神無月十五日 出雲大社に行く
今年の六月くらいにこのエッセイを書いたつもりが一年経っていた。自分の記憶力と時間把握能力を信頼してはいけない証拠がまた積み上がってしまった。
という訳で久しぶりになろうを開いてみたら、このエッセイがランクインしていたようでありがとうございます。
面白いお話がお届けできるかは分かりませんが、また気が向いたら書き連ねていきます。
さて、前回の自分の書いたものを読み返すと、岡潔は全部読んだが網野善彦の方は全く読んでいない。
そしてごくごくたまに外山滋比古の『思考の整理学』(これも数年前に買って放置していたもの)を開いては、Xをいつの間にか見ている生活を送っている。
とにかく長い文を読めなくなっている、我慢がきかなくなっているのは、おそらくXに慣れてしまっているからだろう。
色々と身の回りで神頼みしたいことがあり、Xで今月は出雲大社に神様が集まるので皆さん行きましょうというポストを見かけたので、東京分祠に行くことにした。
ついでに同じくXで、虎ノ門ヒルズ徒歩一分の金比羅宮のご利益がすごいという投稿も見かけたので、同じ日比谷線だしそちらも行くことにした。
いつの間にかできている虎ノ門ヒルズは、ほぼ引きこもりの中年女性が来ていいような場所ではないにも関わらず拒絶されている感じもない、不思議な場所である。
周りにいるのは全て仕事の出来そうなビジネスマンと仕事の出来そうなショップ店員だった。
仕事の出来そうなビジネスマンを見かけると、「ここにいる何%が不倫しているのだろう、きっと多いに違いない」と考えてしまい、純粋だった少女の自分と比べて鬱になる。
金比羅宮はしごできビルとのハイブリッドであり、不思議な感じがした。
夫の祖父母は香川出身なので、特に夫についてはくれぐれもお願いしておいた。
おみくじは末吉であった。
それからまた日比谷線に乗り六本木で降りる。
間違ってアマンド側に出てしまったのだが、先程までのエリートクリーンしごでき高層ビルとは様相が一変し、まるで地元にいるかのような猥雑感。
繁華街というのはどこもあまり変わらないのかもしれない。
出雲大社に行くと、金比羅様よりも人が多く参拝者が並んでいた。
そうだ、今月は神様が出雲大社に集合するんだった、ということは、金比羅宮は神様不在だったに違いないとそこで気付くそこつ者である。
東京の出雲大社に金比羅様がいるかは分からないが、どうせ神頼みすることは同じなので問題ない。
しかしここでまたしてもやらかした。
二礼二拍手二拝と思ったら、四拍手だったのである。
前の人もみてなければ前方設置のお参り作法も読んでいないのでこういうことになる。
隣の人が四回柏手を打っておかしいなとは思ったのだ。
並んでいるので金比羅様より手短にお願いをし神前を辞し、おみくじを引く。
金比羅様とは言っていることが違う。
引っ越しについては片方良し、片方悪し、取引も片方は急げで片方は利なし。
きっと柏手を二回しか打たなかったので、出雲大社の方はご利益が少なかったに違いないと思うことにした。
信じるものは救われる。




