はじめまして、俺
「よーし、じゃあ、こっち!」
胸やけさえしそうなぐらいには聞き飽きた長谷の明るい声に引っ張られて、照り付ける太陽の下を歩く。標高の高さから、中学生のころまでいた東京よりは過ごしやすい気候なのだろうが、それにしても、近年の暑くて、籠るような空気は、生きることに無気力な自分のやる気をそぐには十分で、げっそりと歩く以外の選択肢は無くなってしまう。
「ねぇ!遅いってば~!」
そう言って、いくつか並んだ玄関のドアのひとつの前に立ち、手を振る長谷は、本当に骨折をしているのか疑わしいほど器用に松葉づえで移動している。
先ほど田中さんといくらか話をし、この施設についての話や、夏休みの予定などについて簡単な話をしていると、ノックとほぼ同時に、勢いよくスパンとドアが開けられた。何事なのかと思い二人して勢いよく振り向くと、平たんな道をキャスター付きの椅子で爆走してきたらしい長谷が、にひひ。と笑みを浮かべていたのだ。
「ハナちゃん!」
そんな声に長谷は「はーい」といたずらっぽく返事をすると、勢いよく立ち上がり、そしてそのまま俺はこいつに引っ張られる形でここに連れて来られたのだ。
……今思い返せば、こいつ、あの時ジャンプしてたような気がするのだが、本当にケガなんてしているのだろうか?
そんな俺の考えを知ってか知らずか、現在の時間軸に存在する長谷はまた「おーい!」と声を上げると、わざとらしく松葉づえに体重をかけて肩を下げ、むすっとした顔でこちらを見つめていた。
「ねぇ、山本くんのせいで折れた足が痛むのですが!早く開けてはくれぬか!」
「座らせろ~!」と喚くお前は、今この瞬間俺よりも元気そうだよ、と心の中で思いながら、ペースを変えることなく歩み寄り、ゆっくりとドアに手をかけた。
何ら、普通の家の玄関と変わらない。長方形の庭を囲うように、いくつもドアが点在し、中から何人もの人間がバタバタと走り回り、声を上げているのが聞こえて来ること以外は。
「いいよ、ゆっくりで」
そんな長谷の声に、どんな感情を覚えたのかは分からなかったが、反射で勢いよくドアを引いてしまった。
中に居た、小さな子どもの目線が、こちらに向き、動きがピタッと止まる。
えっと。
ただ、園庭の木が風に揺られた音だけがやけに大きく響いたかと思うと、不意にドアと俺の手の隙間からひょっこりと中に長谷が顔をのぞかせた。
「やっほ~!お邪魔します!」
いつもと変わらない調子で発された言葉に、固まっていた子どもたちの表情が、みるみる笑顔に変わっていく。
「うゎ~!ハナ!!」
「ハナァ~!遊ぼう!!」
「ねぇ!これだれ!!」
そんな言葉と同時にこちらに駆けよってくる子どもに、思わず身体が固まり、開いたままになってしまったドアから勢いのついた彼ら彼女らが飛び出してきた。
「え!だれ!」
「ねぇ!だれ!」
「っ、つ」
小さな子どもというのは、どうも加減と言ものを知らないらしく、長谷の方とこちらに交互に視線を向けながら、俺の腕やズボンや、その他各々が好きな場所を思いっきり引っ張り、そんな言葉を弾丸のようになって浴びせてくる。だが、どんな言葉をかけられたって、俺は何も言うことはできなかった。
『山本 一真』
そんな簡単なことさえ、俺には答えることができないのだ。
最初は期待や好奇心なんかに溢れて、キラキラとこちらを見つめていた目に、次第に不安のような陰りが含まれ始める。どうすればいいんだろう。きっとお互いにそんな不安を感じていたであろう状況で、また手を差し伸べてくれたのは、いつも通りの明るい声だった。
「こら~!」
少し低く、でも優しさを含んで発せられた声に、皆がそちらを向いて固まる。
「はじめて会う人には、何をすればいいんですか」
そんな問いかけに、「そっか!」と言うように、子どもたちの表情がパッと明るくなると、俺の近くからバタバタと離れ、およそ背の順に横一列に並んだ。
「はじめまして!わたし、カナエです!」
「イオリです」
「りゅうのすけ!」
「こころ……」
そう言って、一番背の小さい、少しか細い声の子まで名前を言い終えると、「ん!」と何かに気が付いたように、一番最初に自己満足をしていたかなえちゃんが後ろをパッと振り返った。
「たかくん!自己紹介は!!」
玄関からつながる廊下の奥の方に向かってそう言うと、扉の陰からのっそりと、小さな男の子が顔をのぞかせた。
「ちっ……」
そう言って、彼はこちらをじっと見つめるだけだったが、それで十分だと、かなえちゃんはこちらに振り返ってニッコリと笑顔をつくった。
「あの子は、タカくんです。保育園の年長さんで、私と同い年!」
そう言われれば、少し暗くてよく見えないが、あの態度と言い、確かに今日の朝、松下さんと一緒に散歩をしていた彼らしかった。
「ねぇ~、なまえは~?」
タカくんのほうに気を取られていると、そんな声と共に、ぎゅっと引っ張られたTシャツの感覚に、思わずハッと現実に帰った。
「……」
俺には、何も言えなかった。
「もしかして、声出ないの?」
小さな子供らしい、きょとんとした顔で尋ねられた問いだったが、実は全くをもってそうだった。
俺は、声が出せないのだ。
正確に言うと、声の出し方は知っているし、全く話せない訳ではない。
ただ、人が多い場所や、初めての場所だと特に。思ったように声が出せない。
緊張なのか、身体がこわばり、呼吸ができない程の息苦しさを覚え、とにかく、何か言葉を発さなくてはと思いながらも喉が仕事をしてくれないのだ。
具体的な診断名があるわけではない。必要がないからだ。
学校でも合理的配慮という名の発表の免除がされているし、この小さな田舎町だ。基本的には俺は「そういう奴」として一定の認知をされており、アルバイト中や、街中で人とすれ違った時も、基本的には声を出さずとも許容をされる風潮があった。
裏で人間がなんて言っていても良い。あいつらからの評価が、俺の人生に何ら影響を与えないことなんて、とっくの昔から分かり切っていたことだ。
だから、俺は、平和に何となくで人生をこなすのだと決めていたのに。
そんな、逆恨みにも近い感情を抱いて、ちらりと長谷の方を見ると、長谷はそんな俺の行動を全部予想していたみたいに「ふふん」とこちらに一歩近づいてきた。
「この子は、カズマくんです、ヤマモト カズマくん。
そして、実はいおりくんが言ったように、カズマくんは、お話することがあんまり得意ではありません」
俺のことを一瞥した長谷に、せめてもの反抗でぐっと不満をのせた目線を送る。
俺のこと、何も知らないくせに。
だが、そんな文句を俺が垂れ流すよりも前に、長谷は膝を曲げ、子どもの視点に合わせると、少し優しい声で言葉を紡いだ。
「いつかお話できるようになるかもしれないし、ちょっと難しいかもしれない。でも、カズマくんは、ふくとくフェスタの準備をお手伝いしてくれるんだって。だから、今日からみんなと一緒に船場さんのところへ行ってもらおうと思います」
「いいですか!」という質問に、子どもたちは大きく「はい!」と返事をすると、一斉にこちらに瞳を向けた。普段は浴びることのない、輝きを含んだ目線が眩しくて直視できない。
「っつ」
と礼をするふりをして下を向いていると、「わー」とズボンやシャツの端をまた掴まれてしまった。
「準備の手伝いって、何するの?」
「せんばさん!せんばさん!愉快なおばあさん!」
そんな言葉と一緒に四方に引っ張られるシャツから目線を上げ、少しの怒りのような感情を原動力に長谷の方に目を向ける。
「ん?」
そんな風に少し下げられた眉尻に、俺はまた何を言うこともできなかった。
「よし、じゃあ、皆で準備してせんばさんのところ行こっか!」
そんな長谷の声に、そこに居た全員が「うん!」と返事をすると、一斉に部屋の中に駆けて行った。はぁ、疲れた。そんなことを思って一つため息をつき、地面をじっと見つめると、不意に、シャツの右端の方がぎゅっぎゅと引っ張られた。
「?」
振り返ると、感覚の先には先ほど俺の核心をついた問いを投げかけたいおりくんが立っていた。
「俺も」
思わず息をするのを忘れてしまう程澄んだ、じっとこちらを見つめる瞳を見つめ返していると、気持ちの整理がついたと言わんばかりに一つ息を吐いて、いおりくんはまた話し始めた。
「俺も、昔、しゃべれなかったから」
「だから、大丈夫だよ」
ザッと、その言葉の背中を押すみたいに、また木が強く吹いた風に揺れる。
「え」とだけ言った俺の言葉を聞いてか、情けない驚いたような顔を見てか。とにかく目を合わせたまま小さくうなzuくと、少年と呼ぶにもまだ幼すぎる彼は、今ある自分の居場所へと駆けて行った。




