルテミスへ戻ったとする。レベル23から30まで七回レベルアップするとして、そのたびに往復二十日。合計百四十日、実に四か月以上も移動だけで費やすことになるのだ。
それなら、その時間をダンジョンで魔物を倒していた方が経験値も稼げるし金にもなる。だから多くの冒険者は、ある程度レベルが上がるまで帰還を後回しにするのである。
「それじゃ。行くよ?」
出立の場所はクープの街で世話になっている宿。ここの料理は基本的にジャガイモなど痩せた土地でも育ちやすい野菜と、そして魔物の肉。それだけの食材から十分美味しい料理を提供してくれる。シオンの希望通り、やはり少し高級な部類の宿だ。一泊一部屋八千ギルもする。Eランクの冒険者が泊まるような宿ではない。
「うむ。早うせい。妾は何も準備などない」
「はいはい。とりあえずルスタンの街ね?行くよ。
"虚構の彼方 次元と虚空の狭間を抜け 汝の理を歪曲せよ 我が名はアルフォンス この身を彼の地まで飛ばせ"【空間転移】」
詠唱の完了とともに、世界が歪に湾曲する。見たこともない世界が次々と目の前に広がっていく。森の中、海の中、空の上、星々の彼方……。見たことの無い光景。ありえない景色。夢か現実かも分からなくなる。
そして唐突に、足裏が固いものに着いた。
そこは大通り。
目の前には見知らぬ八歳くらいの女の子がキョトンとしてこちらを見ていた。ぽかんと口を開け、今まさに口に入れようとしていた肉の串焼きが地面に落ちる。
はっきりと僕達が現れる所を見てしまったのだろう。その手は肉屋さんとの値引き交渉に夢中な母親の服の裾を引っ張っている。
僕はそーっと近付くと、女の子に"しー"と指を立てて見せ、銀貨を一枚手渡してその場をそそくさと離れた。
「こんな大通りに出る奴があるか。転移先を考えるとか言うほんの僅かな知恵も無いのか?」
シオンと並んで歩くルスタンの街は今日も活気づいていた。転移してきて現れる場所までは考えていなかった。失敗だ。
「今度からは人のいない所に出れば良いんでしょ?詠唱を間違えない様にするので必死だったんだよ。失敗して身体中がばらばらになったりしたら怖いし」
しかし何はともあれルスタンに無事到着した。クープからルスタンまでの距離は馬車で二日。それが本当に一瞬だった。
……一瞬だったと思う。正直言うと転移の最中はどこか異次元とも言うべき空間を飛ばされるので体感では一瞬だが、実際には何時間もしくは何日経っていてもおかしくないかもしれない。
「この【空間転移】って、実は使う度に一年くらい経ってましたなんて事はないよね?」
「当たり前じゃ。転移の最中も時間の流れは不変。お主ゴールドナイツで一度使ったと言っておったではないか」
あぁ。ローリさんと戦ってる時にシェイラさんと転移した時だ。確かにあの時は一瞬のタイムラグも無かった様に思う。しかし、今回ほどの異次元旅行も感じなかったような気がする。
「まぁ距離が伸びればその分、一秒未満でのタイムラグは生じるかもしれん。はっきりした事は言えんが。しかし誤差程度じゃろう。それより魔力の方は大丈夫かの?」
「あぁ。特には大丈夫……?かも。多少身体が重たいくらいだね。半分までは消費してないと思うけど、三割は持っていかれたと思う」
魔力の三割で馬車二日分の距離ならお釣りが来るくらいだ。先日アルテミスを離れる前にこの魔法を修得しておいて良かった。
この魔法がレベル23で修得できることを、シオンは知っていたらしい。そのために、アルテミスを離れる前にレベルを23まで無理やり引き上げたのだ。
しかしこの魔法。他の【空間魔法】と比べていくつかの制限がある。そのため、移動と言う点に関してはとてつもなく有用なのだが、使用場面が限られる。
一つ目は詠唱が十五秒程度必要となる事だ。その間は無防備となるため、基本的には戦闘中の使用は難しい。
そして二つ目はダンジョンの外から中へ、中から外へは使用できない。シオンが言うにはダンジョン内には非常に不規則で特殊な魔力場があるため、特定の場所の魔力場を感知して座標指定を行う上でどうちゃらこうちゃら、らしい。ダンジョンの中でも見える範囲であれば使えるらしいが。
そしてもう一つは、僕が今まで実際に行ったことのある場所にしか行けない。これも、その場所特有の魔力場をアルが実際に知っておかないとどうちゃらこうちゃら。
僕達はいくつか店を回ると、気楽にショッピングを楽しんだ。ルスタンの街並みはやはり綺麗だった。川の傍にあると知っているから余計にそう思うのか、なんと言うか瑞々しい。乾ききった土地が広がるクープから来たために余計感じるのかも知れない。
そして今回。アルテミスに直接転移せず、この街を中継したのにはいくつか理由があった。決してショッピングを楽しむだけではない。
まず一つ目は【空間転移】自体を試すこと。一度近距離では使ったが、長距離の移動は初めてだからだ。そして二つ目はその時の魔力の減り具合を確認すること。そして最後は、"錬金術師"を訪ねる事だ。
「本当にここか?シャルの知り合いの錬金術師が開いている工房と言うのは」
クープの冒険者ギルド長シャルロットさんに紹介して貰った住所は確かにここだ。大通りから何本も裏路地に入った所にあるその工房は、全体的に石で造られた古い建物だった。横に立て掛けてある看板には、雑な字で"エルサのドキドキドリームワークショップ"と書いてある。
「エルサとやらのセンスを疑う」
「まぁまぁ。天才には人とは変わった感覚を持つ人がいるって聞くし。……じゃあ入るよ」
扉は木製。窓もなく中は見えない。僕は意を決して扉を開け、意外と重厚な扉を開いて敷居を跨ぐ…
バァァァァァン!!!!!
…と、大音量でシンバルの音が鳴った。びっっっくりしたぁ……。な、何のために?鼓膜がそこそこのダメージを受けている。耳鳴りが止まらない。
「この店を紹介したシャルロットさんのセンスを疑い始めたよ」
「妾はシャルのセンスを少しでも信じておったお主のセンスを疑い始めた」
シオンは大音量を予期していたのかの様に、その狐耳を両手で塞いでいた。恐る恐る耳を放し、手櫛で毛を整える姿は小動物的で非常に可愛らしい。うーん百点。
ところで余談だが、シオンは最近シャルロットさんの事をシャルと呼ぶようになった。気が合うのか、何だか誰よりも打ち解けている気がする。いずれその【変身Lv5】でシャルロットさんみたいな姿に化け始めたらどうしようと今から震えているのは内緒だ。言ったら本当にやりかねないから。
シンバルの音に耐えた客人を出迎えるのは、壁一面に並ぶ棚だった。棚が所狭しと固定されており、派手な色の着いた液体や粉末の入った瓶が雑多に並べてある。
「誰ー?お客さんー?」
店の奥から顔を出したのは小柄な可愛らしい女の子だ。
シオンよりも小さい。年齢は十代前半だろうか?深い緑色の髪に所々青色や茶色の毛が混じっている。着ている服は……きっと、もともとは白衣だったのだろうが、穴が開いていたり色々な色に染色されてしまっている。かなりカラフルなダメージ仕様のコートみたいになっていた。
「あ、そうです。えーっと、エルサさんはいますか?」
「いるよ!」
ニコニコと即答してくれた女の子は、僕を見つめている。
……………。
………。
まだニコニコしながら、こちらを見つめている。
「えーっと?エルサさんはどちらに?」
「エルサは私よ!」
「え?君がエルサ?……さん?錬金術師の?」
「そうよ!」
え?ちょっと待って。この子がエルサさん?ルスタンでも腕利きって聞いて紹介してもらったんですが?
「先生、何してるんですか?」
まだ情報を処理しきれない所に、奥から顔を出したのはげっそりとした男だった。歳は四十前後、かなり痩身で、それに似合わず髪も髭も伸び放題になっている。
「ギャニング!この人たち、私はいるかと聞いてきた!」
「お客様ですか。先生は奥におられるお客様の用件の続きをお願いします。この方々は私が用件を聞いておきます」
「任された!そして任せた!」
どたばたと走り去る後ろ姿は、"遊びに行ってきなさい。あまり遠くに言ってはダメよ"と言われた子供の様だった。
「すみません。エルサ先生が失礼を致しました。私はギャニングと申します。何か御用でしょうか?」
「なに構わん。魔力回復薬が欲しくての。ところでクープのシャルロットから紹介されたのじゃが、腕利きの錬金術師と言うのはお主か?」
「いえいえ。滅相も御座いません。私などエルサ先生に比べたらまるで蚊と不死鳥で御座います。当店で販売しております物のほとんどはエルサ先生が調合致します。簡単な物であれば私もやりますが。
ところで魔力回復薬でございましたね。先生が調合したものが御座います。一瓶五千ギルで販売しております」
やっぱりあの女の子がエルサで、腕利きの錬金術師なんだ……。
何と言うか、流石シャルロットさんの紹介だな。
ギャニングさんは小瓶の入った箱を持ってくる。瓶の大きさからして一口にも満たない程の量。僕が今持っている回復薬よりも小さい。綺麗な青色をした液体が入っており、僅かに発光して見える。一つがかなり小さいので【保管】に入れていてもそこまでかさばらないと、五瓶購入した。
しかし相場が解らないが、一瓶五千ギルはかなり高い気がする。もしかしてぼったくられているのだろうか。
「すみませんちなみに、回復薬はおいくらですか?」
ちなみに冒険者ギルドでは回復薬は一瓶四百ギルで買える。
「回復薬は一瓶千二百ギルで御座います」
「高っ!」
千二百ギルって、ギルドで売ってる値の三倍じゃないか。
しかし思わず言ってしまったこの言葉が、どうやらギャニングさんの気に触ったようだった。
「何を仰いますか!この回復薬はあのエルサ先生自らが調合した物ですぞ!数滴で死の淵から甦るとされるその効力!その効き目の早さ!そして依存性の低さ!どの点においてもサラン魔法王国一の回復薬に違いない!どこで買った回復薬を基準にしているのか知らないが、これでも安いくらいだ!」
「ご、ご、ご、ごめんなさい…」
「なになにー?こらー!ギャニング怒っちゃだめだよ!」
先程まで丁寧な対応だったのに、今は鬼の形相で僕に詰め寄ってくる。この人、怒ると普段の性格から豹変するみたい。でも今のは僕が悪い。店員さんに面と向かって高いとは失礼だった。
そしてその騒ぎを聞きつけたのか、奥からエルサ先生が戻ってくる。先生の後ろからは、きっと先客だろう、着物の様な服装の男がついてきた。最も特徴的で最初に目が行くのがその髪の毛だ。燃えているような真っ赤な髪の毛が、まるで炎の様に逆立っている。身長は百八十センチ程でアルより少し高いくらい。年齢は多分だけど四十代に見える。
「ったく。何の騒ぎだオラ。久々の休息日くらいゆっくり休ませろってんだオラ」
男の口調は荒々しかった。とにかくオラオラ言っているのが印象的。そしてその血に染まった様な瞳が僕に止まった瞬間。
脚がすくんだ。
"斬られる"。そう感じた。
彼は武器も何も持っていない。攻撃の様子を見せたわけでも無ければ僕に対して言葉を発した訳でもない。それなのに、胸をバッサリと斬り開かれ、鮮血が飛び散る光景や鉄の臭いまで想像させられた。
気付いたら、僕は尻餅をついていた。
腰が抜けたのだ。
エルサとギャニングさんが呆気に取られる中で、その男だけがニヤリと嗤う。
男が無言のままこちらに一歩踏み出した瞬間。僕の目の前に小柄な影が立ちはだかった。一瞬誰か解らなかった。それ程までにシオンは激昂し、毛を逆立てていた。全力で男に向かって【威圧】を放ちながら、既に戦闘体勢だ。
「女狐どけオラ。何もしねぇよ。どうせ何も出来ねぇだろうがオラ」
しかしシオンの【威圧】は、そいつにとって何の制止にもならなかった。そして僕達ではどう足掻いても、武器ももっていない、防具も着けていないその男に一矢を報いることすら出来ない。そう分からされてしまう。
男はシオンの真横を通ることにすら躊躇なく僕に近付くと、乱暴に襟を掴んで引き上げる。
軽々と持ち上げられたと思ったら、立ち上がらされていた。男は先程と全く変わりない笑みを浮かべており、それは友好とも敵対とも判断できない表情。
「ほら、大丈夫っつっただろオラ。何もしねぇよ」
埃を払うように手を軽く叩く。まるでここが自分の家であるかのように悠々と、出口へと向かって歩いていく。そのまま出ていってくれ。切にそう願っている自分に気づく。
しかし男は、扉に手をかける直前で振り返った。
「……オラおめぇ。イイぜ?なぁ?おめぇ。見所がある。その嬢ちゃんもなぁ?もうちょい強くなったらまた会おうや。
おいエルサ、オラ。明日までにちゃんと作っとけよ。間に合わなかったら承知しねぇぞ。分かったなオラ?」
バァァァァァン!!!!!
男は小柄な錬金術師に脅す様にそう吐き捨てると、ずいずいと店から出ていった。そしてどうやら退室の時にも大音量のシンバルは鳴るらしい。
「一体何だったんだ……」
放心状態の中でやっとその言葉を絞り出す。
身体中から汗が噴き出し、結局もう一回床に座り込む事になった。
「あやつのステータスを見たか?」
「いや……」
ステータス?それどころでは無かった。【鑑定】は非戦闘用のスキルとは言え、あの男の前でスキルを使うこと自体が躊躇われてしまった。自分が無力な赤子の様にさえ思える。
なんたって身体が震えている事に気が付くのさえ、これだけ時間がかかったのだ。
「名はグラン・ロード。レベル63。あやつの言う通り、妾達では手も足も出んかったであろう」
レベル63。あのセシリアさんよりさらに10以上も上。それは無理だ。例えば僕達が全身装備で彼が素っ裸でも。
「何ですか。彼ほどの有名人を知らないのですか?彼はSランク冒険者ですよ」
ギャニングさんが教えてくれた事実に納得すると共に、身体中を今度は興奮が駆け巡る。
僕はこの時初めて、この世界の"最強"の一角に触れたのだ。




