葉月十二日 25. 岡潔の本を読む
みなもすなるにきといふものを、われもしてみむとてすなりーー
noteなるものに登録してみたけれど、あんまり気が進まなかった。
思ったことをただ書き散らしたいだけ。矛盾もたくさんあるだろう。
noteだと何だか理路整然と、一本筋が通ってないといけないような気がする。
かといってブログでは読んでる人との垣根が低すぎるのでは。
自分のそのとき考えていることを、サラダボウルに、いやスーパーの一枚5円のビニール袋に材料をとりあえず詰め込んだようなまとまりのない考えを、ここでなら吐き出せる気がした。
さて、今は岡潔という人のエッセイを読んでいる。Xでとてつもない天才というのを知り、エッセイを出しているのが分かって本屋に行った。
短い話ばかりだけれどもまだ半分も読めていないのは、私の周りの環境に遠因があり、私がすぐXになびいてしまうのにも直接の原因がある。
この本を途中まで読んだ感想を言うと、やはり頭のいい人は右脳も左脳もしっかり働いているのだろうということで、教育についての彼の心配事は現代日本を見たらどうなってしまうのだろうと思わざるを得ない。
岡は天才なので彼と他の人を比べるのは気の毒な気もするが、親友も大変頭の回転が早かった様なのでこのレベルがトップにはゴロゴロいたとすると、その頭の良さの恩恵が末端の私に行き届いてないのはまことに不満。
ところで網野善彦の「日本の歴史」という本も最初のところだけ読んでいてほっらかしになっているのだけれども、この2冊を読むと、今いわゆる「人文系」の力が非常に弱まっているのではないかということを考えざるを得ない。これは私の大好きな佐藤藍子のエッセイを読んでいても思う。
科学分野はすごくもてはやされているけれども、その科学に感動する力、あるいは科学的思考から心を考えていく力というのはどの程度教育に反映されているのだろうか。
そんなことをツラツラ考えながら、しかし私にはしっかりとした「考える軸」がないので何の意見も出せないまま本を置くだけになるだろう。
頭の悪いというのは実に悲しいことよのう。




